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終戦記念日に吉田裕『日本軍兵士』を読む。
— 志位和夫 (@shiikazuo) 2018年8月16日
戦没者の61%、140万人が餓死。
35万人を超える海没死。
世界一の自殺率と戦場での「処置」(殺害)。
虫歯、マラリア、水虫の蔓延。
靴に鮫皮まで使用した物資欠乏。
他国を侵略した軍隊は、兵士の命を蔑ろにした軍隊だった。
一読をお勧めします。
以下は https://ameblo.jp/otamajax007/entry-12361447493.html から転載。
アジア・太平洋戦争末期「絶望的抗戦期」において
日本軍の兵士の現場はどのようなものだったのか
私たちの「日本軍兵士」像を一新し
戦場での兵士の実像に迫る渾身の著書
日本軍兵士 ― アジア・太平洋戦争の現実 (2017)
◆著者 吉田 裕 (1954〜)
◆出版 中公新書 (2017)
この「日本軍兵士」が、他のアジア・太平洋戦争史と大きく異なっているのは、日本軍兵士の日常生活、日々の身の回りの物事を具体的に、現在の私たちにもイメージできるように書かれている点です。死者数何名、疾病者数何名という数字に抽象されない、日本軍兵士の具体像が描かれています。
これを読むことによって、アジア・太平洋戦争における日本軍の特異性が浮き彫りになりますし、さらに敗戦は必然であったことが分かります。もう少し言えば、ほとんど自滅であったことが。
著者の吉田裕は以上のことを行う場合に必要な視点として、「兵士の目線」を重視し、「死の現場」に焦点を合わせて戦場の現実を明らかにすること。従来ほとんど取り上げられることがなかった兵士の身体をめぐる諸問題、被服、糧食、体格の問題、メンタルな面も含めた健康や疾病の問題にも目を配ることを方法として選んでいます。
さらに、「帝国陸海軍」の軍事的特性が「現場」で戦う兵士たちにどのような負荷をかけたのかを具体的に明らかにすることも、問題意識としてもっています。
吉田裕はこの本で、アジア・太平洋戦争の時代区分を次のようにしています。
第1期 戦略的攻勢期 開戦〜1942年5月
第2期 戦略的対峙期 1942年6月〜1943年2月(ミッドウェー〜ガダルカナル)
第3期 戦略的守勢期 1943年3月〜1944年7月(ガダルカナル〜マリアナ沖海戦)
第4期 絶望的抗戦期 1944年8月〜1945年8月
「日本軍兵士」では主としてこの第4期「絶望的抗戦期」における日本軍と兵士の現場での状況を描きだします。
第1章「死にゆく兵士たちー絶望的抗戦期の実態T」
ここではまず、絶望的抗戦期における兵士たちの死は、戦闘によるものよりも、はるかに膨大な戦病死と餓死によるものが多かったことが描かれます。
日中戦争以降の日本の戦死者は約230万人。しかし、その内で栄養失調による餓死者、栄養失調にともなう体力の消耗の結果、マラリアなどに感染して病死した広義の餓死者の合計は140万人(全体の61%)に達するということ。
これは内外の戦史に類をみない異常な高率です。
これらは絶望的抗戦期においては、制海・制空権を喪失し、各地で日本軍の補給路が完全に寸断され深刻な食糧不足が起こったことが原因です。
その他にも、この時期における兵士たちの死因の多くは、「海没死」=「溺死」であり、戦果をあまりあげられなかった「特攻死」であり、世界の軍隊の中でもっとも高率であったという「自殺」等が挙げられています。
また、飢餓が深刻になると、現地民家での強奪や果ては人肉食などに至ります。
私たちはなんとなく、日本の兵士はお国のために戦闘で華々しく玉砕していったというようなイメージをもっていますが、この本では、日本軍兵士に対するそうした幻想を廃棄して兵士の現実に迫ります。私たちの日本軍兵士の「死の現場」のイメージに対して、史実でもって変更を迫ります。
第2章「身体から見た戦争−絶望的抗戦期の実態U」
