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2019年4月2日 福田晃広 :清談社
「どうせ死ぬなら臓器提供してから」世界で進む安楽死議論の怖さ
安楽死を巡る議論はエスカレートしているきらいもあります。
アメリカの生命倫理学者からは「どうせ死ぬのなら生きのいいうちに臓器を切り出せばいい」との意見も出ているなど、安楽死を巡る議論はエスカレートしている(写真はイメージです) Photo:PIXTA
誰もが迎える最期の瞬間、どのように死をまっとうするのかを考える上で直面するのが、「安楽死」の問題だ。日本では法的に認められていないが、実は合法化しなくとも、すでに事実上行なわれている。東京大学大学院人文社会系研究科死生学・応用倫理センター教授で、近著に『自己決定権という罠』(言視舎)がある小松美彦氏に詳しい話を聞いた。(清談社 福田晃広)
“自己決定権”に基づいて
推進される安楽死
「安楽死」は、大きく分けて2つに分類できる。
ひとつ目は、耐え難い苦痛に襲われている患者自らの意思で、医師に致死薬を投与してもらい、死を選択する「積極的安楽死」。ふたつ目は、助かる見込みのない末期患者の意思により、延命治療を中止する「消極的安楽死」だ。後者は、日本においては「尊厳死」と呼ばれることもある。
現在、積極的安楽死を国家として合法化しているのは、2001年に世界で初めて合法化したオランダをはじめ、ベルギー、ルクセンブルク、コロンビア、カナダの5ヵ国である。
日本も超高齢社会に突入し、これから多死社会を迎えるということで、以前よりも自らの死について考える人が多くなり、安楽死の問題もよく議論されるようになった。
特に月刊誌『文藝春秋』2016年12月号のインタビューで、脚本家の橋田壽賀子氏が「認知症にかかったり、身体が動かなくなったら、安楽死で死にたい」と発言し、大きな反響を呼んだことも記憶に新しい。
その橋田氏が2017年8月に『安楽死で死なせて下さい』(文春新書)を出版し、メディアでも多く報道されたことで安楽死という言葉が日本でも広まった。
「死に方を自分で決める権利」は
いまだに世界で議論されている
帯には「人に迷惑をかける前に死に方とその時期くらい自分で選びたい」とある。多くの高齢者が自らの死について考えさせられる文言だろう。この言葉は一見、説得力があるように感じる。しかし、小松氏はこう語る。
「『他人に迷惑をかけなければ、生き方、死に方を自分で決めるのは当然の権利』とする、いわゆる“自己決定権”と呼ばれる考え方が、言葉としてのインパクトがあり、過剰に説得力を持つようになってしまいました。しかし、この概念はせいぜい日本国憲法13条の幸福追求権と重ねて認められるという程度で、法学的にはさほど深い議論がされていないのが実状なのです」(小松氏、以下同)
小松氏によれば、もともと「自己決定権」は、1960年代前半頃の米国で盛んになった「患者の権利」が発展したものだ。当時は、医師が患者に対して、何の病気にかかっているのか、どのような治療を行なっているのかなど、詳しい説明をしていなかった。そのため、患者には自分の具体的な疾病を知る権利や、どの治療法にするかを選択する権利がある、という「患者の権利」が主張され、それが「自己決定権」一般に拡大したのである。しかし、安楽死というような“死の選択”までを患者に与えてよいのかどうかは、現在も世界中で議論されている。
それでは、安楽死とは具体的にどのようなものなのか。安楽死先進国・オランダの現状を見てみよう。
まずオランダでは、年々積極的安楽死を遂げる人の数が増加の一途をたどり、「死の権利協会世界連合(WFRtDS)」によると、2017年の1年間で全死亡者15万人超の約4.4%にあたる、6585人にも上っている。
安楽死先進国・オランダでは
認知症患者も対象者に
しかし、本来積極的安楽死の対象となる条件の幅がどんどん広がったことで、問題となるケースも出てきている。
「当初、積極的安楽死を認めるケースとして、自己決定権が前提で、まず患者に耐え難い肉体的苦痛があり、その苦しみから解放するには死をもってほかにないことが必須条件でした。しかし、それが精神的苦痛でも認められ、2006年には、意思を確認するのが困難な認知症患者も対象となったのです」
