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読売がスクープ報道した開戦前夜の東条発言メモが意味する事 天木直人
http://kenpo9.com/archives/4016
018-07-23 天木直人のブログ
きょう7月23日の読売新聞が一面トップでスクープ報道した。
日米開戦前日の1941年12月7日夜、東条英機首相が政府高官に対して開戦について語っていたメモが発見されたというのだ。
そのメモとは、当時の政府高官である湯沢三千男内務次官が書いた便箋5枚のメモであり、東京・神田神保町の古書店主が、交流のあった湯沢氏の遺族から、9年前に入手した遺品の中から見つかったという。
そのメモのポイントは、12月7日の昼に東条が、開戦当日の予定を昭和天皇に説明した時、それまで開戦に反対していた昭和天皇が、「一旦決シタル後(筆者註:12月1日の御前会議)ハ悠々トシテ何等ノ御動揺ナク」との様子だったと述懐しているところである。
そして、その夜東条はこの昭和天皇の「決意」に高揚し、微醺(ほろ酔い)状態で「斯クノ如キ状態ナルガ故ニ既ニ勝ッタ」と発言していたところである。
このメモの歴史的評価は、これから歴史学者によってさまざまな形で下されるだろう。
私は特に保阪正康氏の評価を知りたいと思っている。
彼は東条の家族から、開戦の二日ほど前の夜に、東条が深夜ひとり寝室で皇居に向かって手をついてさめざめと泣いていたという証言を得ていたことを聞き語っていたからである。
あの涙は一体何だったのだろう。
開戦を避けられなかった事について、開戦に反対だった昭和天皇に詫びていたのだろうか。
しかし、開戦前日に開戦当日の予定を昭和天皇に説明したら、その時の昭和天皇はもはや冷静であり、開戦を決意されていた事を知って、安心し、高揚したということなのだろうか。
そう考えればつじつまが合う。
私がこの読売新聞のスクープ記事で注目したのは、編集委員の沖村豪氏が書いている解説記事の次のくだりだ。
「・・・来月(8月)73回目の終戦の日を迎えるが、310万人の犠牲者を生んだ戦争の検証に終わりはない。無謀な日米開戦の前夜、時の指導者が語った言葉を読み解くことは、昭和天皇の思いをよく知る天皇陛下(筆者註:今上天皇)が訴えられる『先の大戦の反省』を深める上でも意義がある」
驚くべき大胆な解説だ。
暗に昭和天皇の戦争責任を認め、その負の遺産を克服すべく天皇陛下は反戦に努められて来た、その事に我々は思いを馳せなければいけないと言っているのだ。
きょうの読売新聞のスクープ記事を読んで、天皇陛下はあたらめて国民に問いかけたいと思われている違ない。
象徴天皇としての自分の務めは、憲法9条に従って二度と戦争を繰り返さないことだと思うが、それでよかったか、国民はどう思うかと。
われわれ国民は、そのお言葉に答えないまま、そして天皇陛下は二度と国民に語りかける機会のないまま、天皇陛下は来年4月末に退位される。
その前に、私は記者会見を開いて、新党憲法9条を掲げて来年の国政選挙に名乗りを上げる事を表明するつもりだ。
お言葉に答えた国民がいたという事を伝えるためにである(了)
東条首相、開戦前夜「勝った」…対面の高官メモ
https://www.yomiuri.co.jp/national/20180722-OYT1T50129.html
2018年07月23日 06時00分 読売新聞
東条英機
日米開戦前日の1941年12月7日夜、東条英機首相が政府高官に開戦について語った内容が、メモとして残っていることがわかった。東条はこの日昼、開戦当日の予定を昭和天皇に説明したことにも言及。戦争に反対していた天皇が開戦を決意し、軍が一致して行動する状況になったことで「すでに勝った」と発言するなど、太平洋戦争に突入する前夜に高揚する東条の胸中を初めて伝える貴重な史料だ。
メモは、当時の湯沢三千男内務次官(1963年死去)の遺品から見つかった。東条の言葉を便箋5枚に書き残したもので、「十六年十二月七日(日曜日) 午後十一時二十分」との日時も書かれている。
昭和天皇は主戦派の陸軍を抑えるため、41年10月、陸相の東条に組閣を命じ、外交交渉で戦争を回避する検討も求めた。だが米側の最終提案「ハル・ノート」が届き、交渉を断念。12月1日の御前会議で開戦を最終決定し、8日未明、米ハワイの真珠湾を攻撃した。
