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「山月記」に学べ、ドラッグで終わる芸術家生命 芸能人薬物汚染に引くべきけじめの一線 
http://www.asyura2.com/18/social10/msg/162.html
投稿者 うまき 日時 2019 年 3 月 22 日 22:11:02: ufjzQf6660gRM gqSC3IKr
 

「山月記」に学べ、ドラッグで終わる芸術家生命
芸能人薬物汚染に引くべきけじめの一線
2019.3.22(金) 伊東 乾
大麻先進国から忠告? オランダ首相、カナダ高校生に「絶対手を出すな」
大麻先進国から忠告? オランダ首相、カナダ高校生に「絶対手を出すな」。写真はカナダ・トロントのトリニティ・ベルウッズ公園で行われた大麻合法化イベントの参加者たち(2018年10月17日撮影、資料写真)。(c)Geoff Robins / AFP〔AFPBB News〕

 人気テクノユニットに属する芸能人のドラッグ事件が社会を騒がせています。

 あえて実名などは挙げませんが、大河ドラマなどにも器用され「国民的タレント」の扱いであった芸能人がコカイン常用で逮捕され、20代から大麻、コカインを常用していたと供述している、などと伝えられています。

 国際的に見て「テクノ系」のイベントでは、コカインに限らずドラッグが頻用される明らかな傾向があり、若い頃から内外でその種のイベントに参加していた芸能人が覚えたのであろう、といった論評も目にしました。

 さらに、元都知事の舛添要一さんがSNSならびにJBpress上で、「道徳国家に芸術は開花せず(http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/55812)」との意向を投稿しておられるのも目にしました。

 これらについて、一芸術家の観点、また大学で将来芸術家として社会に出るべき若い人たちを長年指導してきた一個人として、是は是、非は非、すべて透明にしたうえで。検討してみたいと思います。

慶応義塾で「学生レイヴ」顧問をしたときの話
 すでに20年前になりますが、私が初めて大学の教壇に呼ばれたのは慶応義塾の一般教養(日吉キャンパス)で音楽を担当させられた折のことでした。

 これは後年の東京芸術大学など、芸術家を育てる場での指導ではありませんが、テクノに直接かかわるケースですので、そこから話を始めましょう。

 クラシック音楽で生計を立て、直前まで地上波テレビ番組「題名のない音楽会」の監督をしていた私でしたが、日吉のクラスは「音楽への今日的アプローチ」と銘打って、「およそ耳に聞こえるものなら何を持ってきてもよい」と、学生発表とそれを巡るディスカッション、補講でカリキュラムを考えました。

 Jポップ、ザ・ビートルズなど、時代時期も国もおよそばらばらな、学生の好きなあらゆる対象を俎上にあげ、聴覚の脳認知とソルフェージュの2つの刃物で生け作りにしていく内容で、200人程度の履修があり、それなりに人気のある授業だったように思います。

 私もまだ30代前半でしたので、学生諸君も親近感を覚えてくれたのでしょう、「三田祭」の歌コン審査員などというものも頼まれました。

 そんな学生発表の初回が「テクノ」だったのです。

 「ベルリン・ラブ・パレード」というテクノイベントを、T君という学生が取り上げて発表しました。

 そこでも狭義の音楽だけでなく、セクシュアリティの問題やドラッグカルチャーなどに言及しつつ、「生け作り」にしました。

 初回がそれだったので、学生に火がついた面もあるかと思います。ドラムンベースとか「音響系」とかデスメタルとか、およそあらゆる音楽のビビッドな切り口を3年ほど担当した期間、ずっと斬り続けることになりました。

