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意味深い天皇誕生日のおことば 「象徴」の諦観を明示した
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2018年12月28日 世相を斬る あいば達也
まず、今上天皇として最後の誕生日、2018年12月23日における“おことば”を読んでみたい。明治以降の大日本主義が、第二次大戦で頓挫し、時代錯誤の国家観は終わったに思えたが、どっこい生きていたと驚く時代だと思う。無論、彼らの声は、明らかに電通仕込みの“広告手法”がふんだんに盛り込まれ、1を100の声として、ネット活用と相まって、如何にも強大な力(ビックブラザース)が存在するように仕掛けられている。 戦後憲法(民主主義)を重視する、通称リベラル勢力は、デモクラシーや人権を守ると云う、或る意味で、象徴的と云うか、価値観(見えないもの)を主張する勢力なので、その主張を拡散させるのに手間取り、無知も加わり、安倍首相に代表される、いじけた大日本主義勢力の後塵を排している。通称リベラル勢力は、大日本主義勢力の主張に対局的な「小日本主義」の概念を旗印にところまで割り切れていないので、大日本主義と小日本主義の真ん中あたりを目指そうとしている。実は、この中庸の主張が一番広報的に難しい概念なのだ。ゆえに、ネット時代の縮尺文言文化に乗ることが出来ない。 天皇皇后両陛下が、中途半端でもがいているリベラル勢力に加勢している。今上天皇にしてみれば、大日本主義には絶対に戻ってはいけない。日本国憲法の国民主権や人権と云うコアな部分と、みずからに課せられた「象徴」に準ずる生き様を強く訴えかけていた。全体に流れる意思は、安倍政権を含む歴史修正主義的性格を帯びた復古勢力の抬頭に強い危惧を抱いている心証を強く語る内容だった。また、この日本の象徴としての天皇は、主権在民、国民主権と云う基盤の上にあって生まれた地位であることを敢えて明示して。天皇は譲位するにあたり、この「象徴」の意味を次の天皇や皇太子に向けて発したことを、主権者である国民に約したとも言える。 ☆天皇誕生日のおことば(全文) ≪この1年を振り返るとき、例年にも増して多かった災害のことは忘れられません。集中豪雨、地震、そして台風などによって多くの人の命が落とされ、また、それまでの生活の基盤を失いました。新聞やテレビを通して災害の様子を知り、また、後日幾つかの被災地を訪れて災害の状況を実際に見ましたが、自然の力は想像を絶するものでした。命を失った人々に追悼の意を表するとともに、被害を受けた人々が1日も早く元の生活を取り戻せるよう願っています。 ちなみに私が初めて被災地を訪問したのは、昭和34年、昭和天皇の名代として、伊勢湾台風の被害を受けた地域を訪れた時のことでした。 今年も暮れようとしており、来年春の私の譲位の日も近づいてきています。 私は即位以来、日本国憲法の下で象徴と位置付けられた天皇の望ましい在り方を求めながらその務めを行い、今日までを過ごしてきました。譲位の日を迎えるまで、引き続きその在り方を求めながら、日々の務めを行っていきたいと思います。 第二次世界大戦後の国際社会は、東西の冷戦構造の下にありましたが、平成元年の秋にベルリンの壁が崩れ、冷戦は終焉を迎え、これからの国際社会は平和な時を迎えるのではないかと希望を持ちました。*しかしその後の世界の動きは、必ずしも望んだ方向には進みませんでした。世界各地で民族紛争や宗教による対立が発生し、また、テロにより多くの犠牲者が生まれ、さらには、多数の難民が苦難の日々を送っていることに、心が痛みます。 以上のような世界情勢の中で日本は戦後の道のりを歩んできました。終戦を11歳で迎え、昭和27年、18歳の時に成年式、次いで立太子礼を挙げました。その年にサンフランシスコ平和条約が発効し、日本は国際社会への復帰を遂げ、次々と我が国に着任する各国大公使を迎えたことを覚えています。そしてその翌年、英国のエリザベス二世女王陛下の戴冠式に参列し、その前後、半年余りにわたり諸外国を訪問しました。それから65年の歳月が流れ、国民皆の努力によって、我が国は国際社会の中で一歩一歩と歩みを進め、平和と繁栄を築いてきました。