http://www.asyura2.com/18/senkyo253/msg/401.html
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先ず、この問題の本当の意味をアナタが理会しているかどうか、次の様に問題設定をしてみる。
もしもアベが登場して来なかったら、「徴用工問題」はもちろんのこと、「慰安婦問題」もこれ程こじれることは無かった。 −これを別の視点で言うと、小渕政権までは日韓関係が良好だった様に、そのまま党人派政権が続いていたら、そもそもが斯かる問題は起こらなかったかも知れないし、起こったとしても、少なくとも、日韓の深刻な政治問題になることは無かった。
裏返して言えば、アベを登場させるような国内外の政治状況が斯かる「問題」を浮上させ、今回の判決を呼び込んだのである。
如何ですかな?
チンプンカンプンの方は、日韓関係はむろんのこと、日本国内の政治状況も知らないー少なくとも、上っ面の理解しか出来ていないと思われたい。
ナルホドと、ぼんやりでも掴めた方、又その先を知りたい方は、その国内外の政治状況も含めて、この後、「アベ6年のソーカツ」として、書き込む予定なので、そちらを見られたい。
このスレでは、「判決」で新たな段階に進んだ感のある日韓関係を解くカギを提示しておこうと思う。
そのカギとはポツダム(カイロ)宣言である。
改めて言うまでもないとは思うが、日本に対して、カイロ宣言とは米英中三か国による戦争目的の共通意思の確認、ポツダム宣言とは戦後処理を含めた降伏勧告である。
特に朝鮮半島に関わるカイロ宣言の次の件りを見られるがよい。
@「日本国ハ又暴力及貪欲ニ依リ日本国ノ奪取シタル他ノ一切ノ地域ヨリ駆逐セラルベシ」
A「前記三大国ハ朝鮮ノ人民ノ奴隷状態ニ留意シ軈テ朝鮮ヲ自由独立ノモノタラシムルノ決意ヲ有ス」
@とAは連動しており、@は「日韓併合」の不当性、Aは「朝鮮の人民は奴隷状態にある」との認定、更に「奴隷状態からの解放」が戦争目的の一つであることをハッキリと謳っている。
申すまでも無く、戦時下に、その「奴隷状態」が現れ出たものが「慰安婦」や「徴用工」であり、この点が他の場合とは決定的に別つものなのである。
巷間、カイロ宣言そのものに対する疑義がなされたりしているが、その第8項に「カイロ宣言の条項は履行さるべきもの」としたポツダム宣言を受諾した時点で、斯かる疑義は言い掛かり以外では在り得ない。
本質的な問題は、斯かる認識を抱合するポツダム宣言を日本側は受け入れたということであり、それは即ちその認識も受け入れた事を意味するからである。
まただからこそ、敗戦後、朝鮮人を「解放国民」としたのである。 当然、この時点では、カイロ宣言を踏まえた上で、「戦勝国側」と認識されての呼び名であろうから。
周知の如く(と言っても、一体、どれ位の人が知ってるのか疑問だが)、それが劇的に変わったのが、朝鮮戦争の勃発による、米国の対朝鮮半島政策の転換である。 そしてその転換が投影されたのが、日本側の、「第三国人」という言い替えなのである。
第三国、即ち当事者ー「戦勝国」or「敗戦国」―ではない、ということ。
今日に至るまで、日本は、基本的に、このスタンスを変えていない。 ー当然であろう、アメリカの対朝鮮半島政策が変わっていないのだから。
一方の韓国はそのまま、植民地支配を全否定しているのだから、これまた当然だが。
この両国の認識のギャップを抱えたまま、日韓基本条約も請求権協定も調印されており、その意味で、元々不安定な基盤に立っていることは押さえておくべきだろう。 特に日本の場合、米国の対朝鮮半島政策次第で、一挙に、不利な立場に立たせられるのである。
ではこの両国、展望はどちらにあるのか?と言えば、それは偏に、ポツダム宣言ーポツダム体制の有効性如何であるが、セットとして捉えられてるヤルタ体制も併せてみれば、これから、そしてその行く末も見えて来るであろう。
ヤルタ協定が大戦後の様々な取り決めをし、その中から「国連」が誕生する訳だが、「国連」と日本が呼んでいるのは印象操作の最たるもので、戦勝五か国がそのまま安保常任理事国になってる様に、本来は「連合国」と呼ぶべきであり、「敵国条項」に明確に窺われる様に、その本質は「戦勝国体制」なのである。 そしてその全てにリーダーシップを取ったアメリカが、事実上、盟主の座に座り、ヨーロッパ「ヤルタ体制」アジア「ポツダム体制」の庇護者の位置に付く。
従って、ヤルタ体制の目的は、アメリカを主役とし、ソ連をジュニアパートナーとして、ドイツの封じ込めを通した、ヨーロッパの管理体制ー「冷戦体制」はその更新版ーであるという事が出来る。
その意味では、EUと成り、それが”ドイツ帝国”と呼ばれるようになった現在では、ヤルタ体制は形骸化し、名存実亡状態になりつつある訳だが、最近のNATOを巡る米欧の軋轢にも覗える様に、アメリカを必要としているのはむしろヨーロッパ諸国なのである。
対ロシアに加え、ドイツに対しても周辺諸国の警戒感は解けないだろうし、ドイツ自身としても、不要な不安を周辺に与えない為にも、当面、重石或いはバランサー役として、アメリカの存在は必要ということだろう。
同じ様な事はポツダム体制の東アジアについても言える。
何より日本が必要としているのだし、他の周辺諸国も、台頭する中国へは元より、日本への警戒感も完全に解消された訳ではない、また中国にしたところで、アメリカよりも百倍も厄介な中ロ関係の為にも、逆説的に、アメリカは必要とされているのである。
