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前川喜平 前事務次官“初告白”「完全に右翼だった軍歌少年時代」 前文部科学事務次官・前川喜平 2万字インタビュー #1 
http://www.asyura2.com/18/senkyo246/msg/676.html
投稿者 赤かぶ 日時 2018 年 6 月 23 日 01:37:05: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 


前川喜平 前事務次官“初告白”「完全に右翼だった軍歌少年時代」 前文部科学事務次官・前川喜平 2万字インタビュー #1 
http://bunshun.jp/articles/-/7861
6/22(金) 7:00配信  辻田 真佐憲 文春オンライン


“総理のご意向文書”の存在を告発し、加計学園問題に一撃を与えてから1年。前文部科学事務次官・前川喜平氏の「履歴書」を150分にわたってお伺いしました。まずは、人格を形成した不登校時代、青春時代の秘話の数々。聞き手は『文部省の研究』の著者・辻田真佐憲さんです。(全3回記事のインタビュー)


聞き手の辻田真佐憲さんの質問に答える前川喜平・前次官(右)



若い人たちとはまだ今でも会っています

――「『総理のご意向』文書は本物です」と、前文部科学事務次官の立場で告発し、大きな反響を呼んでから1年が経ちましたが、身の回りの環境は変わりましたか?

前川 ずいぶん変わりましたね。特に交友関係が大きく変わったんですよ。今まで付き合っていたいろんな人と疎遠になっちゃって。

――今までのお付き合いというのは。

前川 政治家とか役人です。もちろんあの後も繋がっている人はいます。文科省の官僚でも審議官以下、若い人たちとはまだ今でも会っています。ポストを気にし始める審議官以上だと、「ちょっと今は前川さんとは会えない」というのはあるでしょうね(笑)。

――官僚の中でも文部官僚というのは地味で表に出てくる場面がなかなかないと思うんです。そんな中で、前川さんはまさに「異色の官僚」。今回はライフヒストリーを含め、これまでの官僚人生、文部行政の現代史をお伺いしたいと思います。

前川 いえいえ、普通の大人しくしていた官僚ですよ(笑)。



祖母が「なんで4がついてんねん!」って

――お生まれは1955年、奈良県の今は御所(ごせ)市になる場所ですね。そのあと小学3年生で東京に引っ越されますが、奈良時代の学校体験で印象的なことは何でしょうか。

前川 秋津小学校というところに3年生の1学期までいました。小学1年時の女性の担任の先生は優しかったんですが、2年3年の時の担任はかなり年配の先生で厳しかったですね。昭和30年代後半のことですから、その先生はおそらく戦前の国民学校で訓導をやっていた方だと思います。ですから、あまり民主的ではなかったですよね(笑)。体罰も受けました。

――どんな体罰を?

前川 こちらも本当に悪いことしたんだからしょうがないんですが、ほっぺたをつねられました。僕だけじゃなくて、悪さした何人かが並べられて、ビッビッビッて。痛かった。

――勉強はよくできたんですか?

前川 私の母親は教育ママというほどではないけれど、参考書だとかドリルを買ってきてくれました。田舎の小学校ですから誇れることでもないと思いますが、1年生の1学期の体育「4」を除けば、転校するまで成績は全て「5」だったんです。でも、これには裏がありましてね、私の実家というのは地主の家で、その地域では「ボス」だったんです。それでうちの祖母が「なんで4がついてんねん!」って学校に文句言ったらしいんですよ(笑)。それ以降、オール5の成績になったという。「井の中の蛙」そのものの世界で恥ずかしい話です。



――強烈なお祖母さんですね。

前川 正確には養祖母になるんです。私の父には東京で前川製作所という冷凍機の会社を作った実父母の家と、実父の兄で奈良の本家にいた養父母の家がありました。この奈良の家が古い偏見や差別、あらゆる封建的なものを残したところで、祖母なんか僕の友だちに向かって「喜平ちゃんと呼ぶな、ボンボンと言え」って真面目な顔で怒るんです。学校に行くときに「喜平ちゃん行こか」じゃなくて「ボンボン行きまひょか」と言えと。私はそれが嫌でね。妥協の産物として「ぼうやちゃん、行こか」になりましたけど。

香港で生まれてバンコクで育った帰国子女の母

――他には奈良独特の体験というのはありましたか?