昭和28年に奄美群島の復帰が、昭和43年に小笠原諸島の復帰が、そして昭和47年に沖縄の復帰が成し遂げられました。沖縄は、先の大戦を含め実に長い苦難の歴史をたどってきました。皇太子時代を含め、私は皇后と共に11回訪問を重ね、その歴史や文化を理解するよう努めてきました。沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、これからも変わることはありません。 そうした中で平成の時代に入り、戦後50年、60年、70年の節目の年を迎えました。先の大戦で多くの人命が失われ、また、*我が国の戦後の平和と繁栄が、このような多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって築かれたものであることを忘れず、戦後生まれの人々にもこのことを正しく伝えていくことが大切であると思ってきました。平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています。 そして、戦後60年にサイパン島を、戦後70年にパラオのペリリュー島を、更にその翌年フィリピンのカリラヤを慰霊のため訪問したことは忘れられません。皇后と私の訪問を温かく受け入れてくれた各国に感謝します。 次に心に残るのは災害のことです。平成3年の雲仙・普賢岳の噴火、平成5年の北海道南西沖地震と奥尻島の津波被害に始まり、平成7年の阪神・淡路大震災、平成23年の東日本大震災など数多くの災害が起こり、多くの人命が失われ、数知れぬ人々が被害を受けたことに言葉に尽くせぬ悲しみを覚えます。ただ、その中で、人々の間にボランティア活動を始め様々な助け合いの気持ちが育まれ、防災に対する意識と対応が高まってきたことには勇気付けられます。また、災害が発生した時に規律正しく対応する人々の姿には、いつも心を打たれています。 障害者を始め困難を抱えている人に心を寄せていくことも、私どもの大切な務めと思い、過ごしてきました。障害者のスポーツは、ヨーロッパでリハビリテーションのために始まったものでしたが、それを越えて、障害者自身がスポーツを楽しみ、さらに、それを見る人も楽しむスポーツとなることを私どもは願ってきました。パラリンピックを始め、国内で毎年行われる全国障害者スポーツ大会を、皆が楽しんでいることを感慨深く思います。 今年、我が国から海外への移住が始まって150年を迎えました。この間、多くの日本人は、赴いた地の人々の助けを受けながら努力を重ね、その社会の一員として活躍するようになりました。こうした日系の人たちの努力を思いながら、各国を訪れた際には、できる限り会う機会を持ってきました。そして近年、多くの外国人が我が国で働くようになりました。私どもがフィリピンやベトナムを訪問した際も、将来日本で職業に就くことを目指してその準備に励んでいる人たちと会いました。日系の人たちが各国で助けを受けながら、それぞれの社会の一員として活躍していることに思いを致しつつ、各国から我が国に来て仕事をする人々を、社会の一員として私ども皆が温かく迎えることができるよう願っています。また、外国からの訪問者も年々増えています。この訪問者が我が国を自らの目で見て理解を深め、各国との親善友好関係が進むことを願っています。 明年4月に結婚60年を迎えます。結婚以来皇后は、常に私と歩みを共にし、私の考えを理解し、私の立場と務めを支えてきてくれました。 また、昭和天皇を始め私とつながる人々を大切にし、愛情深く3人の子供を育てました。振り返れば、私は成年皇族として人生の旅を歩み始めて程なく、現在の皇后と出会い、深い信頼の下、同伴を求め、爾来この伴侶と共に、これまでの旅を続けてきました。天皇としての旅を終えようとしている今、私はこれまで、象徴としての私の立場を受け入れ、私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝するとともに、自らも国民の一人であった皇后が、私の人生の旅に加わり、60年という長い年月、皇室と国民の双方への献身を、真心を持って果たしてきたことを、心から労いたく思います。 そして、来年春に私は譲位し、新しい時代が始まります。多くの関係者がこのための準備に当たってくれていることに感謝しています。