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「平成」の次の時代 “安倍政権の修羅場”は日本の危機
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2019年01月05日 世相を斬る あいば達也
最近、気になることだが、“朝日新聞”の報道内容が政治離れしている。政治報道をすることで、安倍官邸が狙っている“大政翼賛メディアミックス”の先頭に立てないように自制しているように思えるが、買被りだろう。そういえば、最近目立つのは、政治部・経済部が、休みでも取っているのだろう、社会部・文化部の臭いが強い記事が目立つ。その傾向は、大塚英志氏のインタビュー(感情の動員)に挑戦するように、お涙ちょうだい記事が溢れている。このような感情動員記事も、メディアミックスと疑えば疑えるのだが、果たしてどのような正体になるかは、朝日新聞次第である。 今どきは、全国紙が報道する内容も、記者クラブの垂れ流し記事か、フェイクかフェイント記事かどうか、疑って読まなければならないわけで、上級のメディアリテラシーがないと、思わぬ方向に物事を受けとめてしまいかねない時代になっている。いや、少なくとも、安倍政権が権力を保持してゆくとすれば、フェイントやマジックを混ぜこぜにして、最終的には、まっしぐらにファシズムか、金融資本支配の政策を進めると云うことなので、わかり易いと言えばそれまでだ、が……。 ところで、4月1日に安倍首相様が、新しい元号を発表するらしいが、あれって官房長官の仕事じゃなかったかな?ここにも“忖度”が働いたのだろうか。余程、安倍首相様は常日頃から、“忖度”を周囲がしなければ、人として、立ち行かないような“振舞い”をしていることが窺われる。駄々をこねると云うか、引き籠ったり、下痢をしたり、お砂遊び(バンカー)をしたり、兎に角、手がつけられなくなるのではないかと、幾分、おかしく思えてくる。まるで茶番な男の手に、日本は握られているらしい。 それにしても、安倍政権は4月1日まで、必ず持つと云う前提だけど、大丈夫なのだろうか。3月下旬、4が中旬の前後半で行われる統一地方選挙があるわけだが、これらの選挙による勝ち負けは、政権への影響は軽微と見ているようだ。やはり、気になるのは7月の参議院選挙のようである。いや、今度は負けても、官邸に籠城する覚悟でいる可能性すらある。ファシズム国家が、精神的に成功するこの時期を見過ごすことは、安倍首相様にとって万死に値する不名誉なことに違いない。しかし、参議院に負けても、政権与党ではあるところが、実は、非常に怖いのだ。 このような場合に、自暴自棄に走る政権の歩む道は、あらゆる政権、ほぼ同じ動きをする。カルロス。ゴーン逮捕のように、地検特捜部を指揮して、玉城知事逮捕とか、枝野幸男逮捕劇などと云う、劇場化に出て、世論を一気に緊急事態的状況に持ち込むかもしれない。現状では考えにくいが、台湾を巡り米中の小競り合い期待する行動や、平和条約がない韓国との基本条約破棄とか、自衛隊を大いに奮起させる材料を、日本という池に投げ入れるかもしれない。或いは、中国が尖閣にちょっかいを出すこともあるだろう。世界的に株価も乱高下、米中経済戦争の影響はこれからだ。消費増税凍結も、安倍政権が生き残る方策の一つだろう。 本日は、そんな生臭い話を離れ、下り坂を大切に降りようと語っていた、五木寛之氏のコラムを読んで、締めくくりにしよう。幾分、五木氏も老成し過ぎたのだろうか、少々愉快犯的で、無責任な感じにも読めた。例えば、累進課税を強化し、法人税も増税し、80歳上の厚生年金受給を8掛けにするくらい、強いメッセージが欲し良いところだった。80歳以上の方から石つぶてが飛んできそうだが。 ≪五木寛之氏、ポスト平成をよむ 新たな激動の時代到来 貧富や世代対立あらわに 30年間続いた平成の時代はあと4カ月で終わり、5月からポスト平成の時代が始まろうとしている。平成とはどんな時代だったのか。そして、この後にどんな変化が訪れ、我々はどう生きてゆけばいいのだろうか。半世紀に及ぶ作家活動で昭和の青春を描き、時代の風を読み続けてきた五木寛之さん(86)に聞いた。 ――平成とはどんな時代だったと考えるか。 「平成の30年間には、大きな事件が繰り返しあったのに、昭和に比べると、どこか希薄な感じのする時代だった。昭和には、米ソや左右の陣営が激しく対立し、労使の対立も激化して、大きな労働争議やゼネストが時代を揺るがした。それに比べると平成には、両者の強烈な対立がなくなり、曖昧な時代になった」 ――危機は遠ざかったのか。 「相対的には雪解けの時代だったが、安心はできない。近年の異常な気候変動を見ても、地球温暖化の問題は、深刻に進みつつあるし、原発の問題も長く尾を引くだろう。さらに現在73億人を超える世界の人口は、30年余りで100億人近くになるといわれている。しかも先進国では若者の人口が減って高齢層が増え続けている。瞬発的な大激動はそれほどなくても、重い長患いが続いている時代ではないか」 ――大きな病巣があるということか。 「ダムに水がたまって強烈な圧力がかかっている。次の時代は何かの形で、その結果が顕在化してくるはずだ」 ――というのは。 「露骨な時代になる。曖昧にしていた本質が、あらわになって、改めて激しい対立や激動が起こると思う。貧富の格差にしても、若者と高齢者の対立にしても、米ロなど大国間の対立も、これまでより大きくなるだろう」 ――なぜ、そう感じるのか。 「平成の時代、国は負債がいくら膨らんでも、減らそうとはしなかった。様々なつけを後に回してきた。平成とは、問題をなし崩しに先送りしている中での相対的な安定期だったのではないか。様々な病患を抱えながら、その場その場の鎮痛剤で済ましてきた」 ――国際的には移民が、大きな問題になっているが。 「今は、難民の時代でもある。移民や難民が押し寄せて、それをどう扱うかで国民国家の存立が問われている。その影響で、米国でも欧州でも新たなナショナリズムが台頭している」 ――欧米ともにポピュリズムの政治家が人気を得て、排外的なムードが高まっている。 「人間とはそんなに利口ではないな、とつくづく思うことがある。第1次世界大戦で1千万人以上もの人が死んだというのに、またすぐに第2次世界大戦を起こすというのは、どう考えても納得がいかない。人間は決して理性的な存在ではなく、情念とか衝動に流されやすい生き物だと思うほかない」 ――では日本にも戦争の時代が、近づいてきているのか。 「僕は、戦争は一日にしてはならず、と言っている。僕らは子供のとき『今日も学校へ行けるのは 兵隊さんのおかげです』といった歌や童謡を、いつも歌っていた。徹底的に歌い込んで、心の中に染み込んでしまっている。実際、12歳の敗戦前には、『特攻隊に入って、敵の航空母艦に体当たりして玉砕したい』というようなことを、日記に書いている。今でも教育勅語や軍人勅諭を全部言える。自分でもいやなんだが、ここまで骨がらみになるまで軍国教育を受けてきた。今の若い人に、そんなことをできますか。『戦争は自衛隊がやるもんでしょう』と彼らは言うだろう。人心を戦争の空気に染めるには、50年から70年はかかる。営々とした教育が必要で、そう簡単には戦前とはならない」 ――ポスト平成の大きな問題は。 「人生100年時代といわれ、希望があるようにいう人もいるが、全体としてみたら、必ずしも明るい時代ではない。50歳以上の世代が世の中にあふれてくるのだから。若者と高齢者の間の緊張感は募るだろう。だからいつまでも成長の時代、登山の意識だけでは、いられない。いかに上手に下山をするのか。どのように下山に楽しみを見つけるかが大切だ」 ――そのためには、何が必要か。 「人口が減る50歳以下の世代は大変だ。高齢者は、身の回りのことは、できるだけ自分でやり、自分で養生をすることが大切。自分としては、過去に執着するつもりはない。むしろ、新たに起こるだろう激動を見てみたいという好奇心が強い。米国の覇権はこの後どうなるのか、資本主義は、どう変容するのか。その新たな変化へ、老いたる胸をときめかしている」(聞き手は編集委員 宮川匡司) ≫(日本経済新聞)
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