 さて、この初年の初回に「ベルリン・ラブ・パレード」で発表したT君、しばらくすると教卓だったか日吉音楽研究室だったかに、別の相談にやって来たのです。

 「六本木でレイヴをやりたいんですが、未成年ばっかなんで、会場借用の成人保証人になってもらえませんか?」という依頼。

 レイヴというのはテクノ・ミュージック特有のライブで、単に音を流すだけでなく飲食、場合によってはセックス&ドラッグも関わるイベントを指します。

 ここで私は、いくつかのことで厳密にクギを刺したうえで、学生の頼みを聞き入れました。

 クギというのはドラッグ対策です。乱れたセックスもするな、と伝えました。

 そういうことをポンポン、ダイレクトに言う教員は、当時の慶応大学には少なかったようで、いろいろな学生が訪れて来て、楽しい数年の「塾員生活」になったように思っています。

売人はどこにでもやって来る
 「いいかい? チャージさえ払えば誰でも入れるテクノイベントを六本木で開けば、ヤクザも来れば売人も来る。君ら、それを水際でどうやって食い止めるつもりなのか、考えて計画立ててもってきてみ?」というのが私から出した対案です。

 「君らのレイヴで何かが起きたら、未成年の学生じゃなくて俺がすべて責任問われることになるんだけど、分かってる?」

 学生たちは彼らなりに慎重に検討して対策案を立て、決して迷惑をかけるようなこと、犯罪に関連するようなことがない誓約、危ないことがあったら、直ちに私の携帯に連絡するとともに行事を中止、必要に応じて警察への通報なども必ずすること、など、有事のアクションプランを立てさせました。

 それらをつぶさに確認したうえで、私は会場借用の保証人を引き受けました。

 当日は近くまで車でつけ、万事問題なく動いていることだけ確認しましたが、イベントそのものにはコミットせず、会場も一瞥しただけで後にしました。

 こういうものは若者だけでやるのがいい。大人はそこで事故がないよう、脇を保護する役割に徹するのが重要です。

 と、まぁ、そんな20ウン年前の話から始めるのは、学生向けにはドラッグのようなものを使用すると、現実に響いている音を聴くことが困難になると思われるという話をしたことから以下の展開につなげたいからにほかなりません。

 善くも悪しくも、私は、覚せい剤もコカインも使用したことがなく、今後もそのような予定はありませんので(笑)本当のところは分かりませんが、何らかの薬物が体に入ると「聴こえ」に変化が出る可能性が高いと思います。

 例えばアルコールを摂取すると、聴音ソルフェージュの成績は下がる可能性が高いでしょう。

 私たちのように厳密に音を扱うプロフェッショナルは、自分の耳が頼りで職人仕事していますので、それを狂わせるようなものを体に入れるという行為そのものに、強く疑問を感じます。

 その点を1990年代のティーンたち、慶応日吉キャンパスの学生諸君に、私は強調して話しました。

 慶応での講義では、テクノ・イベントは社会的に多様な困難な境遇にある人が、南米のカーニバルにも似た、ある種の「祝祭的転倒」として行っている面があることなどをはなしました。

 また、近しかった山口昌男さんの議論などを引きながら、実際に日本で楽隊業をロングランで継続していくうえで、どういう自律のラインを引くべきかといったことを、かなりリアルに話ました。

 リアルというのは、六本木ないし赤坂の現実の街区で、どのあたりに暴力団事務所があるといったことを含め、決して間違いを起こさぬように情報を与え、学生と約束したうえで、彼らを信用してやる、というスタンスです。

 闇雲に禁止しても、子供はむしろ反抗したり逸脱したがったりするものです。

 むしろリスクの現実を示し、現実に何が起きうるか、ゾッとする内容を伝えたうえで、自律的なガイドラインを各自で作らせ、それを守る約束を信用してやることで、若い者は伸びる・・・。

 これが、当時30代半ばなりではありますが、マスター・ミュージシャンとしての私の考えでありました。

 テクノはだめ、レイヴは危険だからやらせない、ことなかれ、ではなく、危険を承知したうえでそれを避け、雪山登山をトライする。

 危険があったらいつでも下山の準備と、何より覚悟を決めておくこと。こういうポイントは、単に学生時代のテクノ・イベントと言う以上に、その先にも有用であるように思います。

