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2018年10月13日 「ジャーナリスト同盟」通信
<「木更津レイプ殺人」被害者の戦争遺児と戦争未亡人>
最近は、戦争遺児という言葉さえ理解しない日本人が増えてきている。したがって、遺児の母親である戦争未亡人のことも。やくざ浜名がJR岩根駅近くで営業するデーサービスKで、事情を知らずにバイトをして、強姦殺人に遭遇、この世の悲劇を一身に受けて、二度とない人生に幕を閉じた戦争遺児の美人栄養士K・T子さん。美人薄命というが、彼女も、敗戦後の木更津港の岸壁に立って、戦場に消えた父親を待って、帰ろうとする母親の袖を引き続けた。そんな悲劇の遺児を、レイプ殺人鬼が、いまものうのうとデーサービスを続けられる木更津市である。
<松崎先生が未亡人から聞いた凄い秘話>
孟母三遷を知っていたのであろう戦争未亡人は、学校の前に家を建てた。「本当は医師になりたかったけど、カネがなくて助産婦になった」という未亡人から、教員時代から戦争秘話を聞いたりして、平和問題に取り組んできた松崎先生に昨日、電話してみた。
彼女は花が好きである。「学校への通りすがりにKさん宅の、花に囲まれた庭先に、自然に目が向いたものです。最初は未亡人、そして未亡人が亡くなった後、秋田から戻ったT子さんとも仲良しになりました。母子とも花が大好きで、よくおしゃべりもしましたが、お母さんの敗戦後の”岸壁の母”は、聞いていて涙がぼろぼろ出たもので、決して忘れることが出来ません」
花好きの人間は、心が美しい。美人栄養士と松崎先生は、花が縁結びをしてくれたものだ。先生も夫を亡くして、現在は大きな家の一人住まいの80代であるが、まだ健康に問題はないらしい。
先日、家庭菜園で採れたカボチャと自家製の柚子ジャムを持って、市営住宅に住む元水道屋の小野さん宅に押しかけた。鴨川の亀田病院で大動脈瘤の手術を無事に終えて、静養の日々を送っていた。松崎宅は、道路を隔てた反対側だ。昨日、思い出したように電話をかけてみた。
そのさい、彼女は未亡人との昔話を披歴してくれたもので、本当に涙が出てきて止まらない。戦争は憎い。彼女の父親を戦場に狩りだした元凶である、国家神道・教育勅語・大日本帝国憲法が憎い。そこへと再び日本を引きずり込もうとしている、安倍・自公内閣を批判する、正当な理由がある。日本国憲法が命じている。ちなみに小野さんも戦争遺児である。
<「お母ちゃん、お父ちゃんが帰るまで戻らないで」と袖を引く幼子遺児!>
K・T子さんの父親の実家は、市内畑沢という昔は素封家だった。彫刻家になろうと勉強していて、赤紙に引っかかった。最初は中国大陸、敗戦間際に硫黄島に行かされて、途中で米軍機の猛攻を受けて、輸送船もろとも海の藻屑となってしまった。
一人娘は、敗戦の年に、父親の顔も知らずに誕生した。
母親の未亡人は、実家に寄る時は、よく木更津の海岸に出た。その時の様子である。娘は4歳か5歳ころか。1950年ごろだろう。
岸壁に立つ未亡人は、さながら二葉百合子が歌った「岸壁の母」を連想させられる。
「母はきました、今日も来たこの岸壁に、今日も届かぬ願いと知りながら、もしやもしやに」と声を出したりすると、硫黄島に消えた亡き夫が帰るかもしれない。そんな風にも聞こえてくる歌だ。未亡人の亡き夫への思いは、深く尽きることがない。カラオケで歌っていても、もらい泣きしてしまいそうだ。
助産婦は松崎さんに向かって「戦争だけはしてはいけません」といって一息ついた後、木更津港の”岸壁の母”の秘話を漏らした。
「もうずっと岸壁にたたずんで、ただ海を眺めるだけです。暗くなってきたので、T子帰るよ、と声を掛けました。その時のT子の反応でした。”お母ちゃん、まだ帰らないよ。お父ちゃんが帰ってくるまで待っていようよ”といって、私の袖をつかんで離さなかったんですよ。何も分からないと思っていた幼子でも、父親が欲しかったんですね。涙が止まりませんでした。本当に戦争はいやです」
松崎さんは、現役時代から、現在の元教師になっても、戦争の語り部を続けているようだ。「若者を二度と戦場に送るな」を生ある限り、叫び続けている。
戦争の悲惨さは、尽きない。T子さんは、秋田県由利本荘市で3人の子供を立派に育て上げた後に、母親の介護のため、生まれ故郷の木更津市に戻った。君津市の山の手病院では、栄養士として10年務めた。デーサービス「夢ここち」でも、そのあとにやくざ浜名の配下のヘルパー・吉田ふみえに誘われて、獰猛な狼の元へと行って、レイプ・性奴隷の挙句、逃げ出そうとして「全てをばらしてやる」というドーカツに突発性の大動脈りゅう破裂で、即死の状態でドクヘリで君津中央病院に搬送され、強い健康的な心臓も2日後に止まった。
木更津市はやくざの街である。彼女にも油断があったのか。
<池田親衛隊第一号の美人栄養士>
「おかあちゃん、お父ちゃんが帰るまで待っていようよ」と母親の袖を引いて、木更津港の岸壁から離れようとしなかった戦争遺児のK・T子さん、ようやく第二の希望の人生を目の前にして、女であることの証を奪われて、無念にも息耐えた。こんな悲運人生が、この木更津市に存在したことの恐怖に、改めて立ちすくむばかりである。
この世に神仏など存在しようがないが、それでも神仏にすがろうとする人間の弱さにあきれ返るばかりだ。K・T子さんはしかし、池田親衛隊第一号として、安倍内閣の毒饅頭国交大臣・太田ショウコウ(昭宏)を断罪して、この世を去った。
2018年10月13日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)
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