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安田純平さん、記者会見 拘束時の様子語る 「(2015年)7月下旬に日本政府に金を要求すると言われた」 
http://www.asyura2.com/18/senkyo253/msg/197.html
投稿者 赤かぶ 日時 2018 年 11 月 02 日 18:05:05: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 





安田さん、帰国後初会見 拘束時の様子語る
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20181102-00000036-nnn-int
11/2(金) 14:52配信 NNN


動画→https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20181102-00000036-nnn-int



内戦下のシリアで約3年4か月にわたって武装組織に拘束され、先月解放されたフリージャーナリストの安田純平さんが2日、帰国後初めての記者会見を行い、武装組織から「日本政府に身代金を要求する」と言われたなどと拘束時の様子を話した。

安田さんは2015年6月にシリア北部のイドリブ県で武装組織に拘束されたが、先月、約3年4か月ぶりに解放され帰国した。

安田さん「今回、私の解放に向けてご尽力いただいたみなさん、ご心配いただいたみなさんにおわびしますとともに、深く感謝申し上げたいと思います。本当にありがとうございます」「私自身の行動によって、日本政府が当事者にされてしまったという点について、大変申し訳ないと思っています」

2日午前11時から日本記者クラブで会見した安田さんは冒頭、謝罪と感謝の言葉を述べた。安田さんは拘束中、何度も移動を繰り返し、狭い部屋に閉じ込められて身動きを許されなかったこともあったなどと、様々な嫌がらせや虐待を受けたと訴えた。これに対して安田さんも20日間にわたってハンストを行ったという。また、武装組織側は日本政府に身代金を要求すると話したという。

安田さん「(2015年)7月下旬に日本政府に金を要求すると言われた。この時点で正式に人質であると言われた」「武装組織は(身柄の引き換えとして)金銭とか特殊な武器のリストを送った。日本側からは武器の提供は無理である、金を払う用意はあるという言い方をしてきた」

安田さんはまた、いわゆる自己責任論について、「紛争地に行く以上、当然自己責任で、そこで起きることは自業自得だと思っている」と述べた。その上で、政府に対しては「非常に難しい中で努力を続けてもらい、不満に思うことはなく、やれることをやってもらった」と述べた。



「紛争地は自己責任、批判は当然」安田さんが会見
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20181102-00000056-ann-soci
11/2(金) 14:54配信 ANN



 シリアで拘束されたジャーナリストの安田純平さん(44)が帰国後、初めて会見し、会見を開いた理由について「何が起こったのか説明するのが私の責任」と話しました。

 ジャーナリスト・安田純平さん:「私の解放に向けてご尽力頂いた皆さん、ご心配頂いた皆さんにおわびしますとともに深く感謝申し上げたいと思います。日本政府が当事者にされてしまった点について大変、申し訳ないと思っています」

 安田さんは2015年にシリアに入国後、武装組織に拘束されましたが、3年4カ月ぶりに解放され、先月25日に帰国しました。

 ジャーナリスト・安田純平さん:「紛争地のような場所に行く以上、当然、自己責任であると考えています。それによって自分の身に対して起きることは、はっきり言って自業自得である。私に批判があるのは当然であると考えています。(外務省に対して)不満に思うことはありません。やれることをやって頂いた。家族のケアもして頂いたので、ありがたいと思っている」

 安田さんは帰国後、過酷な監禁生活で体力も落ちているため、病院に入院していました。



【ノーカット】安田純平氏 記者会見

※26:13〜安田純平氏 記者会見 再生開始位置設定済み































 

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コメント
1. 赤かぶ[992] kNSCqYLU 2018年11月02日 18:11:09 : jgP8M3g5HI : WzItY4dVHi4[407] 報告

安田純平さん「拘束から解放までの経緯」
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20181102/k10011695621000.html
2018年11月2日 11時07分 NHK



安田純平さんの記者会見が始まる前に資料を配布しました。「拘束から解放までの経緯」と題して時系列に出来事が記されています。(以下全文そのまま)

拘束から解放までの経緯

2015年
▽6月
22日 深夜にトルコから徒歩でシリア入り。ホブス工場に入れられる
23日 近くの民家に監禁
26日 深夜、車で移動し、集合住宅の地下ろうに入れられる
29日 一戸建ての民家に移動

▽12月
7日 「日本に送るから個人情報を書け」と言われ書かされる

2016年
▽1月
6日 家族からの質問項目の答えを書かされる
16日 別の一戸建て民家に移動
19日 同じ質問項目の答えを再び書かされる

▽3月
15日 動画撮影

▽5月
9日 別の民家に移動
14日 ジャンダルマ?(憲兵隊?)拘束
23日 オレンジTシャツを着て、手書きメッセージを持って写真撮影

▽7月
10日 「ジャバル・ザウイーヤ」の巨大収容施設(地上5階、地下1階?)へ移動

2017年
▽10月
17日 動画撮影(2018年7月22日報道)

2018年
▽3月
31日 ロの字型・平屋のトルキスタン部隊の施設に移動

▽6月
半ば 「ウマル」の動画撮影(7月17日報道)

▽7月
5日 イタリア人の囚人が同じ施設に入れられる
25日 「ウマル。韓国人」の動画撮影(7月31日報道)

▽9月
4日ころ 動画撮影(未公開?)
29日 「ジャバル・ザウイーヤ」の巨大収容施設(地上5階、地下1階?)へ移動

▽10月
22日 一戸建て民家に移動
23日 「今からトルコ」と言われ車で移動したあと、トルコ情報機関の車に乗り換えてアンタキヤの入管施設に運ばれる

「個人情報書かされた」

記者会見で配布された資料によると、安田純平さんは、拘束されてから半年後、「日本に送るから個人情報を書け」と言われ、自分に関する情報を書かされていました。

また、その1か月後には、家族からの質問項目の答えを2回にわたって書かされていました。

拘束された人物が安田さんかどうか確認するためとして妻の深結(みゅう)さんが仲介者を通じて送った、家族しかわからないような質問のことをさしているものとみられます。

そして、解放された10月23日については、「今からトルコ」と言われ車で移動したあと、トルコ情報機関の車に乗り換え、アンタキヤの入管施設に運ばれたとしています。

2. 赤かぶ[993] kNSCqYLU 2018年11月02日 18:17:12 : jgP8M3g5HI : WzItY4dVHi4[408] 報告

安田純平さん会見詳報(1)「私の行動で日本政府が当事者にされ申し訳ない」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181102-00000547-san-soci
11/2(金) 12:06配信 産経新聞


記者会見する安田純平さん=2日午前、東京・内幸町の日本記者クラブ(松本健吾撮影)

 《内戦下のシリアで2015年6月に拘束され、約3年4カ月ぶりに解放されたジャーナリストの安田純平さん(44)が2日、日本記者クラブで記者会見した。先月25日に帰国してから、公の場所に姿を見せ、記者会見するのは初めて。拘束時の状況や武装勢力とのやりとりがどの程度、明らかになるのか注目される》

 《午前11時前。記者会見担当者から、安田さんの体調を考慮し、「カメラのフラッシュは入退場時のみ」との注意事項が説明された。その後、報道陣で満席となった会見場に安田さんが現れた。帰国時に長く伸びていたあごひげは整えられ、ダークスーツ姿だ》

 《冒頭、司会者から、安田さんの記者会見を開くことになった経緯が説明された》

 司会「8月7日に安田純平さんを救う会が立ち上げられ、その日に安田純平さんの奥さまの深結(みゅう)さんがこの場で記者会見をされました。その際に、日本記者クラブ側から、安田純平さんが無事帰国されたら、体力を回復されたころに記者会見をお願いしたいと伝えておりました。体力が回復しつつあるというこのタイミングで、安田純平さんご本人から皆さんに記者会見をして説明をされたいということがございまして、本日このタイミングでの記者会見となりました」

 《会見場では、拘束から解放までの経緯について、安田さんが記憶に基づいて記したメモが配布された》

 《安田さんが壇上で立ち上がり、謝罪と感謝の言葉を述べた》

 安田さん「本日は貴重なお時間を割いていただき、ありがとうございます。私の解放に向けてご尽力いただいた皆さん、ご心配いただいた皆さんにおわびするとともに深く感謝申し上げます。本当にありがとうございます。私自身の行動によって、日本政府が当事者にされたこと、大変申し訳ありません」