前川 同和地区の多い地域でしたから、クラスメイトの中にもそこの子どもたちがいましたが、全く意識することはありませんでした。これはおそらく、母親の影響が大きくて、母は差別意識や偏見を持たないよう教育をしてくれていたんです。というのも母は戦前に香港で生まれてバンコクで育った帰国子女。母の父は三井物産の支店長をしていた人なんです。戦時中に東京に戻ってきて、戦災に遭って、戦後は財閥解体で父親が失職。苦しい時期を経て、女学校を卒業し、私の父と知り合って奈良のど田舎に来たという人生で、まぁ意識してリベラルだったかわかりませんが、無意識のうちに古い道徳には縛られないところがあったんじゃないでしょうか。



――お父様はどんな方なんですか。

前川 父は早稲田大学の政治経済学部を出た人で、仏教青年会に入って仏教の勉強をしていました。田舎から東京に出て過ごした人ですし、母と同じく古い因習には縛られていませんでした。

――そういうご両親だからこその人格形成はあったと思いますか。

前川 今から考えればあると思います。弱者に対する思いというのは、特に母から引き継いだところが大きい気がします。今でも覚えていますが、小学校の近くに工場ができて、そこで働く家族がたくさんやって来て、転校生が何人か来たことがあるんです。その中に黒人系のハーフの子がいまして、髪の毛も肌の色も違うから、仲間はずれにされてしまってね。でも私はさっき言った「地域のボス」的な家の子どもだったから、主導権を取れる場面では彼を入れてボール遊びをしたり、あるいはピアノ教室の帰りに彼がとぼとぼ歩いているのを見つけると「乗りなよ」ってうちの車に乗せて送ってあげたりしました。そのとき彼はお米を入れた一升瓶を大事そうに抱えて歩いていましてね。後から母親に背景を教えてもらって、貧困の現実を子供心に刻むような体験をしました。今でも鮮明に思い出しますね。

東京に転校して不登校「私の人生の最も暗黒な時代」

――小学3年生の1学期に奈良から東京へ転校。最初は文京区に住まわれたそうですね。

前川 1学期の終わりに転校したものだから、クラスに仲良しができる間も無く夏休みに入ってしまった。ところがプールの授業が夏休み中にあったんです。でも、奈良の学校にはプールがなかったので、まったく泳げなかったんです。顔を水につけることすらできなかった。それで、プールの授業が嫌で嫌で。しかも、あの夏はそれほど暑くなかったので、プールに一人佇んでいるとガタガタ震えてきて……。夏休み明けの2学期から3学期が終わるまで、不登校になってしまうんですが、それはプール体験が大きかったと思います。



――それまでは奈良の田舎のヒエラルキーではトップにいたのに……。

前川 東京ではボトムですよ。母が東京の人間だから東京弁はできたんだけど、やっぱり言葉遣いは違ってよく笑われたのも嫌だった。私は母親のこと「お母ちゃん」って呼んでたんです。でも、クラスメイトは「僕たちはママって言うよね」って(笑)。「奈良に帰りたい!」ってずっと親に言ってました。私の人生の最も暗黒な時代です。

――その後、港区の小学校に転校されています。

前川 親が独立して家を構えたんです。それが小学4年生になる時。今度はうまくやろうって考えて、じわりじわり、少しずつ声をかけて仲良くなって、うまく友だちを作っていきました。ハンガリー人の子がいたのを覚えていますね。あのへんは大使館があるから。この学校にはうまく馴染めまして、5年生で学級委員もやりましたよ。

――出世しましたね。

前川 出世してますよ(笑)。転校生の気持ちがよく分かるから、積極的に転校生とは仲良くしました。

麻布中学で迎えた「1968」

――中学受験をして麻布に行かれますが、やはり塾には通っていたんですか?

前川 6年生になってから、急に両親が「喜平を受験させよう」って言い出しまして、じゃあ家から歩いて行ける麻布を受けるということになったんです。担任からは「今からじゃ遅いですよ」って言われましたけど、親が「蛍友会」っていう塾を探してきて、毎週日曜日、目黒まで通っていました。途中で母がこっちの方がいいと言って「日本進学教室」という塾に替えました。



――麻布には中高6年間通われますが、この頃の思い出といえば何でしょうか。

前川 入学したのが昭和42年、1967年です。その翌年、私が中2の年というのは日本だけでなく、世界中で学生が暴れまわった1968年なわけです。パリでは5月革命が起こり、日本では東大や日大を中心に学生運動が盛んになる。麻布はそういうものにすぐ影響を受けちゃうんで、高校のお兄さんたちがヘルメットかぶって角棒持って、「制服自由化だ!」とか何とか、学校を変えるんだと執行部に要求を突きつけていました。校長室占拠なんていうこともありましたよ。それで、校長が交代して、校長代行が校内を仕切ることになるんですが、この人がとんでもない人で。とにかく力で押さえつけるんです。これには教員の中からも反発が出て、職員室が分裂しちゃうわけ。結局は校長代行は失脚、校長代行派は一掃されるんですが、まあひどかったですね。警察が入ってきたこともあるし、ロックアウトになったこともありました。

――そこまでですか。

前川 高校2年の時にロックアウトになったので、突然の秋休みになったんです。友だちと信州に遊びに行きました。

――そういう無秩序な学校の状態を、当時はどんなふうにご覧になっていましたか?

