2018年9月1日 AERAdot. ,週刊朝日 石破茂氏に総裁選から醜聞まで直撃「天地神明に誓い、指一本触れたこともない」 石破茂衆院議員 熱弁する石破茂衆院議員 自民党総裁選は現職の安倍晋三首相と石破茂元幹事長との一騎討ちとなる。首相を決める大事な一戦に挑む石破氏に、政治家としての信条、酒、家族、オンナまでぶっちゃけインタビューを敢行した。──逆風の中、石破包囲網となっても、自民党総裁選に出たのは? 「自分の保身のためだったら、出ないほうが楽でしょう。こんなに無茶苦茶、言われないし、肉体的、精神的にしんどいこともないでしょう。 だけど、誰も何にも言わないのは自民党のためにもならないし、日本国のためにもならない。国会議員20人の推薦を集めないと、総裁選には出馬できないわけですね。どんなに意欲があっても。私には『水月会』(石破派)のみなさんを中心として、参議院平成研究会、ほかにも、心ある人20人以上が応援して下さっているわけです。それなのに、出ないなんていう選択はあり得ないでしょう」 ──石破さんが安倍首相を批判したことに対して、参院の竹下派を率いる吉田博美・参院幹事長からクレームがあったとか、なかったとかいう報道があります。 「直接、伺ったことはありません」 ──吉田さんに一度も指摘されたことはない? 「ありませんが、信頼関係がありますので、どのような点についてもお互いに話をしていけば、必ず一致できると思っています」 ──小泉純一郎元首相や進次郎議員が石破さんを支持するのではないかという見方もありますが。 「それは私があれこれ申し上げる立場にはありません。小泉元総理は多面性のある方ですから、一事をもって語ることはできないだろうと思っています」 ──東京では議員宿舎で生活しているんですか。 「はい、娘2人と暮らしています。2人とも会社員です。彼女たちは総合職に就いていて、とても忙しそうです。帰るのは私のほうが早いときもあるくらい。家内は鳥取と東京を行ったり来たりという生活です。ですから食事は外食がおもですね。もともと家事全般が好きなので、以前、暇だった時は自炊。掃除、洗濯もやっていました」 ──地元の鳥取をルポすると、「石破さんが嫌いでも、佳子夫人が好きだから投票する」という声をよく聞きました。 「ありがたいことです、逆は困るよね。『奥さんが好きだから』という人が多いんですよ。家内は誰に対しても、分け隔てがないからね。私は政治家の奥さんよとか、大臣の奥さんよとか、幹事長の奥さんよとかという思いを持ったことが一度もない人なんだ」 ──政治家の妻をめざしているわけでは必ずしもない、と。 「(笑顔で)ぜんぜん」 ──佳子夫人とは慶応大学の同級生だそうですが、石破さんにとってはどんな存在? 「彼女がいなければ今の私はいない。彼女はものすごく自分に厳しい人ですから、それを見習ってます。総裁選に出るべきだとか、『やめてください。私たち迷惑なんだから』みたいなことは、一言も言わない。そりゃ大変だと思いますが、彼女は妥協とか保身とかが大嫌いなので」 ──電話ではいつもご連絡を取り合っているそうですが。 「できるだけね。疎遠になったり、連絡がつかないと、お互いに不安になったりもしますんでね。気をつけなきゃいけないですね」 ──防衛相時代、石破さんと女性秘書との関係が噂されました。恐縮ですが、奥様に直撃しました。 「それはためにする話です。そんなことあり得ないことは周囲の人たちが一番知っている。それは女性差別にもなりかねないんじゃないですか?そんな関係だったら20数年、彼女は石破事務所にいないし、事務所がもたない。私は秘書たちのプライバシーに関与したことは一度もない。人に迷惑だけはかけてはいかんよということでね。 防衛大臣当時、防衛省改革を手掛けて、現状維持派の人たちから恨みをいっぱい買ったことがあります。それより以前、森内閣で防衛庁副長官を拝命した時、ある大学教授から『あなたは副長官を辞める時には、自衛隊を嫌いになっている。自衛隊のためにと、やればやるほど嫌われて、いろんな怪情報が出て、あなたは嫌な思いをするだろう』と言われたことがありました。なるほど、こういうことなのかなって思いましたね。一方で今でも、『石破さんがんばって』と言ってくれる自衛官、それも、偉い人より曹士クラスの人達がおられます。みんな味方なんて、あるわけがないし、防衛省・自衛隊に限らず、陰湿な文化はあるのだろうと思います。変えたいなと思いますけど」 ──ご友人の片山善博元鳥取県知事に取材したら、『よく出た』とおっしゃってました。 「損なほうに賭ける性分なんでしょうかね。