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1.世界の潮流について考える
■資本主義と社会主義
世界は、資本主義国家と社会主義国家に概ね大別することができます。資本主義国家の経済は市場原理による自由経済であり、自由競争により個人的な利益の追求が行われます。一方、社会主義国家の経済は国家による計画経済であり、経済的な平等に重点が置かれるため個人的な生産手段の保有や富の集中などが起きないよう国家が統制します。
とはいうものの実際は、資本主義国家でも大資本家が富を一極集中できないよう自由競争の中に国家がある程度の規制を設けたりしていますし、社会主義国家でも計画経済の中に資本主義経済を取り入れ外国企業を誘致したりしています。
つまり一概に資本主義といっても国による金融緩和策や公共投資など財政出動や規制緩和策、そして社会保障制度による富の再分配など国家が経済に介入する度合いは国によって様々であり、さらに同じ国でも政権が変われば経済に介入する度合いも変わります。
資本主義陣営(自由主義陣営)が共有する普遍的価値とは「自由・民主主義・人権・法の支配」であり、資本主義陣営vs.社会主義陣営とは理想的にいえば「自由vs.平等」といえるかもしれません。
■資本主義による格差拡大
現在の資本主義はインターネットの普及により「グローバル資本主義」へと変貌し、企業は世界という単一市場の中でさらに厳しい自由競争にさらされるようになりました。その結果、一部の巨大企業や最先端の技術やノウハウを持つ企業のみが巨額の利益を生み、その他の多くの企業は疲弊し生き残りをかけて合併を繰り返し最終的には市場から淘汰されることになります。ただし成熟産業が衰退していく代わりに多くのベンチャー企業が設立され新たな市場が生まれ成長産業となっていきます。
戦後、資本主義が世界を席巻し長い時間が経ちましたが、その結果、あらゆるところで経済的格差が広がっています。国家間でも、国内の地方間でも、個人間でも格差は広がっています。究極的には一部の富裕層と大多数の貧困層の二極化へと移行していきますが、現状は富裕層と多くの中間層が徐々に下降線をたどり、多くの国民は経済的余裕がなくなり、何処の誰とも分からぬ者と一緒になることを嫌うようになりました。自分にとって誰とも分からぬ者に流れる富の再分配を認めようとしない風潮がまん延してきたのです。
以上のような風潮は世界的な潮流となり、第一に「共同体意識の低下」という弊害を生み出します。そのような意識は特に地方共同体の衰退を加速させると同時に共同体枠の縮小や大きな共同体からの離脱を招きます。
いまEUでは「EU南北格差」が問題となっています。北側は経済良好で、南側は経済悪化ということですが、北側にはドイツ・オランダ、中間にはフランス・オーストリア、南側にはイタリア・ギリシャ・ポルトガルがそれぞれ位置しています。そもそもEUの経常収支の約8割はドイツによるもので、ドイツ1国でEUを支えているのが実態です。ユーロ安の恩恵をドイツ1国のみが受益しているため、南北格差の是正に向けさらに拠出するよう求められています。それに対してドイツ国民は、なんで勤勉でない他国民のためにドイツ1国だけが多額の税金を投入しなくてはならないのかと反対デモが起きました。
スペインでは裕福なカタルーニャ州が、支出する税金と中央政府から還元される金額に大きな隔たりがあるとして不満を募らせ独立を目指しました。2017年、州議会で独立法案が批准、住民投票が実施され独立宣言まで行われましたが、結局スペイン中央政府により押さえつけられ失敗に終わっています。
第二に「異質な者の排除」という弊害も生み出します。自分たちの雇用を脅かしたり賃金の低下を招いたりする移民や難民などの外国人を排除する風潮がまん延しています。
2015年頃から、アフリカ・中東よりEUに来る難民が急増し、難民政策をめぐりEUは分断状態です。イタリア・ギリシャは地中海を渡って来る難民の受け入れを拒否し、ポーランド・ハンガリーなども難民の受け入れを拒否しています。それに対して北欧諸国は難民の受け入れを認めています。
2016年、イギリスは国民投票の結果を受けついにEUからの離脱を決定しました。いわゆる「ブレグジット」ですが、EU離脱の予定時期は2019年3月29日です。イギリスでもドイツと同様、EUにお金を拠出するだけの状況や、多額の給与や手当をもらうEU職員などに不満を募らせていました。しかし離脱決定の一番の要因は「移民問題」でした。