前川 自分しか頼るものがないんだ、何が正しいかは自分で選び取っていくしかないんだって思うようになりました。自分で確かだと思ったことしか、確かではないんだ、というような。

小説家になりたくて応募した作品は「けやき賞」

――その頃の麻布出身者には官僚の道に進んだ方も多いと思います。みなさんそういう傾向にあるんでしょうか。

前川 みんながそうかは分かりませんが、多かれ少なかれ、そういう経験はしていると思います。自分で自分の道を見出すしかないと考えた人間は、多かったと思いますけどね。



――大学受験も、そういう自分の道を見定めて取り組んでいたんですか?

前川 私は理系のクラスにいて漠然と宇宙物理学者になりたいなどと思っていたんです。アインシュタインを凌ぐような物理学を打ち立てて、もっと宇宙の真理を探りたいという野望を抱いてました(笑)。分かりもしないのに相対性理論の本を買って読んでましたよ。でも、理系で受験するためには数Vが必須。ところが歯が立たないわけ。それで高3の夏休みが終わる頃には文転することを決めました。

――それで東京大学の文科を目標にすると。

前川 詩人や小説家になりたい気持ちもあったんです。高校の時に『高1コース』から『高3コース』まであるあの雑誌を毎月購読していたんですが、そこに学研が主催している「コース文学賞」というものがあって、そこに小説を応募したことがあります。そしたら、上から7番目の賞になったの(笑)。「けやき賞」っていう賞をもらいました。



――どんな小説だったんですか?

前川 港区の小学校時代に仲良くなった転校生の友だちと、一緒に北海道のおばあさんの家に遊びに行ったことがあるんです。そこで経験した人間関係の機微、ある一人の人間の生い立ちに秘められたものを小説にしたんですけどね。彼とは今も仲がいい友だちです。この小説がもっといい賞をとっていれば、本気で文学を目指していたかもしれませんね(笑)。

実は乃木大将のことを尊敬していたんですよ

――当時はどんな本を読んでいましたか?

前川 うちの親父は国内外の文学全集を家にダーっと並べていたんです。だから、暇に任せて小学生の時からめくってはいました。家の文化的環境って大きいなって思いますけど、影響を受けたものは何だろうな……。ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』は、とにかく全部読んでみようと思って読破しましたね。絶対の真理とか、絶対の倫理とか、そんなものってあるのかどうか、ずいぶん考えたものですよ。ドストエフスキーはこれと『罪と罰』しか読んでないですけど。

――分厚いところを2作品も。

前川 途中でやめた本も多いですよ。ドストエフスキーの『二重人格』とか、わかんなかったなあ。



――音楽はどんなものを聴いていましたか?

前川 家にあったレコードといえば親父が早稲田なもんだから、A面が早稲田の応援歌、B面が慶応の応援歌っていうやつ。よく聴いてましたね。あとは軍歌が多かったですね。

――軍歌ですか!

前川 私が結構好きだったのはね、『出征兵士を送る歌』。

――「我が大君に召されたる〜」

前川 えっ! よく知ってますね。

――私、軍歌の研究もしているので……。

前川 それはそれは。『空の神兵』、あれもいい歌ですよね。それから国民歌の色合いが強いけど『愛国行進曲』。『戦友』は「ここは御国を何百里〜」か。そうだなあ、あとは『軍艦マーチ』も好きだったですよ。「守るも攻むるも黒鉄の〜」。あとこれは軍歌ではないけども『水師営の会見』。

――乃木大将ですね。

前川 僕、実は乃木大将のことを尊敬していたんですよ。小学、中学くらいまでは相当に。『海ゆかば』も好きです。あれは音楽作品としてかなり優れたものだと思います。「大君の 辺(へ)にこそ死なめ かえりみはせじ」ってね。まぁ、『水師営の会見』だの『海ゆかば』だの『愛国行進曲』だの、完全に右翼って言ってもいいくらいですよ、そういう意味では。



軍歌好きから反戦歌好きに

――意外ですね……。他にはどんな音楽を聴いていましたか?