 《「何があったか、可能な限り明らかにすることが私の責任だと思っています」と話した安田さん。着席し、取材に至った詳細な経緯の説明を始めた。トルコに入ったのは2015年5月末。反体制派武装勢力「自由シリア軍」から、イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」(IS)に関する資料を入手したという》

 安田さん「それまで表に出ていなかった資料であろうと。イスラム国に人質になったフランス人、『ヌスラ戦線』(イスラム過激組織)の人質だったスウェーデン人のもの(資料)が入っており、信憑性(しんぴょうせい)が高いと考えました。(イスラム国構成員の)家族構成や給料が違うとか、月の予算など、イスラム国が単なる『ならず者』というより、国家のような組織であると感じ、取材をしたいと思いました。15年5月ごろ、反政府側組織がイスラム国に対抗するため、いがみ合っていた組織が協力関係を作り始め、シリア北西部イドリブ県を中心として反政府側組織が一定の安定をみせ始め、勢力を伸ばしていました」

 「アサド政権は空爆などで多くの死傷者を出している。反政府側の組織を見たいと思っていました。絶対的権力のない地域で、人々の地域社会がどのように安定しているのか、おそらく人々の共通の価値観、倫理観であるイスラムが地域の安定に寄与しているであろうと思いました。イドリブ県にはイスラム法廷が設置されていたり、警察組織を組んで治安維持も始めていました。そういった状況の中で生活しているキリスト教徒とか、少数派の人がどういう生活をしているのか、ぜひ見たいと思っていました。イスラムに基づく地域社会というものが外部の人間から見て理解しうるものなのか探りたいな、というのが今回の目的でした。そういった地域に外国人義勇兵も集まっていて、生活しながら反政府軍に関与している。反政府運動そのものを疑問視する声もありましたが、そういった人々がどのような事情でそういった戦闘地域にいたのか、彼らがどんな理想を抱いてそこに来るのか、社会に問題があるのかどうか、というところまで広げることができれば、これからの世界を見る上で参考になるのではないかと思ったのが、今回の取材の目的でした」

 《安田さんははっきりとした口調で、経緯の説明を続けている》

3. 赤かぶ[994] kNSCqYLU 2018年11月02日 18:19:26 : jgP8M3g5HI : WzItY4dVHi4[409] 報告

安田純平さん会見詳報(2)「おかしいと思いながらも…」偽ガイドにだまされた経緯語る
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181102-00000553-san-soci
11/2(金) 12:29配信 産経新聞

 《内戦下のシリアで2015年6月に拘束され、約3年4カ月ぶりに解放されたジャーナリストの安田純平さん(44)が2日に開いた記者会見。午前11時の開始から10分近くが経過し、安田さんによる拘束時の経緯の説明は、これまで明らかになっていなかった監禁に至るまでの生々しい様子に移っていった》

 安田さん「現地(シリア)に入る方法を探るため、現地の組織にいくつか当たる中で、日本人の知人から紹介されたシリア難民の小学校を運営している人々と知り合い、そこの難民の紹介で、今回、シリア入りするきっかけをつくってもらったガイドと知り合いました」

 《ガイドは、15年にイスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」(IS)に拘束、殺害された後藤健二さん=当時(47)=のガイドもしていたという》

 安田さん「(ガイドは)後藤さんがイスラム国に拘束され、動画が公開されたときに(抗議の意味で)『I AM KENJI』と紙を掲げて活動しており、彼も顔を出して活動していました。(ガイドは)トルコ(南部)のアンタキヤというところに住んでいたが、顔を出すのは一定のリスクがあった。そういうことを含め、私は彼を信用していました。彼が紹介してくれたシリア側の組織が反米武装組織でした」

 「(15年)6月22日、シリアに案内してくれる人物から連絡があり、国境に近いトルコの町に入りました。ガイドは自分の仕事があるので、兄が受け入れると言っていました。『兄は(武装組織の)司令官で、彼がお前の身元保証をする』と言っていました。国境の町からシリアに入り、ガイドのいとこの人物が車で迎えに来ているので彼の実家に行き、兄と合流するというのがシリア入りについての説明でした」

 「トルコからシリアへの入り方は、国境付近は山岳地帯なんだけど、夜陰にまぎれて入っていく、という方法でした。彼(案内してくれた人物)とシリアに入ろうとしたら、その辺りは多くのシリア人が出入りしていました。トルコ側の国境がかなり厳しい警備で、銃撃された人がいるというニュースもあった。入ろうとした場所は、多くのシリア人の出入りに利用されていました」

 「私は暗闇で待っていました。彼が先にシリア側に入って様子を見ていたら、別の方向からシリア人が入ってきて『人を送ってきた』と話していました。その2人組が私に『シリアに行こうか』と話をしてきて、(計画と)話が違うなと思いましたが、そう話がついているかのような言い方だった。自分でも分からないが、『そういうものなんだろう』と思って一緒に入ってしまった。おかしいと思いながら歩き続けてしまった。これは自分も(どうしてそうしたのか)分かりません」

 「1時間ほど歩いてシリアとトルコの国境だというところも越えて入っていくと、2人組の仲間から、強い力ではないが両腕をつかまれました。ピックアップトラックの後部座席の真ん中寄りに座らされ、彼らが両隣に座りました。目隠しはされませんでした。移動の途中で(イスラム系過激組織『ヌスラ戦線』のものと思われる)チェックポイントがあり、運転手が所属の組織を聞かれていました。運転手はぼそぼそと説明して入りましたが、彼ら(チェックポイントの人物)の仲間である、同じ組織の人に対する通し方と違うと感じました」

 「そこからしばらく車で走り、東側に曲がって20分ほど走り、そしてホブス(パン)工場の事務所に入りました。ここでは荷物はまだ奪われていません。そこに6月22日の深夜に入ったので、23日の朝に彼らの関係者から『荷物を置いてお前だけ来い』と車に乗せられ、連れて行かれ近くの民家に監禁されました。この時点で荷物を全て奪われました」


4. 赤かぶ[995] kNSCqYLU 2018年11月02日 18:21:35 : jgP8M3g5HI : WzItY4dVHi4[410] 報告

安田純平さん会見詳報(3)拘束部屋は「サウナ状態」、トイレは「1日2回」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181102-00000566-san-soci
11/2(金) 13:43配信 産経新聞

 《内戦下のシリアで2015年6月に拘束され、約3年4カ月ぶりに解放されたジャーナリストの安田純平さん(44)が2日、日本記者クラブで行った記者会見は、開始から約20分が経過した。安田さんはテーブルにひじをついた姿勢で、ほとんどメモを見ずにスパイ容疑で拘束されたとされ、監禁に至った経緯を説明し続けている》

 安田さん「(拘束直後の15年6月)25日になった時点ではスパイ容疑は晴れたようで、誰もそういうことを言わなくなりました。ただ、監禁は解かれませんでした。26日の深夜に別の場所に移動すると言われて、また車に乗せられました。目隠しはされないんですが、後部座席の周りが見えない形で移動させられました」

 「少し入った辺りの大きな町ではなさそうですが、住宅地の中の集合住宅と思われる建物の地下に移動しました。この時点で彼らは上空に米軍の無人機が偵察に来ると思っているので、『見られないように移した』と言われました。その地下室というのが、非常に水はけの悪い6畳ほどの部屋。床が本当に水たまりに近く、非常に環境が悪くて。毎日来ていた通訳も『この環境はわれわれとしても良くないと思っているので移動する』と言われました。29日深夜に一戸建ての民家に移動させられました。民家は、おそらくそれまで空き家だった建物。床などはかなり汚れていて、私のために探してきたんだろうと思いました。その場所の1部屋を私のために使い、もちろん窓とドアは閉められていて、当初は窓は開いていましたが、外のシャッターは閉まっていました。見張りは、初日からいた人物を含んで、1人はイエメン人、残りはシリア人だと言われました。彼らと話す間に分かったんですけれども。そういう状態で監禁が始まりました」