斯くして、ヨーロッパにおいてもアジアにおいても、アメリカという存在は有用なのであり、その意味で、君臨すれども統治せずという、王様の様な地位なり役割を果たしていくことになるであろうことが予想されるのである、不要な邪気と無用な波風を立てなければ。
その意味で試金石となるのは対朝鮮半島政策である。
これまで通り「日米韓」の陣形に固執する限り当事者であり、調停者の役回りを演じることは出来ないし、日米でもそれは不可能。
朝鮮半島問題について、周辺諸国の中で、唯一相反しているのが日本だから、である。
とすれば、その結論は見えて来るだろう。
どのような形を取ろうとも、何れ、アメリカの対朝鮮半島政策は修正されることになるのである、それも日本に距離を置く形で。
当然、その時は南北関係も決定的な変化を伴う。
そうしてその時に浮上するのは、朝鮮戦争の勃発により転換した対朝鮮半島政策以前の姿である。
そもそもが、上記のヤルタ体制と同様、ポツダム体制とは、アメリカ主役とし、中国をジュニアパートナーとして、日本の封じ込めを通した、アジアの管理体制であったが、朝鮮戦争勃発と国連から中国が排除された事により、戦後長らく機能不全だったこの体制が甦ったのは「国連代表権問題」が決着し、中国が「連合国体制」に参加(復帰)することによってである。
従って、後残る米国の対朝鮮半島政策が修正されれば、結果として、ポツダム(カイロ)宣言が浮上して来るのは自明であろう。
また、逆にその事で、日韓基本条約も請求権協定も、斯かるポツダム体制の機能不全状態の上に建てられた、砂上の楼閣であったことが鮮明になって来るであろうし、間を置かずして、調印時のこの両国の認識のギャップは、ポツダム(カイロ)宣言に照らして、どちらに正当性が在るのか?という問題に収斂されていくことになるであろう。
考えてみるがいい、アメリカの対朝鮮半島政策が転換する時に、その上に乗ってきた従来のスタンスの維持が可能かどうか。
しかも、統一韓国或いは朝鮮、如何なる形になるのであれ、新たなる朝鮮半島の統治形態に向かう流れの中で、何れ日韓基本条約の改廃が避けて通れない問題になって来るのである。
約半世紀前のいわゆる”ニクソンショック”、「ニクソン訪中発表」で、アメリカの対中国政策が電撃的に転換した際、後手後手に回り、それまでの「日華条約」に呪縛されて身動きが取れなくなったまま、取り残されて貧乏くじを引く破目になった佐藤政権の二の舞いになること必定だろう。
今回の韓国「最高裁判決」はより明確に、カイロ宣言とその認識を同じくするものであり、一歩踏み込んで、ポツダム体制の下でなされたものする認識が必要なのである。
となれば、今回の判決に対する日本政府の過剰とも言える反応の意味するものが分かるだろう。
それは、「第三国人」から日韓基本条約や請求権協定まで一貫して貫く、見たくないもの、見ないで済ませて来た歴史的事実(敗戦!)を想起させるからであり、「敗戦の否認」(白井聡)の上に形成されて来た戦後意識を逆撫でするから、である。
日本人の多くが脳裏から消し去っているポツダム宣言とその体制であるが、以下の様に見れば、まさしく現在であることが分かるだろう。
ポツダム宣言の具体的な適用がGHQによる「占領体制」であり、その「独立」後バージョンが「日米安保体制」、最近の「再定義」まで更新を重ねてるが、「地位協定」や「横田空域」の問題をみても、それが「占領体制」=ポツダム体制の適用である事実は変わっていない、一方での、日本以外のアジア諸国に対する在日米軍の位置付け、いわゆる”瓶のふた”が、まさしくポツダム体制の今日風の言い替えであるところを見ても。
そうして、何よりも、日本国憲法もこのポツダム体制の日本への適用−日本から見たら適応―なのである。
こうしてみると、アベが、片方で「安保」を強化しながら、他方「憲法改正」と結び付けて、”戦後レジームの転換”を喚き立てるデタラメさ、”日本を取り戻す”なる支離滅裂が分かろうというもの。
「安保」=「占領体制」を強めながらの「憲法改正」とは、より一層隷従を強めながら独立をという矛盾、精々が、奴隷を強制されるのは否だが自らの意思で奴隷になるのはOKという、些かグロテスクな、倒錯した自己満足にしかならないのである。
そもそもこの男が”戦後レジーム”を何処まで射程に入れて使っているのか、日本以外は見えないし、見ない(=見ないものは存在しない)とする、日本人の多くに在る”ガラパゴス”心理を幾らも出るものではないはずである。
そうでなければ、”戦後レジーム”とは、上記で示した通り、「占領体制」=「日米安保体制」―ポツダム体制に他ならず、従って”戦後レジーム”の最大の受益者はアメリカである事は分かるはずである。 果たして、利害相反する対象に過剰に依存したままの改変が可能なものか、これは子供でも分かるはずだ。
負け組が勝ち組が作ったレジームを変える事が出来るのは戦争か革命、そうでなければそのレジームの自然消滅を待つ以外にはないだろう。
そのレジームの受益者が居て、アベのジャパン以外がそのレジームを容認している以上、”レジーム・チェンジ”は不可能である。
日本は先の大戦の敗者であり、本来「連合国体制」の外様なのである。
精々出来るのは、同じ敗者で外様のドイツがやってる様に、周辺諸国の理解と支持を得て、少しでも有利な地歩を固めーEUが事実上ドイツ帝国と言われる如くー実質的な敗者復活を図ることであろうが、アベのジャパンがやってることは真逆、結局は、それは敗戦状態を永続化させること、即ちポツダム体制を裏側から支えることにしかならないのである。