前川 あとはクラシックですね。はじめはベートーヴェンばっかり聴いてました。それからチャイコフスキー、ブラームス。交響曲系が好きで、マーラーにも広がっていきました。ショパンやベルリオーズの『幻想交響曲』もいいですね。でもやっぱり、ベートーヴェンはすごいと思う。

――ポピュラー音楽はいかがでしたか?

前川 フォークソングはよく聴いていました。高校生くらいのときにフォーク・クルセダーズが出てきて、これは衝撃的でした。「おらは死んじまっただ〜」の『帰って来たヨッパライ』。これ、歌かよ? って。でも、フォーク・クルセダーズで好きなのはやっぱり『イムジン河』『悲しくてやりきれない』。フォークソングというと、やはり反戦歌が多いわけで、外国であればピーター・ポール&マリーの『花はどこへ行った』。この歌はキングストン・トリオのほうが好きですけどね。

――軍歌好きが反戦歌好きになったんですね。

前川 まぁ、いろんなものが若い頃にどんどん入ってきたわけです(笑)。そうやってカオスの中から人間ができていくんじゃないですか。




写真=榎本麻美/文藝春秋



















 

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コメント
 
1. 中川隆[-13510] koaQ7Jey 2018年6月23日 08:24:16 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-16060]
モリカケ問題等の政治家のスキャンダルはすべて CIA が官僚を通してマスコミに流したもの
阿修羅掲示板でモリカケ問題のマスコミ記事を24時間毎日、毎日流し続けていたのは『赤かぶ』氏
という事は

『赤かぶ』氏 は CIA系のネット工作員という事ですね。

僕みたいに『赤かぶ』氏 の記事の間違いを指摘するとすぐに非表示にされるというのは わかり易過ぎて何かなー


▲△▽▼


阿修羅掲示板で どうでもいいモリカケ問題みたいな話だけで何か月も大騒ぎしている CIA, 中国・朝鮮の工作員が必死で隠そうとしている事実とは:


日本人の殆どが安倍首相に永遠に総理をやって欲しいと思っている


安倍先生は歴代で断然 No.1 の総理大臣

日本を救った安倍先生の偉大な業績

アベノミクスで日本政府の借金はゼロになった

超円高から超円安に変わって輸出企業の業績はバブル期並みになった

安倍は財務省に逆らって民主党が決めた消費税上げを二回も延期した

財務省が緊縮財政を押し付けなかったら今頃は疾うにデフレから脱却できていた

財務省は安倍が憎くて仕方ないからマスコミを使って安部降ろしを画策したんだ

____


経済コラムマガジン 2018/4/30(984号)
「ノーパンしゃぶしゃぶ」事件の顛末

財務官僚は反安倍勢力

文書改竄に続き、事務次官のセクハラ事件が起り財務省は世間の批難を受けている。しかし筆者は、財務省に関しては別の方向での批難があってしかるべきと思い今週号を書いている。ただ話を進める前に、安倍総理を攻撃する勢力について述べる必要がある。

安倍総理を攻撃する勢力の一つは、安保法制改定に反対し憲法改正を警戒する人々である。端的に言えば左翼である。左翼系メディアや労働組合など野党を支持する勢力である。これまで安倍政権は、野党の猛反対にも拘らず安保法制の改定など安保関連の法改正を着々と実現してきた。またこれらを実現しなが高い支持率を維持し、国政選挙でも連続して勝ってきた。左翼勢力は、ついに本丸である憲法が改正されると危機感を持ち、安倍総理への攻撃を最大限に高めている。


もう一つの反安倍勢力は、財政再建派とか財政規律派と呼ばれる人々である。消費税の再増税を2度も安倍総理に阻止され、彼等の総理個人への反感は最高潮に達している。

17/7/24(第948号)「加計問題と日本のマスコミ」
http://www.adpweb.com/eco/eco948.html

で取上げたように、自民党の中の反安倍と目される全ての政治家は、財務省に繋がっている財政規律派と見て良いであろう。またポスト安倍と見なされている政治家もほぼ全員財政規律派である。

このように役所の中ではっきりと反安倍のスタンスなのが財務省である。消費税の再増税を阻止され、総理に対しては恨み骨髄と思われる。しかし組織の上では総理は上司であり、財務官僚も表向きには総理に従っている。いわゆる面従腹背という接し方を行っている。

財務官僚の反安倍を示す信じられない話が伝わっている。以前、財務官僚数名が評論家の屋山太郎氏を訪れ「アベノミクスに反対してくれ」と申入れたという(4月14日付ZAKZAK)。これが本当ならとんでもない話であるが、十分有りうると思われる(もちろんアベノミクスが万全ではなく、問題があることは筆者も承知しているが)。筆者は、この前代未聞の出来事は文書改竄やセクハラよりずっと大きな問題と見なす。

