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安倍は消去的選択で政界へ 石破は田中角栄の一喝が契機に 徹底比較 安倍晋三と石破茂
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/236752
2018年9月4日 日刊ゲンダイ
安倍晋太郎と田中角栄(C)共同通信社
野上 安倍は特攻隊の生き残りだった父・晋太郎とは違って、政治家を強く志していたわけではありません。私の取材に「職業政治家への道をはっきり意識したのは中学の高学年から高校時代にかけてだった」と話していましたが、実際は違うでしょうね。学生時代も何をやろうか迷いあぐねていた。「あまり勉強は好きではなかった」と安倍も言っていますが、要するに勉強が苦手。だから自信がない。進路を決める大学3、4年になっても「政治家になる」と明確な言葉で聞いた仲間はいませんし、卒業後は米国に語学留学。晋太郎の選挙区事情もあって神戸製鋼所に“政略就職”しています。
鈴木 政治家を目指していない点は石破も同じです。大学3年の頃に参院議員だった父・二朗に「政治家になる気はあるか」と聞かれ、「まったくありません」と答えている。卒業後は三井銀行(当時)に入行しました。
野上 安倍の場合は次男だったことも影響しています。安倍家は選挙区の後援会も含めて、2歳年上の兄・寛信が後継という考えでいた。安倍兄弟は学生時代から選挙を手伝ってきたのですが、社会人になってから寛信が政治家は嫌だと突っぱねたのです。冬の選挙応援で風邪をこじらせ、ウイルスが脊髄に入って3カ月ほど入院生活を送った。衆人環視の政治家の生活にも耐えられないと。それで安倍にお鉢が回ってきたというわけです。晋太郎が外相就任直後にサラリーマンを辞めさせられ、秘書官になったことが政界入りの契機で、いわば消極的選択です。
鈴木 石破のターニングポイントは、父・二朗をがんで亡くしたこと。二朗が師事した田中角栄が遺志をくんで葬儀委員長を務めてくれた。石破が後日お礼に行くと、「父親の後を継いで政治家になれ」「君の父親は県知事15年、参院議員7年。君が後を継がなかったら、これまで応援してくれた地元の人に申し訳ないと思わないのか!」と迫られた。当時24歳で参院の被選挙権がない。それを告げると、「再来年は衆参ダブル選だ! そのときはおまえも26歳だろう!」と。欠員が出る衆院選に出馬しろ、と言われたんです。結果的にダブル選にはなりませんでしたが、三井銀を退職して角栄の派閥だった木曜クラブ事務局に勤務。二朗の逝去から5年経った1986年の衆院選で旧鳥取県全県区(定数4)に初出馬し、28歳の全国最年少国会議員として最下位でしたが初当選しました。
野上 安倍は、晋太郎ががんで病床に伏す中、出馬準備を始めました。晋太郎は67歳で亡くなり、安倍は当時36歳。2年後の93年7月に臨んだ弔い合戦は旧山口1区(定数4)に8人が立候補する大混戦でしたが、後援会がフル稼働し、2位に約3万票の大差でトップ当選しています。石破と違ってスタートは野党議員となりましたが。 (つづく・敬称略)
▽野上忠興 1940年東京生まれ。64年早大政経学部卒。共同通信社で72年より政治部、自民党福田派・安倍派(清和政策研究会)の番記者を長く務めた。自民党キャップ、政治部次長、整理部長、静岡支局長などを歴任後、2000年に退職。安倍晋三首相のウォッチャーでもあり、15年11月発売の著書「安倍晋三 沈黙の仮面 その血脈と生い立ちの秘密」(小学館)が話題。他に「気骨 安倍晋三のDNA」(講談社)など。
▽鈴木哲夫 1958年福岡県生まれ。早大卒。テレビ西日本報道部、フジテレビ政治部、日本BS放送報道局長などを経て13年からフリーに。25年にわたる永田町の取材活動で与野党問わず広い人脈を持つ。著書に「政党が操る選挙報道」(集英社新書)、「安倍政権のメディア支配」(イースト新書)など多数。またテレビ・ラジオでコメンテーターとしても活躍。
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— ⛵️motty⛵️ (@novtnerico) 2018年9月3日
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