http://www.asyura2.com/18/senkyo248/msg/140.html
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小生2011年から本ウエブサイトで断片的に「日本の市民の皆様へ」と題し一市民が3.11以降日々直面する苦しみとその社会的な背景を記載し続けて来た者です。やっとこの社会問題に対して何とか自分なりに納得出来る結論付けをする事が出来、そして最終の投稿を通して心のケジメが付いたと思っております。しかし何と言う世の中になってしまったのでしょうか?
お母さんのおなかの中にいる小さな胎児がこの世に産まれて来る事を自ら選択した結果、彼らや彼女らが赤ちゃんとしてすくすくと育ち、幼稚園小学校で元気に遊ぶ様になる微笑ましい姿。しかし今は親の暖かい懐のもとで全ての子供達が健全と真直ぐに育つのが当たり前で無くなって来てしまった時代。この現代の日本が、如何に人が人間らしく生きられない世の中になってしまったとのかと言う問いを発したい。その結果の必然として子供にも受難が容赦なく降り懸かって来ている昨今。どうしてこの様な殺伐とした社会風潮となってしまったのか?主な理由は二つある。最終投稿に記載しますが、まず自分でこれらの理由を考えて!
と言う訳で、日本の市民の皆様へ-その2 2012年1月22日の再投稿となります。
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前回の投稿"日本の市民の皆様へ"に引き続き([1]参照の事)第2回目の投稿となり
ます。取り敢えず目次をどうぞ。題名としては、眼の前の出来事へのアプローチ法とでも言いましょうか。眼の前の撒き散らかされた放射能の事を議題とします。ちょっと長い文なのでまず水を沸かしてお茶かコーヒーを入れてこれをすすりながら読み進める事をお勧めします。もし時間が無い場合は8章から読んで下さい。
1.東京電力の不思議
2.磯の香り獣の匂い
3.最大多数の最大幸福
4.教科書の中の危機管理
5.統計中の1サンプルと言う運命、そして忘却され
6.より根源的な事へ
7.恣意的な誘導、意図的な解釈
8.眼の前の事と向き合う(言葉或は知識、そして現象の認識とのギャップ)
9.心の中をマッサラにして(努力して)
10.今 - まず出来る事、その2
11.今回の投稿の最後に
1.東京電力の不思議
判らない、どうしても判らないのだ。北海道から九州まで東京電力以外すべての電力会社にはその地方の名前が付いている。どうして東京電力だけが違うのか?判らない、これも又判らないのだ。何故東京電力はこれほどまでも強欲で、ケチなのか?そんな訳で以上の不思議を調べるため色々とGoogleしてみた。まず分かった事は:日本に於ける電力産業の黎明期に各電力会社が此れ程、悪どい事をやって生き抜いて来たとは知らなかった。この様な記述をウェブで見つける。
『(中略)
この結果、大正時代になると、日本には5大電力会社が誕生しました。東京電灯、東邦電力、大同電力、日本電力、宇治川電気ですな。で、この5社でさらに「電力戦争」と呼ばれる苛烈な戦いが勃発します。たとえば九州北部、近畿、中部に及ぶ事業エリアを誇っていた東邦電力(「電力王」と呼ばれた松永安左エ門が社長)は、本社を東京に設置。昭和2年、子会社の東京電力(投稿者注:ウィキペディアでの日本最大の喧嘩"鶴見騒擾事件"の記述に"現在の東京電力とは別、通称「東力」"と有る)を使って、東京電灯の事業エリアに乱入します。わずか1年ほどで、90万の電灯と12万6000kWの電力を奪取。これで東京電灯とのダンピング競争が始まるは、鉄道省や東京市への政治工作、郊外列車や発電所の奪い合いなど、めちゃくちゃな戦いが起こりました。東京電灯が名古屋進出をもくろむと、今度は関西の日本電力が京浜工業地帯に侵入(昭和4年)。東京電灯は紳士同盟を結んでいた中部・関西の大同電力(福澤諭吉の養子である福澤桃介が社長。こちらも「電気王」)とより強固な同盟を結ぶものの、すぐに顧客の奪い合いで泥沼裁判闘争が始まる……といった感じです。こうした大戦争は、単純な民間企業同士のシェア争いという側面もありましたが、その影には、もちろん当時の政治状況が絡んでいます。上記の日本電力の東京進出は、昭和4年に田中義一内閣(立憲政友会)が倒れ、浜口雄幸内閣(民政党)が成立したことで起きました。日本電力は民政党と仲が良く、わざわざ大同電力との合併話を蹴って東京進出したのでした。』ちょっと長くなりましたが[2]より引用させて頂きました。又"鶴見騒擾事件"に関しては[3]参照の事。何か6大電力会社に刷り込まれている社風と言うか文化の遺伝子がこの頃から培われていたと確信する。政党と仲良しだし生き残りの為には手段を選ばずと言う事に関しては他企業とは比較にならない程抜きん出ていますね。特に[3]は政治と利権の(親分子分と言う社会の関係も)歴史が学べる読み物です。更に東京電力の歴史を紐解いて行くと"電力の鬼"こと松永安左エ門の存在を抜きにして語れないのが判る。武骨な男である。こんな男が日本に居た事に驚く。次の引用は[4]参照の事。この中の記述に
『(中略)
安左エ門は東京に進出し、それを足掛かりとして、電気事業の全国制覇を目指していたのである。その行動の第一歩として、静岡県、山梨県に発電所を持つ早川電力を傘下に収め、続いて、群馬水力を手に入れて、大正14年3月、両社を合併して東京電力を設立し、安左エ門は、その副社長に就任した。この東京電力を拠点にして、周辺の電力会社を合併しながら、だんだん勢力を拡大していった。当時、東京電燈は「東電」、東京電力は「東力」と呼ばれていた。東力は、東京の南部から北部にわたる外輪線を建設して東電包囲態勢を築き、昭和2年1月1日を期して、本格的な供給攻勢を東電にかけて、ついに両社は需要家争奪戦で激突した。当時は、東京電燈は政友会派であり、東邦電力は憲政会派であった。憲政会内閣のときに、東力が東京の南部の供給権を手に入れれば、政友会内閣のときには、東電が名古屋市内のど真ん中に名古屋営業所を開設するなど、政治も絡んだ大抗争に発展していった。
(中略)
銀行は多くの資金を両社に出している。抗争が長引き、どちらかが大きく傷付くと、銀行にとっても責任問題になる。ついに三井銀行の池田成彬が提案者になり、金融界の主だった人たちの申出によって、昭和2年12月に東力は東電に合併した。それによって、東邦電力は、東京電燈の大株主になり、安左エ門は、東京電燈の取締役に就任して、実質的に東京進出を果たした。続いて昭和3年5月には、安左エ門は東邦電力社長に就任した。』とある。この引用[4]及び文献[5]は電力の国家管理の問題が議論されていて、非常に示唆の多い読み物である。以上色々調べてみた処、「東電」と「東力」が合併し東電と言う名前が残った事が分る。東京電力の社名の歴史とその社風の遺伝子は少しは紐解けた様な気がする。
しかし、此処まで調べて来て大局的に物事を見始め出したら私の中でどうしても判らない疑問が生じてきたのだ。どうして原子力発電所の事故は予見されていたのに、我々市民はこの事に気が付かなかったのか?それとも3.11以前、原子力に反対する人々の声は何ゆえ、圧倒的多数の私達市民に届かなかったのか?双方の力が足りなかったのだろうか?今振り返って見ると3.11以前は0.01%の原子力の正体を覚醒していた、しかしながら過激な反対派とラベル張りされた人達と99.99%の原子力の本質の事を不覚醒であったと言う事を知らなかった我々市民がいたのである。なぜこう言う事態が長らく続いていしまったのだろうかを3章の"最大多数の最大幸福"にて少し触れてみたいと思う。
皆様に御願い。この投稿を読むに当って放射能は安全か危険かと言う見方を採らないで下さい。まず自分の頭の中からは放射能と言う言葉と知識も捨て去って、この眼の前のこの現象にマッサラな状態で向き合って見て下さい。核分裂や原子と言う言葉も忘れ去り、その放射能と言う物事と特性を、単に物が時間と共にバラバラに壊れて行くのだと心で理解して下さい。自分の中のその認識から、まず最初の一歩が始まると心して下さい。
2.磯の香り獣の匂い
ところでもし貴方が年配の方であったとしたら、日本が古里の集合体であった時の思い出が、皆さんの心の中に刻まれているかと思います。NHKの新日本紀行と言う水曜夜10時から始まるTV番組が有ったのを御存知だと思います。富田勳の勇ましくも(まるで1日の始まりの徴、日の出の様な)しかしその後に続く切なくもある曲で始まる番組でした。こういう時代が有ったんですよね、このちっちゃな日本で。[6],[7],[8]参照の事。新日本紀行の時代に生きていた日本人は生活者であり、懸命に子供を育て、家族を守り、地域に生きて来た人達と思う。この時代を生きてきた人にとってこのテレビ番組を通して自分達の姿を、多かれ少なかれ漁業農業林業を生業にし、高度経済成長期の工業化の波に翻弄されながら懸命に生きて来た共同体の中一員として見い出していたのだと思う。