2016年には、74歳の認知症患者女性の意に反して、医師が家族と協力して積極的安楽死を行ない、そのため、この医師に対して、安楽死法施行後初の起訴が2018年に決定された。
さらに2017年には、そもそも病気を患っていない75歳以上の人なら誰でも希望すれば積極的安楽死が認められ、翌2018年には知的・発達障害者にも対象が広がっているのだ。
また、小松氏は、これから「臓器提供安楽死」なるものも、行なわれる可能性があると推測する。
「元来、心臓のように摘出したら本人が亡くなってしまう、いわゆる“不可欠臓器”に関しては、『デッド・ドナー・ルール』といい、死んだ人からしか取ってはいけないという規定が世界的にあります。ただ、『どうせ死ぬのだったら、生きのいいうちに臓器を切り出し、それによって安楽死を執行したらどうか』といった意見がアメリカの生命倫理学者から盛んに出ており、その方向に向かっていく可能性も十分あり得ます」
自己決定権が無視されている事例や、当初の安楽死とは異なる状況が刻一刻と進行しているのだ。
消極的安楽死は日本でも
実質すでに行われている
前述の通り、安楽死の先進国・オランダでは、すでに深刻な問題が生じている。
日本ではまだ積極的安楽死はもちろん、消極的安楽死も法的に認められていない。しかし小松氏は、終末期医療の名目ですでに行われていると、その実態をこう明かす。
「2017年、日本集中治療医学会が『DNAR(Do Not Attempt Resuscitation)指示のもとに基本を無視した安易な終末期医療が実践されている。あるいは救命の努力が放棄されているのではないか』と勧告しています。DNAR指示とは、患者本人またはその家族の意思決定により、心肺蘇生法を行なわないこと。つまり、心停止時のみに有効なのですが、それ以外の場合でも、救命医療が放棄されている、とりもなおさず消極的安楽死が行われていると、警告を発しているのです」
また、オランダと同様、日本でも終末期患者の定義が徐々に変化している。
「もともと終末期患者とは、主に末期がんの患者のことだったのですが、日本病院会倫理委員会の文書によれば、寝たきりで認知症の高齢者、高齢で経口摂取できない者、意思疎通の取れない胃ろう造設者、脳血管障害で意識の回復の望めない者などへと拡大し、この人たちが消極的安楽死の対象になっているのです」
老人ホーム職員が本人に
代わって消極的安楽死を決定!?
さらに、厚生労働省による2007年の「終末期医療の決定プロセスに関するガイドライン」では、医師は患者の自己決定権と最善の治療方針をとることを基本としていた。
しかし、同省が2018年に発表した「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」では、巧妙な文言の改訂が見られると、小松氏は警鐘を鳴らす。
「最新のガイドラインでは、消極的安楽死に関する患者本人の自己決定権が、家族にも、さらには、たとえば所属している老人ホームの職員や、在宅医療を受けている人なら訪問介護士にも、代理決定として、事実上認められています。これでは、患者本人の自己決定権すら、ないがしろにされている上、もはや治療することさえ前提にないといえます」
国が実質的な消極的安楽死を推進するのは、長年続く日本経済の沈滞と、急速なスピードで進行している少子高齢化による、医療費の増大が背景にあると考えられる。
このような社会状況に加えて、病院にとっても経営が厳しく、利益が少ない終末期医療を極力カットしたいというのが医療界の首脳の一般傾向であろうと、小松氏は言う。
そうなると、医師が「この患者の命を何が何でも救う」という本来あるべき気構えを失い、「どうせ助からないなら治療する必要がない」という方向に日本も向かいつつあるということになる。
かつては、「老人は敬うもの」という価値観があった。しかしこの先は、増え続ける高齢者たちが疎まれるような時代を迎えるのかもしれない。
https://diamond.jp/articles/-/198502
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