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2018年10月06日 「ジャーナリスト同盟」通信
<93歳の心臓の悪い大澤のぶさんを助けられるか>
10月4日に認知検査、同5日に高齢者講習を終えて、あと3年、ハンドルを握ることが出来る。車があれば、田舎で暮らすことが出来る。認知試験100点。子供のようにウキウキしながら帰宅すると、妻が「大澤のぶさんが倒れて救急車で近くの病院に運び込まれた」という悲報を持ち込んだ。「不安的中」である。急ぎ木更津市の介護職員に電話したが、出かけていて留守。やむなく実弟の86歳の小林さん宅に電話すると、既に救急隊から「待機するように」との指示をうけていた。生死をさまよってきていたのぶさんの最期となるのか、緊張していた。
<担当医は処方した薬を飲んでくれない、とこぼす>
もう夕暮れ時だ。無事に回復するのかどうか。医院に電話すると、彼女は心臓が悪いのだと言うことが判明。呼吸困難の原因は、その後に薬の処方箋を見て「狭心症」であることも。
医師は「処方した薬を飲まないので」とこぼした。しかし、血圧から心臓や肺などの数種類の薬を、医師の指示どうりに飲むことは、超高齢者には無理というものだ。不可能である。「入院させるしかないのか」と尋ねると、なんと「受け入れてくれる病院などない」という返事である。
医者泣かせの患者なのか。死を待つしかないのか、と思うと、これまた哀れでならない。そこで官房機密費という血税をたらふく食べている心臓首相に「助けてほしい」と、こうして直訴することにした。
<4万円年金で1日置きデーサービス2万円+α>
大澤のぶさんとの出会いは、9月28日の夕暮れに近くである。散歩中に、傍らの1メートル下の水のたまった泥田から、杖と熊手のような農具を持って、路上にやっとこさ這い上がってくる老いた彼女と出会った。
家は築100年以上の、元はかやぶきの大きな住宅で、現在は一人住まい、年齢を聞いて93歳に驚いた。もっと衝撃を受けたことは、二人の優秀な娘と息子を、若くして亡くしていたことだった。
二人とも結婚前だから孫はいない。戦争から無事に生還した夫も病気がちで、妻の人生は苦労の日々だったことになる。この世に神仏などいないが、それにしても過酷で痛々しい。娘は千葉大学を卒業して、小学校の先生になったが病死。息子は音大を出て、イタリアでの研修を夢見ていた、そんな時に倒れた。
独力で早稲田大学に入学、卒業後に医療事故、13年の植物人間を強いられて、最期は東芝病院に、誤嚥性肺炎で入院直後、看護師が100分も放置、痰が喉に絡んで窒息した次男のことを思い出して、のぶさんの顔をまじまじと見つめてしまった。
同病相憐れむという。当事者でないと理解してもらえないのが無念なのだが、以後、毎日のように訪問して、彼女の生きる小さな支え役を買って出ている。
すぐ目の前のトタン屋根の家には、誰も住んでいない。近所の人が声をかけてくれる様子も見られないのだ。93歳を生きるとは、そういうことなのだ。だから顔を見せると、よくしゃべる。それがうれしいのだ。そうしてお年寄りはボケを防止するのであろう。
明らかに政府が手を差し伸べなければならない超高齢者である。90度に腰の曲がったのぶさんの歩行は、身内がそばにいないため、余計に痛々しい。呼吸困難で何度か救急車の世話になったことも。そして1日置きのデーサービスのことも。
ことし6月に中郷記念館の特別養護老人ホームで、100歳になった1か月後に他界した母のことを思い出して「特養に入らないか」と声をかけてみた。「お金がない」という返事だ。
1か月の年金4万円では無理なのだ。1日置きのデーサービスも、それだけで2万円以上だ。毎日行きたくても行けないのである。
心臓君、わかるかな。「僕は93歳まで生きない」などと言って、ごまかしてはならない。
<それでも税金を取られて、冬が越せない>
4万円の年金生活者から、それでも税金を取られている、という話にも驚いてしまった。カネを少し持たないと年を取れない日本なのだ。
「わずかな水田も、とうに耕作できない、それでも水利組合は金を集めに来る」という非情な世界の存在に腹が立つ。