(ここまで401文字 / 残り729文字)
東条首相、開戦前夜「勝った」…対面の高官メモ : 読売新聞
— kous37(Kosuke Hotta) (@kous37) 2018年7月23日
https://t.co/aJEs2nigxE 目の前の問題が解決した嬉しさで希望的観測に走ってしまう人だったということなのかな。
いろんな描かれ方をされてきた歴史的な場面だけど、この史料には東条英機の性格がよく表れていると思う。
— 斉藤久典 (@saitohisanori) 2018年7月23日
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— モゲ (@LLpYIhYeClSRxOz) 2018年7月23日
東条首相、開戦前夜「勝った」…対面の高官メモ : 読売新聞
— 涼風紫音/圧縮 (@sionsuzukaze) 2018年7月23日
https://t.co/R0MOaX7eV5 「戦争に反対していた天皇が開戦を決意し、軍が一致して行動する状況になったことで「すでに勝った」と発言」まこと内を向いて戦争やってた感あるな。このメモ全文公開して欲しいなぁ。読みたい。
「すでに勝った」と本気で思ってたみたいだけど、「すでに負けてた」んだよね。国のトップがこれなんだから、亡くなった人達は浮かばれないわ。 / 東条首相、開戦前夜「勝った」…対面の高官メモ:読売新聞 https://t.co/eamDAFQWUl
— りゆ (@riyu1104) 2018年7月23日
人間の思い込みは恐ろしい。この決断によって、軍人、民間人を問わず数え切れない人たちが想像を絶する悲惨、痛み、苦しみ、悲しみを経験することになったことか。歴史から学ばないのは愚かなことだ。
— men (@koike_rahmen) 2018年7月23日
東条首相、開戦前夜「勝った」…対面の高官メモ https://t.co/3sZdW9tVpV
同時代の人ではないので東条さんに恨みはない。負けると思っていなかったこともわかる。それでもやはり、現状を分析することができなかった人だと思っている。トップがアホだと民が苦しむ。為政者よ、よく学べ。
— ぷきすい (@pookie_sweetie) 2018年7月23日
東条首相、開戦前夜「勝った」…対面の高官メモ(読売新聞)https://t.co/rygEecIqVA
メモであったとしてもこうして残る事で様々な検証が出来る。その意味でも現代の公文書のあり方は疑問だらけ。全て保存が大原則でメモ類も全て保存すべき。都合悪くても、だ→東条首相、開戦前夜「勝った」…対面の高官メモ(読売新聞) - Yahoo!ニュース https://t.co/UNCKN9Tmcv @YahooNewsTopics
— 竹内了 (@alfons1959) 2018年7月23日
東条首相、開戦前夜「勝った」…対面の高官メモ : 社会 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)https://t.co/5dXeXRhAbJhttps://t.co/xiiW084OFm
— はてブ(users100)エントリー (@hatebu100) 2018年7月23日
日米開戦前日の1941年12月7日夜、東条英機首相が政府高官に開戦について語った内容が、メモとして残っていることがわかった。東条はこの日昼、開戦当日… pic.twitter.com/f0dtonE9Kv
【大東亜戦争、開戦前夜の昭和天皇と東条首相】
— 佐久市長 柳田清二 (@Seiji_Ya) 2018年7月23日
開戦の決定の見方は複数あった。
“陛下が反対されても、開戦に踏み切るつもりであったことを東京裁判で証言する”
“陛下が決断されたことに従った”
読売新聞を読むと開戦を決意した陛下が何の動揺なく、その様子に首相が感激している様子が覗えます。 pic.twitter.com/reEgMtbnlL
— しゅう (@fwhx4692) 2018年7月22日
本日の読売新聞より pic.twitter.com/I34cX4NSOC
— しゅう (@fwhx4692) 2018年7月22日
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