その一方、大都市に住んでいると判らないでしょうけれども原子力発電所が在る所の近くには十中八九磯の香りに包まれ、海の幸に恵まれた魚の匂いのする漁業の街が在るんですよね。福島第一第二原子力発電所の近辺には小さな漁港しかない。大きな漁港としては相馬市に有る漁港か。福島より少し遠い所では例えば宮城県牡鹿郡の牡蠣は有名だが、宮城県牡鹿郡女川町には東北電力女川原子力発電所が建っている。そこの地元で漁業を生業とする方々は、綺麗な海とホタテ、牡蠣、サンマ等の漁業、つまり自分達の生活基盤と、そして愛おしい、最も大切な家族と子供を守る為に原子力発電所の立地に対する反対を1969年から続けて来たと言う。[9]参照。自分達の住む場所、古里と再生可能な資源としての漁業を守る為に勇気を持って原子力発電に反対の声を挙げたので或る。母なる海からの賜物が汚れてしまってからでは遅いのだ。その中で自分たちの慎ましいながらも幸せな生活が犠牲になる様な原子力の事故を予見し、もし放射能汚染事故が起きたら汚れた物を食べなきゃならないんだよと、それこそ不転退の覚悟を決め、反対の声を発していただろうと思う。しかしながら多勢に無勢と言うか、歯を食い縛りながら時代の流れにあがなって行こうにも、彼らの反対の声は圧倒的多数の沈黙の中に飲み込まれてしまった。原子力エネルギーの本質に無関心であった沈黙の主我々市民の責任だろう。狭き地域の中の漁村の中で大きなスケールでヨコに繋がる力が弱かったが故力足りず敗北してしまったと彼らを非難する訳には行くまい。その一方原子力に反対する漁師の人々を過激な人々と言って地域の中で村八分して行く。又同時に原子力エネルギーの賛成派、反対派と地域が色分けされてしまい兄弟ながらも仲が悪くなってしまったと言う話も在る位だそうだ。しかし眼の前を大きく見れば、この豊かな自然に恵まれた日本の農業漁業林業は"まだ"再生可能な資源で在ると言う事は何事にも替えられぬ事実だ。それを守る事が、過激な運動と非難されるのであったのなら、日本の食料自給率が限りなく0に近ずいてしまうだろう。ずっと以前に私達市民は彼らの言葉に真剣に耳を傾けるべきであった。例えば"安全だったら東京に原発を建てろ"と言う言葉を言われたのは宮城県女川町漁民の方々だと言う。少し調べたら、多賀井公平さんと言う漁師の方が仰られたと言う。『だいたい電気を使うのは東京なんだよ。おれたちは電気なんて大していらないんだ。夜は早く寝るし、クーラーも入れないしよ。東京の電気は東京で作ってくれよ。女川や柏崎や下北を犠牲にするのは、それはよくないぜ。そういうのを差別とか搾取っていうんだろう。原子力はクリーンで安全なんだろう。霞ヶ関とか皇居で10年20年とか発電してみてよ。それで具合いいようだったらおれたちも考へてみるからよ』[10]参照の事。断っておくが女川原子力発電所は東北電力の発電所であり、今回の福島県を中心とした放射能汚染の事故を引き起こした東京電力の所管ではない。だが今回の海への放射能汚染を見れば汚染源が何処に在ろうとも漁業に多大影響を及ぼす事には変わりないのが判るであろう。
日々無限の海の幸を相手に額に汗し、体から発する己の獣の匂いを隠そうともせず、海からの幸の収穫を悦び、酒を仲間と交し又家族を養い子供を育てながら魚の匂いと磯の香りの中で暮らして来ている人々。人間として直感的に原子力の全体像を看過できていたのである。この前例をまるで再確認するかの様な社説が最近あった。12月13日付けの中日新聞の地球の温暖化の問題を論じた社説"全員参加、次はスピード ポスト京都は2020年"にこの様に記載されている。[11]参照の事。残念ながら以下の指摘は既存の事実なのである。
『(中略)
温暖化はもはや、見えない敵ではなくなった。‘目の前に危機はある’
生き物には、自らの危機を察知し、それを回避する能力が備わっているはずだ。人間だけがその本能を失いつつあるのだろうか。』
日常生活の中で携帯電話などの機械を操作する単なるオペレータとして生きる、又危険を察する本能を忘れ去ってしまった、或は己が獣の匂いのする人間である事を忘れてしまった、都会に住む"差別とか搾取"に無関心な人間の方が圧倒的多数居る事実がこの社説への答えである。
女川町の漁師さん達の予見が、最大多数の最大幸福の声にかき消されて現実となってしまった事に対して貴方は一体何を思うのか。しかし確かな事は私達市民が過去行って来た原子力に対し無関心であると言う行為の積み重ねによる帰結と言う事態に今我々は直面しているのである。つまり覆水盆に帰らず、放射能原子炉に帰らずという帰結を生じてしまったのである。彼ら女川の漁師は女川町の東北電力の原子力発電所の建設を反対する一方で、大きな気持ちで今回の様な放射能汚染事故を覚悟していたのだと思う。事故が起きた時には放射能汚染した地元の海で採れた海産物を涙を流しながら食べるしか選択の余地はなかろうと。何故ここに?原発を建てる?東京ではなくて?不条理?そして自分たちの力が及ばずに原子力を許してしまった敗北の歴史と、今福島の同胞市民が直面する放射能汚染の実態に涙していると思う。経済の成長期における"国策としての原子力"に反対と言う声を挙げるのがどれだけ勇気のいる事であったろうか。遅きに失しているが、彼ら女川の人々をとても勇気ある方々と言いたい。しかし放射能汚染で生業を破壊されてしまった漁業や農業を営む市民の悔しさ、怨念の気持ちが社会の表面に出てこないのは何故なのか?非常に不思議である。この期においても差別されているのか?
この多賀井氏の言葉の行間を見ると、原子力発電と人間との関係を改めて考えさせる。放射能は小さすぎて見えない、匂わない。だからクリーンと言い放つ、この人間の五感の限界に付け込んで来た組織達。今回の放射能汚染事故でもこの五感の限界に乗じて多かれ少なかれ人々自らの遺伝子を傷付ける事を強要している。改めて放射能の前に人間は裸である、と知るべし。放射能は見えない事(認識できない)故、その危険性を予見すると言う人間の能力を行使する事が出来ないのである。又眼の前におこりつつある放射能汚染の拡散と生態系の中の生物による濃縮を見ようとしない人間が圧倒的多数この世にいると言う事。多数の市民は原子力の事など3.11以前、無関心で過ごしながら生を享受してきたが、3.11以降喉元過ぎれば熱さも忘れるのだろうか、健康被害を恐れる事が日常になってしまった事にもまるで無関心であるかの様である。このままの状態即ち現状(目に見えない放射能汚染が日常生活の中に確実に増加してしまった状態)維持でOKと思っているのであろう。
おいオッチャン達、美しくも古き良き日本の古里が東京電力の傲慢さの結果によって不条理にも、けがされてしまったのだよ!どうして彼らに対し怒りの声を上げないのか?ガッツあるのか?それとも魂抜かれて、怒る本能をなくしたのか?
3.最大多数の最大幸福
先日11月20日付け東京新聞にこんな記事があった。[12]参照の事。
『(中略)
原発反対を訴え徒歩で旅をする男性を取り上げた同年四月十四日の佐賀新聞の記事には「目立ちたがりの行動をなぜ写真入り、三段抜きで報道するのか。勝手な反対派を勇気づけるだけで、社会の大多数のための政策の推進を阻害する」と報告した。...』
原子力を国策として推進する人々がどの様に日本の国民を捉えているのかハッキリと判る言葉である。多賀井氏の言葉ではないが、"差別とか搾取"のエネルギー政策の上に都会の市民は自分たちの幸福を築いてきた訳であるが - 別の言い方をすれば、他人の痛みが分らずに - 一転今回の過酷事故の様になれば、いかなる日本の市民も尺度の幅はあるにせよ、自分たちの築き上げてきた幸福がものの見事に打ち砕かれてしまうと言う事実を否定できる人はこの日本には居るまい。原子力教とでも言うべきか。無限できれいなエネルギーと言うスローガンを下界に住む市民の頭の中へ刷り込み学習させ、又市民の為に最大多数の最大幸福を実行していますよ!と。その裏腹に自分達の特権(例えば天下り先)を確保して行く(まるで何処かの宗教団体と変らない)原子力霊山に有る原子力神殿の傲慢不遜な面々。生まれながらにして、他人の痛みが分らずとでも言おうか。そして我々は彼らを無関心という行為を通して支持して来た市民であった事を自覚すべき時でないだろうか。原子力とエネルギーに関しての無関心と言う行為の結果、即ち放射能汚染と言う帰結、の代償を我々市民は将来に渡って払わなければならないのである。そして同時に我々市民はTEPCOと言う会社の傲慢さによって(昔から何か腹黒い会社と言うイメージはありましたけど)生じてしまった帰結に対しても2重に代償を払い続けなければならないのである。私たちも国とTEPCO同様少なからずこの放射能汚染事故の責任がある事を自覚せねばなるまい。
それにしてもどうして貴方と貴方の家族なのか?或は私と私の家族なのか?耐えられない不条理が此処には在る。この不条理に対する怒りを何処に持って行けばよいのか。一方で人間の犯した罪で、放射能汚染されてしまったこの世界に住まわなければならない、全ての生きとし生けるものを考えると市民の無関心と言う代償が途轍もなく巨大に見える。私達人間が犯した生態系に対する罪は途轍もなく深い。今、ここで冷静になって社会の中の異分子として扱われ、地域の中で村八分されながらも国の原子力政策に抵抗していた良心的な市民を最大多数の最大幸福を壊す様な"勝手な反対派"として社会的に葬って行った歴史を改めて考えて見るべき時なのだろうと思う。
3.11以前今まで原子力エネルギーを推進する事により受益を受けて来た側、原子力の本質に無関心であったが故に最大多数の最大幸福を楽しんで来られた側、そして原子力の痛みを押し付けられて来た側。3つの社会の構成層があった訳であるが、悲しいかな3.11以降最大多数の最大不幸となってそれぞれ圧等的な不平等を伴い3つの構成グループの人々自身の上に降り掛かって来た事になったのである。もう最大多数の最大幸福と言う言葉は存在しようがない幻となってしまった事に原子力政策を推進して来た人々も我々市民も気が付くべきだ。
第2章と上記で述べたが、3.11以前には原子力発電の本質を訴えて来た人々は異端視され彼らの声は無視されて来た。そして今3.11以降放射能の本質を訴えている市民の声が、何故圧倒的多数の人々に(敢て大衆と呼ぼう)に届かないのか。これは私の中に有る苛立である。自分達の姿を3.11以前の原子力を推進する、国家の意志に抵抗していた人々の姿と比較して、重ね合わせて見て下さい。どうして貴方の声が、今人々に届かないのか自問してみて下さい?理由は何でしょうか?この議論について少し時間がかかりますが次回の"日本の市民の皆様へ-その3"にて私見を述べたいと思います。くどい様だが改めて言わねばならぬ。原子力の将来と自分たちの将来が明るい未来とはならないであろうと言う予見が、最大多数の最大幸福の御旗の下にかき消されて現実となってしまった事実を自分と自分の家族の問題として直視すべき時だと思う。
4.教科書の中の危機管理
