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「翁長雄志は命がけでした」 妻樹子さんが語る壮絶な最期
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/307620
2018年9月1日 07:08 沖縄タイムス
知事選で当選を決め、翁長雄志さん(右)と鏡開きする妻の樹子さん=2014年11月16日
埋め立て承認撤回の経緯について説明するため、県議の部屋に向かう翁長雄志知事(中央)=7月27日午前9時20分ごろ、県庁
妻の樹子さん(右)や女性支持者らに囲まれてカチャーシーを踊る翁長雄志さん=2004年
記者会見場を後にする翁長雄志知事=7月27日
翁長雄志知事の告別式に向かう途中、県庁に立ち寄り職員らにお礼を述べる妻の樹子さんら家族=8月13日
8月8日に亡くなった前知事の翁長雄志さんの妻の樹子さん(62)は、沖縄タイムスのインタビューに、名護市辺野古の新基地建設問題に関する前知事の思いなどを明かした。(聞き手=政経部・福元大輔)
沖縄の人たちの心を一つにしたかった
撤回と聞いて「あなたが待ち望んでいたことよ。自分の責任でやりたかったと言うでしょうけど、皆さんが遺志を継いで頑張ろうと立ち上がってくれたのよ」と仏前に報告しました。
翁長雄志は命がけでした。他の人にはなぜそこまでするのか、と理解できないかもしれません。政治家として自分に何ができるかを追い求めてきた人です。若い頃は何を考えているのか、何をやりたいのか、分からないこともありましたが、亡くなって初めて思うんです。ずっとつながっている。沖縄のことを思い、沖縄の人たちの心を一つにしたかったんだと。
本人は亡くなる直前に言ったんです。辺野古問題で悩むことが多かったでしょ。「人がどう言うか、分からない。人がどう評価するか、分からない。でも、知っていてほしい。僕は精いっぱいやったんだ。これ以上できない、それでも足りないだろうか。僕の力がそこまでだったんだろうか」と。私が「ウチナーンチュだったらきっと分かるはずよ」と言ったんですよ。そしたら、翁長は静かに笑ってました。
県民が諦めなければ新基地は止められる
7月27日に撤回を表明し、30日に入院しました。10日そこそこで亡くなったんですが、肉体的にはとっても大変、きつかったと思うんです。弱いところを見られたくないという思いが強かったですから。副知事や公室長が来たときも病室のいすに座って話をしていました。
若い頃から政治一筋だったので、自分がいま何やるかが分かっていたのかもしれない。撤回の準備に入ったのも、自分の体調が本当に厳しくなってから。どうにか撤回まで持っていきたいと考えていた。
ぎりぎりの状態で進め、結局、自分で撤回することなく亡くなってしまったけど。後は任せるということになり、本当に申し訳ないという気持ちだった。
県民が諦めなければ辺野古の基地は造られないと思う。それは翁長も私も信じていた。県民が辺野古の基地はもうしょうがないということになれば、未来永劫(えいごう)沖縄に基地を置かれたままになる。それでいいのでしょうか。翁長は命をかけて、そこを問い続けた。もう一度踏ん張りたい。私にはそれしかできない。
ウチナーンチュが一つになって、団結したとき、私たちが考えている以上の力強さがあると次男が県民大会で言ったでしょ。本当にその通りだと思うんです。一つになって立ち上がる。その強さを翁長は求めていたんだと思うんです。若い頃から。
私が翁長の背中を押した理由
7月27日の記者会見の時、知事室からエレベーターに向かう廊下の窓際に腰を掛けて休んでいたのを記者たちが見て、記者会見で聞いたら、外反母趾(ぼし)と応えていたけど、あれは全然違う。
前日、県庁に行って撤回に向けた最後の打ち合わせをして、公舎に「ただいま」と帰ってきた。玄関にあったいすに座って3分、廊下で3分、リビングで3分、寝室までの廊下でまた3分、5メートルを歩くのに20分かかる状況だったの。
「記者会見で自分の思いを伝えることができるだろうか。記者の質問に答えることができるのだろうか」と私に言ったの。
私は「できるに決まっているじゃないの。何のために頑張ってきたの。あなたがやらないで、誰がやるの」と背中を押しました。
口の中いっぱいに口内炎ができていて、小さな粒の薬を飲むのも少しずつ少しずつ流し込むように。これも20分かかったかな。
翌日起きて、送り出して、記者会見で30分間話し続けることができたと聞いて、私は「神様ありがとう」と何度も繰り返した。
弱い姿を見せたくなかった人ですから、外反母趾と言ったんでしょう。私がそうじゃなかったと言ったことで、翁長は怒っているかもしれません。「なんで本当のことを言うんだよ」って。言葉が聞こえてくるようです。
そんなきつい翁長の背中を私が押したのには理由があるんです。
もう新聞を読めないよ
撤回が現実味を帯びてきた頃、国から「一般の職員にも損害賠償を求める可能性がある」という情報が伝わってきたんです。脅しのようにも聞こえるでしょ。