裕福で手厚い社会保障があるイギリスには多くの移民が流入してきました。その結果、イギリス国内で家の価格や家賃の高騰、公共交通や病院の混雑など社会は混乱してしまいました。そのうちEU域外からの移民は受け入れを拒否するようになりましたが、それでも東欧諸国をはじめとするEU域内からの移民は流入自由です。安い労働者の流入によりイギリス国内では、労働者の賃金は下がり、住宅は不足し、学校・鉄道や公共施設のインフラ整備コストは上昇し、社会保障コストの上昇により税金は上がり、治安は悪化していきました。その結果、EU離脱が決定したというわけです。ここでは移民流入のマイナス面ばかり述べましたが、購買力向上の経済効果や教育レベルの向上などプラスの面もあることを付け加えておきます。
ドイツのメルケル首相は2015年「EU難民危機」の際、EUに向かう100万人もの難民・移民の受け入れを主導しましたが、この政策によりドイツ内外から厳しい批判を受けました。2017年の総選挙では議席を減らし、極右政党の台頭を許し、連立協議も難航しました。さらに2018年の地方選で大敗を喫した後、ついにメルケル首相は2021年の任期満了をもって引退すると発表がありました。
■政治手法の潮流
この図は保守とリベラルの関係について、横軸に政治手法(権威型と参加型)、縦軸に経済政策(市場型と再分配型)をそれぞれ表しています。
権威型とは政策内容が正しいと思えばプロセス(手順)は重視しないトップダウン型の政治手法で、その延長線上には強権政治があります。一方、参加型とは多くの市民(議員)を巻き込み意見を集約しながら政策を練り上げていくボトムアップ型の政治手法です。
市場型とは自由経済に重点を置き、積極的に規制緩和を行い、競争原理をより一層働かせようとする経済政策です。一方、再分配型とは、租税制度や社会保障制度によって富裕層から貧困層に富を再分配する政策に重点を置くものです。
図の中で、権威型と市場型の組み合わせをA、権威型と再分配型の組み合わせをB、参加型と市場型の組み合わせをC、参加型と再分配型の組み合わせをDとします。
現状の政治手法において保守とリベラルの関係性について言及すれば、EUではBとD、アメリカではAとB、日本ではAとDという関係性になるでしょうか。ただし日本で保守がA、リベラルがDの関係性になったのは小泉政権以降であり、それ以前はEUと同様にBとDという関係性でした。つまり小泉政権以降、日本の保守の政治手法がアメリカ寄り、つまり権威型になっていったといえます。
Aは「国家(国益)重視の小さな政府」であり、対極のDは「個人の権利(自由)重視の大きな政府」といえるでしょう。保守とリベラル(革新)の定義は時代とともに変わっていきますが、現状、世界的な潮流として「リベラル勢力の衰退」が挙げられます。
それは共同体意識の低下が招く「国民の個人主義化」によるものです。そのため、こぼれ落ちる国民一人ひとりを社会という枠に収め、国体を維持し続けるには国のリーダーは「政治手法の強権化」を徐々に図ることになります。それもリーダー自身があまり意識せずに知らず知らずのうちに強権化という道に入っていきます。
■民主主義の危機
世界的な潮流からすれば次のようなことがいえるでしょう。
格差拡大による貧困化に苦しむ国民にとって最大の関心事は当面の雇用と賃金であり、既存政党が掲げるイデオロギーや理念などに国民はもはや無関心です。民主主義の根幹ともいえる選挙行動において国民は自分自身の雇用と賃金にとって、どの政党がいいのか、どの候補者がいいのかという視点でしか見ることはできません。
つまり自分たちの雇用と賃金を脅かしかねない阻害要因を排除すると約束してくれる政党や候補者に投票することになります。そして、それを強く掲げる新興政党、特に極右の新興政党が出現します。その結果「ポピュリズム政権」が誕生するというわけですが、ポピュリズムとは簡単にいえば大衆迎合主義です。このポピュリズムにより中長期の視点に立った政治はできなくなります。
そのうち国内の経済問題で手一杯となり、他国との協調を丁寧に図る余裕などなくなり、ついに自国第一を掲げる「ナショナリズム」が台頭します。このナショナリズムにより国際協調という視点に立った政治もできなくなります。