米国にIEEEと呼ばれるエンジニアの組織がある。IEEEは今回の福島原子力発電所の放射能汚染事故で非常に有意義な記事を発信しているのを発見。[13]参照の事。先日Googleしていた所"IEEE SPECTRUM”と言う月刊誌、11月11日号に福島原子力発電所の事故の記事が載っているのに眼が留まった。[14]参照の事。まずこの"24 Hours at Fukushima"の記事の中に一番最初に載っている写真がある。かわいい女の子がマスクを半掛けして、体全体に付着している放射能の測定をされている写真である。胸が痛む。思わず涙が出て来た。そして最後の4枚つずりの写真の最初の1枚をズームボタンを押して見て頂きたい。全体的に緑がかった水が5m x 25m程と思われるポンプ室を冠水させている写真である。2つポンプに"中温'冷水?'ポンプ"と文字が読める、さらに奥に3つのポンプが有りその5台のポンプが殆ど海水(真水とは思えない)で水没している。ポンプの高さは人間の背丈前後の大きさと思われる(推測です)。これらのポンプが水に浸かって使えないのである。色々ウェブで調べたが、何処のポンプでどれだけ重要な役割を果たしているのかは判らなかった。しかしこの写真を見たときにゾッとしてしまった。理系の方であったら絶対に起ってはならない事であるのが直感できるはずだ。更に3月24日に新潟県妙高市の(株)エアフォートサービスが撮った高解度の福島第一原子力発電所の写真がウェブ上に在った。[15]参照の事。ほんの2~3日だけ公開されていた写真である。既に御覧になった方々が多いと思うが、これらの写真を見ると同じ様にたとえ単独でも絶対に起こってはならない原子炉の溶融事故が3つの炉でほぼ同時に、又核燃料プールの爆発破損1カ所が平行しておこっていた多重事故。と心で理解できるのだが、国や東京電力は心の眼を開いて事態を直視する能力ゼロで、又自分が主張していた安全神話が神話で無ったと言う事実を認める勇気が無いらしく、日本国内ではすぐさま検閲されてしまった。何やら既に起きてしまった核汚染と言う事が、"通常"の状態になってしまう恐ろしいまでの市民に対するマインドコントロールである。全くもって不思議な国だ。何処かの独裁国家よりもスマートに市民を洗脳している。尚、日本国内での検閲後4月2日より米国にある"Cryptome"のウェブでこれらのエアフォートサービス撮影の高解像写真が閲覧できる様になっている。ついでながらもしこれらの写真を御覧になっていないのでしたら、11枚(5MBの大きさ)の写真もダウンロードして観て下さい。[16]参照の事。Cryptomeは他に色々な福島原子力発電所の現場の写真を彼らのウェブに載せている。[17]参照の事。
更にこのSpectrumの11月11日号の記事中の4枚つずりの写真の中で、"高線量注意 高線量(1000mSv/h)の瓦礫につき、この近辺にみだりに近づかないこと"の掲示が出されている写真が有る。この文句を見て思わず、東京電力の面々は本当は危機管理能力の全く無い人達だけでなく、且つ放射能汚染の現状を現場の人達に意図的に過小評価させている人々と思ってしまった。このやり方は現場の人々だけでなく、一般市民への説明にも現れている。全く緊張感の無い掲示版である。瑣末な事だが'みだり'とは東京電力にとって、或は我々にとってどういう意味なのだろうか?1Sv/h?みだり?さっぱり意味判らん。現場は被爆により数時間そこにとどまれば死んでしまう人が出て来る様な所が在った訳だ。ここも其の中の一部であろう。そしてこの記事"24 Hours at Fukushima"の中のレッスンが又優れ物である。その中のレッスン3は"非常用電源車を限りなく発電所に近い所に配置すべし。"と有る。これが対策されていれば多分3号炉と4号炉は救えたのではないかと思える。僅か数千万円をケチりたいが為非常用電源車を発電施設のすぐ傍に配置しなかった事により、長時間の電源喪失を防げず3号炉溶融と4号機核燃料プールの爆発をおこしてしまった事は明らかにTEPCOの怠慢による過失事故である。己の会社を絶対と思い込み、聞く耳を持たなかった故、今回の破局的な放射能汚染が引き起こされたと言っても過言ではない。東京電力は溜息が出るほど一般常識が通用しない会社だ。会社組織を解体して染み付いた企業文化を払拭し、出直せと言うしかなさそうだ。駄目押しでこの記事の全てのレッスンを記載しておく。特にレッスン6の対策が成されていたならベントを周辺住民の避難が終わるまで待つ事無く行えた可能性があり事態が好転できたかもしれない。ちなみに記事"24 Hours at Fukushima"の著者Eliza Stricklandは米国の雑誌"Discover"([18]参照の事)のエネルギーと環境問題を担当していたウェブ編集者からIEEEの"Spectrum"に移って2番目の記事と言う。彼女は原子力に関する記事を書くのは今回が初めてだそうだ。モシモシ?"The Best and the Brightest"を自称する日本の原子力に関わって来た科学者さん(敢て科学屋と呼ぶ。詳しくは8章参照)原子力官僚屋さん?何故貴方には彼女のこの様な客観的な、Analysis Reportが作成できないのか自問した事が在りますか?彼女に自分たちが能無しであると言う事を間接的に証明されてしまった訳ですね。恥ずかしくないのでしょうか。とても視野の狭い、教科書の中でしか危機管理が出来ない、つまり前例が無いと何も出来ない秀才タイプの人達ですね。−そりゃそうだ。書類を作るのが自分たちの仕事で、今までに人命を助けると言う事を一度も仕事としてやって来た経験がないので、日本の市民を守るなんて出来ません...と言う声が聞こえそうだ。でもそれって危機管理そのものじゃあないのか? - 言い訳する事取り繕う事=自分の責任逃れに懸命な様で、大勢の子供達を守ってやれなかった事を一人の親として恥じていないのだろうか。自分の失策を省みる事も出来ない器の小さい連中は失業して然るべきである。
Lesson 1: Emergency generators should be installed at high elevations or in watertight chambers.
Lesson 2: If a cooling system is intended to operate without power, make sure all of its parts can be manipulated without power.
Lessen 3: Keep power trucks on or very close to the power plant site.
Lesson 4: Install independent and secure battery systems to power crucial instruments during emergencies.
Lesson 5: Ensure that catalytic hydrogen recombiners (power-free devices that turn dangerous hydrogen gas back into steam) are positioned at the tops of reactor buildings where gas would be likely collect.
Lesson 6: Install power-free filters on vent lines to remove radioactive materials and allow for venting that won't harm nearby residents.
CryptomeといいIEEEといい海外のメディアからの情報と比較して何故日本の社会の中からは物事を客観的に見れないのか?貴方はそれを自問された事が有りますか?色々理由は複雑だろうが、その根っこに或るのは、私達市民が物事或は現象へアプローチが巧く出来ないからだと思う。その背景を8章で考えてみたい。
5.統計中の1サンプルと言う運命、そして忘却され
先日出張した時に載った飛行機の隣の席の方が、自分は医者でこれから癌学会
へ出席する途中だと言っていました。目的地に近ずいた時に今回の原子力発電の放射能汚染事故はどの様に見ているのかの意見を聞いてみました。少し遠慮してこんな事を言いました。将来に起こるであろう、個人個人の癌の発生を全体で眺めて見、そしてそれら個人の発病の点と点を結んで線にして過去に遡って行くと、3.11.2011の福島と言う1点に辿り着くかも知れない。こんな事はおこらないで欲しいのだがと。
現状では福島第一原子力発電所の放射能汚染事故の人間の体に対する影響の統計的データは存在しない。今在るのは3.11.2011と言う点だけである。何年後何十年後かに集計した統計データを基に癌発生の因果関係を突き詰めると、長時間の調査後に曖昧ながらしかし統計的に有為な因果関係を説明するに足りると言う科学的なデータが揃う事が予想される。しかも昨今遺伝子のどの部分が破損しているのか判る様になったので因果関係が補強される様になるだろう。東京大学の児玉教授の資料[19]参照の事。しかし皆さん御存知だと思います。不特定多数の死なんて無いんです。想像してみて下さい。貴方の、私の或いは私達の子供達の死なのです。病気になった個人の苦しみは統計と言う数字からは決して表立って出て来ないのです。親族だけが苦しむのです。特に言っておかなければならない事は3.11の放射能汚染事故の被害者であるかどうか判別が非常に難しいのです。同じ様な被害者が揃わないと統計的に3.11放射能汚染と他の要因での健康被害との因果関係を峻別できないのです。何とも遣る瀬無いと思いませんか?個の生死;私でなく貴方の遺伝子が、また貴方でなく私の遺伝子が傷ついて、又共に貴方と私の子供達の遺伝子が傷つき、そして双方の家系が癌に成り易い家系となって、それぞれ捨て石の様に統計データの中に置かれ3.11の過酷な放射能汚染事故を将来無言で指し示す事になるかもしれないとは3.11以前誰が予想したでしょうか?
