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「金融資本の袋小路から人間主体の真っ当な社会へ ー年頭にあたってのご挨拶ー
社会2019年1月1日
2019年の新年を迎えて、読者・支持者の皆様に謹んでご挨拶申し上げます。
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全世界を揺さぶった2008年のリーマン・ショックから10年以上が経過し、またしてもバブル崩壊の兆しがあらわれています。膨らみ過ぎたものが破裂するのは時間の問題であり、それが今年になるか、あるいはしばらく持ちこされるかという程度の違いしかありません。次なる世界恐慌の襲来は、バブルの膨らみ方が異常極まりない分、10年前よりも破壊的であることは疑いありません。
あの世界同時株安以後、深刻な金融危機を乗り切るために、アメリカのFRB(米連邦準備理事会)や欧州のECB(欧州中央銀行)、白から黒へとトップが交代した日本銀行など、各国の中央銀行が異次元緩和を実行し、過剰な資金供給によって資本主義体制の延命に励んできました。金融危機への対処法としては、無制限に資金を供給することがセオリーであるかのようにジャブジャブと注ぎ込み、日銀だけを見てもこの6年で400兆円もの資金供給をおこなっています。そしていまや、この供給をストップすれば、それ自体がバブル崩壊の引き金を引くことになるため、出口戦略などなく、垂れ流し状態にあるのが実態です。次なる金融危機には打つ手なしと自己暴露しているような光景でもあります。
各国は国家の財政資金すなわち税金を投入して、不良債権を国家が買い上げ処理することで金融資本を救済し、この資金を国債増発によってまかなうことから財政危機・ソブリン危機を招いてきました。その結果、必然的に各国で福祉・教育、公共部門への支出削減、増税となり、民衆には窮乏化が押しつけられました。救済されたのは金融資本だけであり、彼らが強欲なマネーゲームによって引き起こした危機でありながら、困ったときには国家に寄生し、国家を道具にして尻拭いを強いる構造を赤裸裸に暴露しました。
これらの前代未聞ともいえる対処法によってリーマン・ショック後の金融危機を封じ込めてきたかに見えましたが、沈静化というよりは、むしろその膨大な資金供給によって再び擬制資本による利潤獲得競争すなわちマネーゲームが激しさを増し、人為的に株価を上昇させ、バブルを膨らませ、火に油を注いでいます。
それ自体、何らの価値もない、富も生み出さない株式や証券という擬制資本の値段をいかに高めるかに世界中のすべての政策が集中し、その売買によって損した得したをくり返して、ときがくれば破裂する。各国の民衆の頭上で、つかみどころのないほど膨大な資本が、使い道がないがゆえにあふれかえり、性懲りもなく金融資本が奪い合いに明け暮れています。
こうして世界にカネは有り余っているのに各国は財政危機に見舞われ、貧困人口は増大する一方です。そして、富める者はますます富み、何に使うのか再生産への目的すらない資本の投機だけがたけなわとなり、終いには蓄えた資本を租税回避地に隠匿している始末です。当たり前に考えるとバカげているように思えるものですが、極限まで発達した資本主義体制のもとで、一握りの金融資本や多国籍企業に富が偏在しているのが現実です。
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第二次大戦後の世界は資本主義各国が疲弊しているもとでアメリカが覇権を握ってきましたが、ベトナム戦争によるドル垂れ流しなどによって71年にはニクソン・ショックとなり、金ドル交換停止に追い込まれ、ブレトンウッズ体制は終焉を迎えました。その後、70年代以降は資本主義各国が見舞われた深刻なるスタグフレーションを乗り切るためにグローバル化・新自由主義を唱え、アメリカはより搾取収奪を徹底する方向に舵を切り、一極支配をはかってきました。
新自由主義政策は、カネもうけの自由のために社会のありとあらゆる規制をとり払い、緩和させていくことに特徴があります。公的企業や国家財政を通じて維持してきた社会的機能を私企業の利潤獲得のために民営化したり、労働であれば労働基準法を緩和して働かせ放題を可能にしたり、企業側の解雇の自由を保障したり、大型店の出店規制を緩和して中小零細企業をなぎ倒したり、大企業がビジネス展開・開発を進めるために環境規制を緩めたり、カネもうけの阻害物となる規制をことごとく撤廃、あるいは緩和・解体させ、資本の自由に委ねていくものにほかなりません。「小さな政府」などといって鉄道、郵便、水道など社会インフラを担ってきた部門を解体民営化していくのもその一環です。
そして、教育や福祉政策、社会保障については個人の自己責任に丸投げして、勝手に生きていけ(死んでいけ)というものです。「ゆりかごから墓場まで」(第二次大戦後のイギリスの社会保障政策のスローガン)などと持て囃されたのも遠い昔のおとぎ話となり、産業資本のさらに上段に君臨する金融資本によって、ムキだしの搾取収奪がくり広げられるようになりました。圧倒的な民衆の側は賃金奴隷、あるいは税金奴隷のようにカネを巻き上げられるだけの存在として扱われ、国家が国民大衆のために機能するのではなく、独占企業や金融資本のためだけに献身する社会構造が浮き彫りになっています。これは日本社会に限らず、世界の資本主義国に共通のものであり、税金を搾るだけ搾って、統治機構が何ら国民生活の世話をしないという状況が普遍的です。
