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2018年10月19日 「ジャーナリスト同盟」通信
<神道・財閥復活=日本会議=自公の宗教内閣>
春秋の靖国神社例大祭は名前だけしか知らないが、個人も団体も頂点を極めると、あとは坂道を転がるように落ちるだけのようである。「安倍は真榊の奉納で、海外逃亡が日程化している」との内部のボヤキも聞こえてくる。「侵略の神ともいえる神社神道の復活、そして財閥も復活、それから日本会議を立ち上げて自民党を制圧した。政権を手にしたが、やってることは腐敗の極み」と皮肉られている。驕れる者久しからず、の平家物語の一節が口を突いてくるのだが。
<宮司の天皇批判で墓穴>
歴史を紐解けば、靖国神社の「英霊合祀」なる仕掛けも、近代合理主義者からすれば、おかしくてたかが知れているのであろうが、主宰者は現在も真剣そのもので、トップの宮司までが「天皇が靖国をつぶしている」という本音をぶちまけた。あまつさえ雅子妃を「神社神道嫌い」だと断罪した。
逆に、雅子妃の株は急上昇している。彼女の病の元凶も分かってしまった。
憲法論からすれば、一宗教法人に過ぎない宮司が、衣を脱いで天皇を叱り飛ばすというのも不可解であるが、彼ら神社神道からすると、天皇は彼ら原始宗教の配下というのだろう。頭が混乱してしまう。
<71人国会議員の”ゴキブリ参拝”?に韓国は怒りの抗議>
平和市民の中には、春秋の国会議員の黒服での、異様な集団参拝を「ゴキブリ参拝」と評しているという。その容姿から、やくざの出入りを連想する者もいるようだ。
理由は、自由な雰囲気がないためだ。個人が思い思いに、自由な服装で参拝することが、本来の姿だとすると、やはり異様である。しかも、彼らは公人だから、憲法の政教分離の違反者なのだ。
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」のであろうが、現に15人の高給取りの最高裁判事は沈黙している。見る人によっては、無法漫画そのものだ。
合祀の対象者は、多くが半島や大陸などでの植民地・侵略戦争に狩りだされた無辜の民だ。そうだとしても、被害者からすると、国民の代表者の71人が侵略植民地の正当化、歴史の正当化に狂奔していると見られる。かくしてアジアの民主主義の優等生である韓国政府は、当然のことながら、即座に怒りの抗議を発した。
果たして、この71人の集団参拝の人数が多いのか、それとも少ないのか。靖国の立場からだと、非常に少ない。その中に安倍晋三の姿はなかったのだから。国家神道意識の靖国宮司の怒りは、天皇のみならず、官邸と議会・自民党本部にも向けられているのかもしれない?
<加藤勝信が安倍家を代表して参拝か>
首相は、真榊の奉納である。驚いたことに衆参の議長も安倍に同調した。これは安倍・日本会議の効果なのであろう。国権の最高機関の議長からの真榊の奉納は、初めてではないだろうか。野党の対応が注目される。ここは一進一退の靖国なのであろうか。死んでしまった新聞テレビは黙認か。安倍はアリバイ作りにパリで遊覧していた10月18日である。
しかし、安倍家の執事が身代わりに参拝していた。71人の中に自民党総務会長の加藤勝信がいた。安倍が一番信用の出来る政治屋が、この加藤勝信である。
<神社本庁も大揺れ>
人間は、神仏という冠をつけることで、それを尊崇するという、まじないを自らに課してしまう生き物である。存在しない神仏の、問題はその教えが立派であればまだしも、そうでないと社会に害をなすことになる。
戦前の歴史が、モノの見事に証明している。それをまた繰り返す、となると、被害者である国民多数と世界の人々は、恐怖で身構えることになる。それかあらぬか、神社神道の本山である神社本庁も、腐敗の表面化で大揺れであるという。
残念ながら神社本庁を知らない。一部マスコミとネット情報に頼るしかないが、友人が近く発売される雑誌「FACT」が、新聞テレビに代わって報じる、と連絡してきた。
<未解決の富岡八幡宮の日本刀事件>
人間は野蛮な動物である。人を殺害するために、そのための武器をつくった。弓矢から槍、刀剣から鉄砲、大砲や戦闘機から弾道弾、そして核兵器を手にした。いまロボットを使い始めると、地球も人間も亡びるだろう。そこへと突進している。
他方で、ケダモノを改善・改良するために、思想・哲学・宗教が存在するのだが、西洋の科学技術は、自然を破壊・人間の野蛮性をとことん追究して、抑制できていない。残るは東洋の思想哲学である。
中国の古典の一つである「大学」は、修身斉家治国平天下の道理を教えている。人間を、人間らしく育成する「大いなる学ぶ」ことの第一は、修身である。修身の人は、決して日本刀を振り回すことはしない。日本刀で女性を殺害した富岡八幡宮事件は、そもそもの神社神道に、生き物を殺傷してはならないとする仏学に劣る。神道は、どう転んでも人間の幸せと無縁ではないだろうか。
富岡八幡宮事件捜査は、本末転倒で誤魔化している。元を解明していない。ために、また繰り返すことを恐れる。神社本庁に、その元・本が潜んでいるのではないだろうか。靖国には日本刀を祀っているではないか。武器で安全確保は不可能だ。
この世に神の国はない。日本は神の国ではない。過ちを繰り返す国にしてはならない。靖国衰退は自明の理であろう。
2018年10月19日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)
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