 「当初、彼らもどういう扱いをするか決めていなかったような様子で、あくまで『ゲスト扱い』という言い方をしていました。それが7月下旬に、彼らから『日本政府にカネを要求する』ということを言われました。この時点で正式に人質であることを言われました。8月上旬に『日本に送るから個人情報を書け』と言われました。家族の名前とか簡単なメッセージ、『申し訳ない』といったことを書いて渡しました。彼らは『アメリカにある日本の領事館に送った。メールを送った』と言っていました。シリアではなくて、別の国にいる協力者が作業をやっていると。それに対して、日本側から『カネを払う用意がある。ついては何が目的なのかを言え』と(連絡が来たという)。彼らは金銭であるとか特殊な武器、おそらく対空兵器と思いますが、そういうリストを送ったと。日本側は『武器の提供は無理である。カネを払う用意はある。あなたたちはどういう組織なのか』ということを聞いてきたということでした」

 「その後は、本当にお互いにのらりくらりというか。彼らから言われたのは、『組織名は日本側に言ってない』ということ。私にも言っていません。(反体制派武装勢力)『自由シリア軍』と共同作戦を行っているというようなことを言っていました。彼らは外国の組織や国からの支援は基本的に受けていない。それをやると、(支援元の)言うことを聞かなくてはいけなくなるので、それをしないようにしているんです。お菓子工場とかいろいろなプロジェクトをやって、自分たちで資金を稼いで資金を調達していると言っていました。そういうことで、日本側には組織名は言わないと。私に対しても言わない。組織名を言って、例えば身代金をとった場合、身代金の支払いと同時に報復の空爆を受ける可能性がある。彼らの組織がそういう活動をしていることを、他の組織に知られることを避けたかったのかなという印象でした。最後まで彼らの組織名は基本的には言われていません」

 「通訳からは『組織名は言わなくとも日本側はカネを払うだろうか』と言ってきたり、日本側とやりとりをしているようなことは言われました。それについて私は、日本政府はイスラム教スンニ派過激組織『イスラム国』(IS)に拘束された2人(湯川遥菜さん=当時(42)、殺害=と後藤健二さん=同(47)、殺害=に対して身代金を払うことはしていなかったので、私に対してもないはず。日本政府は対応を当然やるはずだと思っていたので、政府は時間稼ぎをしているのではないのか、と思っていました」

 「イスラム国の事件では(14年)11月に後藤さんが拘束され、12月にはご家族への脅迫があった。その後(15年)1月の末には脅迫ビデオという流れでしたので、本当に日本側が対応しているのであれば、組織名を聞くなりしながら時間稼ぎをしてもおかしくないなと思っていました」

 「その民家にいた間は、彼らからはゲストであると聞かされていたので、部屋にはテレビがあり、衛星番組を見ることができました。その地域にある発電機で電気を供給していて、1日6時間、長いときは10時間くらいテレビを見ることができました。(15年)7月半ばに一度窓をすべて閉められましたが、その後、観音開きの窓がひとつだけ開けられて。この時期は夏だったので、部屋の中はサウナのような状態。窓一つ開けることで、多少過ごしやすい状況になりました。民家ですので、部屋の中にトイレはありません。1日2回、彼らが食事を運んでくるときにトイレについていく。彼らが見張っている間にトイレを済ませてくるという具合ですね」

5. 赤かぶ[996] kNSCqYLU 2018年11月02日 18:23:31 : jgP8M3g5HI : WzItY4dVHi4[411] 報告

安田純平さん会見詳報(4)「ビデオ撮影で台本を渡された」その後はスイーツ差し入れも
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181102-00000567-san-soci
11/2(金) 13:56配信 産経新聞

 《内戦下のシリアで2015年6月に拘束され、約3年4カ月ぶりに解放されたジャーナリストの安田純平さん(44)。2日、日本記者クラブで行った記者会見は、一軒家を転々としながら送った監禁生活についての説明が続いた》

 安田さん「食事の内容は、彼らと同じものをもってきていて、量的にも、特に少ないということもなく、鶏肉だったり、シリアのスイーツを持ってきたり。トルコのラフマジュンというピザのようなものをトルコの新聞に包んでもってきたこともあります。外からは大勢の子供たちの声が聞こえてきたりとか、イスラム教の礼拝を呼びかけるアナウンスだったりも聞こえてきたので、この辺はトルコ国境近くの住宅地であると思っていました」

 「(15年)12月7日には、日本政府に送るための個人情報を書かされました。生存証明が必要になったのだろうと。『日本政府は身代金を払うのではないか』と彼らは思っていたようで、機嫌が良くなっていました。ただ、12月20日を過ぎても日本側から返事がなく、その後は、(国際ジャーナリスト組織の)『国境なき記者団』から(自分が)人質であるという情報が流れたことから、彼らの機嫌は悪くなり、トイレの行き帰りに尻を蹴られることもありました」

 「『日本政府に圧力をかけさせるから、妻の連絡先を教えろ』と言われ、妻の電話番号とメールアドレスを聞かれました。私しか答えられない質問も聞かれました。その後、別の一戸建ての民家に目隠しをされて移動した後の1月19日にはまた同じ質問を聞かれました。(質問の)意味が分からなかったのですが、日本側から返事がなかったのだろうと推測しました」

 「報道で出ているのは、この2回目の(メッセージの)方ですね。『オクホウチ』と書いたのですが、これは、妻のことを『おく』と呼んでまして、それに『ほうち(放置)』と。妻には、何かあれば放置しろと常々言っていましたので。しかし、私が質問に答えた後に、日本側から返事が途絶えたので、(武装勢力は)私が何かメッセージを送っているに違いない、と思ったようで、頭を蹴ったりされました」

 「3月14日、『ビデオを撮影するのでこれを読め』と台本を渡されました。15日にはビデオを撮影。『感情的なものを出せ』とも言われて、家族に対するメッセージや彼らが用意した詩のようなものをつけました。公開される動画になった場合、その中にメッセージを入れてしまうと、解読される可能性もあるので、そういったメッセージは入れませんでした」

 「動画の撮影が終わった後からは、また彼らの対応が良くなり、1日2回の食事の間にカップラーメンやスイーツなどおやつをもってくれるようになってきて、それが1カ月続きました。これまでには『殺すことは絶対にない』と言われていたので、1カ月様子を見て、その後、私をほうり出すのではないかと思っていました」

 「また、5月9日には別の一軒家に移動しました。5月14日には、日没前のまだ明るい時間に、誰かが家の門を開けて入ってきたような様子がうかがえました。見張り役は、その人物を中に引きずり込んで、何か英語で話していました。私の部屋の前で、棒のようなものでその人物をたたいている音やうめき声も聞こえていました。兵士のようでした。その人物が、私がいることを知っていて入ってきたのかどうか、気になりました」

6. 赤かぶ[997] kNSCqYLU 2018年11月02日 18:25:50 : jgP8M3g5HI : WzItY4dVHi4[412] 報告

安田純平さん会見詳報(5)「私はアラブの名前で『ニダール』と呼ばれていた」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181102-00000570-san-soci
11/2(金) 14:13配信  産経新聞

 《内戦下のシリアで2015年6月に拘束され、約3年4カ月ぶりに解放されたジャーナリストの安田純平さん(44)が2日、日本記者クラブで開いた記者会見での説明は、武装勢力に求められてメッセージを書いた経緯に及んだ》

 安田さん「16年5月23日、オレンジ色のTシャツを着て、『助けてください これが最後のチャンスです』という手書きのメッセージを持って(写真を)撮影しました。『日本語で書け』との指示でした。(書いた内容を把握できるように)ある程度、日本語を勉強してから指示したようでした。23日に撮影があり、29日に公開されました。部屋にテレビがあったので、30日に見て、(写真が)流れたのだなと思いました」

 「その後、彼らが話している声が聞こえたのですが、私は『ニダール』と呼ばれていました。アラブの名前で、私をそういう風に呼んでいました。『ニダールはどうするんだ』と言っているのが聞こえて、施設の代表者が『それがね』みたいに言っていたのも聞こえました。(写真の)公開から1カ月後くらいに、(私を施設から)ほうり出すことを考えているのではないかと思っていましたが、一緒に(拘束されて)いる外国人をどうするかが問題で、彼らが喜んでいるような声、皆でお祝いをしている声が聞こえました。彼(外国人)に対する交渉がまとまったのではないかという印象を受けていました」