正しいことを正しいと言うために政治家をやっているんで、自分の保身のためだったら、こんな仕事やっちゃいかんですよ」 ──93年、自民党を離党し、新生党と新進党に参加し、97年に自民党に復党なさいました。それが自民党内ではマイナスになっているという指摘もあります。 「政治改革法案をめぐり、自民党が党議決定したことをそのまま貫徹した結果なんです。私たちは若かったせいもあるけどね。昭和61年当選組で、当選3回になっていたけど、3分の2は自民党を出ましたからね」 ──二階俊博・自民党幹事長も自民党を離党し、戻られていますね。 「同期では、今でも無傷で残っているのは園田先生と私だけになってしまいました。連続で11回当選させていただいています。『自民党を出たじゃないか』とか、『おめおめ、戻ってきやがって』とか言われたし、落選した人も一杯います。あの当時、小沢一郎自由党代表こそが真の保守だって、私たちは思ったんだよね。財政の健全性の回復、あるいは憲法の見直し。それを自民党が失おうとしていた。引き継いでいるのは小沢さんだと、信じたんだよね。 だから、それが違ったと気づいた時のショックはものすごく大きかった。総選挙(96年)前、私は新進党として戦おうと、ずっと地元で活動してきた。解散の日、ファックスで新進党から送られてきた公約には消費税は21世紀まで3%を維持、集団的自衛権は認めないという、それまで新進党で私が考えてきたこととまったく違う色が出てきた。 もし、新進党公認でこの公約のもとで戦って議席を得れば、任期中はその公約にずっとしばられる。それで新進党を離党して、無所属で戦うしかなかった。それから自民党に復党した。生涯で最大の挫折でした。でもね、それでもまだこうやって残っている。自民党幹事長も大臣も政調会長も務めさせていただいた。あの時に自民党を出て、落選してそのまま戻って来なかった人達は一杯いる。亡くなった方もいる。そういう人達の無念さや、悔しさを思うと、それはもう、ここで自己保身に走ることはできないんです」 鳥取駅前の石破二郎朗像 ──鳥取にお墓参りに行かれた理由は?
「毎年、機会があれば行っています。父は鳥取県知事や自治大臣を務めました。国会議員としての年数や役職では私のほうが上ということになるのでしょうが、一生かかっても父を超えることはできないと思っています。頭の良さも、他人への思いやりも、自分を律する厳しさも、そのすべてにおいて、一生かけても超えられない親を持った。村の人からは、村長だったおじいさんはもっと偉かったと聞きました。当時は任命されて村長になったから、財政が傾きかけた村に派遣されて、立て直したら次の村というふうな立派な人だった。私が生まれた時にはもう他界していたから、直接には知りません。父親の偉大さというのは死んでからよくわかる。亡くなって37年になりますが、超えられない親を持ったというのは幸せなことだと思う。父の教えはたった一つ。『人に迷惑をかけるな』。これだけ。そういう父だったから、自分は傲慢になりようがない。母の父は内務官僚で、徳島県知事の後、山形県知事になった人。母親自身、知事の家庭で育ったからすごく厳しかった。私が小学一年生の頃、鳥取県庁の秘書課の人が知事公舎に来ていた時に、偉そうな口を利いたということで、母が激怒した。何を言ったかは覚えていませんが、寒い日だったけど、一晩中入れてくれなかった。母は『お前が偉いわけじゃない。お父さんが知事だから、みんなお前に頭を下げるんだ。何を勘違いしているのか』と叱られました。怖かったね」 ──お酒が強いそうですが、最近は控えているのですか。 「なるべく節制するようにしています」 ──ひと晩で一升飲めるということを多少オーバーでしょうが、鳥取の地元の人からは聞きました。 「オーバーではないです。昔は飲みました。飲めますけど、強いから酔うことはあまりないんですよね」 ──酒はストレス発散にはならないですか。 「ならないです」 ──銀座とか六本木でも、ずいぶんと飲み歩いた時期があったようですが。 「六本木なんか行ってないよ」 ──武勇伝もいくつかお聞きしました。 「銀座には飲みに行ってましたよ」 ──六本木のクラブの帰りのエスカレーターでコップの水をかけられたということはありませんか。 「そんなこと一度もありません。まったく一度もありません」 ──銀座は? 「それはもう当時のことだからね。衆議院宿舎で勉強していると、電話がかかってきて、『何を勉強なんかしてるんだよ、飲もうよ、飲もう』と言われて。そんな時代でしたよね。最近はあまり行かなくなりました。六本木なんてぜんぜん行ったこともない。酔わないから、行ってもそんなに面白くない。