そのなかで、この新自由主義による露骨な搾取構造に対して、世界各国で大衆的決起が始まっています。アメリカであれ、デモが加熱しているフランスであれ、スペイン、イタリア、韓国であれ、くたびれた左翼政党の枠外から新しい大衆闘争の芽が吹き始め、終焉を迎えている現代資本主義を乗りこえ、人間が人間として生きていける社会を希求する動きが広がっています。世界を股にかけた強欲資本主義のもとでは、圧倒的な大衆は生きていけない現実があるからにほかなりません。社会主義陣営が崩壊し、変質したとはいえ、資本主義である限り労働と資本の矛盾は激化し、終末期だからこそよりわかりやすく先鋭化しています。あきらめや絶望ではなく、未来を拓くための行動が国境をこえた連帯意識をともなって発展しています。
この社会を支えているのは、日日勤労に生きている幾多の大衆であり、その生産労働がなければ社会のあらゆる機能が麻痺し、衣食住をまかなうことも、移動することもままならないのが現実です。収奪者も収奪する対象を失ったときには存在する根拠を失う関係です。金融資本がいなくても社会は構成員である人間の共同の労働によって存続できますが、労働がなくなれば社会を維持することはできません。人間の労働こそが古今東西の社会を支え、発展を促す原動力になってきたことはまぎれもない事実です。資本あっての労働ではなく、労働あっての資本であるという関係について、その歴史的な過程とも併せて曖昧にするわけにはいきません。現代資本主義の終末期に問われているのは、社会の主人公は寄生的な金融資本などではなく、日日の生産活動に従事している人間そのものであること、その暮らしをより豊かにする社会構造にしなければならないというものです。有り余ったカネをそのために使え!という単純明快なものです。
アフリカ大陸の密林から出てきた人類が、5万〜6万年ともいわれる進化の過程をたどり、原始共同体の時代から奴隷制社会、封建制社会をへて資本主義社会にたどりつき、一部の国では社会主義体制も経験し、遙かに豊かで発達した社会をつくり出してきました。文明の利器は発達し、互いに言語で意思疎通をこなし、衣食住を満たすために生産力を増大させ、より暮らしやすいように社会インフラを築き上げ、国境をまたいでヒト、モノ、カネが行き交うようになりました。科学技術が発展したことで、人間が人間として生きていくための環境は、これまでのどの時代よりも豊かになったはずです。ところがその豊かさが、社会を支える全構成員が享受できる豊かさとして共有されていないことに最大の問題があります。
社会発展の桎梏になっている新自由主義のイデオロギーは、社会を金融資本の都合や願望に従わせるという身勝手なものであり、この社会の主体は人間ではなく資本であるという原理にほかなりません。そのためには、人間の生命がどうなろうが知ったことではないという残酷なものです。この主客転倒をひっくり返し、まともな社会にせよという要求を強めなければなりません。
世界各国で資本と労働の矛盾、帝国主義と人民の矛盾が激化し、さらに帝国主義国同士による市場争奪も激しいものになっています。社会主義を標榜する中国資本と米国資本の争い等等、数十年前には想像もしていなかったような変質的な世界があらわれ、まるで資本主義の次男坊と長男坊による覇権争いのようなことがくり広げられています。こうした情勢のなかで、もっぱら自分だけがもうかればよいという強欲な資本のイデオロギーに対して、その他の圧倒的な大衆の側のよりよい社会にせよという本質的な要求を束ね、労働者が社会の主人公としての自覚にたって立ち上がるなら、資本主義のもとでくり返される貧困、失業、戦争の連鎖を乗りこえ、それに成りかわる次の社会への展望を切り開くことは疑いありません。
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長周新聞社は今年で64年を迎えます。60周年に際して、読者の皆様に世代交代の課題を成し遂げることを約束して以後、20代、30代の記者たちが主力となって取材、編集、企画する力を強め、ベテランの経験や力とも融合しながら努力を重ねてきました。
「われわれは真実を泥土にゆだねてはならない。いいたいことをあからさまにいい、欺瞞のベールをひきはがし、そのことをつうじて、真に大衆的世論を力強いものにしなければならない。そのために必要なことは、いかなる権威にも屈することのない真に大衆的言論機関をみずからがもつことである」。
64年前の創刊にあたって、私たちの先輩はこのような訴えを発し、ホームページにも掲載している掘っ立て小屋から出発して言論を貫いてきました。大手スポンサーに依存したり資金的な力に屈服するのではなく、またいかなる国際権威や権力に対しても迎合することなく、真理真実に対して忠誠を貫くこと、一人一人の読者に依拠し、みずからの努力によって困難を乗り切ることをモットーにして歴史をつないできました。
長周新聞の編集発行に携わっている私たちの任務と課題は、よりよい社会の実現を目指す広範な人人との結びつきをつくることであり、そのために研鑽を重ね、編集内容をさらに飛躍させることです。勤務員一同、現状に甘んじることなく、よりパワフルに前進することを年頭の誓いといたします。全読者の変わらぬご協力を切にお願いいたします。
2019年元旦
長周新聞社」
https://www.chosyu-journal.jp/shakai/10506
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