 《この外国人と同時期に、安田さんも車に乗せられたという》

 安田さん「(自分も)解放されると期待しましたが、別の方向へ向かいました。中継地点まで向かう車の中で『どこに行くのか』と聞くと、トルコだと。しかし、別の車に乗せられて別の場所に行きました」

 《会見場で配布された資料には、詳細な日付とともに、安田さんの拘束生活の経緯が記載されている》

 安田さん「(記憶している)日付が、どうしてここまではっきりしているのかというと、荷物を奪われた後に、衣類と本、ノートを返され、『日記を書いても良い』と言われました。『(施設の)ボスは英語で書けと言っていたが、日本語で書くことを認めさせてやった』と通訳に言われました。『われわれは紳士的な組織であった』と伝えられるため、そのアピールのために渡された、ということでした」

 「私に関する報道は逐次、チェックしていました。7月10日、別の施設に移動してからは、テレビが無くなりました。テレビがあるということは、ゲスト扱いだと思っていたので、いろいろと(文句を)言いましたが、(テレビを設置するための)線を引くのが難しいというようなことを言われました。私に食事を1日2回運んできた人物からは英語で毎回、『何が欲しいか』と聞かれて、『本をくれ』と言いました。英語の辞書は彼が持ってきたもの。果物であるとかスイーツとかも持ってきてくれました」

 「監禁が続くうちに、私の横にいた他の囚人に、(武装勢力が)『もう帰すぞ』ということを言いました。10月の後半ですね。私のあとから来た人です。そのやりとりをドアの隙間から見たところ、パキスタン人だと分かりました。アラビア語が全然できない、英語もできない夫婦でした。40代くらいの夫婦。10月後半に帰すと言っていましたが、伝えてきた人物は『じゃあ明日だ』といって去っていきました。交渉が成立したのであれば、明日解放というのはおかしい。これは対価なしで帰すのかな、という印象を受けていました」

 「私と一緒に帰すのではないか、と期待をしていました。『日本側が反応しなくなったら帰す』ということをずっと言われていたので、期待していました。11月22日の1週間後は11月29日、私の写真の公開から半年後で。日程的なものからも期待しました」

 《施設ではさまざまな人々が拘束されていた》

 「話してはいけないと言われていましたが、囚人と話してみたくなりました。パキスタン人とシリア人の親子もいました。親子も人質だったようです。近くに住んでいるバングラデシュ人が求婚してきて断ったら、襲撃されてさらわれたと話していました。それが1年以上前のことだと。これは人身売買されたんだろうと、なんとなく分かりました。(人を)売っているかどうかは分かりませんが、人質をとり、身代金をとっている組織だと分かりました。『あと何カ月いるんだ』と言い合っていました。イスラム法廷で裁かれて連れて来られた受刑者ではないか、という印象を私は持っています」


7. 2018年11月02日 18:28:09 : wTqrxDwRMY : vEeN2335v8Q[1499] 報告
 
 結局 安田は ジャーナリストとして 何もしていない!!

 ===

 ジャーナリストとして 拉致されただけだ

 ===

 これを どうやって 評価しろというのだ!!

 「ばかやろう」の評価しか 出しようがない

 ===

 それで 身代金などの 後の ごちゃごちゃは どうでも良いことだ
 


[スレ主【赤かぶ】による初期非表示理由]:その他(アラシや工作員コメントはスレ主が処理可能)アラシ。

8. 赤かぶ[998] kNSCqYLU 2018年11月02日 18:28:34 : jgP8M3g5HI : WzItY4dVHi4[413] 報告

安田純平さん会見詳報(6)「アサド政権の兵士の叫び声が聞こえた」他の囚人への拷問生々しく
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181102-00000574-san-soci
11/2(金) 14:33配信 産経新聞

 《内戦下のシリアで2015年6月に拘束され、約3年4カ月ぶりに解放されたジャーナリストの安田純平さん(44)が開いた2日の記者会見。安田さんによる拘束から解放までの経緯説明は、会見終了予定時刻の正午を過ぎても続いた。内容は拘束中に他の囚人と会話を交わした話などに入っている》

 安田さん「私は部屋を何カ所か移されましたが、周りにいる囚人も変わっていきました。外国人の義勇兵がたくさん捕まっているようで、エジプト人、ヨルダン人、パキスタン人らがいて、互いにぺらぺらしゃべっていました。それぞれ自分(の所属組織)はイスラム教過激組織『ヌスラ戦線』、イスラム教スンニ派過激組織『イスラム国』(IS)と、会話の中で言っていました。それを聞いて、ヌスラの囚人がいるんだなと」

 《安田さんは当時、自身がヌスラ戦線に拘束されていると考えていたため、この会話を聞いて「どういうことか分かりませんでした。今でも分かりません」と振り返った》

 安田さん「彼ら(他の囚人)も『あと何日で解放される』という具合で深刻でない様子でした。看守とも冗談を言い合っていたので、深刻な立場にあるという印象はありませんでした。(シリアの)アサド政権の兵士も捕まっていて、彼らはたびたび拷問を受けていて、叫び声が何度か聞こえました。棒のようなもので殴っているような音が聞こえました」

 「途中から部屋を移され、彼ら(拘束されていた組織)の事務所のすぐ横の部屋に移されました。事務所は尋問で使われていて、囚人の尋問の声がよく聞こえました。ヌスラの捕虜に対する尋問です。ほかにシリア軍の兵士であるとか、別の組織のムジャヒディン(イスラム聖戦士)と言っている外国人を尋問している声も聞こえました。事務所のすぐ横でよく声が聞こえましたが、(さらに)すぐ横にはトイレがあり、そこからも音がよく聞こえるので、こういう部屋に入れたというのは(声が私に聞こえても)気にしていないのかと思いました」

 「(不審に思われないよう)私はトイレに行くときも流す音をあえて大きくして『ここにいる』と知らせるようなことをしましたが、(彼らは)私が盗み聞きをしている、スパイ行為をしていると解釈したようでした。トイレに行った直後に別の囚人を連れてきて拷問を始めました。部屋のすぐ外で(その音を)聞かせるというようなことです。何をしたのが悪いとは(私に)口で言わない。察しないといけないんです」

 「2017年3月の半ばごろには英語のコーラン(聖典)を読みました。そして2日後に話をしようと言われ、(イスラム教に詳しい)通訳が来て談話をしました。なぜイスラム教が生まれたのかなどの会話をしました。事務所にはヌスラの囚人の尋問をした資料の束とかがあって、部屋の中の棚の引き出しがいくつかあったのだけど、そこにはロゴが貼ってあって…。当時、ヌスラは看板を替えて(別の組織名を名乗って)いたが、そのロゴを貼っていました。(自分たちの)組織名を言わないと言っていたのに、どういうつもりだろうと思いましたが、このころ、すでにヌスラが(自分を)捕まえているというのが確定事項のようになって(報じられて)いたので、ヌスラのふりをしていたのかなと思いました」

 「(通訳との)面談の少し前に施設のリーダーであるという人物が来て話をしました。英語ができる人物で、『東京から来たのか』と何度も聞かれ、『東京だ』と答えました。自分が周りの囚人と話してはいけない理由というのが、解放された囚人が話したことで、報道されている日本人の人質がここにいるとばれてしまうかもしれないので、周囲に(安田さんだと)特定できるようなことは言ってはいけないのだと理解していましたが、それに対してリーダーはあえて『東京から来たのか』と。『アー ユー ジャパニーズ?』(おまえは日本人か?)と20回くらい連発してきました。ここで『日本人』と言うと『言ってはいけないことを言った』として拷問が始まってしまう」

 「彼(リーダー)から『改宗は強制しないから』と言われていましたが、面談の中で戦いについて『敵対する相手、異教徒に対しては改宗を求める。しないなら人頭税を求める。拒否したら殺害する』と言っていました。(『改宗の強制はあるのでは』という趣旨のことを言ったら)気分を害したようで、『今まで強制するなんてことを言ったか』と。言われていないけど、上(上層部)がどう考えているか分からないし、言い争いではないが、雰囲気が悪くなりました。そうしたら翌日、拷問が始まりました。他の囚人を連れてきて。強制しないと言っているのに、私が『強制(するのでは)』と言ったので、『そんな組織ではないのに分かっていないのか』という(意味合いの)拷問でした。直接、私に何も言わず、メッセージ(の意味で拷問)をやってきます」

