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平成の終わりに昭和天皇の免責を目論む朝日の情報操作
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2019-01-07 天木直人のブログ
年末年始にかけて、朝日の紙面に昭和天皇の過去の言動に関する好意的なスクープ記事が目につく。 今上天皇ではない。 その父上である昭和天皇についての好意的な言動だ。 その意図は何か。 ズバリ昭和天皇の戦争責任追及を消し去るためだ。 その為に、わざと好意的な記録ばかりをスクープ報道している。 きょう1月7日は一面トップで昭和天皇が自ら和歌を推敲した形跡が見つかったという記事を、まるで大発見であるかのように報じている。 それがどうしたというのか。 いうまでもなく、平成の時代は、今上天皇が象徴天皇として平和な日本の実現に渾身の努力をされた時代だ。 それはそのまま父上である昭和天皇の負の遺産を償うためだ。 言い換えれば、昭和天皇の負の遺産を引き継いで出来た戦後の日本の矛盾した国の在り方を、正常に戻そうとする努力だ。 つまり、戦後の日本は、昭和天皇の戦争責任を問わない代わりに、二度と軍国主義の復活を許さない懲罰的な完全武装解除である憲法9条を受け入れ、そしてその代りに在日米軍を日本全土に受け入れて日本の共産化を防ぐ、この三つの矛盾した方針で成立し、国民の知らないままに今日に至っている。 そしてその矛盾は日米軍事同盟が憲法9条や象徴天皇よりも圧倒的に上位にある形で拡大して来た。 その戦後の日本の在り方を正しいものにしようとする努力である。 正しくするとは、すなわち、憲法9条を最優先し、象徴天皇もまた憲法9条を順守しなければいけない存在である事を身をもって国民に知らせ、そして在日米軍を憲法9条の許容する範囲にとどめようとすることだ。 日米同盟を最優先する朝日新聞社は、その矛盾を国民に知らせたくないのだ。 今上天皇の退位とともに。昭和天皇の戦争責任もまた不問のまま終わらせようとしているのだ。 そのための印象操作としてのスクープ報道の連続である。 意図的な情報操作だ。 あらためて私は強調しておきたい。 戦後の日本の歴史を正しく国民が知るようになるまでは、憲法9条は一字一句変えてはいけない。 憲法9条と昭和天皇の免責と日米安保条約体制の成立過程を皆が知るようになるまで、憲法9条は変えてはいけない。 安倍首相がやろうとしていることは、その中身はどうであれ、新しい憲法9条を自らの手でつくりだすことだ。 それは、とりもなおさず、過去の歴史を葬り去る事である。 それだけは許してはいけない。 新党憲法9条が訴えようとしている事はまさしくその事である(了) 昭和天皇の歌、磨いた跡見つかる 側近の「清書」に朱字 https://www.asahi.com/articles/ASM145G11M14UTIL01X.html?iref=pc_ss_date 2019年1月7日03時17分 朝日新聞 昭和天皇が行っていたとみられる和歌づくりの流れ 昭和天皇の歌を徳川侍従長(当時)が清書したとみられる書。朱で書き込みがされている=諫山卓弥撮影 昭和天皇が鉛筆で和歌を推敲(すいこう)したとされる罫紙(けいし)とともに、その歌を側近の徳川義寛(よしひろ)侍従長(当時)が写し取ったとみられる毛筆の書が見つかった。歌の相談役の歌人・岡野弘彦さんから助言をもらうため、徳川氏が「清書」したものだという。毛筆の書は昭和天皇と近しかった人が保管していた。徳川氏の遺族も徳川氏の文字だと話した。 7日で昭和天皇逝去から30年。朝日新聞が先日報じた昭和天皇のメモ8枚と罫紙29枚に加え、今回徳川氏の毛筆の書が確認されたことで、昭和天皇が心に浮かんだことをまずメモに書き留め、それを罫紙で推敲、側近が清書して相談役の助言を受けて完成させる――という歌づくりの流れが具体的に見えてきた。 岡野さんによると、当時、側近は原則、天皇直筆の原稿ではなく、側近自身が毛筆で写し取ったものを持参してきていたという。 今回の毛筆の書は、昭和天皇が使っていたものと同様の「宮内庁」の文字が入った罫紙15枚、裏表30ページ。ひもで右端がくくられており、1986(昭和61)年3月から秋ごろまでに詠んだ和歌計58首が記されている。内容は、29枚の罫紙にある同時期の歌と同じものが大半で、メモの中にも共通する言葉が確認できた。 たとえば、昭和天皇の直筆の罫紙にある歌「うれはしき病となりし弟をおもひかくしてなすにゆきたり」。86年夏に肺がんとわかった弟・高松宮を思う歌だが、毛筆の書では「おもひかくして」の脇に朱で「(おもひつつひめて)」「秘」と書き込まれている。朱は清書を見た相談役からの助言とみられ、歌集「おほうなばら」で公表された際には「おもひつつ秘めて」となっていた。 また、86年4月の在位60年記念式典の際の歌「國民の祝ひをうけてうれしきもふりかへりみればはづかしきかな」は、毛筆の書では「はつかしき」の脇に朱で「おもはゆき」と書き込みがあった。 象徴天皇制を研究する河西秀哉・名古屋大大学院准教授はメモと罫紙、毛筆の書をすべて確認し「三つの資料があることで、歌が表に出るまでにどのようなポイントを変更したのかがわかる。変更は和歌としての形式を重んじてなされているが、変更前の歌の方がより天皇の直接の感情が表現されている」と話した。 今回明らかになった一連の文書について「独特の字や率直な感情表現などがわかり衝撃的。私的な文書の価値が改めてわかる発見だ。今後も、可能な限り国民の財産として公開されればと思う」と話した。
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