フランスでは2017年の大統領選挙で極右のルペン候補を退けた中道派のマクロン氏が大統領に就任しました。このマクロン政権は、企業活力向上に向けた経済改革と行財政改革を断行しようとしています。マクロン構造改革とは、法人税の減税、富裕税の撤廃、燃料税の増税、年金受給年齢の引き上げ、そして解雇規制の緩和をセットにしたものです。それは中長期の視点で考えればフランスの国益にかなう政策ではありますが、中間層以下、特に拡大の一途をたどる貧困層にとって大変な痛みを伴うものであることから、度重なる大規模なデモにより頓挫しています。つまり2017年の大統領選でいったん退けたポピュリズムの波が2018年11月以降、再びフランス国内に押し寄せてきたということです。
経済危機に陥っているイタリアでは、EU懐疑派によるポピュリズム連立政権が誕生し、EUが求めている財政規律をめぐり対立しています。EU欧州委員会はイタリア政府に対して2019年予算案はEUの財政規律から大幅に逸脱しているとの見解を通達し、前例のない違反だと指摘しています。つまり、このポピュリズム政権は財政赤字(多額の借金)に対して楽観的な姿勢を見せ、国民に「ばらまき型の施策」(大盤振る舞い)をしようとしているのです。まさにイタリアがEUから孤立しかねない状況といえます。
◇ ◇ ◇
2.それでは日本は?
■「社会主義の理想は社会の進歩にとって重要な価値があるのか?」
この質問について、2018年3〜4月にかけてフランスの調査会社イプソスが28カ国の2万人以上を対象に大規模なアンケート調査を実施しました。これは社会主義思想を体系化したカール・マルクスの生誕200年の節目に実施されたものです。
その結果について回答者の約半数は「社会主義の理想は社会の進歩にとって価値がある」と回答しています。しかし国別で見ると「価値がある」と回答した人は中国で84%、アメリカで39%に対して、日本では最下位の21%でした。
さらに「最低限の生活は無条件に保障されるべき」、「医療が無償なのは基本的人権」、「教育は無償であるべき」などの質問項目についても、日本ではそれらに同意する人が他国と比べて少ないという結果になりました。
■「高校生の生活と意識に関する調査 —日本・米国・中国・韓国の比較—」
2014年に国立青少年教育振興機構が高校生を対象に実施した国際比較調査の結果が、2015年8月に公表されました。それによれば、日本の高校生の主な特徴として次のような点が挙げられます。
(1)お墓参りや農作業などの体験があると回答した割合は高い。しかし、弱い者いじめやケンカを止めたこと(注意したこと)、あるいは体の不自由な人やお年寄りなどの手助けをしたことがあると回答した割合は他の3か国に比べて最も低い。
(2)勉強の目的について、「将来、希望する仕事に就くため」「社会の役に立つ人間になるため」という回答が他の3か国に比べて高い。しかし将来希望する学校段階については、「四年制大学まで」と回答した割合が高く、「大学院まで」と回答した割合は他の3か国に比べて最も低い。
(3)親子関係について、「親を尊敬している」「どんなことをしてでも自分で親の世話をしたい」という回答が他の3か国に比べて最も低い。
(4)人生の目標について、「自分が幸せと感じること」と回答した割合は他の3か国と同様に高い。しかし「お金持ちになること」「高い社会的地位につくこと」と回答した割合は他の3か国に比べて少ない。
(5)社会や国に対する考え方について、満足度は他の3か国に比べて最も高い。「いまの社会は貧富の差が大きい」と回答した割合は他の3か国に比べて最も低い。一方、「国の発展は私個人の発展とつながっている」「国のために尽くすことは大切だ」と考えている者の割合は他の3か国に比べて最も低い。
(6)自分について(自己肯定感等)、「人並みの能力がある」「体力に自信がある」「勉強が得意な方だ」といったことに肯定する割合は低い。また、「自分はダメな人間だと思うことがある」といった項目に肯定する割合は高い。
■「日本人の意識調査・生活調査」
過去、数十年以上にわたり、様々な組織で実施された定点調査「日本人の意識調査・生活調査」によれば次のような特徴が浮き彫りになってきます。
1.先(将来)より今
2.期待(理想)より現実
3.公より私
また自分自身の経済状況に不満という人が多数であるにもかかわらず、今の生活にはそこそこ満足しているという人が全体の4割以上で、その割合は上昇傾向にあることが分かってきました。
■他国と比べて日本は?