9. 赤かぶ[999] kNSCqYLU 2018年11月02日 18:30:42 : jgP8M3g5HI : WzItY4dVHi4[414] 報告

安田純平さん会見詳報(7)「20日間のハンストで骨と皮に」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181102-00000579-san-soci
11/2(金) 14:55配信 産経新聞

 《シリアで2015年6月に拘束され、約3年4カ月ぶりに帰国したジャーナリストの安田純平さん(44)。日本記者クラブで2日に開かれた記者会見での説明によると、拘束生活は次第に過酷な環境になっていった》

 安田さん「私が身動きした音を聞くだけでも拷問されるようになりました。最終的には、幅1メートル、長さ2メートルほどの部屋に移され、(部屋の)両側に彼ら(武装勢力)がいて、私が何か物音をさせると、電気を消したり、チカチカ(明滅)させたり、夏でも扇風機を消したり。鶏肉を持ってくるけれど、骨だけを大量に集めて持ってくるといった嫌がらせを始めました」

 「途中からは、水浴びが禁止らしいということも何となく分かるようになり、それがどんどんエスカレートしていって、たとえば指の関節がパキッと鳴るだけでもだめだと。彼らが何か物音をたてた1分後ぐらいに私が音をたてると『盗み聞きをした』と言われて、拷問を始めたり、電気を消されたりする。扇風機を消されると、非常に暑くなり、私、鼻炎なんですけど、電気を消されると鼻がつまって、鼻息の音がすると(武装勢力に)『ふざけている』と思われて電気をパチパチされたり。トイレを流すときにキーンという高音が響くんですが、それを何分もさせる。頭が痛くなるようなでかい音をさせるんです」

 「結局、何をやってはいけないのかっていうことをずっと解釈していくと、身動きが全然できないじゃないかと。あと、囚人がしゃべっているときに身動きしてはだめだ、というのも分かってきました。そうすると1日中だめ。彼らが食事を持ってくるタイミングなら動けるので、トイレを済ませて、関節をバキバキと全部鳴らして寝転がる、ということをやっていました。なぜそういうこと(嫌がらせ)を始めたのか。日本側からカネをとれると思っていたのと、彼らの解釈によるスパイ行為をしているということで、虐待のようなものを始めたのかなと。彼らが仕掛けてくるゲームのようなものです」

 《非常に狭い部屋の中で、安田さんはほとんど身動きがとれない状態になっていったという》

 「(武装勢力の禁止事項は)そのものに何も意味がないこと。『それを全てできるなら帰す』ということだと私は理解し、期待をもって彼らの要求に応えようとしましたが、はっきりいって不可能だなと。たとえば、体の向きを変えるだけでも彼らは音を聞いていて、枕の上で頭の向きを変えるだけでも彼らは音を聞いている。鼻息も聞いている。私も一生懸命、鼻を通そうとするんですが、だんだん耳がおかしくなる。水を飲んだり、つばを飲んだりすると、この(口元)あたりがパキパキと音がする。それだけでもだめだというと、それ以降はつばも飲めない。彼らが物音をたてている隙に、コップにつばを吐くようにしましたが、つばを吐くのもだめだ、ということになりました」

 「たとえば座っていて、聞こえないようにつばを吐いても、音がすると壁をゴーンゴーンとたたかれ、私自身が聞こえないような音まで聞いていて、(拘束されている部屋の)両側で24時間ずっとこちらの音を聞いているという、非常に不気味な状態になりまして。ドアの小窓をあけて食事を持ってくるんですが、小窓の上とか下の隙間から中が見えるんです。ドアから50センチぐらいの範囲はカメラでずっと(見ている)。ドアに近づくと、盗み聞きをしているんです。なので、1・5メートルの範囲で生きていなければならない」

 「ひざをずっと曲げている状態。幅は1メートルしかないので、寝返りを打とうとすると、壁がある。それでまた、音がしてしまうんで、身動きが全然できない状態。転がっている状態で24時間です。これが始まったのが(2017年)8月頭からで、エスカレートして行き、10月、11月には身動きができなくなり、その間、水浴びは一切なしという状態です」

 「これはどう考えても不可能なことが分かったので、『飯は食わない』とハンスト(ハンガーストライキ)を始めたんです。『お前らの言う、一切動かないっていうのができれば帰せよ』ということで、食事が来ても一切受け取らない。その代わり、改宗してイスラム教徒になれば1日5回礼拝しなければならないので動けると。運動を全くしていなかったので。結局、20日間絶食状態で骨と皮みたいになりまして、脱水症状みたいになって、肌がかなりカサカサになって、つまむと戻らない。あおむけに寝ていると、胃が圧迫される。礼拝でも立っているだけで胃が圧迫される。立ちくらみのような状態で、かなり体力的に厳しい状態になってきました」

 「(ハンストを始めて)20日たった2018年の3月29日に彼らの代表者の部屋に移されて、『もう帰すから食え』『いまから20日くらいの間には日本に帰す』と言われました。その部屋にはウイグル人が2人いて、彼らと(一緒に)帰すと。その2日後に別の施設に移されました」

10. 2018年11月02日 18:31:22 : wTqrxDwRMY : vEeN2335v8Q[1500] 報告

 安田への 評価は 「拉致されるために行った」

 「やらせ拉致」 だよな〜〜〜

 ===

 それで テロリストの 「広告塔」にまでなって テロリストを助けた!!

 

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11. 赤かぶ[1000] kNSCqYLU 2018年11月02日 18:33:13 : jgP8M3g5HI : WzItY4dVHi4[415] 報告

安田純平さん会見詳報(8)再び監禁生活「帰すか、もしくは殺してくれ」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181102-00000581-san-soci
11/2(金) 15:20配信 産経新聞

 《内戦下のシリアで2015年6月に拘束され、約3年4カ月ぶりに解放されたジャーナリストの安田純平さん(44)が2日、日本記者クラブで行った記者会見は、開始から約2時間近くが経過した。監禁生活や動画撮影について安田さんの話が続く》

 《20日間に及ぶハンガーストライキの末、18年3月に武装勢力から「日本に帰す」と明言された後も、拘束期間は延びていったという》

 安田さん「平屋の刑務所に移されました。真ん中が中庭になっていて、ドアには小窓がついている。そこから食事を持ってくるんですが、『2日間そこにいてから、もっと良い場所に移す』と言われ、『そろそろ解放か』と思って(それまで許されていなかった)水浴びをしてしまいまして。そうしたら、部屋の電気を落とされました。(18年)4月5日ごろ、『家族の思い出を書け』と言われました。帰すと言っているのにもかかわらず、そういったことがあった。結局、帰されるはずだった4月半ばも過ぎていきました」

 「この施設にいた全員がウイグル人でした。アラビア語ができる人間がいたり、いなかったり。覆面はしていなくて、持ってくる食事も彼ら自身がつくるウイグル料理でした。南の方向には山が見えました。山はトルコにある山のようで、この場所は、ウイグル人のコミュニティーがあり、トルコの山が見える…そういった場所でした」

 《この施設で半年ほど拘束されている間には、動画撮影もさせられたという。安田さんが日本語で「私の名前はウマルです」と話しているものだ》

 安田さん「私が改宗したときに、ウマルというイスラム名をつけています。『日本語で名前と日付を言え』と言われ、日本語で話しても彼らは分からないので、『日本語で言わせるということは、彼らが分かる部分を入れなければ』と思い、『ウマル』と言いました。彼らなりの遊びとかゲームとかをやっているのだろうと思っていました」

 「7月25日には、『ウマル。韓国人です』と話す動画の撮影をした。『助けてほしい』というのは、全て日本語で言えと指示されました。動画は、泣いているバージョンと泣いていないバージョンを撮りました。泣いているバージョンでは、唐辛子を要求して、涙が出るようにしました。そういった動画をいくつか、何回か撮られましたが、公開されたものもあれば、されなかったものもあるようです。9月29日、以前いた大きな施設に戻されました。その後、10月15日ごろに、以前入っていた、身動きしてはいけない部屋に移されました。扇風機があったので、(音がまぎれるので)寝返りくらいは打つことができました。代表者と話したときも、『あと1週間くらいで帰す』と言われました」