新しい時代において、天皇となる皇太子とそれを支える秋篠宮は共に多くの経験を積み重ねてきており、皇室の伝統を引き継ぎながら、日々変わりゆく社会に応じつつ道を歩んでいくことと思います。 今年もあと僅かとなりました。国民の皆が良い年となるよう願っています。 ≫おわり 天皇誕生日のおことばとしては、相当意味深い内容の濃い言葉になっている。政治性があるか無いかと言えば、あきらかに、政治性は存在する。「象徴」という存在はかくあるべしという事柄を示しながら、平和が如何に重要なものか、そして、多くの犠牲を払った先の大戦の歴史を正確に後世に伝える必要性に強く言及している。かなり強いカウンターパンチを、大日本主義、歴史修正主義に向けて発している。 具体的事例として、「……沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、これからも変わることはありません。」というくだりは、沖縄への深い思いは永遠であり、彼らの思いに充分に配慮した「政」が望ましいと暗に示している。もっと、有り体に言えば、沖縄県民の民意と云うものを充分に尊重した政治をおこなって欲しいと要望しているようにも聞こえる。無論、天皇が平易な言葉で、「象徴」でありながら、政治的発言は控えつつも、いざとなれば、時には暗示的に発言することは許されると、今上天皇は「象徴」を解釈している可能性もある。 ここで言う可能性とは、旗幟を鮮明にすると云うことはなく、今までの貴重な経緯や、経緯の結果、そして、現在の歴史状況などを踏まえつつ、“ファイナルアンサー”は国民の皆さまが、考え答えを導いて貰いたいと、語っているようだ。苦難の歴史を辿って得た平和と云うものは、非常に貴重なものだというニアンスも含まれている。つまりは、天皇は、戦後の歴史全体を支持していると言えるわけだ。これは、戦前の全体主義国家を目指そうとしている自民党の一群にとっては不快な暗示だと言えるだろう。 また、更なる具体的事例として、日本人の移住の歴史が150年を向え、赴いた国の友好的受入れと努力によって、今がある。また、各国から我が国に来て仕事に従事する人々も、日本社会の一員として、迎える必要性を訴えている。また、観光客などが見聞する我が国も、見聞に値する国であることを望み、各国との親善有効に寄与して欲しい。つまり、他国からの訪問者も、日本は好い国だと評価されるだけの国柄であって欲しいと求めている。 以上、今上天皇及び皇后の心意気が表されたわけだが、このような言葉は“保守本流、リベラル、左翼”にとっては、普通に聞き流せる“おことば”であるが、安倍自民党本流や、そのバックボーンにとっては、聞き捨てならない言質だと言えるだろう。あきらかに安倍政権への箴言であり、歴史修正主義を批判している。戦後、定められた「象徴天皇」は、戦後の歴史で定められているので、そのことを明確に、後世に伝承していかなければならない。元首などはもっての外で、日本国憲法の中で、天皇制は存在している、と警鐘を鳴らす。 忌まわしいとさえ思える現政権のことを、田中秀征は“自民党本流”と揶揄的に表現し、保守本流と明確に分けている。自民党本流と云うのは、新自由主義の鬼子のようなもので、本来の自民党には存在しなかった勢力だと分析している。たしかに、小泉・竹中・安倍・菅と云う勢力に、保守と云う名前は似合わない。革命的と云えば聞こえは良いが、自民党をぶっ壊すを通り越し、日本や象徴天皇をぶっ壊すと、明言しているようだ。 昭和天皇は、靖国神社を計8回親拝しているが、靖国が独断でA級戦犯を合祀したことで、親拝をとりやめた。その後、今上天皇も、それに倣った。おそらく、現在の皇太子も、天皇になっても靖国神社を親拝することはないだろう。それに引きかえ、歴史修正主義的色彩の強い、中曽根康弘、小泉純一郎、安倍晋三は、現職総理として、現職中に一度だけ靖国神社に詣でている。この靖国神社の持つ神社の性格に、自民党本流の流れが温存され、国粋的大日本主義が生き残ってしまったようだ。靖国が中心となる神社本庁も同じと云うことだ。 *次に、天皇の政治的発言の是非や天皇の権限等を様々に検証してみた。ただ、少々疲れ気味なので、明日に譲ることにする。 |
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