皆さんどうして判らないのですか?個人に病気と言う結果が確率的に降り懸かるのです。間接的な状況証拠が在るだけで(例えば髪の毛や爪、乳歯を取って置いたとしても)、これだけでは十分とは言えない。既に言及しましたが健康の被害を生じた人の数が多くなって初めて統計的に3.11の放射能汚染と健康被害の因果関係がぼんやりと見えて来ると言う事です。そしてソビエト連邦での25年前の事故の前例が在るにも関わらずこれらの統計データを用いようとしない政府。今日本で放射能は危険か安全かと言う議論をしているのはタイタニック号の船の上でこの船は沈まない安全だと議論している様な物。子供と母親、妊婦さんを一刻も早く救命ボートに載せる様な、予防的な手法を採るという事=安全&安心へのアプローチを採るべきだ。だが、関連省庁の官僚は20ミリシーベルトの居住地域なら安全と、数字を振りかざして予防的な事を一切取らない。此処でも国と政府は思いっ切り、人間の認識の限界に付け込んでいます。極悪と言わずして何と言うか。政府や厚生労働省、文部科学省は個人の死など時間が経てば忘却されると思っているのだろう。貴方の子供達の人生が国、官僚、東京電力、地方行政に弄ばれるであろう事を忘れてはならない。しかし我々市民は統計の中の1サンプルになる様な事態を己の生存を賭けて拒否する。こんな事を人間が人間に対して行ってよいのか?まるで日本人が日本人に対してホロコーストを行っているとしか思えないのだが。今からでも己の自己防衛としての予防的手法は間に合う。官僚屋の御信託に構わず、放射能の影響を最小限に出来る様、市民皆の知恵を絞り何とか生き残ろうではないか。さもなくば私や貴方の子供達は統計の中の数字としてしか扱われず、人間として生きて来た証が忘却されるであろう事を心にしっかり留めておけ。
一方、30年後に過去を遡ってみてデータを集める、のは科学である。しかし今後の30年を見据えて、危険を予見し回避する事の出来、不出来の如何は科学と言う道具を用いた政治の力の行使である事を忘れないで欲しい。この僅かながらの市民の意志を今現在原子力官僚屋の巨大な宣伝マシン、"マス"メディアを用いて圧倒的多数の人間を原子力の本質に無関心で居させ続けて置く事で骨抜きにしつつあると思える。何とか出来ないか?
6.より根源的な事へ
この章では、私が勝手に遡り法と呼んでいる方法を紹介します。まず1歩下がって全体を見る事から始めます。そして2つの事柄でどちらの事柄が先立つかと自ら問います。それでは:ある事柄-Aと事柄-Bが眼の前に在るとします。その時にまず事柄-Aの存在を消去してみます。その時には事柄-Bが存在するか?という事を検証する方法です。逆の事もやって見ます。事柄-Bの存在を消去してみます。その時には事柄-Aが存在するか?事柄-Bが事柄-Aに先立って存在するかどうか、もしそうなら、事柄-Bは事柄-Aより根源的な存在であると理解できます。即ち二つの事柄を遡ってみてどちらが根本的、根源的な存在であるかを問うアプローチです。貴方もこのアプローチを実践して見て下さい。但し"ニワトリが先か卵が先か"と言う問いの罠に捕われないで下さい。蛇足ですがこのアプローチを用いるとニワトリと卵とではどちらが根源的なのかハッキリします。つまり答えが出ないと言う事が判ります。議論は堂々巡りだと大局的に見えてきますし、そうしたら、答えは"ニワトリが先か卵が先か"の問いの外に在ると気付く筈です。はい、答えは:"始めにメスとオスありき"です。
さてこの方法を東京電力福島第一原子力発電所の放射能汚染事故に当てはめてみましょう。以下網羅した2つの項目を心の中で比較してみて下さい。又"行為とその帰結"と言う見方(一番最初の投稿4章参照)も参考に。
* 地震 vs. 津波、*地震 vs. 原子力発電、*津波 vs. 原子力発電所、*福島第一原子力発電所 vs. 3.11.11放射能汚染事故、*東京電力 vs. 3.11.11放射能汚染事故、*政府 vs. 3.11.11放射能汚染事故、*通商産業省 vs. 3.11.11放射能汚染事故、*旧科学技術庁、現文部科学省 vs. 3.11.11放射能汚染事故、*原子力と言う国策 vs. 3.11.11放射能汚染事故
*電力会社 vs. 原子力発電、*ゼネコン vs. 原子力発電、*政治家 vs. 原子力発電、*官僚 vs. 原子力発電、*地方自治体 vs. 原子力発電、*金 vs. 原子力発電、*農業、漁業、林業 vs. 原子力発電、*製造業等の工業 vs. 原子力発電、*電気 vs. 原子力発電、*自然放射能 vs. 人間が作り出した放射能、*人間 vs.電気、*生命 vs.原子力発電、*国益 vs. 東京電力の社益、*国益 vs.省庁益、*省庁益 vs. 東京電力の社益、*日本国民 vs. 国会、*日本国民 vs. 官僚、*国会vs. 官僚
遡り法では峻別できないけど敢て比較します。
*安全&安心 vs. 不安、*放射能汚染 vs. 放射能汚染の測定値、*民主主義 vs.原子力発電、*原子力村(原子力神殿) vs. 原子力発電、*核燃料サイクル vs. 原子力発電、*幸せ vs. 原子力発電、*欲望 vs. 原子力発電、*愛 vs. 原子力発電、*自然放射能 vs. 癌、*人間が作り出した放射能 vs. 癌、 *原子力発電 vs.癌、*原子爆弾 vs. 癌、*原子爆弾 vs. 原子力発電、*地方 vs. 都市、現実 vs.言葉、*私 vs. あなた、*私達 vs. 私達の子供達、今 vs. 未来。
そしてこの手法にもとづけば何が何に先立つかの優先順位がハッキリ判る訳だ。より根源的な事を軽視し、後からどうとでもなる根源的でない事を重視する事はより根本的、根源的な事を殺めるに等しい。でもこんな事って常識で判るのですけれども、日本と言う国を動かしている人々はどうも我々市民とは違った思考回路をお持ちの様で、3.11以降日本の幼い子供達、乳幼児、妊婦さんの保護対策を中心とした東京電力福島第一原子力発電所の放射能汚染事故の危機管理よりも自分達の責任逃れの方が根本的、根源的だったのでしょう。さて、古代ギリシャの哲学者ソクラテスが"無知の知"即ち自分は或る事を知らないと言う事を知っているのが大事と言う有名な言葉を残している。[20]参照の事。そこで、次章で違った角度から見た自分達の野心の為の最大多数の最大幸福と言う名前の神をガムシャラに布教する人々、そして我々市民のそれに対する無知の無知を論じてみよう。しかし小生この頃、彼ら原子力エネルギーを生業にする人は自分達が原子力の本質に対し無知の無知状態であったと言う素振りを見せながら、確信犯的に日本の市民の、特に子供の被曝の被害を予防的に回避しようとしなかったと考える様になって来た。
7.恣意的な誘導、意図的な解釈。日本人の弱さから派生する事
まず最初に意図的な解釈について言いたい事が或る。よく原子力発電所を運転しての事故のリスクは車を運転しての事故に遭う事と比較して小さいと主張する人がいる。論理的に決定的に違う。車は自らの責任で自分でハンドルを握り運転する、或は同乗するのである。死にたくないから注意深く運転するものじゃないのか?原子炉は安全の文化が皆無な企業が運転しているのではないか?そして過酷事故が起こってもその責任は取りたくないから、今回の4つの原子炉館屋の完全破壊の経過に対して嘘も平気で言うし、のらりくらりと逃れている、言い訳しているではないか?そんなまるで当て逃げ事故をおこして逃げる様な無責任な連中と、一生懸命真面目に生を生きている我々市民を一緒にしないで欲しい。其処を理解してからリスクの比較を行って欲しかったのだが。
さて此処で今回の放射能汚染事故に対する恣意的な誘導、意図的な解釈をする側とされる側に共通する、幾つかの陥り易い人間の認識の特性を思い付いたまま、列挙してみよう。
[誘導、解釈をする側]
1 未来を真剣に予見しようとしない:何とかなるだろうでは国家は運営できない。"Prepare for the worst, hope for the best."即ち"最悪の事態に備えよ、そして最善の結果になる事を(祈って)期待する"と言う事は、危機管理の初歩の初歩。これが何故国を中心にして出来なかったのでしょうか?最悪に備えておけば安心ではないですか?例えば海から4kmも離れているので押し寄せて来る海水の事は大丈夫と過小評価していたが故におこったと思われる宮城県石巻市立大川小学校の惨事。胸が痛みます。亡くなられた生徒さん皆さんに心から合掌致します。一言で上に立つ人間の力量、最悪の事態に備えよと決断出来るかどうかが問われたのです。本来上から下まで如何なる社会の組織のレベルでも危機管理が出来なければいけない筈。同じ事は次の事にも適用されます。放射能汚染の影響を過小評価、或は安全、安心と宣伝する行為により発生するかもしれない健康への影響がかなり悪い方向になってしまった場合には将来誰が責任を負うのでしょうか?危機管理の精神は一般市民にも備わってなければいけない。よって国が20ミリシーベルトまでの放射能汚染された所に住む事や500ベクレル/Kg以下の放射能汚染された食べ物を食べる事は安全と言う宣伝(あたかも国の命令の様に聞こえてそれに服従してしまう)が自分の本能の声と違っていたなら、躊躇なく自分の本能に従うべき。断言します。私は上に立つ人誰も責任をとらないと思います。**日本人の弱さ**