 《しかし、帰国の許しは一向に出なかった》

 「それからまた、『動いてはいけない』というゲームが始まり、それをクリアしきれず(監禁生活は)延びていきました。さすがに、20日間ハンストしても無理だったこの部屋にいるのは『無理だ』と、泣きつきました。イスラムの文言を読み上げて『いいかげん許してくれ』と言いました。とにかく『これ以上やるくらいだったら殺してくれ』、と。『帰すか、もしくは殺してくれ』と。トイレにも行けないということは水も飲めない。かなり異常だと思うんです。『あなたが立派なイスラム教徒であると信じる』『(シリア入りから)40カ月、これをめどに解放してくれ』と強く訴えました」

 「10月22日、ちょうど(シリアに入ってから)40カ月。午後、『今から帰すから』という連絡が来て、車に乗りました。今晩か明日かという話だったが、翌朝、『今からトルコに行くから』と車に乗せられました」   

12. 赤かぶ[1001] kNSCqYLU 2018年11月02日 18:36:03 : jgP8M3g5HI : WzItY4dVHi4[416] 報告

安田純平さん会見詳報(9)「紛争地に行く以上は当然、自己責任」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181102-00000590-san-soci
11/2(金) 17:20配信 産経新聞

 《内戦下のシリアで2015年6月に拘束され、約3年4カ月ぶりに解放されたジャーナリストの安田純平さん(44)が2日、日本記者クラブで行った記者会見。武装勢力による拘束生活をめぐる説明は、ついに解放の動きがあった場面に。「今から帰すから」と連絡が来て車に乗せられたと語った安田さん。シリア入りから40カ月の今年10月22日、自分自身が絶対に過ぎないでくれと思っていた日だったという》

 安田さん「車に乗り込むと、『今から日本だぜ。うれしいか? お前、東京に住んでいるのか?』といわれて、『東京だ、東京だ』と言ってしまったんだけど、これも日本人とは言っちゃいけないルールだったようでした」

 《拘束中、自らが日本人であることが分かる発言をすることは禁じられていた》

 安田さん「結局この日夜、一戸建ての民家に移されました。一晩ひっぱられて、翌23日の朝に『今からトルコに行くから』といわれて車に乗せられました。また移動して車が止まって、彼らが何かやりとりした後に車から降ろされて、また別の車に乗せられて、車の中で英語で『もう大丈夫だから。お前もう(トルコの)アンタキヤ直行だよ』と言われました。彼らは『トルコ人だ』と言ったんですね。それでたばこを吸い始めた。私が監禁されている間、ずっとたばこを吸う人間はいなかったので、これは彼ら(武装勢力)じゃないなと。彼らは本当にトルコ人なんだなと思いました」

 「その車に乗せられたときも目隠しはされていました。国境付近からトルコのハタイ県アンタキヤという土地まで運ばれました。そこの入管施設の100メートル手前になって目隠しを外され、『お前はこれで解放された』と言われました。入管施設に入れられて、事務所で『解放だよ』と。私の解釈では、トルコの情報機関がおそらくシリア側まで入り込んで私の引き受けをしたんじゃないかと。トルコ側に戻す間は目隠しをしていましたが、トルコ側で身元引き受けをしたのなら目隠しは必要なかったと思います。シリア側にどこからどこまで入り込んだのかを隠すために、トルコ側が引き受けたにもかかわらず、1時間近く目隠しを続けたのではと解釈しています」

 「トルコ側がオペレーション(作戦)に成功して私の身柄を引き受けたとアナウンス(発表)していますが、そのオペレーションというのはシリア側にまで入り込んで、私の身元を受け取ってアンタキヤまで運んできたというのが彼らのオペレーションじゃないかなと解釈してます。つまり、トルコの情報機関が襲撃をして身柄を確保したとかそういうことではなく、彼ら(武装勢力)の側から通報を受け、場所の指定があり、そこで身元を引き渡すという連絡があって目的通り遂行した。そのオペレーション成功というのが彼らのアナウンスじゃないかなと解釈しています。ここまでが解放までの流れです」

 《会見開始から約1時間50分にわたって、安田さんは休憩を挟むことなく自らが解放されるまでの経緯を詳細に語り続けた。その後質疑応答に移ると、記者からの質問をメモしつつ、言葉を選びながら回答を続けた》

 −−(代表質問)安田さんが日本に帰国されて、匿名のネット上でのバッシング、あるいは「自己責任」といったような議論があります。こうした日本社会の現状についてどのように受け止めていますか

 「私自身の行動によって、日本政府並びに多くの皆さまにご迷惑をおかけしたということもあるので、私自身に対して批判があるのは当然のことと考えています。何があったかを含め、皆さまに批判いただき、検証いただくのは当然だと思っています。そのことについては特に私の側からは疑問はありません。ただ、事実に基づかないものもあるように思いますので、あくまで事実に基づいたものでやっていただきたいという私の願いはあります」

 「自己責任についても当事者である私が述べるのは非常に言いづらい。紛争地のような場所に行く以上、当然、自己責任であると考えています。これは紛争地において日本政府が何かしらの救出をするのは非常に厳しい環境である。だからこそ、政府は退避勧告といったものを出しています。そういった場所にあえて入っていく以上、自分が相応の準備をし、何かあった場合に自分に起きたことは自分で引き受ける準備、態勢としての準備、それから自分自身の心の準備をやって入るものだと思っています。そこで自分の身に対して起きることははっきり自業自得だと考えています」

 「一般論になりますが、そのことと行政がどうするかは全く別のものであって、本人がどういう人物であるか、どういう準備をしたかということと、行政が行うことは全く別として存在していて、その本人がどういう人なのかによって行政の対応が変わるとなると、民主主義国家として非常に重大な問題であると思います。今回、外務省の対応について、国として行政としてやるべきこと、できることをやっていただいたと解釈しています。紛争地で人質になった日本人の救出は非常に難しいという中で、可能な限りの努力をこの3年4カ月の間続けていただいた。解放の理由やきっかけは分かりませんが、日本政府の原則として邦人保護は必ずやる、それから身代金は絶対に払わない。この2つが大原則。その範囲の中でできることをずっと探っていたと思います」

 「外務省の方とは話しましたが、その間、情報収集した内容なども伺っています。報道されている私の近況はかなり事実と異なるものもあります。たとえば、トルキスタンの施設で平屋の独房で私が2部屋を使っているとか、周囲の部屋が高くなったので、本人が神経質になっているらしいとか、これは事実に基づかないことです。(今年)9月下旬の段階でも、外務省に入ってきたそういう情報はかなり錯綜(さくそう)していました。情報収集はかなり困難だったことがうかがえます」

 「あたかも拘束者とつながっているようなふりをして、いろいろな話を持ちかけて来る人もいます。その中で本当に私の状況を知っている人物を選ぶのは非常に難しいことです。本当に捕まえている組織にたどりつくのは外務省であっても困難だったのかなと。それについて私も理解していますので、外務省の努力に対して私自身、何か不満に思うことはないし、その間家族のケアもしていただきました。本当にありがたいです。その旨についても、アンタキヤの施設で外務省の方が来て私の身元確認をしたときに、最初の言葉として伝えました。持っている限りの情報を提供するとも伝えました」

13. 赤かぶ[1002] kNSCqYLU 2018年11月02日 18:39:49 : jgP8M3g5HI : WzItY4dVHi4[417] 報告

安田純平さん会見詳報(10)今後の紛争地取材は「全く白紙、分からない」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181102-00000598-san-soci
11/2(金) 17:48配信 産経新聞

 《内戦下のシリアで2015年6月に拘束され、約3年4カ月ぶりに解放されたジャーナリストの安田純平さん(44)が2日、日本記者クラブで行った記者会見は代表質問が終わると、質疑応答に移った。次々と、記者から手が挙がった》