街で『あ、石破だ』と言われるようになって、あれこれありもしないことを言われ、とうとう、銀座に彼女がいるということにされて、もう懲りた」 ──銀座のクラブの○○○ちゃんというのは彼女とは違うんですか。 「ほら、そういわれる。鳥取出身の女性でしたからね。違いますよ」 ──米子市? 「そうです。どうしてるかなぁ。天地神明に誓って、指一本触れたこともないです。同郷人って親しみがある」 ──石破さんと安倍首相の一騎討ちともなれば、身辺を洗われたりするようなこともあるのではないかと思います。 「どうぞ、なんでも。何か、他に聴いたことがありますか? ○○○さんの話くらいしか、出てこないんじゃないですか」 ──逆風はかなり強そうですが。 「現職の総理を相手に戦うのですから、困難な戦いに決まっているでしょう」 ──以前は総裁選と言えば何人も立候補がいました。 「そうですね。6年前は5人出馬したし、9年前も5人出ましたね」 ──石破バッシングも起こり、自民党に多様性がなくなっているように見えます。 「私は先輩議員から、保守というのは自分に厳しく、他者に寛容なものだと教わりました。多様性や寛容さは、保守の本質の一つです。保守政党である自民党こそが、多様で、寛容でなければならない」 ──それがなぜ、こういう風になったのでしょうか。 「なぜかはわかりませんが、多様性を失った自民党はいつの日か、愛想つかされるでしょうね。そうなる前に、党員の皆さんと一緒に自民党のあり方を問い直さなければならないと思っているんです」 ――安倍首相は「(自衛隊明記などを盛りこんだ)憲法改正案を自民党として次の国会に提出できるよう、とりまとめを加速すべきだ」と主張しています。一方、石破さんの憲法改正案は「憲法9条の『戦力不保持と交戦権の否認』を規定した2項を削除する」という主張です。お2人の改憲論議の報道を見ると、安倍首相のいわゆる加憲案は「穏健」で石破さんの改憲案は「過激」と印象操作されているという指摘もあります。 「憲法9条1項、2項をそのままにして自衛隊を明記するという“加憲論”というのは理屈が通らないし、党内議論での説明もない。どういうことか、と国会で尋ねられた時は、(安倍首相は)読売新聞を読めとおっしゃった。私が言っている「自衛隊を憲法に明記し、9条の『戦力不保持と交戦権の否認』を規定した2項を削除する」という改正案は自民党が党議決定したものです。それを変えるんだったら変えるプロセスが必要で、なぜそれが正しいか、きちんと党内で検証することが必要なのに、それをやっていない。この状態で、『石破は危険な過激派で、加憲案は穏健だ』みたいにいわれるとすれば心外です。テレビ朝日『モーニングショー』にこの前、出演した時、司会の羽鳥慎一さんに『そもそも交戦権って何だと思いますか?』と質問したら、『戦争する権利でしょう』という答えでした。交戦権とは戦いのルールのことで、『無差別爆撃はだめ』とか『相手国に向かう船は拿捕、没収していい』『捕虜は虐待してはいけない』などを定めたものです。ですから『交戦権を認めない』というのは、日本国は実力組織の自衛隊を持っているのに、戦争のルールを認めないことになります。戦争になり、相手がどんどん日本の基地を叩いてくるのに、こちらは向こうの基地も叩けないとすれば、ものすごいハンデになります。それでどうやって日本国を防衛できるんですか?ということなんです。現行憲法制定時には自衛権も認めていなかったのだから交戦権がないのは当たり前でした。自衛権を認めたのなら、交戦権も認めないといけない。そうした議論がないままの憲法改正は意味を失います。国民が今、政治に望むことは憲法改正よりも、経済と社会福祉でしょう。9条改正は国民、野党の理解なくして決してできるものではないので、時間をかけて丁寧にやるべきです」 ──総裁選で安倍首相に公開討論を挑まれています。 「自民党の総裁選びというだけでなく、事実上、内閣総理大臣を選ぶわけだから、国民に対して広く、自分はどういう国を作りたいかということを話す機会は必要だと思います。 候補者が国民に果たすべき責任だと思いますよ。それが自民党のためであり、国家のためです。 現職総理が候補者となる総裁選というのは自民党でも久しぶりだね。小泉元首相の3期目(2003年)以来じゃないかな。現職総理だから危機管理もあるし、警備・警戒も大変だし、外交もある。今までは全候補で全国を遊説してまわっていたけど、今回はインターネットやBS放送も入れて中継という形で討論会というのが、総理の負担も減らせると思う。アメリカ大統領選挙でも、現職であっても公開討論できていますものね。日本でも、今回はぜひ、実現したいです」 (週刊朝日 上田耕司、田中将介) ※週刊朝日オンライン限定記事より、※AERA dot.より転載
|