以上の3項目の調査結果を踏まえ総合的に考えてみると、他国と比べて日本人の現状が次のように見えてきます。
1.共同体意識や相互扶助の意識が低い
2.意欲、向上心、自尊心が低い
3.親を尊敬できない子供が多い
上記の1番目については、以前より国は地域共同体を縮小させるような政策ばかりしてきた結果だといえます。本来なら国と国民(市民)の間に地域共同体が存在し、国は地域共同体を強化・支援し、地域共同体が市民をサポートするという図式が望ましいにもかかわらず、国は直接、市民に支援金を給付するようなやり方をとり続けています。その結果、市民は孤立をも深めていきます。共同体意識が低いと同時に、さらに弱者救済の意識も低いのが実情です。
上記の2番目については、日本が先進国の中で自殺者と「ひきこもり」の数で突出している大きな要因だと思われます。
上記の3番目については、以前より日本の夫婦の特徴として経済的理由のみで夫婦関係を続ける割合が他国に比べて高いといわれていますが、まさにそれを反映した結果といえます。損得勘定しか考えない両親によって育てられた子供は、そんな両親など尊敬できないということなのでしょう。
■日本の経済的背景
マクロ的に見ると、日本の名目GDPは30年で1.5倍しか伸びていませんが、アメリカは4倍以上に、他の先進国に至ってはアメリカ以上に伸びています。税収の伸びも同様です。日本の収入は30年で1.5倍の伸び率であるにもかかわらず、歳出(支出)は30年で2倍に伸びています。国の借金が増え続けるわけです。
同時に、世界のGDP総額に占める日本のGDP比率を見ると、1990年では18%でしたが、2017年では6%に大きく低下しています。つまり30年弱の間に日本の経済的存在感が3分の1へと大きく低下してしまったということです。
ミクロ的に見ると、日本の給与所得者の年収について平均値は約420万円、中央値は約360万円ですが、最も割合の高い階層は300万円台なので中央値の約360万円が実態を表していると考えられます。しかし個人事業主や家族従業者など給与所得者以外の労働者も多くいるので日本の実態を見るには360万円よりかなり低く考えないといけないでしょう。そして勤労世帯の「可処分所得」と支出額は、およそ20年減り続けています。ちなみに可処分所得とは年収から税金と社会保険料を差し引いた自由に使えるお金という意味です。
■日本での働き方
以上のような要因として極めて低い「労働生産性」が挙げられます。労働生産性において日本は先進国G7中40年以上、連続で最下位に沈み、さらにOECD(経済協力開発機構)加盟36カ国中20位と低迷し続けています。なぜ日本の労働生産性は、これほどまでに低いのでしょうか?