 −−(テレビ朝日)大変つらい経験をされたと思いますが、今後も紛争地での取材を続けるのでしょうか。その理由も教えてください

 安田さん「今現在、今後も行くかどうかは全く白紙です。分からないです」

 −−(朝日新聞)最初の説明で、(15年にイスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」に拘束、殺害された)後藤(健二)さんと以前仕事したことのあるガイドと知り合い、その人のつてで(案内人と)契約したということでしたが、結果的に、(シリアに)入ろうとした、あるいは、入った後にすぐに拘束されています。当初からだまされていた、計画段階から人質としてみられていた、と感じることはありますか

 「道案内人が1人で様子を見に行っている間に、私は別の方向に入ってしまったんですね。完全に私の凡ミスというか、自分でも考えられないようなミス。計画的とは考えにくいと思っていて、すべて仕組まれていたかというのは、どうかなと…」

 −−(東京新聞)拘束した武装勢力と日本政府とのやりとりや接触について、政府からいつどんな説明を受けたのでしょうか

 「これは私の家族に対して、私が捕まっている間に説明がありました。(今年)9月11日に『来週、政府高官が現地に行って信頼できる人から情報を聞く予定である』と。その後、19日に家族がまた話を聞いて。(政府からの話の内容は)『体の状態はよい。食事は取れている。ただ、たくさんもりもりと食べるような状態ではない。しかし、精神的にはかなり疲れている』『彼らのトップと話ができている。拘束者はフーラッス・ディーンである。フーラッス・ディーンというのは、ヌスラ戦線(イスラム過激組織)の中から分離していって、外国人をかなり含む組織。ヌスラ戦線が脱アルカーイダ(国際テロ組織)に向かう中で、アルカーイダのような活動をさらに続けたい人々が集まっている組織。そこに身柄が移った。イドリブ県の西のあたりを動いている』『一般家庭の1部屋か2部屋を1人で利用している。家の周りのコンクリート塀が高くなって、それが精神的ストレスになっているかもしれない。身代金以外の解決の手段を探っている』というような話ですね」

 −−(毎日新聞)紹介された案内人を信用したということだが、信用した根拠は何でしょうか。それが過ちだったと思うことはありますか

 「実際に(シリアに)入ったということは案内人を信頼したということなんですが、他の日本人のジャーナリストという方から紹介された、シリア人の難民支援をしている小学校の人たちから紹介されました。それから後藤さんが前に案内された人であると。入り方の説明であったり、後藤さんとのかつてのやりとりであったりを、たとえば子供たちの写真を見せてもらいましたが、後藤さんと一緒に衛星機材を入手して、ネットにつないで勉強するプログラムを立ち上げたと。後藤さんと買った衛星機材はこれだという話を聞きました。そういう人であるなら、大丈夫なのではないかと私は判断しました。彼らがだましていたかは分かりません。入り方が完全に私の凡ミスであることが大きいと思います」

 「それから、15年の10月末に私のいた部屋の窓の外に人が来て、話しかけてきました。『お前誰だ』と聞かれ、『日本人だ』と。『純平か』と聞かれて、『そうだ』と。『なぜそこにいる、何をやっているのか、どうしてほしいのか』と聞かれて、『監禁されている。彼らはカネを求めている』と(答えた)。『どうしてほしい』というのがよく分からなかったので、『うーん』と言っていると、『例えばカラシニコフ(自動小銃)とかRPG(対戦車ロケット砲)とかどうだ、襲撃して助けてほしいか』と。『そりゃ助けてほしい』と言うと、『30分後に来る』と」

 《しかし、話しかけてきた人物は、武装勢力に捕らえられてしまったという》

 「捕まった彼が部屋に引きずられてきて、(武装勢力が)『こいつと何を話したのか』と(質問してきた)。私はテレビでNHKワールドを大音量で流していて、『ジャパン、ジャパン』と流していました。ひょっとして近所に日本人がいるという噂が流れるんじゃないかと思って。本当にわざわざ救出に来たということであれば、だましたということではなかったのかなと。その後、『彼がどうなったのか』と聞いているが、まだちょっと分からない。大きな施設で囚人の尋問をするときに、日本人を助けようとして捕まったと言われている囚人がいるということも聞いて、彼らがわざとやったんではないだろうと思っています。これは特定できない、これ以上は分からないです」

14. 赤かぶ[1003] kNSCqYLU 2018年11月02日 18:42:08 : jgP8M3g5HI : WzItY4dVHi4[418] 報告

安田純平さん会見詳報(11)「現地に入るジャーナリストの存在、絶対必要」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181102-00000601-san-soci
11/2(金) 18:03配信 産経新聞

 《内戦下のシリアで2015年6月に拘束され、約3年4カ月ぶりに解放されたジャーナリストの安田純平さん(44)が2日、日本記者クラブで行った会見では、安田さんを拘束していた武装組織の詳細についても質問が飛んだ》

 −−(日本テレビ)長い拘束生活の中で、かなり苦しい生活もあったと思いますが、身動きのとれない生活の中で絶望するような瞬間はありましたか。そのときの心境は

 安田さん「身動きが全然できない。どう考えてもこれ(武装勢力の要求に従うこと)は不可能だと思ったときには、かなり腹が立っていて、ドアを蹴りまくりました。『そんなに聞かせたくないなら、鼓膜を破って耳を潰してくれ、それでいいじゃないか。一生耳が聞こえなくても家族と話すことができなくても、俺は帰りたいのだと、それでいいじゃないか。音を聞かれたくないなら、それを望んでいるのだからやってくれ』とかなり言いました。無視されました…」

 《安田さんはうつむき、沈黙した》

 −−(日本テレビ)絶望の瞬間は

 「ドアを蹴りまくったときは絶望感ですよね。これはもう不可能じゃないかと。何回もありました」

 −−(共同通信)相手の組織について。人数や年代、リーダーの容姿など、詳細を教えてください

 「最初の民家にいたときは5人、時々連絡役で来る人物がいたり、動画とか写真をとったりする人が来ていました。大きな施設に関しては地下1階、地上5階。3階部分に上の抜けている部分があって、そこで囚人に日光浴をさせる場所がありました。何回か運ばれました。目隠しをされてそこに行く。その途中の様子から3階であろうと。そこから上がっていくと、さらに2つフロアがありまして、4階、5階、かなり大きい施設。100人単位の囚人がいるのではないかと思います。そこに、食事を配ったりしている彼らはかなりの人数である印象です。彼らの話し声であるとか、相当な人数がいるんだろうなという印象は受けました。年代は10代、17歳と言っている人もいましたし、年配の人物もいました」

 「施設のリーダーの容姿ですが、顔は俳優の松平健さんのような顔をしていて、私は勝手に『ケン』と頭の中で呼んでいました。そういう顔をしている。体格がかなり良く、英語ができる。彼はイラクに行ったことがある。クウェートに近い刑務所と基地の複合施設ですね、キャンプ・ブッカというところがあるが、そこで働いていたことがあるということでした。彼は2003年、米軍侵攻の前に、シリアから義勇兵として入った。サダム政権崩壊の翌日に米軍に捕まった。そこで通訳として雇われることになって、2004年だけブッカコンパウンドで働いたと言っていました」

 「彼ら自身はずっと(イスラム過激組織の)ヌスラ(戦線)であるということは、明言はしなかった。初期のころはかなり強く否定していました。他の組織から捕虜なりを引き受けて対価を得ている組織なのではないかという印象です。他の組織から引き受けているのではないかと思っていますが、これ以上は分かりません」

 −−(ジャパンタイムズ)戦場での報道は安田さんの使命だと思っていますか。また必要性についてどうお考えですか

 「使命というのは誰かから与えられるだろうと。私自身が求められているとか、おこがましいことは考えたことはありません。あくまで私自身が知りたいこと、疑問に思っていることを、現地で取材して知っていただくことができればいいと思ってやっています」

 「必要性については、国家と国家が争う場合、国家が武力を行使する場合について、国家というのは原則として人の命を守る存在であると思いますが、戦争というのは国家が人を殺すという決定をすることです。われわれ国民はそれでよいと判断するのか否か。そのための判断材料は当事者から提供されるものだけでなく、第三者から提供されるものがあるべきだと考えています。現地の情報は絶対に必要だというのが私の感覚です。難民が出てくるとか、巡り巡って日本にも影響があるもの、直接軍隊を送ったりとかでなくても、地球上で、紛争なりが起きている場所があれば、そこで起きていることを見に行く、現地に入るジャーナリストの存在が絶対的に必要であるというのが私の感覚です」