2 どこの国でも、如何なる時代にも政治家は国民の不満が鬱積した時に必ず行う事が有る:それは国民の目と不満を外、即ち国外にそらす事である。しかし日本の政治を司る人達が、逆に科学屋と官僚屋にこの手法によって手玉に採られているのが判らないとは、情け無い。私はこの記事を読んだ時に思わずアホ!と叫んでしまいました。"低線量被曝のリスク管理の政府作業部会"11月15日。まずこの記事を読んで下さい。[21]参照の事。チェルノブィリの放射線被災者の統計データを参照する事も大切だが、この日本の足下に於いて既に貴重なそれもしっかりした個人の被曝放射線線量が蓄積された形で在るではないか?"実は存在していた「低線量被曝データ」"[22]参照の事。自民党参議院議員の古川俊治氏が8月1日の復興特別委員会で質問。**日本人の弱さ**
3 視野の中で素早く動く物はすぐに認識できる:逆にとてもゆっくり動く物体は視界の全体の中で区別が難しい。例えばこの人間の認識の弱点を利用すると何が出来るか?100%の変化を1日で市民に伝えるのと1%の変化を100日かかって伝える事。つまり少しずつ情報を人間の眼と耳を通して流し込む事によって、皆が気が付かないまま既成事実を積み上げる事。これが原子力体制保持の為の危機管理なのでしょう。だから小出しに遅れて情報を政府は出すのです。**これはTEPCOと政府の恣意的な情報誘導です。**
4 始めに結論ありき:まず安全ですと言う。何処かの国の検察官も似たりよったり。**これは官僚の意図的な解釈**
5 偏見:自分と違った考え方を許容できない。多様な意見に対する寛容性がない。次の聞く耳持たぬと双子の兄弟。**人間の弱さ**
6 聞く耳持たぬ:自分が正しいと思い込む事で相手を見下す事。自分たちと違った意見を持つ方々を排斥するのが得意。そして大王様のTEPCO:良心的な科学者が幾度となく、放射能を大量に放出する過酷事故の危険性を忠告していた筈ですが、聞く耳持たなかった故に不幸が全世界中に振り蒔かれました。一方叱責すべき事は我々市民が原子力エネルギーに対する多様な意見に耳を傾ける能力が無かったと言う事。勿論我々の心の中にも原子力エネルギーに反対していた人々に対する偏見は有ったと思う。**日本人の弱さ**
7 集まる事。集まった側の外は自分と違った人間と思い排除する:タテ社会の派閥やラベル張りの典型。ヨコ社会では市民は利害関係無しに集まれる。**日本人の弱さ**
8 嘘に嘘を重ねると本当らしくなる:嘘でも何十回も言われると人間信じちゃうね、感覚が鈍感になって。又大きな嘘ほど本当の様に聞こえる。**恣意的な誘導**
9 間違えを認めない:間違ったら素直に訂正&修正すると言う事が眼の前の事と向き合う時に必要なんですけど。人間傲慢になると謙虚さが無くなるね。**日本人の弱さ**
10 失敗は成功の母:国家を滅ぼす様な事態になって何事でしょうかね。物には程度ってのがあるんだけどね。私達市民はTEPCOの失敗の生け贄か?そして責任は知らんぷり。**これは官僚の意図的な解釈**
11 木を見て森を見ず:は"木を見させて森を見させず"と言うやり方にも通用する。細かい数字や内容を出して来て大きな所は極力見させない。市民の皆さんに、今進行している事を大局的に見させない目くらまし戦法である。何が起きたか、何が起っているのか、これから何が起るのかを予見させない。実に姑息。**これはTEPCOと原子力官僚による恣意的に我々市民の視点をある処に集中させる誘導法です。**
12 不安を煽るな:そう言われても、まず不安とは何かと定義してから言って欲しい。
[誘導される、解釈を与えられる側]
13 喉下過ぎれば暑さを忘れる:時間が経ったら忘れちゃう。持続する事の難しさも言い表してます。**人間の弱さ**
14 無関心:俺の事ではない。私の事ではない。と思い込む。だが結果は判らないのでそう思い込まない方が良い。そう言う事態が長い間続いて来ているので生存本能が麻痺していますよ。皆さん!**これは人が最も陥り易い罠**
15 動物園の動物の様に一点をグルグル廻わる:ルーチンワークってんですか。携帯電話を操作しながら徘徊する人と同じ。そんな生活していると感受性無くなってしまいますね。おまけに想像力も無くしちゃって。先ず自分で自分の殻を壊してみて下さい。**日本人の弱さ**
16 無知の知:自分は或る事を知らないと言う事を知っている時、自分でその事を探求します。謙虚だし。無知の無知だと人間無関心にもなるし。**人間の弱さ**
17 類推が重なりいつの間にか思い込みになる:自分では分ったつもりになり確認を怠る。**日本人の弱さ**
18 現実を直視し果敢に問題解決:東京大学の児玉氏が国会で怒ったのはこの事。現実からの逃避。上が上だからね〜。と無関心風に言っていたら火の粉が降り掛かって来た時後悔しますよ!**日本人の弱さ**
19 知識と言葉、数字と言う色眼鏡を通して眼の前の事を見る:詳しくは次章。**日本人の弱さ**
20 誰も声を挙げなければ怒っている自分が異常に思える:大衆に埋没する個人の意見。個人のユニークさを大事にしない世の中の証。皆と違った声は皆が無視。敵意の或る時も。**日本人の弱さ**
21 平等と言う名前の、多様性(個人のユニークさ)の否定:横並びでないと御近所の皆様に悪いと変な義理が或る。だから自分の子供を放射能から守る様な事をすると、そうしない近所の人々から変わり者として扱われる。和を乱すと、近所から浮び上がってしまう。集団心理とは正にこの事。**日本人の弱さ**
22 隣の芝生:自分の家と隣家を比較の対象とすべきではない。これをやるから妬みが出て来るのじゃないのか?行ってよいのは過去の自分と今の自分の比較。**日本人の弱さ**
23 情に訴える事:論理がないし議論が無い。特に選挙等人を囲い込む時、金が物を言う世界。情と金で人を囲い込む(悪い奴程良く眠る) vs. 論理と倫理に支えられた人間の良心に基づくヨコ社会。**日本人の弱さ**
24 タテ社会とヨコ社会:タテ社会の弊害を投稿その1にて指摘しましたがトップダウンの命令が理に適わない時、それをヨコに市民同士で繋がる事で彼らの誤りを認めさせ、修正させる事をして行かなければ社会は良くなりません。- 昔から正しくない決断をしてその帰結が不幸に終わった時そのトップの面々は100%責任逃れしますけど - その結果日本の市民は大変な目を見るって事って、日本でどうして頻繁に起こるのでしょうか?その様な結末になる前に市民がヨコに繋がって声を挙げなければ何も良くならないのです。**日本人の弱さ**
[番外]
25 何でニュースを批判的に見ないのか?:単に情報として聞くだけ、読むだけの話のネタ。**日本人の弱さ**
26 そして何故大局的に物事を見ないのか?:上記25に関連して。東京電力女性社員の殺人事件の被疑者であるネパール出身のゴビンダ マイナリ氏のDNAが被害者の女性より見つかった犯人の精液のDNAと不一致と言うニュースがこの7月の時点で流れた。何故この時批判的に又大きく観れないのか?精液のDNA鑑定で更に犯人の民族的特徴も解読できる筈。しっかり心の眼を開け。日本の市民!**日本人の弱さ**
27 何も変えようとしない:官僚と長期政権であった自由民主党。官僚と権力を持った政権との関係が癒着し、中立性を失って久しい。そして彼らは政治を操る組織となった。そして官僚の中立性のチェック機構が無い。だから何時迄経っても私達市民は官僚の奴隷。**日本の弱さ**
これらの市民の弱さを把握していてそれに則り大衆操作する奴らが居る事に気が付いて欲しい。
8.眼の前の事と向き合う(言葉或は知識、そして現象の認識とのギャップ)
この章では高度な認識、そしてそれを恒久的に見過ごしてしまう頭の特性を題材とします。
学生時代に良く遊びに行った研究室の教官がふと漏らした言葉が今でも忘れられない。もし貴方が、或る夜に月を眺めていたとしよう。その時に貴方の頭の中がまっさらな状態で居て(情報も何も前もって知らずに、即ち言葉や知識と言う色眼鏡を通さず)、尚かつその時に月の格好が何か奇妙に変化して来たと感じたとしよう。そして刻一刻と月が暗くなって来た事が判る。暫くの間、頭の中で何が起っているのか判らない状態に置かれていた。不思議である。よくよく月を見ると少し欠けているではないか。そして非常に大きな電気的ショックが頭の中を横切る。何がおこったのか?