ところが今日の財務官僚の一連の不祥事を、安倍政権の責任と日本のメディアは報道する。財務官僚が強硬な反安倍勢力であることを指摘するのは一部のメディアに限られる。ほとんどのメディアはこのことを承知しながら、卑怯にも今日のような偏向報道を続けているのである。


筆者は、昔から大蔵省や財務省、そしてこれらの官僚を動きをずっと観察してきた。時には

16/3/14(第883号)「信用を完全に失った財務省」
http://www.adpweb.com/eco/eco883.html

で述べたたように、元大蔵事務次官の相沢英之衆議院議員(当時)のような有力な大蔵官僚OBの何名かに直接お会いし話をしたこともある。この結果を元に、筆者は大蔵官僚と財務官僚は考え方が違う二つのグループに別れると認識するに到った。

一つが「柔軟派」であり、もう一つが「規律派」である。「柔軟派」は財政だけでなく銀行行政にも柔軟に対処する官僚であり、財政に関しても必要に応じ積極財政を是認する柔軟性を持ち合わせている。後者の「規律派」は、今日の財政規律派と見てもらって良い(銀行行政が金融庁に移管したので、規律と言えば財政に関する規律)。大蔵省時代の官僚は、これら二つのグループに別れる。ただ福田赳夫総理のように、大蔵大臣時代は「規律派」と目されていたのに、総理になって積極財政派(柔軟派)に転向するケースもあった。


しかしこれは大蔵省時代の話であり、今日の財務官僚には「柔軟派」がいない。今日の財務官僚は全員が「規律派」である。それは98年に大蔵省接待汚職事件が起り、「柔軟派」の有力官僚のほとんどが大蔵省を去ったからである。大蔵省と財務省の決定的な違いは、大蔵省では「柔軟派」と「規律派」が対抗勢力として省内で拮抗していたのに対し、財務省では「規律派」の独裁体制になったことである。

ただし追出された「柔軟派」の有力官僚の全てが汚職事件に関与したのではない。しかし汚職事件の捜査の過程で、これらの官僚が過剰な接待を受けていたことが問題になったのである。特に「ノーパンしゃぶしゃぶ」での接待が話題になり、一連の出来事を「ノーパンしゃぶしゃぶ」事件と一括りにされている。しかしこれは適切な表現ではないと筆者は思っている。ましてやこれが今日のセクハラ事件と同じ扱いを受けていることは完全に間違っていると見る。


追出された柔軟派の官僚

「ノーパンしゃぶしゃぶ」での接待が問題になり大蔵省を退官した官僚の言い訳を筆者は聞いたことがあり、以下、これを記す。たしかに「ノーパンしゃぶしゃぶ」で接待されたが、これは仕事の合間を抜けて陳情を聞くためだったという。当時、目立たないところで陳情を受けながら食事(夜食)するとしたなら、この「ノーパンしゃぶしゃぶ」みたいな所しかなかったと言う。陳情を聞きながらの食事が終わると、さっさと役所に戻り朝まで仕事を続ける毎日であったという。この官僚の言い分を信じるかどうかは読者の方にお任せする(筆者は信じても良いと感じる)。

陳情していたのは銀行のMOF担(大蔵省担当)だったと思われる。当時、不良債権が社会問題になり検査官の検査がどんどん厳しくなっていた。マスコミの論調はおかしくなり、不良債権が大きく悪い銀行は潰せという「空気」を作っていた。しかし問題の根源は土地などの資産価格が下がり続けていることであった。

たしかに平時なら、問題の金融機関の検査を厳しくすることは意味がある。しかし当時はバブル崩壊後、担保に取っていた土地の価格が下がり続けていた異常な時代であった。ましてや橋本政権の緊縮財政(消費増税など)で経済がマイナス成長に転落したこともあった。また構造改革派の観念論者が跋扈し、この非常時に企業の株の持合いを禁止したり、時価会計まで導入した。地価下落は一旦止まりそうになった場面もあったが(橋本緊縮財政の直前)、これらによって資産(土地や株)の投売りは止まらなくなった。


それにも拘らず、銀行の検査は強化され続けた。検査マニュアルは現実離れしたほど厳しいものに改定された。検査を強化し、銀行が隠している不良債権をあぶり出し、悪い銀行を破綻に追込むことが正義という風潮が作られた。