 −−(NOBORDER NEWS TOKYO)安田さんが帰国し、注目されていると思います。一方、報道ではシリアの現状が伝えられていない。現状についての考えを教えてください

 「まず、私自身の行動によって、日本政府並びに多くの皆さまにご尽力をいただきました。私の行動がどうであったのか検証されるのが当然だと思っています。私自身について注目が集まるのは、当然のことであると受け止めています。できれば、さらにそこから進んで、何が起きているのか、この先、どうすべきなのか、関心を持ち続けてほしいです」

 −−(フジテレビ)奥さまが(救出のために)活動してきたと知って、今後の活動に関して気持ちの変化はありましたか

 「家族には、何もしないようにと言っていましたが、家族の心境としてそれは難しい。思っていた以上に、立派な対応をしてもらったと感謝しています。両親はかなり年でして、捕まっている間に亡くなっていたこともあり得たわけで、ずっと気にかけていましたから、親孝行をしなければいけないのではないかと考えていますので、今後の取材の仕方という部分でもうちょっと慎重に考えることはあるかもしれない」


15. 2018年11月02日 18:43:18 : wTqrxDwRMY : vEeN2335v8Q[1501] 報告

 そもそも  安田は シリアの戦闘地域に 「本当に潜入」したのだろうか??

 ===

 いま わかってることは トルコから入って トルコから 出てきたということだけで

 シリアに 入った確証はない!!

 ===

 安田の 言ってることは 全て「ウソ」ということだって 考えてみる必要がある

 安倍だって 最初っから 最後まで ウソのウソだぜ〜〜〜〜
 
 ===

 武装勢力に 脅される場面の ビデオは トルコ国内の 特設スタジオで 取られたことだって

 あり得る 話なんだ
 
 ===

 アラブの自由解放戦線は イギリスの MI6にあった な〜〜んて 話もある

 ===

 そもそも ISISは アメリカが 爆撃して シリア軍が 逃げたところを

 占有しただけ かもしれない??

 ISISが 使ってた 戦車??は トヨタのランクル 400台で
 
 アメリカ軍に 納入されたものだとも 言われている

 ===

 安田と 日本政府は 裏では 繋がっていて 安田は 日本が 送った

 ジャーナリストという 「やらせ捕虜」である 可能性が たかいのだ〜〜
  

[スレ主【赤かぶ】による初期非表示理由]:その他(アラシや工作員コメントはスレ主が処理可能)アラシ。

16. 赤かぶ[1004] kNSCqYLU 2018年11月02日 18:46:36 : jgP8M3g5HI : WzItY4dVHi4[419] 報告

安田純平さん会見詳報(12完)「いつかは帰れる…あきらめたら試合終了」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181102-00000602-san-soci
11/2(金) 18:17配信 産経新聞


記者会見する安田純平さん=2日、東京・内幸町の日本記者クラブ(松本健吾撮影)

 《内戦下のシリアで2015年6月に拘束され、約3年4カ月ぶりに解放されたジャーナリストの安田純平さん(44)による2日の記者会見は、終了予定時刻を大幅に超えているが、質問の挙手をする記者は絶えない。安田さんは疲れた様子を見せず、記憶がある限り詳細を淡々と答え続ける》

 −−(フリー記者)現地で住民による民主化運動に関して、何らかの情報や見聞きすることはありましたか

 安田さん「民主化運動についてという話は、なかなか聞くのは難しいですね。うーん。そうですね…」

 《しばらく記憶をたどるように考え込む》

 「捕まっている囚人の中に子供がいて、尋問の内容を聞いていると(子供は)政府側のスパイとして入ったようでした。他に、障害者も使っているようでした。ふらふらと反対側(反政府側)の地域に入らせて、見て回って帰らせるというようなことをやっています。(同じようなことは)反政府側もやっているんだろうけど、政府側もやっているようだと。子供を使っていたり、2012年にも現地を取材したが、そうしたことに(住民が)反発していてだんだん広まっていったというのが、反政府側に入る人間が多くなった背景ですので」

 「(ずっと施設の)中にいたので話を聞いて回るわけにはいきませんでしたが、周りで空爆があるときは救急車が走っているのが聞こえました。救助活動をしているグループがいて、空爆の被害者を救助するということもありました。以前に来たとき、がれきの中から女性、子供が救われるのを見ましたが、(そうした状況を)経験する中で反体制運動を始めた人がいるというのを2012年以降に現地で見たり聞いたりしました。(拘束されていた施設で)人身売買されたシリア人の人質もいたと言いました。武装勢力にはある意味、権力がありますが、そういった組織によって、(住民が)被害を受けるということも起きているんだなと感じました。民主化運動をしたいという人がいるのは理解できるなと思います」

 −−(朝日新聞)3年4カ月前にシリアに入った際、どのくらいの期間行く予定で、取材のアポイントメントやガイドの手配がどうだったのかなど、準備状況を教えてください

 「20日間前後の予定でした。(アポイントは)相手側と交渉しないと進まないので、事前に全部決めるというのはなかなか難しいですね。そのときの現地の状況にもよりますが。(シリア北西部の)イドリブに2カ所あるイスラム法廷を取材したいとは伝えていました」

 「(現地の組織など)彼らにアレンジ、取材相手との交渉などをやってもらって取材するという態勢がよいかな、と考えていました。その結果、交渉が進まなくて取材できなくてもやむを得ないかなと考えていたので、準備というか、ガイドを使って彼らに受け入れられて…、でもそれで自由に動ける訳じゃありません。受け入れてもらえるという態勢をつくったら、ある程度、任さざるを得ません。それが『(準備は)十分なのか』というところでご批判をいただいているところですが、もっとよりよい取材ができればいいなと考えています」

 −−(英BBC)現地で拘束されたとみられる英国のフォトジャーナリスト、ジョン・キャントリーさんの消息については何か聞かれましたか

 「そういった消息は聞きませんでした」

 《予定時刻を1時間半以上超えても、質問を希望する記者はいたが、ここで司会者から会見終了が伝えられた。日本記者クラブでは、会見をした人に一言記帳してもらう慣例があり、最後にあらかじめ安田さんが記していた「あきらめたら試合終了」との言葉が紹介された。これは、井上雄彦氏のスポーツ漫画『スラムダンク』の登場人物のせりふだ》

 「あきらめたら試合終了。文字通りで、あきらめたら精神的にも肉体的にも弱ってしまいます。いつかは帰れると考え続けていたので、この言葉を書かせていただきました」

 《拘束中、無事の帰国を信じ続けていたことが心の支えになったことを改めて訴えた。会場から退出するため、会見席を立ち上がると、記者席の一部から「安田さんお帰り、おめでとう」「よく帰ってきた」などの声が上がり、拍手が送られた》

        =(完)


17. 2018年11月02日 19:23:35 : rWYSwwjhrc : R1lwJlHnPX4[1] 報告
自己責任バッシングについて

どの国で何をするのも自由。だからこその責任が伴う。
戦地にいくのも自由であり自己責任である。当然兵としてそこに駐屯するのも自己責任であり自由。
他人の生きる権利を侵害したらそれなりの報いを受けるだろう。そのことを自覚し、覚悟をもった人間のみが責任ある行動をとれる。またそうした者の行動を阻害するのも同じく自己責任が問われる。
それを自覚すべきものだけが自由/責任を手にする。

国は所有権を持たない。あくまで横暴な司政が国の管理権とあらゆる所有権を主張するのみ。
国の管理とは、人々が自由かつ自己責任を自覚できる範囲で謳歌できるようにするだけでいい。
国民の責任にはその国の管理と社会生活までが含まれる。
赤ん坊や五体不満足となればそこには必ず他人の手助けが必要であるように、社会とは人が生きる為に必要な枠組みであって、国の管理責任者であるひとりひとりは必ずその恩恵を受けている。
それを無視して、すべてひとりで何とかしろというならば、それは社会生活を放棄しろと言うのも同じで、そう主張する側も国を放棄し、社会生活権を放棄するも同じことである。

18. 赤かぶ[1005] kNSCqYLU 2018年11月02日 21:38:04 : jgP8M3g5HI : WzItY4dVHi4[420] 報告


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