心がまっさらな時に見ている眼の前の出来事と、"月食"と言う言葉と知識が頭の中の神経回路の発火により、繋がっのだ。だが其れだけではない。より高度なレベルの認識が存在すると言う事実を自分の頭の中で覚醒する。言葉なしでも起こる事は眼の前で起こるのである。
そう、貴方が今観ている事とは"現象としての月が欠ける事"である。つい先日12月10日の月食時もし頭の中には情報が前もって刷り込まれていたのなら、それは単に"月食と言う現象"を見ていたのだ。例えば今朝の新聞に本日夜何時何分に何処の地方から何処までの範囲で部分月食或は皆既月食があります。凡そ何分間続きます。と頭の中に情報が既に刷り込まれている訳だ。依ってその人の採る行動は、月食が始まる5分前になって外に出て月を眺め始めると言う筋書き通りの行動である。時計を見ながらあと何分この月食が楽しめるかなどと、思うに違いない。眼の前の出来事を、既知でない時に目撃する場合(人間にとって神秘な出来事)と比較して、予め予期された既に頭の中に出来上がってしまったイメージで眼の前の現象を観てしまう場合。この二者間の違いは天と地程の差がある。この事態は眼からの経路から生ずるだけでは無い。五感から入って来る"生"の情報全てに当てはまる。現象が前からやって来る。それを心をまっさらにして受け止める。特に自然を相手にする漁業や農業を生業とされる方々は心の眼が開いている故、これに近い経験が出来るのではと思う。その一方頭の中の言葉と知識を通して眼の前の出来事を見ると言う事は色眼鏡を通して"月が欠ける事"を見てしまうと言える。目から鱗とはこの事。
此処で"放射能"と"月食"を置き換えて下さい。"放射能と呼ばれる現象"と言う見方のアプローチを捨てて"現象としての原子が壊れる事"、更に噛み砕いて"現象としての物が壊れる事"と言う見方のアプローチを取って下さい。簡単に言うと頭の中に有る、"安全だ"と言う評論、"危険だ"と言う評論と、頭の中でグルグルと廻っているベクレル、ミリシーベルトなどの数字の事を捨て去って下さい。色眼鏡を通して物事を観る事は思い込みが判断の中に入り込む隙を与えたり、自分がこうなって欲しいと思っている方に傾いて物事を見てしまいがちになってしまい、物事の本質に迫る事が非常に難しくなります。目から鱗を取払い眼の前の出来事にアプローチをして下さい。そこがスタート地点なのです。この立場は英単語で言うと"perceive"日本語で"知覚"と言う言葉で表せます。ですから知覚と言うアプローチで見れば、"人の手によって核分裂で作られた原子核が壊れる事"から始めてそれは生命にとって安全だとか危ないとか言う問いができるのです。分りますか?心をまっさらにして眼の前の事にアプローチする事の大切さが。
次に"月食"を"現象としての放射能汚染"と置き換えてみて下さい。どうですか?心の中に何か響きますか?もっと極端な話にしましょう。"月食"と"津波"と置き換えてみて下さい。特に3.11.2011に直接"押し寄せて来る海水"を目の当たりにした方はもう心の中で理解していると思います。貴方の眼の前の出来事は"津波と言う現象"と言う言葉で言い表すよりも更に心に深く刻まれた"現象としての押し寄せて来る海水"を目撃体験したそのものです。あの空恐ろしいまでの海水の量を直接観た人々は、言葉を用いて物事にアプローチするより眼の前の出来事をそのまま、言葉と知識と言う色眼鏡抜きで受け入れているのがお判りいただけましたでしょうか?また"地震"をマグニチュード幾つの地震と思わず、"現象としての大地が揺れる事"と知覚で捉る様に試みて下さい。同じ解釈を採りますと、3.11以降の放射能汚染事故を"現象としての原子炉の爆発"の結果と言うもっと簡単な表現で知覚する事が出来るでしょうか。これを押し寄せる濁流や大地が大揺れする事と重ね合わせて見て下さい。人間の小ささが判るでしょうし、原子炉即ち機械なんて押し寄せる濁流や大地が大揺れする事で壊れるものだと納得します。
さて現実に戻ろう。この思考習慣は日本社会を覆う最も巨大な弱点である。司法、立法、行政を司る人々が長らく陥っている事態なのである。学者や官僚達の頭の中には既に刷り込まれた判断回路が出来上がっているので、柔軟な思考、物事を違ったアプローチから捉える事が出来ない。おまけに自分が言っている事が間違っているかと検証する意志も無い状態だ。私自身、物事や人々にラベル張りをするつもりは無い。しかし言葉と知識と言う色眼鏡を通して物事を観ている事が自分自身判らない科学者、官僚、政治家の面々を科学屋、官僚屋そして政治屋と呼ばせて頂きます。国中がこの様な状態なので外国からの今回の福島第一の放射能汚染事故の捉え方と日本政府の放射能汚染の捉え方とのギャップが或るのは不思議ではない。例えば"http://ex-skf-jp.blogspot.com<http://ex-skf-jp.blogspot.com/>"と言うウェブにThe New York Timesの12月6日の記事が紹介されていた。[23]参照の事。日本の政府が放射能汚染を如何に色眼鏡を通して解釈しているかが良く判る。その中にこんな記述があった"...Supporters see rehabilitating the area as a chance to showcase the country's formidable determination and superior technical skills - proof that Japan is still a great power...."日本語訳は"地域の除染をサポートする人々はこれが国の並々ならぬ決心と、優れた技術を持つ-日本はまだ大国である、と言う事を証する機会であると考えている。"兎に角物、技術中心の思考で日本の市民の事が思考の中に無い。自国市民を保護すると言う点で5流国であると言う事を3.11以降自ら証明してしまって何を今更大国か、と思う。国力と言う対象を総合的に見ないで技術の面のみから見ている馬鹿者達。同情心も何もない、不信心な道徳に欠ける連中。
まず貴方は"知らない"と言う自覚を持って心をまっさらにして、眼の前の事に対峙する事。次に"現象としての物が壊れて行く事"と言うアプローチ方法によって眼の前の出来事を次章で検証して行く事にする。
9.心の中をマッサラにして(努力して)
まず簡単に:ウラン235を炭に例えましょう。炭を燃やす時酸素を大量に供給して、一瞬に燃やす事と例えられるのが原子爆弾。よって炭は白く燃えつきてしまって燃えカスは余り残りません。一方炭をちょろちょろと燃やすのが原子力発電。この時燃え残りの炭と燃えカスは残っていますよね。そして原子炉の中って主に2つの動的な物理現象が同時進行する格好で発電しています。(1)中性子に依るウラン235の核分裂。(2)ウランの核分裂で生じた核分裂生成物、簡単に言うと燃えカスが更にアルファ線、ベータ線やガンマ線(即ちエネルギー)を出しながらより小さな原子へと壊れて行く物理現象です。もし原子炉に制御棒を挿入すると中性子が発生しなくなり、ウラン235は核分裂を止めます。そうすると1つの物理現象が止まって(1)もう1つの物理現象(2)のみが原子炉内で進行します。つまりこれ以上ウランの核分裂で出来る燃えカスが増えなくなる状態。又(2)のエネルギー、これが崩壊熱。[24],[25],[26],[27],[28]参照の事。
余り算数は得意でないのだが、以下の計算一生懸命やってみた。色々下調べしましたが、小生学者ではないのでもし間違えていたら御指摘下さい。そしてその時は御免なさい。又所謂反原発の本を持っていないので其処からの話の内容とかち合う事も予想されます。その所、御理解下さい。では核分裂生成物=燃えカス=放射能が原子炉の中から表へ出てしまうと言う事はどう言う事か食べ物を通して、そしてその放射能汚染に対する安全宣言に向き合ってみたい。国の暫定基準値では500ベクレル/Kgと言う値になっていて、それ以下なら安全で、それ以上なら安全でないと言う線引きの意味を知覚を通じて考察してみよう。お断り:文献の引用でBqと言う記号が出てきますがベクレルと同じです。以下セシウム137を主な例にとって話を進めて行きます。
Q1)放射性同位元素のセシウム137が1gあるとすると(セシウム137は壊れる時にベータ線即ち電子を放出する)一体何ベクレルなのか?
ベクレルとは皆さんご存知の通り"1s(秒)間に1つの原子核が崩壊して放射線を放つ放射能の量が1Bqである。"[29]より引用。500ベクレルとは毎秒500個の原子核が壊れてアルフア線、ベータ線やガンマ線等の放射線を出す能力。
A1)セシウム137の半減期は30.1年。これを秒に変換=30.1年x365.24日x24時間x60分x60秒=9.5x10^8秒。1gのセシウム137にはセシウム原子がアボガドロ定数/原子量だけ含まれている=6.02241x10^23/137=4.4x10^21個。依って、1gのセシウム137のベクレル量はlog-e(2)x4.4x10^21/9.5x10^8=3.2x10^12=3.2テラベクレル=3.2兆ベクレル。計算式は[29]参照の事。計算する必要も無かった。3.215TBq(10^12)である。ウィキペディア[30]参照の事。
Q2)1gのセシウム137って大変なベクレル量だけど、重さからすると大した量だとは思えないけど。比較できる具体例は無いか?
A2) ウィキペディアにこんな記述が或る。"チェルノブイリ事故以後のドイツ全土について平均してみると、セシウム137による汚染は、平均で2000-4000Bq/m2となっている。これは1mg/km2に相当し、500gのセシウム137がドイツ全土にばらまかれたことになる。"[30]参照の事。因にドイツは日本より2万平方キロメートル狭い。セシウム137が500gで1607.5テラベクレル。もし1gのセシウム137が体内に取り込まれたのなら500gで500人分。そしてセシウム137、1gが壊れる時に放出されるベータ線、即ち電子が一秒間に3215000000000個放出されるのです。又ベータ線が機関銃の実弾と考えると、判るでしょ、めちゃくちゃ細胞を被弾させていると言う事が。そうすると、細胞がダメージを受けない程度はどの位の重さのセシウム137だったら安心なのかと考えて見るのが自然な流れ。最初から500ベクレル/Kgが安全と決めつけるのは、非常に作為に満ちた手法ではないかと言える。
又[30]のウィキペディアの記述。"現在環境中に存在しているセシウム137などの多くは、1940年代〜1960年代の核実験や核事故で放出された。ただしセシウム134は、半減期の関係で数十年前に放出されたものは殆ど残っていない。1960年代前半に日本人は1日に1Bq以上を摂取していたと推定されている。"1950~60年代の大気圏核実験は壮絶を極めたが、それでも1Bqと言う単位で収まる汚染食品を日本人は1日に"摂取"であったと読み取れる。単純に考えてビキニ環礁の水爆実験の500発分が地球上に撒かれた時の値が500ベクレル/Kgの汚染食料の摂取と考えるのが妥当ではないか。以上の思考検証は500Bq/Kgとは核戦争後に放射能で人が死ぬよりも人が飢え死にしない事を優先した基準と言う記事、東北文教大松田浩平教授のコメント"国の暫定基準値の500Bq/Kgは全面核戦争時の食物の汚染上限"が正しいかどうかの為に行った。[31]参照の事。1ベクレルと500ベクレル。この違いを私達市民はどの様に解釈するのか?これで安全だと言う論拠は何処からくるのか?