舛添さんの見解への是々非々
 JBpress連載でこの問題に関する舛添要一さんのご見解(http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/55812)を読みました。

 名刺交換などしたことがないわけではありませんが、彼が私を記憶しているとは思いません。しかし、三十数年前、私が学生だった頃に彼は助教授であり、またその職を退く騒ぎがあった頃、私は学園祭の委員として一連の出来事にコミットメントがありました。

 先ほどお名前を挙げた文化人類学の山口昌男さん邸に出入自由であったため、関連する様々な情報が入って来る、不思議な立ち位置にあったのが理由ですが、以下とはあまり関係がありません。

 舛添さんは主張されます。

 「私が一番強調したかったことは、文化や芸術は自由な環境の中で花開く、ということである。ヒトラーは、退廃芸術を弾劾し、多くの芸術作品を廃棄させたが、ナチス政権のようなことが繰り返されてはならない」

 「イランのように、イスラム宗教指導者が支配する国でも、芸術は宗教の規範に反することはできない。日本には、『日本教』という、その場の空気、雰囲気が支配する掟がある。悪しき集団主義である」

 全くその通りと思います。ナチスに限らず、同時期のソ連ではスターリニズムの嵐が吹き荒れ「社会主義リアリズム」に合致しない作品が糾弾されるなど(いわゆる「ジダーノフ批判」)ろくでもない政治圧力が表現芸術に加えられました。とんでもないことです。

 舛添さんはまた、「宗教国家ではあるまいに、どの分野でも過剰な道徳は豊かな創造力を殺ぐ。道徳は優秀な才能を窒息させる」と主張され、フランスを引き合いに芸術を開花させる自由な空気について言及しておられる。

 これも分からなくはありません。が、一点、疑問に思うところがあります。

 「私が『品行方正な芸人』に魅力を感じないのは、そのような芸人は権力にとっては利用しやすい存在だからだ。煮ても焼いても食えないような芸人は、権力者は怖くて使えない。だから、狂気の気配を感じる芸術が、私は好きなのである」

 こう言われるのですが、少なくともかつての日本に関して、私はそのようには思えないのです。

 私がテレビ業界でコンスタントに仕事をしていた1990年代には、小指のない芸能プロダクションの部長さんといった存在を目にしたものです。

 いわゆる興業ヤクザと呼ばれる存在で、暴対法が施行される1992年以降、少しずつ減っていったのだと思いますが、20世紀の終わりまで決して目にしないわけではなかった。

 21世紀について記すことができないのは、私が大学に籍を置いて、やや胡散臭い魅力も放つ芸能界と完全に縁が切れてしまったので、現実が分からないことによります。

 舛添さんが言われるのは、例えば、お祭りの屋台、夜店で繰り広げられるテキヤのバイ(商売)、アセチレンランプに照らされたセルロイドのお面や色とりどりのヒヨコ、冷めるとおよそマズいのにその場ではやたらと美味しい粉モノなどと近い、ある種の「胡散臭さ」に近い芸人の「狂気」のように思えます。

 というのも、舛添さんが例に挙げる「勝新太郎」のケースなどは、まさに興業ヤクザ的な商慣習そのものと言うべきで、胡散臭さの魅力ではあっても、芸そのものとごっちゃにすべきものではないと、表現側の立場からはハッキリ線引きしておかねばならないからです。

 舛添さんは言われます。

 「ただ、芸人が不祥事を起こすと、皆が道学者ぶって高い倫理を求めるが、これは私に言わせれば、全ての芸術家にそれを求めるのは『木によりて魚を求む』がごとしである」

 これはしかし、私たち芸術側の観点、特に若い芸術家の卵をコンスタントに育てる責任を負う立場からは、到底「そうですね」とは言えないご意見です。

 むしろ、「ただ、政治家が不祥事を起こすと、皆が道学者ぶって高い倫理を求めるが、これは私に言わせれば、全ての政治家にそれを求めるのは『木によりて魚を求む』がごとしである。」というパラフレーズが可能であるように思われてしまう。