県庁内は戦々恐々になったようで、翁長は「自分は政治家だから丸裸にされても、撤回をやる覚悟はある。でも一般職員をそんな矢面に立たせるわけがない」って、強く言ったんです。私たち家族もその責任を負う覚悟はありました。でも一般職員にそんなことを言うのはどうなんでしょうか。
皆さんには本質を見てもらいたい。
2期目の出馬についても、本人から直接聞いたわけではないけど、12月の任期を全うできないと感じているんじゃないかなと思うことがあったんです。
例えば、4月に膵臓(すいぞう)に腫瘍が見つかる前から、公舎にあった自分の本の整理を始めたんです。大切にしていた本も捨てて。何をしているのと聞いたら、「これは君たちにはできないことだから、僕がやるんだ」と言うんです。何があっても新聞を読む人でした。胃がんの時も膵炎(すいえん)の時も、病室で私が来るのを待つというより、私が手に持つ新聞を待っているんです。
それが、亡くなる2日前に、新聞を差し出すと「ごめん。もう新聞を読めないよ」って言うんです。新聞の情報を何よりも大切にしていた人ですから、私も「えっ」と思ったんです。この期待に応えてくださいよ。いつまでもいい新聞を作ることがこの期待に応えることですよ。皆さんには頑張ってもらいたいとずっと思っているんです。
最後まで周りに気を遣うお父さんだった
でも翁長が弱いところを見せるのは本当に初めてです。撤回の前日に記者の質問に答えられるかなと言ったとき、そして、亡くなる2日前ですか。出会ってから本当に初めてと言っていいくらい。
昨年の後半頃から、お風呂上がりに体重計に載るたびに体重が減ったようです。胃がんの後で75キロ。これをキープしようと維持してきたんですが、70キロになり、65キロになり。いくら何でも様子がおかしいんじゃないのと病院に行き、体重減も気になるけど、血糖が上がったことも気になると言われ、もしかしたら糖尿病かもと思い、その日のうちに検査したら膵臓に腫瘍が見つかりました。
最後に入院したとき、1回だけ「苦しい」といったことがあるんです。病室で車いすに乗ろうとした時に私が支えていたんだけど、バランスを崩して、二人で転んだの。私に苦労させたと思ったんだろうね。そのとき、私にもたれかかるように「苦しい」と言ったの。1回だけ。
そのとき、死期を覚悟していたのもしれない。もしかしたら恐怖があったのかもしれない。こんなことを私に言ったの。
「この先、子どもたちにあたることがあるかもしれない。自分で自分をコントロールできなくなるかもしれないんだ。そのときは、子どもたちに伝えてほしい。今のお父さんは本当のお父さんじゃないよ。病気で自分をコントロールできなくなっているんだよ」と。
でも、最後までそんな必要はなかった。最後の最後まで子どもたちにあたることはなかった。周りに気を遣うお父さんだった。
でも、でもね。ずっと難しい顔をしていたでしょ。だから最後は見せてほしいと思った。翁長の本当の笑顔を。末っ子の甘えん坊の笑顔を。明るくよく笑う人だったんです。この4年間はほとんど見ることがなかったから。
涙なしには読めない「沖縄を平和の緩衝地帯に」翁長さんの思い。受け止めなければ
— 望月衣塑子 (@ISOKO_MOCHIZUKI) 2018年9月1日
樹子さん「県民が辺野古基地はしょうがないとなれば未来永劫、基地置かれたままに。それでいいのか。翁長は命をかけ問い続けた。もう一度踏ん張りたい。私にはそれしかできない」沖縄タイムスhttps://t.co/qYNtsx0B9L
「『人がどう評価するか分からない。でも知っていてほしい。僕は精いっぱいやったんだ。・・それでも足りないだろうか。僕の力がそこまでだったんだろうか』と。私が『ウチナーンチュだったらきっと分かるはずよ』と言ったんですよ。そしたら翁長は静かに笑ってました」
— 小池晃 (@koike_akira) 2018年9月1日
https://t.co/5y9zktD6Es
この写真を最初に見てインタビュー最後まで読むと様々な思いがこみ上げるな……。本当に大変だったのだと思う。 https://t.co/oG6l13jIO0
— 津田大介 (@tsuda) 2018年9月1日
「翁長雄志は命がけでした」 妻樹子さんが語る壮絶な最期(沖縄タイムス) - Yahoo!ニュース https://t.co/PPWH7vsvMs 「県民が野古の基地はもうしょうがないということになれば、未来永劫沖縄に基地を置かれたままになる。翁長は命をかけて、そこを問い続けた。もう一度踏ん張りたい」
— 宮本徹 (@miyamototooru) 2018年9月1日
文字通り、命の燃え尽きる瞬間まで沖縄のためにたたかい抜かれた翁長さん。あらためて敬意と感謝を捧げ、沖縄と連帯してたたかうことを誓います。
— 山下芳生 (@jcpyamashita) 2018年9月1日
「翁長雄志は命がけでした」 妻樹子さんが語る壮絶な最期 https://t.co/V60MouHusZ @theokinawatimesから
政府が遅延損害金として「1日2000万円」請求の件、県職員に払えと?