さて次に食べ物の汚染が500ベクレル/Kgとはどういうレベルなのか考えてみよう。おっと、そうは行かないよ!もっとシビアに、自分の体の肉に500ベクレル/Kgの放射能が入っていると仮定しよう。だって優に2000ベクレル/Kgを超える野生のイノシシの肉も出て来てるんでしょ?[32]参照の事。可哀想に。自分達が食べる野の食料が放射能で汚れているか汚れていないかなんて峻別できないし。人間も同じ様に食べ物を区別しないで野生の人として500ベクレル/Kg*70Kgの体重*0.3(体の中の肉質の部分が体重の30%とした。投稿者の解釈)=10500ベクレル/1人当たりの放射能を抱えてみれば良い。つまり体の中で毎秒10500個の原子核が壊れているって事。もっと書きたいのですがこれ以上色々調べると頭がパンクしてしまいそうなので、ここで止めておきます。
ここでのポイントは人間の五感 vs. 小さすぎる物;原子、そしてそれが耳かき一杯の重さでも信じられない位大量に原子が在ると言う事。核エネルギーを使うという事はこう言う非常に軽いながら大量な人工の放射性物質を電気エネルギーと引き換えに毎秒毎秒生産していると言う事です。さてもう一度おさらい。中性子が飛び廻らなくなった後の原子炉の燃料棒内のウランペレット(瀬戸物)内での物理現象が、体の中でおこっている事=即ち内部被曝なのです。放射能汚染の強い牛乳を学校で子供達に無理矢理呑ませるのは原子炉での物理現象を体の中に植え付ける様な事をやっているのに等しいのです。更に高放射能汚染地に住むのはまるで原子炉建屋の中に暮らしているよりもひどい状態と聞く。半ば強制的に住まわさせられている子供達が不憫。大人が馬鹿だから子供達は健康に大変なリスクを抱え込まざるを得ない何とも不条理な世の中。これは誰のせいなのでしょうか?自分達の危機管理が出来ない私達市民のせいなのでしょうか?それとも問題を危機と認識しない為ですか?事態を楽観視しているからでしょうか?私にはこの事が群れの中に在る盲目的な精神論の行き着く果ての、遺伝子プールの自己破壊に見えてしまう。
文部科学省(旧科学技術庁を含む)が全国の国立大学主導の放射能汚染の調査の禁止を行っているとしても、いずれ国外から反論しようのない健康被害を予想するデータが提供されるだろう。今この放射能汚染の現実から目を背けて、真実を隠そうとする科学屋達。まだ判らないのか?自分達が信用されなくなって来ている事を。良心的な科学者は自分たちが無能な税金泥棒で無いと、色々社会に対し発言し手持ちの情報を公開して市民の為に仕事をしているとアピールして欲しい。そして横方向に学者同士で連帯して、日本の市民が自らの手で放射能から生き残ろうともがいているのを是非助けて欲しい。そうしない学者は失業させます。そしてTEPCOと言う野獣を野放しにして来た監督官庁は其の責任を取るべき。何故なら今回の様な原子炉の過酷事故対策を全て東京電力に丸投げしていたのじゃないのか?
10. 今 - まず出来る事、その2
(1)海洋のこれ以上の汚染をなんとしてでも食い止める事。除染に金を使うのなら、福島原子力第一発電所から海洋に漏れ出る汚染水を一刻も早く海へ漏れ出ない様遮蔽すべきである。静岡から引き舟で運んで来た1万トン級の長方形のタンカーはどうしたのでしようか?やっぱり汚染水を10万トンクラスのタンカーに移して作業現場の空間線量を減らしてこの地下ダムを作った方が最善なのではないか。まだ人間が現場で作業できる状態なので、今すぐ汚染水の遮蔽工事を実行に移せば、2年後位に工事を終了できるのではないか。それにしても日本は海洋国家ではなかったのですか?海を放射能で過酷に汚して何が海洋国家と言えるのだろうか。
(2)駆け込み出産寺
比較的高い汚染地域にお住まいの御夫婦で、もし奥様が新たに妊娠した事が判った場合に、国が旅費を含めて責任を持って放射能汚染されていない所に設けた保養施設に住まわせて、出産まで面倒見るべきである。
(3)何もしない、除染もしない。瓦礫も移動させない。今出来る事は放射能汚染地区の人々を出来るだけ放射能汚染の少ない地区に永住させる事。エントロピー増大と言う物理の法則が有る。一言で言えば除染しても又汚い所から汚れがそこにやって来ると言う事。例えば1種類の物質は放っておくと他の物質と混じり合い拡散すると言う法則。拡散に係る時間とそのスピードが遅い早いは別にして、原子力発電所に閉じ込められていた放射性物質もこの法則のご多分に漏れなかったと言う事だ(更に言うと原子炉からの放射能漏れを最小にする、即ちエントロピーの増大を抑えるには大変金が懸かると言う事をTEPCOは理解していなかったのである)。チェルノブィリの放射能汚染地帯に比べて放射能汚染が拡散、そして集積する条件が格段に多様な形態で存在する。梅雨、豪雪、台風、季節風、更に真近の山間部、すぐ隣の海岸と太平洋へと。福島、宮城、山形、新潟、栃木、群馬、千葉、埼玉そして東京の地上の形状が全く東ヨーロッパと違っている。前投稿でも指摘して於いた様に、放射能汚染された地域から追われた汚染事故の被害を受けた方々を放射能除染により元の居住場所に戻す様努力する理由は、国と東京電力が被害を受けた方々を他地域に永住させ、不動産に対する補償を行うよりも、遥かに安上がりだからである。例えば1家族の農地と宅地の評価額が2千万円だとすると、百家族で20億円。何十万の家族の農地と漁業権、宅地の評価額だとしたら何10兆円もの出費。これが嫌で除染と言う格好で利権に群がる連中に金をバラまく一方、避難していた広範囲の地域の市民を居住区に帰して彼らの遺伝子を将来に渡り傷つけさせる事を強要する。現状の放射能レベルは安全ですと洗脳された上に遺伝子を傷つけられて居住していた家に戻って元の生活をする事により、帰還者の方々が又将来に渡り差別の悪循環に陥って行ってしまう事が予見される。
(4)徹底的な放射能汚染の除染を行うよりも、放射線管理区域から外に市民を移住させ尚かつ食品への徹底的な放射能汚染の選別(或はランク付け)をやった方が日本国の遺伝子プールを守ると言う観点からすると遥かに効果的。何故これが出来ないのか?後悔しますよ今やらないと。
(5)国政レベルで国難の優先順位を付けて問題解決。国会でTPPと言う議論を行って国民の関心を外へ向けていたのを目の当たりにして、国会は優先順位を付けて物事を処理実行する考え方が全く備わっていないと判明できる。遡り法なんて手法知らんだろうしな。何が今優先度が最も高く、一番大事な事か判ってるのか?失業させます。
(6)食の製造現場の声が聞きたい。どれ位食べ物がキレイなのか、其れとも汚染しているのかが知りたい。市民にとって何か手伝える事がないか?放射能汚染の少ない食品を生産する方々を応援したい。
(7)漁業を生業とする、1970年代より原子力発電所の反対を訴えて来た人々の声が聞きたい。でもこちらから出向かないといけないですね。
(8)無理かもしれないが、原子力を推進する人々と原子力に反対する人々と建設的な対話を始める時ではないか?又都会に住む市民と原子力エネルギーと言う物で差別され、又放射能で更に差別されている放射能汚染地域に住む農業や漁業を営む市民とコミュニケーションを始めるべきである。
(9)8章で述べたが、何か物事を言葉でラベル化すると其の時点で頭の中で思考の回路が停まってしまい建設的、創造的な思考ができなくなる。例えば、"反原発"と言う言葉を用いた時点で、話が進まなくなってしまう。同じ事が"安全神話"を使用した場合にも言えるのだ。この様に言葉を用いず、現実が言葉よりも先に在る事に気がつけば、例えば原子力エネルギーのリスクとかコストとかを原子力を推進する科学者と原子力に反対する科学者の間で真剣に未来の子供達の為に議論ができるのではと思う。この辺は原発先進国のドイツを見習いたい。彼らは頭が柔らかいですね。私には彼らが言葉で説明出来き得ない過酷な事でも起こる事は起こると1986年の経験から心の中では判っているのではと勝手に解釈している。
(10)他国には原子力に対する安全神話があるのだろうか?調べて見る価値はある。
(11)現実を心をマッサラにして見る事ができない人々とどの様に連帯して行くかの方策を考えるべき時。
私達は日本の歴史の中で最も大きな曲がり角に立っている。そしてこれから生ずる困難を1つ1つ解決しなければならないと言う覚悟が必要だと思う。それこそ死に物狂いで今の日本の世の中を改善しなければ。我々の子供達の為に彼らに少しでもましな日本が引き継げる様になって欲しいが故。
11.今回の投稿の最後に
私は顔の無い人間ではありません。"kc.planaria@gmail.com"が小生のemailアドレスです。色々と思う事が有りこの9月よりそれをメモに書き留めてながら整理した事を"日本の市民の皆様へ"と表題し11月4日、阿修羅様に投稿させて頂きました。何しろ一介の会社員の為、自分のウェブもありませんので最初の投稿レポートを何処かのウェブに載せる方法が何かないだろうかと困って居りました所、或るとても親切なウェブの管理人様より、阿修羅に投稿してはと勧められまして前回と今回の2回の投稿に至った訳です。と言う事で、阿修羅様と前出の管理人様にここに感謝致します。
今回の3.11放射能汚染事故を通して日本の中の出来事を眺めてみ、大きく眼を開いて物事を見ようとしない人々が多すぎるのに驚かされました。何回でも言います。頭の中に既に刷り込まれている思考パターンを用い、又頭の中の数字や測定値を判断材料とし、眼の前の出来事を知覚する前に条件反射的に答えを出してしまう習慣を捨て去って下さい。心をまっさらにして、眼の前の出来事を観て下さい。そうすれば世の中で何が本当に起こっているのが判ると思います。そしてためらわず人間の中に有る生存本能の覚醒させて下さい。
そろそろこの長文の筆を置く時ですね。今回の放射能汚染の大局図を眺めて見たいと思う原動力が私を突き動かしています。過去から現在に到るまでの点と点をつなげて線できれば面を描いて行こうと言う気持ちでしょうか。小生の視野が足らない所も有り色々な考え方が統合出来ていないかも知れません。別の見方も有るかもしれません。言い足らなかった処は御容赦下さい。又本文で言及した方々に対する配慮が至りませんでしたら、此処でお詫び申し上げます。
最後に。今の日本の市民の置かれている、見えない、匂わない、感じない放射能汚染した街に住む立場を大局から見ると、グリム童話に載っている"ハーメルンの笛吹男"の事を想像させてしまうのだ。[33]参照の事。1284年ドイツのハーメルンと言う村は異常に繁殖するネズミに悩まされていた。1人の男がネズミを駆除すると住人に申し込んで来た。勿論報酬を約束した住人は彼にネズミの駆除を御願いした。彼は笛を吹きながらネズミを暗示にかけ川まで誘き出し、1匹残らず集団入水自殺させてしまった。この話に例えると今のこの日本で、笛を吹く者は誰だろうか?日本と言う国の原子力神殿に棲む特権階級である。ではネズミは一体誰なのか?皆さんお判りですよね?笛を吹きながら、安心安全と人々の心に取り入り無差別的に人々の遺伝子を傷つけさせている勢力。彼らの暗示から脱して川へ向かう群れから?少し変わっていると呼ばれようとも - 飛び出し、皆を正気に戻さなければ我々市民は集団自殺させられる様な、国によって棄民化される(殺されると言っても過言ではない)運命に陥る。この降りかかって来る人災を市民の力を合わせて振りのけなければ。