 というのも、芸能界と政治、双方に共通するのは「大衆的な人気」であるから。

 映画「男はつらいよ」の寅さんを考えれば分かりやすいでしょう。

 彼はテキヤで、今日の目で見れば明らかに「ヤクザ」に分類されるでしょう。暴力団員であるかどうかは議論が分かれると思いますが、キャラクター「フーテンの寅さん」は実際に愛され、国民的存在となりました。

 この寅さんのような「胡散臭さ」が、愛される点ではないかと思うのです。

「山月記」に学ぶ「クリエータよ、ドラッグ虎となるなかれ」
 「男はつらいよ」が、学園紛争華やかなりし1960年代、一世を風靡した「ヤクザ路線」映画のパロディ、間抜けなテキヤの人情劇として企画されたのは紛れもない事実です。

 暴対法が施行された1992年「男はつらいよ」はシリーズ第45作を数えており、残り3作が完成しています。

 ところが、1996年、主演の渥美清氏が亡くなり、冷戦後期の日本を代表するこのシリーズ映画は幕を閉じました。

 今回の摘発を、「テクノミュージシャンが若い時期、海外を含む活動を通じてドラッグを覚えた」云々だけで語るべきではないと思うのです。

 ドラッグを供給し続けるルートがなければ、汚染は続きません。

 コンテンツが入手できなくなったり、グループの仲間まで活動を自粛したりするのを行き過ぎだ、と指摘する向きもあるようです。

 しかし、仮に20代からコカイン常用という供述が事実であれば、30年来一緒に活動してきた人たち(マネジメントを含めて)には、説明責任が間違いなく問われ、表現人サイドの観点から、私は自粛を行き過ぎだと思いません。

 今回逮捕された芸能人は私より数歳若いはずなのですが、非常に「老成」した表情が報道で印象的に思われました。

 薬物を常用すれば。老成というか老化、ないし廃人にも直結し得るわけです。

 何にしろ、こうした事件はろくなものではないし、「芸術家」が薬物に頼るというのは、才能その他の不足に恐怖した弱い人が、不安を忘れるために一過性の忘却に走ったことから習慣性の罠に嵌る場合が大半でしょう。

 「芸術家」という看板の「木」によりて「魚を求める」話では全くないと断言しておくべきと思います。

 芸術云々は一切関係なく、心の弱い個人が薬物に頼ったり、それがドラッグ・シンジケートのカモになったりするのは言語道断です。

 そしてまた、夜店のアセチレンランプの魅力と、セルロイド面を作る現実とは別のものとわきまえる必要が、少なくともクリエータサイドには絶対的にあります。

 中島敦の「山月記」は、詩人としての自らの才能に不安を持った主人公、李徴が、ついには社会から脱落し「人喰い虎」に変身してしまった悔悟が語られます。

 「・・・曾ての郷党の鬼才といわれた自分に、自尊心が無かったとは云わない。しかし、それは臆病な自尊心とでもいうべきものであった」

 「己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交って切磋琢磨に努めたりすることをしなかった」

 「かといって、又、己は俗物の間に伍することも潔としなかった。共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為である」

 「己の珠に非あらざることを惧れるがゆえに、敢て刻苦して磨こうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することも出来なかった」

 「・・・(中略)・・・己の内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった・・・果ては、己の外形をかくの如く、内心にふさわしいものに変えて了ったのだ・・・」(中島敦「山月記」より)

 芸術の立ち位置からの、ドラッグ汚染に関する観測は、上記「山月記」の中島敦の叙述がすべてを尽くしているように、私は考えています。

(つづく)


http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/55824  

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