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7月 31, 2018
<諫早湾干拓事業(長崎県)の堤防排水門の開門を命じた確定判決をめぐり、開門を強制しないよう国が漁業者に求めた訴訟の控訴審判決が30日、福岡高裁であった。西井和徒裁判長は国の請求を退けた一審・佐賀地裁判決を取り消し、「確定判決の強制執行を許さない」として漁業者側の逆転敗訴の判決を言い渡した。
高裁は、開門を履行しない国に科せられた1日90万円の間接強制金(罰金)の支払い停止も認めた。
干拓事業と漁業被害の因果関係を一部認めて国に開門を命じた2010年の福岡高裁の確定判決が、執行力を失って「無力化」することになる判断で、漁業者側は上告する方針。
一方、13年の仮処分決定で開門禁止の義務も負う国は、相反する司法判断の「板挟み」から実質的に解放される。国がこれまで支払った約12億円の強制金の返還を漁業者側に求める可能性もある。
控訴審では漁業者の共同漁業権が争点となった。漁業法の規定では、共同漁業権は10年ごとに免許を得る必要がある。高裁は、確定判決の訴訟時に漁業者が持っていた漁業権は03年に免許を得たもので、13年に消滅したと指摘。現在の漁業権とは法的に別のもので、開門を求める権利は漁業権の消滅とともになくなったと判断した。
漁業者側は「現行法は漁業が継続する限り、権利も継続するよう制度設計されている」と主張したが、高裁は退けた。
国は強制金の支払いを免れるため、14年に確定判決の強制執行をしないよう求める請求異議の訴えを佐賀地裁に起こした。法務省によると、国が敗訴した確定判決について請求異議の訴えを起こすのは極めて異例。一審は国の請求を退け、国が控訴していた。
高裁は3月、開門せずに水産資源の回復をめざす国の基金案を軸に和解協議を進める方向性を示したが、漁業者側は応じず、和解協議は決裂した>(以上「朝日新聞」より引用)
国家による横暴は一旦動き出したら止まらない、という格好の例だ。もちろん国家権力にピタッと寄り添うのは裁判所の司法権だ。
諫早湾干拓事業で湾が有明海から切り離され、ギロチンが門扉として有明海にドミノ倒しのように打ち込まれた映像は今も脳裏に鮮明だ。豊饒の海を殺してまで農地を広げる必要があるのか、と当時疑問に思った記憶がある。
高裁判決で地裁が下した住民勝訴判決を覆す国側勝訴例が多過ぎはしないだろうか。原発再稼働の停止を求めた判決でも確か同様の経過をたどったと記憶している。
しかし今回の福岡高裁判決は余りに酷い。干拓事業と漁業被害の因果関係を一部認めて国に開門を命じた2010年の福岡高裁の確定判決が、執行力を失って「無力化」することになる判断とは一体なんだろうか。同じ高裁が時間の経過により判断が全く逆になるとは日本の司法とは一体何かと疑問に思わざるを得ない。
そもそも諫早湾淡水化事業は必要だったのか。諫早湾を干拓しなければならないほど農地が不足しているのだろうか。それなら農水省はなぜ減反政策を実施したのだろうか。
日本の農業政策は「ノー政」といわれて久しい。場当たり的で一貫性がないことから「猫の目行政」とも揶揄されてきた。しかし場当たり政策に振り回される漁民は大迷惑だ。
「偉い先生」が諫早湾を仕切っても漁業に問題はない、とお墨付きを与えて諫早湾仕切り事業は推進されたのだろう。そうした行政に都合の良い論理を展開する御用学者はゴマンといる。原発行政でもそうだった。
諫早湾を仕切った影響は漁獲量の減少に出ている。干潟や藻場を一瞬にして切り取る「諫早湾淡水化」が漁業に影響を与えないわけがない。素人が考えても判ることだ。
政府や行政が「カラスは白い」といえば司法も「カラスは白で正しい」と判断を下す、というのでは国民の人心は国家権力から離反するだろう。そうした恐ろしいことを司法が行っている、という認識が当の司法の府にないとしたら、事態は極めて重大だ。
マスメディアのみならず「司法よ、お前もか」とシーザーの心境にならざるを得ない。
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