— 盛田隆二 (@product1954) 2018年9月1日
◆翁長知事の妻樹子さん「承認撤回が現実味を帯びてきた頃、国から『一般の職員にも損害賠償を求める可能性がある』という情報が伝わってきたんです。脅しのようにも聞こえるでしょ。県庁内は戦々恐々に」https://t.co/xMWTkOqar0
【「翁長雄志は命がけでした」妻樹子さんが語る壮絶な最期】翁長夫人の胸に迫る言葉【県民が諦めなければ辺野古の基地は造られないと思う。それは翁長も私も信じていた。・・・・中略・・・翁長は命をかけて、そこを問い続けた。もう一度踏ん張りたい。】https://t.co/c6gjxczbzh
— 横田良篤 (@yokotayoshiatsu) 2018年9月1日
撤回を表明した会見の時、こんなに苦しい状態だったとは…。本当に最後の力を振り絞っての30分だったんだな。
— 布施祐仁 (@yujinfuse) 2018年9月1日
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— ステイメン@打倒!凶人安倍! (@deskain) 2018年9月1日
最期に至るまで、#凶人安倍幕府 と米帝軍が強いた理不尽と戦い続けてきた翁長知事。その遺志を守り継いで行かねばならない! pic.twitter.com/lpTvXw4C8M
翁長さんの妻、樹子さんへのインタビュー記事。涙なしに読めない。
— 🦋HaL 🌈 (@iamHaLuetty) 2018年9月1日
「ウチナーンチュが一つになって、団結したとき、私たちが考えている以上の力強さがある」
皆さん、その力を見せる時ですよ!頑張ろう!
https://t.co/8id6AnAaWo
翁長知事の奥様へのインタビューで、辺野古の埋め立て承認を撤回すると、一般の県職員にまで損害賠償を求める可能性があると、国が脅しをかけていたことが明らかになった。これをパワハラと言わずに何をパワハラと言うのだろうか。この圧力に屈しなかった翁長知事の遺志を国民全体が守ろうではないか。
— 鳩山由紀夫 (@hatoyamayukio) 2018年9月1日
「翁長雄志は命がけでした」
— * peace * (@cyoki) 2018年9月1日
妻樹子さんが語る壮絶な最期
ウチナーンチュが
一つになって、団結したとき
私たちが考えている以上の
力強さがあると
本当にその通りだと思うんです
一つになって立ち上がる
その強さを翁長は
求めていたんだと思うんです
若い頃からhttps://t.co/0uQYWjcmvo pic.twitter.com/TU48J8dN5e
比喩ではなく、ほんとうに涙が出ました…。→「翁長雄志は命がけでした」 妻樹子さんが語る壮絶な最期(沖縄タイムス) - Yahoo!ニュース https://t.co/lEnlybJnZL @YahooNewsTopics
— 鈴木 耕 (@kou_1970) 2018年9月1日
まさに、「壮絶な最期」。翁長さんの遺志を継ぐ玉城さんに、何としても勝ってほしい!
— 長谷川節 (@keisetuhasegawa) 2018年9月1日
「翁長雄志は命がけでした」 妻樹子さんが語る壮絶な最期(沖縄タイムス) https://t.co/SiwCNy3kMo
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