近所の米つくり農家に「買ってはどうか」と声をかけてみた。「大澤さんの田んぼは水利事情がよくない。反当り40万でも買えない」と断られてしまった。昨日、上総自動車教習所で一緒に講習を受けたおじさんに聞くと「いま30万円程度」と言われた。
共有林は「放棄した」ともいうのぶさんである。「共同墓地は大丈夫だろうか」と、こちらは心配する。息子と娘と夫が眠っている墓地が無くなっては大変という心配までしている93歳のおばあさん、とっても当方もおじいさんではないか。
「暮れになると、財布の出が増えるので、デーサービスの回数を減らさなければ」とも。これは深刻なことだ。「冠婚葬祭にも神経を使う」お年寄りは、本当に純真な日本のお年寄りである。
<片目が見えない、耳も遠い、膝も悪いのに身体障碍者手帳なし>
わが息子や妻にも身体障碍者手帳があったことに気付いた。急ぎ市の職員に訪ねると、なんと「本人の申請が必要である」という冷たい返事だ。のぶさんは、この手帳のことを知らなかった。
93歳に身障者手帳を聞いて分かるわけがない。しかし、彼女は片方の目は全く見えない。緑内障である。耳もよくない。大声でないと対話が出来ない。重い心臓病患者だ。肺もよく無い。足も、である。明らかに身体障碍者である。
民生委員が何らかの手を打つべきだろうが、それもいい加減なのだろう。本来、身障者手帳を持っていれば、もっと福祉の優遇を受けられるはずである。シンゾウ!何とかならないのか。思うと、心が煮えくりかえるのである。
これが日本の福祉の正体なのか。ということは、家族に恵まれていないと、90歳の坂は超えられないことになるのだが。
<身内は車で30分先の86歳の実弟のみ>
大澤のぶさんの親類は、今では86歳の弟の小林さん一人だ。いまオスプレイで話題の自衛隊木更津基地の近くに住んでいる。
バイクに乗っておよそ30分かかる。無事に着けるか、帰れるか、が93歳の姉の心配なのである。昨夜は、遅く着いた。「夜は本当に注意しないと事故を起こす」という86歳だ。筆者も夜の車は遠慮しているが、86歳まで乗れるか、昨日の講習の時は86歳の受講者がいたのだが。
のぶさんは、カネがないのに、それでも気前がいい。病院には救急車、帰りは近所の知り合いが車を出してくれた。その人に5分足らずの距離なのに「2000円」を謝礼に渡したという。これも涙が出てくる対応である。
<二人の子供と夫を亡くした、不幸を背負っての人生>
大澤家の先代は、二人の息子が兵隊にとられ、一人は特攻隊でと二人とも生きて戻らなかった。そのせいかどうか、久しぶりに居間の天井高く祀られた、大きな神棚が鎮座しているのを、眺め見た。
国家神道の名残であろう。靖国神社に名前が記録されているに違いない。原始宗教が今も残る日本の田舎の家なのだ。
それにしても二人の子供、優秀な子供をそっくり亡くしてしまった悲劇を言葉に記録することは出来ない。正に悲劇のヒロインは、世の中を恨んだり、泣き言ひとつ言わないのだ。
以前、購読していたであろう古新聞を玄関先で見た。朝日新聞である。かつて日本の高級紙である。
<今朝未明に君津中央病院に緊急入院!>
昨夜7時過ぎにお邪魔すると、直前に弟の小林さんも着いていた。持参した餃子入りのスープを「おいしい」と言って姉弟で食べてくれた。
のぶさんは、妻のチャーハンもお気に入りだ。米粒残さずにきれいに食べてくれる。
昨夜は、脱いでいた靴下をすぐに履いてもらった。小林さんには、布団をしっかり用意するようにともお願いした。雨模様で、底冷えする夜だったので。
けさ7時30分に電話が鳴った。初めて小林さんが電話してくれたのだが、またしても悲報だった。未明に息が苦しくなり、救急車で君津中央病院に入院した。天候がよくないと、発作が起きる。しかし病院なら安全だ。自宅に一人でいると危ない。施設に入れるよう心臓首相にお願いしたい。
千葉県知事・木更津市長に対して、首相から直訴してもらいたい。「のぶさんガンバレ!一茶ここにあり」と。
2018年10月6日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)
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