この時期においては、次第に戦況に即応する兵士の数が不足してきたために、これまで徴兵検査では補充兵とされていた者も、即戦力として現場に投入されるようになります。つまり、やや体力の劣る者、年配者、病弱な者等が兵士となります。
そのために起こってくることとして、吉田さんは身体に着目して、軍隊の実態を描きだします。
結核の拡大、虫歯の蔓延、その原因としての栄養不良等。
また、精神面での歪みも多発してきます。
激しい戦闘が兵士たちの精神状態に与えるダメージには深刻なものがありました。
突然の発狂、被害強迫妄想、幻視幻聴、注意の鈍麻、先鋭な恐怖、拒食、自傷等々の精神疾患=「戦争神経症」が、戦況の激化とともに膨れ上がっていきました。
そうした精神的な歪みの原因である戦争疲労を緩和するために、覚せい剤のヒロポンも使用されるにいたります。
また兵士の身体に関連したこととして、被服、装備の面も取り上げられています。
ここでもまた、私たちは日本軍に対するイメージに変更を迫られます。
被服、軍靴がどんどん劣悪化していきます。
つぎはぎの軍服(それさえもなく現地の人の服を着ていた者もいた)、鮫皮でできた軍靴(海外依存度の高い牛、豚などの不足による。水が透過してしまう)、場合によっては軍靴そのものがなく、布を足に巻き付けたり、草鞋(わらじ)をはいていた者もいたといいます。
第3章「無残な死、その歴史的背景」
こうした「絶望的抗戦期」の軍隊の状態を招いたものとして、「短期決戦」「極端な精神主義」などを挙げています。
つまり、短期的な見通しだけで、一気に敵をせん滅するという作戦が先行しており、長期的な見通しのないままに戦争を拡大してしまったこと。そして、白兵主義(つまり陸上戦での対峙と突撃精神)によって、対立している米英などの戦力に十分な対応が取れなかったことが挙げられます。
また後発資本主義国のために、機械化が遅れていたことも一因として挙げられます。
米軍が武器や兵員の移動にトラックを使い、飛行場を開設するのにブルドーザーを使っていたときに、日本軍は移動用には軍馬を用い(熱に弱い馬は南方では使うこともできない)、人力を主体としていました。
また、各個人が持ち運ぶ装備も、鉄帽(ヘルメット)、背嚢、雑嚢、シャベル、天幕(テント)、小銃、弾薬入れなどがあります。それは兵士の体重の40〜50%にも及びました。つまり55キロの兵士の持ち運ぶ装備が30キロほどになり、ひどい場合は、自分の体重とほぼ同程度の重量の装備を運ぶことになりました。
これにより、さらに兵士の身体の疲弊は進むことになりました。
通信機器の発達も遅れていたため、上部と下部、各部隊間の連絡が十分にとれず、各部隊が自己判断で戦略的な行動もとれない状態でした。それに対し、米軍は小型で性能のよい通信機を持ち、統制の取れた戦略的行動をとれたのでした。
以上のような日本軍兵士のほとんど自滅的な状況を、この本は詳細な資料を基にして描き出していきます。上記のこと以外にも、ここにはもっと多面的な記述が溢れています。
このようにして、日本軍は戦争の長期化にともない、もはや戦争を続けられない状態にありながら、それでも無理をして戦っていたのです。
そして、その背後には精神主義や楽観的な観測や上層部の場当たり的な方針の間違い、資本主義国としての遅れ、原料依存国としての自覚の不足などがありました。
状況に対する楽観的観測、上層部の場当たり的な方針の間違い、そして他国への依存などは、今現在のこの国の在り方にも関わってくる、持ち越されている問題ではないかと思います。私たちは、アジア・太平洋戦争の教訓をしっかりと自分のものにしなくてはなりません。
そうした点で、この本は触発するものを多くもっています。
この本を読むことで、私たちは日本軍兵士に対する見方を大きく書き換えられます。
私たちは、アジア・太平洋戦争について、いかなる幻想も持たずに、実相に迫る必要があると思います。こうした戦争や兵士の賛美を排した、戦争の現場をリアルにとらえた書物が今後も書かれることを望みます。
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