それは働き方にヒントがあるのかもしれません。日本の場合、今でも労働者の多くは一つの企業に長く勤め、定年退職まで所属するというスタイルが一般的です。その間、技術職や研究職で入社した若者が、年を経るに従ってマーケティング・企画部門に配属され、そして最後は営業職に転身していくといったスタイルは珍しくありません。また官公庁や大企業ではキャリア社員(幹部候補生)の場合、2年スパンで全国をまたにかけ転勤を繰り返し、その過程で職種が変わることも珍しくありません。さらにグループ企業への転籍・出向により業種が変わることもあります。いずれも同じ系列グループや会社や組織に所属し続けるという価値観が重要視されます。
つまり日本の場合、「所属型の労働」であり、会社に対する忠誠心や責任感も考慮されるというわけです。一方、欧米の場合、「職能型の労働」であり、一つの会社に所属し続けることは重視されず、自分で選んだ職種を活かすにはどこで働くのがベストなのか重視します。「同一労働同一賃金」が日本で進まないのも所属型の労働だからといえるでしょう。
リタイア世代は十分な貯蓄をし、資産形成することができました。しかし現役世代についていえば企業の人件費が下がり続けていることもあり、貯蓄も資産形成もできずに「社畜」と化し、会社の方針や方向性に黙って従わざるを得ないという状況下にあります。所属型労働の悪い側面が顕在化してきたといえるかもしれません。
■日本でも格差拡大による貧困化は深刻か?
経済的格差について日本は他国と比べ深刻ではないという人が多くいますが、本当でしょうか?
ここまでの議論を踏まえ格差拡大による貧困化について考えると、もはや日本は先進国の中で深刻な状況下にあると考えてもおかしくはないでしょう。地域共同体も大家族も崩壊し、今では核家族すら崩壊しつつある現状で日本国民は孤立化への道を突き進んでいます。
日本の子供の貧困率は、6人に1人から、7人に1人へと少しだけ改善されましたが、それでも先進国の中で最悪のままです。自殺者、ひきこもり、いじめ、ギャンブル依存症、薬物依存症どれをとっても先進国の中で突出しています。そして40歳以上になっても、まともに働かず、後期高齢者の親の年金や貯金を頼りに生活する者も増加の一途です。つまり高度経済成長を経て、いままで蓄えてきた日本の資産を食いつぶし続けているのです。先ほど、給与所得者の平均年収420万円と述べましたが、給与所得者以外も加味すると平均年収220〜230万円という数字も聞こえてきます。
■強権化した日本の政治
日本の政治といえば第二次安倍政権は発足以降、権威型(トップダウン型)の政治スタイルで様々な規制改革(規制緩和政策)を行ってきましたが、その手法が徐々に強権化しています。それは、孤立化・貧困化し不満を募らす国民を日本社会という枠に収め続けるための手法なのかもしれません。
国会運営では粗すぎる法案・答弁、不十分な審議、強引な採決などが挙げられます。宮内庁長官や内閣法制局長官などの人事では露骨に自分と同じ考えの者を指名してきました。
政治主導の行政運営を実現するというお題目の下、第二次安倍政権は「内閣人事局」を発足させ、省庁の幹部人事を掌握しました。その結果、財務省主導の行政運営から脱却し、経産省と二人三脚による政治主導の行政運営へと舵を切れたのです。
しかし同時に大きな弊害も出てきました。皆さんご承知のとおり、安倍政権に対する官僚たちの様々な「忖度」が横行し始めました。政権の都合のいいように公的文書を書き換えたり統計データの収集方法を勝手に変えたりするありさまです。
そのように強権化した安倍政権に対して国民は、なぜ黙っているのでしょうか?
日本社会では元来「上意下達」の意識が強く、上位者、特に権力者に対する絶対服従が浸透していました。戦後、GHQによる民主化改革が行われたところで、たかだか70数年程度で長年培われてきた日本人の上意下達の意識はぬぐい切れるわけもありません。したがって日本では他国に比べ権力者を弾劾するという意識は低いため、政権批判が表面化しにくいという側面もあるでしょう。強い権力者であれば、なおさらです。
さらに日本の場合、地域共同体や家庭や学校などで民主主義・政治・経済について真剣に議論する場、つまり「民主主義の基盤」が縮小し続けているというのも大きな要因です。その表れが、選挙における投票率の低さであり、新聞の発行部数の激減ではないでしょうか。
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