この「空気」を作ったのは、日経新聞など大蔵省の規律派の息の掛ったメディアと筆者は認識している。銀行を追詰めそこに公的資金を注ぎ込むことによって金融機関の健全化を行うという発想である。当然、これを警戒する銀行で貸し渋りや貸し剥がしが起り、銀行から融資を受けていた企業は資産(土地や株)を安値で売り急ぐことになった。

銀行に対する甘い対応は否定され、検査が異常に強化された。検査先の銀行で出されたお茶を飲むことさえ憚れ、自分でポットにお茶を用意してくる検査官がもて囃されたといった笑い話のようなことになった。結果的に、不良債権を巧みに隠した銀行だけが生残ることになった。


このため資産(土地・株)価格は下がり続け、適正価格を大きく下回るケースが出てきた。収益力がある土地にも買手が現れないので、資産価格は極限まで下がった。それらを買ったのが外資である。外資は、10分の1まで下がった銀座の一等地を買ったり、また企業の株の持ち合い解消に伴い放出された安値の株や、これによって連れ安した株を大量に買った。この頃から外資が日本の株式市場での売買の過半を支配するようになった。

銀行にとって、この危機的状況で頼るのは現場をよく知っている柔軟派の大蔵官僚だけになった。この官僚は仕事の合間に「ノーパンしゃぶしゃぶ」に呼び出され、陳情を聞くことになった。しかし結果的に、このような銀行に甘い官僚や閣僚は追出された。


ところが銀行局が金融庁に変わって10年以上が経ち、今日、銀行行政は様変わりしている。リスクを取らず貸出しが伸びない銀行の方が、むしろ指導を受けるという風になった。金融庁は立上がってしばらくは規律派の天下であった。しかし今日に到り、金融庁は現実を重視した柔軟派に転向したと言える。ただ昔の貸し渋りや貸し剥がしを知っている企業は、簡単には銀行からの借入を増やそうとはしない。

ちなみに「ノーパンしゃぶしゃぶ」で接待を受けたとされる柔軟派の官僚は、夜中に仕事をする時は自分の机を廊下に出しそこで仕事をしていたという。それは盗聴を恐れたからである。仮に盗聴器がないとしても「盗聴されているのではないか」と感じられることがプレッシヤーになったという。

筆者は、当時、日米が保険で揉めていたことがこれに関係しているのではないかと憶測する。日本の国益を守るため盗聴を警戒していた柔軟派の大蔵官僚と、籠池氏や女性記者に簡単に会話を録音されている今日の規律派の財務官僚とは好対照である。
http://www.adpweb.com/eco/


●財務省の意向に反した政策を取ると、必ず時の総理大臣を引きずり降ろそうとする動きが始まるのを知っていますか?実際、森友・加計問題もその省 庁がリークしたと言われています…

●なぜ三橋貴明がテレビの収録で「国の借金は存在しない」と喋ると絶対にカットされるのでしょうか?誰かにとって不都合なことでもあるんでしょうか?

●第二次安倍政権になって日本人は7%も所得が減ったのを知っていますか?そしてなぜか野党の批判はモリカケに終始し、このことを批判材料にしません…なんらかの思惑が働いているのでしょうか?

____


安倍先生以外の政治家は全員財務省の手先で日本を滅ぼそうとしている。


『財政規律派 復活の芽は? 自民総裁選の争点に

総裁3選をめざす安倍晋三首相は就任5年半で、消費税率10%への引き上げを2度先送りした。「ポスト安倍」を狙う他の候補は首相との違いを意識して、財政規律に関わる発言を始めた。

「次の時代の方に、ものすごい借金を負わせていいはずはない」。

自民党の石破茂元幹事長は3日の講演で力説した。最近は憲法に財政規律を明記するよう主張する。

岸田文雄政調会長は財政再建に関する特命委員会で政府への提言をまとめる。国・地方をあわせ債務は1000兆円超。それをどうするかが焦点だ。

 なぜポスト安倍候補の2人がそろって財政問題に関わるのか。総裁選への布石とみられる。

首相は消費税率10%への引き上げを2回延期し、いまの実施予定は19年10月。政府は総裁選前の今年6月ころに新たな財政健全化の計画を定めるが、国と地方を合わせた基礎的財政収支(プライマリーバランス、PB)の黒字化を20年度にめざす目標も先送りが確実だ。』


「次の時代の方に、ものすごい借金を負わせていいはずはない」

 などと主張するのであれば、石破元幹事長は「過去の全ての政治家」を批判しなければなりません。何しろ、日本政府の負債は(2015年時点)は、名目の金額で1872年の3740万倍! 物価の上昇分を除いた実質でも1885年の546倍!に増えているのです。(※島倉原氏の試算)


