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人間こころがなければ疲れることもない。
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2018-10-23 10:38 谷間の百合
マラソンで四つん這いになって進んでいた選手を見てとっさに頭を過ったのが古い話ですが、木口小平は死んでもラッパを離しませんでしたという日露戦後に作られた美談でした。 喇叭手が喇叭をもったまま死んでもそれほど大層なことには思えないのですが、明治政府はそれほど美談を必要としていたということでしょうか。 幸い、批判、疑問の声の方が多いようで、あれが称賛されるとスポーツ選手にかかる同調圧力はハンパではなくなります。 監督の棄権するという意思の伝達が遅れたということですが、どんな体制でマラソン開催に臨んでいるのかと呆れます。 スーパーボランテイアと言われている尾畠さんが、そこでの仕事には何が必要かを考えてそれに必要な道具は全部事前に揃えて用意する、当日になってあれがないこれがないでは仕事にならないと言っていましたが、マラソンの主催者もあらゆるアクシデントに備えるくらいは当たり前のことでしょうに。 審判員に権限はなくてもそういう止めるという判断は可能ではありませんか。 だれも自分で判断しないしできないのは、あとで責任を問われることを怖れるからというより、ただ気が利かないだけなのだと思います。 電車から 愛媛県の地域アイドルとして人気者だった少女が自殺しました。 酷な言い方になりますが、わたしは何で自殺したの!という無念と怒りを覚えずにはいられませんでした。 後から言えることなのでしょうが、ほんとに何とでもなった問題だったのではありませんか。 それにだれも言わないので、恐る恐る言うのですが、本人は無理でも、親に、アイドルになるということは娘が商品になるということだという認識がまるでななさそうなことにわたしは驚くのです。 相手がお金儲けしか頭にないことくらい分かりそうなものなのに。 むかし、母がピンクレディの歌の中の「わたし、いまが食べごろよ」という歌詞に憤然としていたことがありました。 いまは「食べごろ」というより「売れごろ」です。 いまの若い子は、自分の体がお金になるということをよく知っています。 わたしたちのころには想像もしないことでした。 この言葉以外に適当なことばが思いつきませんのであえて使いますが、こんな「ションベン臭い」年ごろ女の子が男性の眼に止まったり視界に入っているなどとは思ったこともありませんでした。 ところがそうではなかったのですね。 わたしなんか、視界のど真ん中に入っていたかも。(モチロン、冗談です。) しかし、いちど自分の体がお金になると知ってしまったら、もう二度と何も分からない清純な乙女に戻ることはできません。 案の定、スペインの主要な新聞は総理の訪問を一行も報じていなかったそうです。 逃避行の旅だと周知されているのかも。 それにしても総理はタフですね。 帰国した翌日にはもうゴルフですから。 つまり、こころがなければストレスを感じることもなく、ストレスを感じなければ疲れることもないということだろうと思うしかありません。
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