http://www.asyura2.com/18/senkyo249/msg/576.html
Tweet |
ことしの夏もわたしは軍歌を聴きました。
https://taninoyuri.exblog.jp/29700837/
2018-08-22 10:21 谷間の百合
ことしの夏もやはり軍歌を聴きました。 と言っても、私は森繁さんのうたう軍歌?が好きで、「戦友」「ダンチョネ節」それに歌ではありませんが「戦友別盃の歌」などが好きでした。(なぜか今あとの二つがユーチューブで聴けません。) 森繁さんはNHKの職員として自ら満州への配属を願い出たということでした。 黒柳徹子さんによると、森繁さんはそこでこの世の地獄を見たそうですが、そのことは決して口にすることがなかったということです。 わたしは想像してその心情が少しは理解できるように思いました。 とても言葉で言い表せるものではない、とても人の理解の及ぶことではないという絶望感のようなものだったのではないかと想像しました。 アウシュビッツから生還した人もそういう絶望感を語っていたのを覚えています。 森繁さんは、その言葉では表現できないことをうたに託したのではないでしょうか。 あの飄々とした風情、風貌、飄々とした語り口や歌い方から、とても言葉で言えることではないんだよという森繁さんの絶望感が伝わってくるようです。 「戦友」をうたうとき、森繁さんはおそらく見渡す限り累々と横たわる屍の上を吹き抜けていく風になっていたのではないでしょうか。 総理はゴルフ三昧の休暇を過ごしたようですが、NHKスペシャルの戦争シリーズは見ていないでしょうね。 どうせ何も感じないのだから見ても見なくてもいいのですが。 戦災孤児のことはまだ言葉になりません。 国の宝であるはずの子どもなのに、親を失ったとたんに浮浪児になり、果ては汚いものを扱うように一匹二匹と数えられたそうです。 民間の船、漁師たちも戦争に駆り出されました。 10代の(最年少は14歳)船乗りも多く、そのなかの一人の話でしたが、ガダルカナル島まで行ってそこで餓死したことを生き残った戦友から聞いた母親は妹さんよると気が狂ったようになったということです。 それから母親は死ぬまで食べることが罪のように思えたのではないでしょうか。 弾に当たっての即死ならいい方で、母親にとって息子の餓死や戦病死ほど耐え難いものはありません。 余談ですが、わたしがむかしうたった「ダンチョネ節」のテープが残っています。 うたうことにも音程にも自信がなく、か細い声で飄々ではなくひょろひょろした歌い方がかえっていい感じをだしていますw そのとき、5歳くらいだった一番下の息子がうたった「荒鷲の歌」のテープもあります。 前川喜平さんではありませんが、わたしも軍国少女だったのです。 でも、人間は変わっていくのです。 成長していくのです。 しかし、世の中には変わらない人がほとんどです。 それを「ぶれない」ことだと思っている人とは言葉が通じません。 |
▲上へ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK249掲示板 次へ 前へ
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
▲上へ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK249掲示板 次へ 前へ
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/
since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。