 そもそも、経済成長とは「資産と負債」が共に増えていくことです。


 特に、経済成長の肝である「投資」の蓄積足る生産資産は、何らかのおカネの「調達」によって積み上がったものです。


 企業が設備投資を決断し、銀行からおカネを借りると、その時点で「銀行預金」という「銀行にとっての負債」が創出されます。当然、企業のバランスシートの貸方には「銀行からの借入金」という負債が計上されます。


 過去の日本の経済成長によって、銀行(=金融機関)の負債は3000兆円を増える水準にまで膨れ上がっているわけですが、そもそも資本主義とはそういうものなのです。


 誰も、銀行の負債(主に銀行預金)について、
「全額返済しろ!」
 などとは言い出しません。


 それにも関わらず、なぜ「政府」の負債の増加を過度に問題視するのか。しかも、相変わらずの超低金利が続き、さらに日本銀行が国債を買い取り続けているため、政府の実質的な負債が減り続けているこの状況で。


 もちろん、政治家が、
「その方が、自分の支持率が上がる」
 と考えているためなのでしょう。そして、緊縮を叫ぶことで支持が高まる「空気」を、すでにして財務省やマスコミによって作られてしまっています。


 この状況を打破するためには、一人でも多くの国民に、
「日本に財政問題などない」
「現時点で緊縮を主張する政治家は、国民を貧困化させる愚か者」
 であるという現実を理解してもらうしかありません。
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12372575605.html


【経済討論】財務省主導の経済でいいのか?日本[桜H30-4-14] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=s8y0fk90-OQ


◆経済討論:財務省主導の経済でいいのか?日本

パネリスト:
 安藤裕(衆議院議員)
 高橋洋一(嘉悦大学教授・「政策工房」会長)
 田村秀男(産経新聞特別記者・編集委員兼論説委員)
 藤井聡(京都大学大学院教授・内閣官房参与)
 松田学(東京大学大学院客員教授・元衆議院議員)
 三橋貴明(経世論研究所所長)
 渡邉哲也(経済評論家)


▲△▽▼


阿修羅で工作員が大騒ぎしているモリカケ問題等のスキャンダルはすべて CIA がマスコミやネットに流したものだった:


日本のジャーナリズムとネット掲示板を監視する米軍組織
http://alternativereport1.seesaa.net/article/122853746.html


 神奈川県の座間キャンプ内にある、米軍第500軍事情報旅団「アジア研究分遣隊」Asian Studies Detachmentでは、日本国内で刊行される書物・雑誌等々を網羅的に「チェック」し、米国の政策に反対する人間、反米の思想家・評論家を監視している。

さらに、この軍隊は、こうした反米的思想の持ち主の身辺を「探り」、その金銭関係、異性関係、趣味・性癖の「情報収集」に当たっている。不倫関係、多額の借金、他人に言えない性癖等々の情報を収集し、「反米的な」思想家・評論家・ジャーナリスト・大学教授を「脅迫」し、口封じを行うためである。

 「必要に応じて」こうした情報は日本のマスコミに流され、スキャンダル流布による、特定のジャーナリスト・大学教授「ツブシ」が行われる。これは米軍による「日本支配のための軍事行動」である。そのエージェントが、マスコミである(注1)。

*注1・・・小泉元首相の郵政民営化を厳しく批判した植草一秀教授に対する、捏造スキャンダルによる、司法とマスコミの、リンチ報道・裁判に、その極めて悪質な典型を見る事が出来る。植草教授に対する、この捏造スキャンダル=リンチ事件は、日本から表現の自由・言論の自由が無くなる歴史的出発点として、言論暗黒時代へ向かう分岐点として、50年後、日本現代史にゴシック体文字で印刷・刻印されるであろう。以下、参照。


日本の金融をボロボロにして乗っ取ったのは1992年からのクリントンの対日戦略でした。日本を自分たちが自由に操れる国にしたのです。ロバート・ルービンとローレンス・サマーズを実施部隊の司令官にして、何かあるとサマーズが来日して大使公邸で怒鳴りつけるのです。

  当時、首相だった橋本龍太郎はさすがに行かなかったのですが、幹事長以下の実力者が全員呼びつけられて、「アメリカに逆らうな」と怒鳴りつけられる。そういう政治が行なわれてきました。今もそうです。そのことを知っている日本の新聞記者たちが、なぜかまったく書かない。ここに問題があるのです。

