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自民党議員、国際勝共連合50周年大会に複数名が出席。旧統一教会系政治組織と与党議員の関係
https://hbol.jp/177532
2018.10.29 鈴木エイト ハーバー・ビジネス・オンライン
ザ・キャピトルホテル東急で行われた国際勝共連合創立50周年記念大会
衆議院第一議員会館裏口から議員バッヂを付けた人物が何人も出てきては、通りを挟んで向かいに建つホテルの宴会フロアへ吸い込まれていく。数十分後、用を終えたとばかりに早足でホテルをあとにして議員会館に戻る議員たち。彼ら国会議員が出席していたのは「国際勝共連合創立50周年記念大会」という催しだ。 10月25日午後、首相官邸や議員会館のすぐ裏手にそびえ立つ高級ホテル ザ・キャピトルホテル東急で国際勝共連合が開いた式典に多くの国会議員が出席した。 国際勝共連合は、霊感商法などが社会問題となった宗教団体・旧統一教会系の政治団体だ。「統一教会/世界基督教統一神霊協会」は2015年に「家庭連合/世界平和統一家庭連合」に改称している。 これまでに同教団と政治家との関係を報じてきた筆者が取材に訪れることを察知した教団サイドは、入場を拒否しただけでなく、対策として勝共連合の職員を配置、来場する政治家の写真を撮らせないよう指示した。筆者は職員の妨害を掻い潜り、ホテル宴会場ロビー共用部や歩道から来場した国会議員をチェックし撮影を敢行。その結果、本人確認ができた国会議員は以下の8人。 受付の右端が国会議員受付となっていた 「衆議院議員:山本朋広、武田良太、逢沢一郎、御法川信英、穴見陽一、奥野信亮」 「参議院議員:柳本卓治、宮島喜文」 全員が自民党所属の議員だ。奥野以外は、ここ数年のうちに教団の大規模信者集会に来賓出席して祝辞を述べた議員と教団の誘いで外遊し海外の教団系イベントに参列した“前科”のある議員たちだ。 山本朋広衆議院議員(前防衛副大臣)宴会フロア通路 穴見陽一衆議院議員 宴会フロアエントランスロビー 御法川信英衆議院議員 宴会フロア通路 宮島喜文参議院議員 奥野信亮衆議院議員 宴会フロアエントランスロビー 武田良太衆議院議員(元防衛副大臣 自民党幹事長特別補佐兼副幹事長) 衆議院議員会館へ戻る逢沢一郎衆議院議員 他にも、議員本人や秘書と思われる人物約20人が、開演直前の10数分間に「国会議員」と書かれた専用受付で来場手続きを済ませており、相当数の国会議員や秘書が出席したと思われる。では、これほど多くの国会議員が付き合いを続ける国際勝共連合とはどんな団体なのか。 文鮮明教祖が設立した反共政治組織 国際勝共連合はその名称が示すように、徹底した反共産主義を掲げる右派・保守系の団体だ。ただし、同連合の主張内容に韓国への批判は見当たらない。主だったものは中国共産党への批判だ。韓国発祥の教団関連機関だけあって中国の批判はしても韓国の批判はしない。なぜ、そのような組織が日本の保守界隈と連携しているのかと疑問を持つ人は多いだろう。その疑問は、これまでの日韓関係を少し遡るだけで氷解する。 現在の反韓・嫌韓感情が渦巻く保守界隈の空気感とは異なり、日韓両国は1990年代以前には「反共の同志」として良好な関係にあった。米CIAの後ろ盾のもとで「北朝鮮の共産主義に打ち勝って統一/勝共統一」をスローガンに反共活動組織を必要としていた朴正煕政権(1961〜79)の庇護を受けるため、統一教会の文鮮明教祖は、便宜的に反共産主義を掲げて朴大統領に取り入った。 文は67年に山梨県の本栖湖畔で行った戦後右翼の大物らとの日韓反共首脳会談を契機に翌68年1月、韓国で国際勝共連合を創設、日本でも同年4月、岸信介総理大臣の後ろ盾を得て国際勝共連合を創設するに至る。 当時の日本といえば東西冷戦下での安保闘争真っ只中という時代だ。