ご存知ですよね?"ハーメルンの笛吹男"にはオチが有るんです。ハーメルンの住民が笛吹男に報酬を出さなかった為に今度は住民の宝である子供達を笛で誘い出して村から永遠にさらって行ってしまったんです。放射能の高汚染地区から避難する金は誰も出し惜しんではいけません。
[追記]
本稿は2011年の末に投稿予定でしたが、最終チェックの時間が割けずに今頃の投稿となりました。この間色々と思う事在り、以下2点追記させて頂きます。
*どうして所謂知識人は今回の放射能汚染事故に対して萎縮しているのでしょうか?原子力エネルギーの賛成反対問わずもっと社会に対し発言すべき義務があると思います。そして市民の皆さんもこの問題に対して思考停止に陥らずに、心の眼を開けば科学者よりも物事を大局的に見る事が出来るのに気が付くべきです。
*誰か私の意見が間違っている事を証明して頂けますか?そうすればこの気持ちが穏やかになるのですが。
参考文献等
[1] "日本の市民の皆様へ",阿修羅のウェブより
http://www.asyura2.com/11/genpatu18/msg/185.html
[2] "電力会社の誕生"、東京電燈
探検コムのウェブサイトより。
http://www.tanken.com/tokyodento.html
[3] "鶴見騒擾事件" ウィキペディアより
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B6%B4%E8%A6%8B%E9%A8%92%E6%93%BE%E4%BA%8B%E4%BB%B6
[4] "電力に生涯を捧げた男 松永安左エ門 - その生涯と業績 -"より。藤村哲夫
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/3860/biografias/yasuzaemon.html
"電力に生涯を捧げた男 松永安左エ門 (2)"
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/3860/biografias/yasuzaemon2.html
[5] "第1回 「松永安左エ門――官に抗し9電力体制を築いた男(1)」",杉田望及び(2),(3),(4) J-Net 21 中小企業ビジネス支援サイトより
http://j-net21.smrj.go.jp/establish/column/20050111.html
[6] "新日本紀行" ウィキペディアより
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%B4%80%E8%A1%8C
[7] Youtubeより、NHK新日本紀行〜主題歌オリジナル バージョン
http://www.youtube.com/watch?NR=1&v=2LePkGZ4hvM
[8] Youtubeより、新日本紀行 BGM用
http://www.youtube.com/watch?v=8laXG4wt-3Y
個人的にはこちらのノイズが入っている方が気に入っています。
[9] "「原発反対」の立看板が立つ女川原発ー東日本大震災の歴史的位置"
"東京の「現在」から「歴史」=「過去」を読み解くーPast and Present"より
http://tokyopastpresent.wordpress.com/2011/06/09/%E3%80%8C%E5%8E%9F%E7%99%BA%E5%8F%8D%E5%AF%BE%E3%80%8D%E3%81%AE%E7%AB%8B%E7%9C%8B%E6%9D%BF%E3%81%8C%E7%AB%8B%E3%81%A4%E5%A5%B3%E5%B7%9D%E5%8E%9F%E7%99%BA%E3%83%BC%E6%9D%B1%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%A4%A7/
及び"‘女川原発’ カテゴリーのアーカイ
ブ"http://tokyopastpresent.wordpress.com/category/%E9%9C%87%E7%81%BD/%E5%8E%9F%E7%99%BA/%E5%A5%B3%E5%B7%9D%E5%8E%9F%E7%99%BA/
[10] 東京に原発をと言った三人 4月15日 "原発日記" 老人はゆくより資料が手元に無い為、孫引きさせて頂きました。
http://haikairou.blog22.fc2.com/blog-entry-141.html
[11] 中日新聞12月13日社説。
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2011121302000015.html
[12] "反原発の記事 中傷 エネ庁への報告 詳細判明"、東京新聞より時間が経ち、元のリンクが削除されてたので以下参照。
http://sekaitabi.com/tokyonp.html
[13] IEEE Spectrumのウェブサイトより
http://spectrum.ieee.org/static/fukushima-and-the-future-of-nuclear-power
[14] "24 Hours at Fukushima" by Eliza Strickland, IEEE Spectrumより
http://spectrum.ieee.org/energy/nuclear/24-hours-at-fukushima/0
[15] (株)エアフォートサービス ウェブページ
www.yamazaki-k.co.jp/airphoto/
[16] 高解像写真の在るCryptomeウェブサイトより
http://cryptome.org/eyeball/daiichi-npp/daiichi-photos.htm
彼らのホームページには日本国内でお目にかかれない写真が満載している。
[17] Cryptomeのその他の写真
http://cryptome.org/eyeball/
[18] 雑誌"Discover"のウェブサイト
http://discovermagazine.com/
[19] "国土を守り国民とともに生きる5項目提案”、東京大学児玉教授
http://www.cas.go.jp/jp/genpatsujiko/info/twg/dai4/siryou1.pdf
[20] "ソクラテス"、ウィキペディアより
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%86%E3%82%B9
[21] "「科学的」めぐり、議論白熱=チェルノブイリ事故の影響で−低線量被ばくの作業部会"、時事通信社のウェブサイトより。
www.jiji.com/jc/c?g=soc&k=2011111501047
時事通信社のウェブサイトより削除された場合はこちらを参照。
"低線量被曝のリスク管理の政府の作業部会で、チェルノブイリ事故の科学的影響をめぐり、議論が白熱"
http://ameblo.jp/atom-tokyo/entry-11080825573.html
[22] "【注目記事】 実は存在していた「低線量被曝データ」(週刊SPA!)"
http://blog.goo.ne.jp/tarutaru22/e/dab868abc7592d8b89f2cc974ee47a18
[23] "Japan Split on Hope for Vast Radiation Cleanup," The New York
Timesよりhttp://www.nytimes.com/2011/12/07/world/asia/japans-huge-
nuclear-cleanup-makes-returning-home-a-goal.html?pagewanted=all
[24] “核分裂生成物“ weblio辞書より
http://www.weblio.jp/content/%E6%A0%B8%E5%88%86%E8%A3%82%E7%94%9F%E6%88%90%E7%89%A9
[25] "放射線"、ウィキペディアより
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BE%E5%B0%84%E7%B7%9A
[26] "アルファ粒子"、ウィキペディアより
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A1%E7%B2%92%E5%AD%90
[27] "ベータ粒子"、ウィキペディアより
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%BF%E7%B2%92%E5%AD%90
[28] "ガンマ線"、ウィキペディアより
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%83%9E%E7%B7%9A
[29] "ベクレル"、ウィキペディアより
http://ja.wikipedia.org/wiki/ベクレル
[30] "セシウム137"、ウィキペディアより
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%82%B7%E3%82%A6%E3%83%A0137
[31] "国の暫定基準値の500Bq/Kgは全面核戦争時の食物の汚染上限"、東北文教大学松田浩平教授
http://ex-skf-jp.blogspot.com/2011/09/500bqkg.html
[32] "【汚染】宮城県 イノシシからセシウム2200ベクレル検出"、セーブ
チャイルドのウェブサイトより。
http://savechild.net/archives/7405.html
[33]"ハーメルンの笛吹き男"、ウィキペディアより
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%A1%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%81%AE%E7%AC%9B%E5%90%B9%E3%81%8D%E7%94%B7
==
追記: それから投稿その1で良心的な官僚の方々に横に繋がって市民を助けて欲しいと申し上げましたが、嬉しい限りです。でも元官僚の方々なのでちょっと話が違いますが。主権在官僚を変えない限り日本は良くならないと思います。
* "橋下市長支える元官僚5人組 「大阪から国を変革」" 編集委員 堀田昇
吾、1月3日、日本経済新聞ウェブより
http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C93819A91E0EAE2E09C8DE1E2E3E0E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2
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