  1998年10月からの“金融ビッグバン”も、橋本龍太郎が無理やり約束させられたものです。当時は、「金融自由化だ」「ビッグバンだ」とあれほど騒がれたのに、今は誰も口にしない。なぜなら、「金融自由化」の掛け声とはまったく逆で、結果的にできあがったのは「金融統制」の体制でした。

  日本は騙されたのです。あの時に外資すなわちニューヨークの投機マネーが自由に日本に入ってこれるようにした。そして少額で日本の大銀行を乗っ取れるようにした。

  この1998年2月、“ノーパンしゃぶしゃぶ事件”を起こし、大蔵官僚たちを計画的に叩きのめしたのです。日銀官僚の福井俊彦(現日銀総裁)もあのリストに入っていました。名刺があった連中は皆さらし者にされ、官僚として出世が止まったのです。

  CIAはこの名簿をインターネット上に流し、さらに愛国派官僚たちが引きずり降ろされる不祥事に発展しました。いわゆる“大蔵落城”です。マスコミはCIAの尻馬に乗って、日銀と大蔵官僚叩きをやったのです。

  この時、すでに自民党の政治家たちは一人ひとり弱みを握られてアメリカの軍門に下っていたのですが、日本の官僚たちはアメリカの言うことを聞かないで抵抗していました。その結果、叩きつぶされたのです。
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/hitokuchi013.html


日本のジャーナリズムやネット掲示板を監視する米軍組織 _ 2
http://alternativereport1.seesaa.net/article/122853746.html

 神奈川県の座間キャンプ内にある、米軍第500軍事情報旅団「アジア研究分遣隊」Asian Studies Detachmentでは、日本国内で刊行される書物・雑誌等々を網羅的に「チェック」し、米国の政策に反対する人間、反米の思想家・評論家を監視している。

さらに、この軍隊は、こうした反米的思想の持ち主の身辺を「探り」、その金銭関係、異性関係、趣味・性癖の「情報収集」に当たっている。不倫関係、多額の借金、他人に言えない性癖等々の情報を収集し、「反米的な」思想家・評論家・ジャーナリスト・大学教授を「脅迫」し、口封じを行うためである。

 「必要に応じて」こうした情報は日本のマスコミに流され、スキャンダル流布による、特定のジャーナリスト・大学教授「ツブシ」が行われる。これは米軍による「日本支配のための軍事行動」である。そのエージェントが、マスコミである(注1)。

*注1・・・小泉元首相の郵政民営化を厳しく批判した植草一秀教授に対する、捏造スキャンダルによる、司法とマスコミの、リンチ報道・裁判に、その極めて悪質な典型を見る事が出来る。植草教授に対する、この捏造スキャンダル=リンチ事件は、日本から表現の自由・言論の自由が無くなる歴史的出発点として、言論暗黒時代へ向かう分岐点として、50年後、日本現代史にゴシック体文字で印刷・刻印されるであろう。以下、参照。


このCIAが日本を含め世界各国の国会議員、政治家達の女性スキャンダル、裏金作り情報、松岡農林水産大臣の「なんとか還元水」問題等の情報を調査・把握し、米国に逆らえば日本の東京地検特捜部に匿名ファックスを送り付けて来る事は日常的に行われている、常識的な「慣例」である。

小泉元総理が学生時代に犯した日本女子大学の大学生に対する強姦事件と、神奈川県警に逮捕された小泉元総理の警察の取り調べ調書も米国側は当然握っていた。小泉はこれで完全に 「操り人形」と化していた。

現在では、極東最大のスパイ組織キャンプ座間にある米国陸軍第500軍事情報大隊が総力を上げ、日本の政治家、企業経営者達のスキャンダル情報の調査・ 蓄積を行っている。

相手は軍隊である。無防備な農林水産大臣1人を「潰す」事は簡単である。
http://alternativereport1.seesaa.net/article/49609103.html


▲△▽▼


モリカケ問題等の政治家のスキャンダルはすべて CIA が官僚を通してマスコミに流したもの

阿修羅掲示板でモリカケ問題のマスコミ記事を24時間毎日、毎日流し続けていたのは『赤かぶ』氏


という事は

『赤かぶ』氏 は CIA系のネット工作員という事ですね。

僕みたいに『赤かぶ』氏 の記事の間違いを指摘するとすぐに非表示にされるというのは わかり易過ぎて何かなー




[18初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数により全部処理

2. panbet37[748] gpCCgYKOgoKChYKUglKCVg 2018年6月24日 01:54:52 : Cwzb6FQB8E : 6NLaG0dd3bg[18]
前川さん、とても共感できます。こんな弁証法的な精神形成をした方に、日本のリーダーになってほしいですね。

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