そんな時代背景のもと、献身的に反共運動に邁進する青年を抱える勝共連合は政財界へ浸透していく。1970年9月に国際勝共連合が中心となって日本武道館で「WCAL(世界反共連盟)世界大会」を開催。74年5月に文鮮明が帝国ホテルで開いた「希望の日」晩餐会には岸の他、福田赳夫、安倍晋太郎ら40人の自民党国会議員と財界の要人が出席した。 水面下での政治家工作も継続して行われてきた。秘書養成所訓練した信者が議員のもとに送り込まれ、秘書のほかにも事務所スタッフや選挙運動員として提供された。文鮮明は「まず秘書として食い込め。食い込んだら議員の秘密を握れ。次に自らが議員になれ」と指示、送り込まれた信者部隊はそれぞれの政治家の懐に入り込み、弱みを握った。 自民党を下支えする政治工作 1979年2月、スパイ防止法制定を目指して生長の家ら6団体と勝共連合が「スパイ防止法制定促進国民会議」を設立、同年6月からは生長の家に替わって勝共連合が主導し全国47都道府県で「スパイ防止法制定促進県民会議」を結成した。地方議会から決議を挙げ、同法の立法化を目指していた自民党を後押ししたのだ。同法案自体は廃案となったが特定秘密保護法として復活している。 同様に、現在も家庭教育支援法や青少年健全育成基本法など様々な法整備制定や安倍政権の悲願である憲法改正への動きを様々な工作で下支えし憲法24条の家庭条項改正、への策動を進めている。 1990年代初頭には衆参両院に約200人の「勝共推進議員」と呼ばれる議員がいたとされる。現在の日本会議系議員のような括りと同様のものだ。その勝共推進議員も東西冷戦の終結により激減することになる。存在意義が薄れた勝共連合との関係を断つ議員が続出、その影響力も次第に薄れていった。 ところが2010年代に入って第二次安倍政権発足後、俄然息を吹き返してきたのだ。 国際勝共連合会長就任前の昨年8月、政治家対策を担うUPF(天宙平和連合)の梶栗正義会長は韓国で開かれた幹部集会の場で、現在の教団最高権力者・韓鶴子総裁にこう報告している。 「最近、日本は雰囲気が変わってきました。以前、勝共連合の活動が活性化していた時と同じような、その当時は200名を超える議員たちがご父母様に侍(はべ)っていたのですが、その時と同じような雰囲気が近づいています」 この発言を裏付けるように、多くの国会議員が新たな現代版「勝共推進議員」と化している。 2000年代後半に相次いだ教団系霊感商法販社の摘発。その追及が宗教法人格剥奪へ発展することを危惧した教団首脳は組織防衛のため、それまで怠っていた政治家対策に再び本腰を入れ始めた。その工作が露わになったのは第二次安倍政権発足以降のことだ。官邸筋の意向を受けて様々な策動を忠実にこなす見返りに、体制の保護や教団名変更などの便宜供与を受けているのではないかとの疑惑が様々な証拠を複合的に組み合わせることで浮かび上がってきたのだ。 なぜ衰退傾向にあった勝共連合周辺が近年、活況を呈しているのか。この宗教系政治組織の策動と暗躍の背後には何があるのか。それを検証するには第二次安倍政権発足後の政権中枢・官邸筋との緊密関係を詳らかにし、どのようなギブ&テイクが横行してきたのかということを改めて繙いてみる必要がある。(文中敬称略) <鈴木エイト(やや日刊カルト新聞主筆)・Twitter ID:@cult_and_fraud> すずきえいと●滋賀県生まれ。日本大学卒業 2009年創刊のニュースサイト「やや日刊カルト新聞」で副代表〜主筆を歴任。2011年よりジャーナリスト活動を始め「週刊朝日」「AERA」「東洋経済」「ダイヤモンド」に寄稿。宗教と政治というテーマのほかに宗教2世問題や反ワクチン問題を取材しトークイベントの主催も行う。共著に『徹底検証 日本の右傾化』(筑摩選書)
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