#本質から目を逸らして下らない揚げ足取りばかりしていると、衰退することになる率直に表明された共産党・党勢拡大運動の悲惨な現状 溜息しか出てこない「究極の無責任会議」 2018.6.19(火) 筆坂 秀世 日本共産党の党勢拡大「大運動」はなぜ失敗を繰り返してきたのか? 日本共産党が、6月11日、「第4回中央委員会総会」を開いた。共産党では、これを略して「4中総(よんちゅうそう)」と呼んでいる。200人を超える中央委員、准中央委員が招集される会議である。 志位和夫委員長によると、この会議は緊急に招集したそうである。会議の主題は、「いかにして党勢拡大を前進させるか」の一点に絞ったものであった。この会議で志位氏は、「6月11日から9月30日までを『参議院選挙・統一地方選挙躍進 党勢拡大特別月間』とし、党員と『しんぶん赤旗』日刊紙・日曜版読者で『前回参院選時を回復・突破』することを目標に、『党のあらゆる力を党勢拡大に集中的にそそぐ特別の活動にとりくむ』ことであります」と語り、党勢拡大運動への檄を飛ばしている。 多くのベテラン党員や地方議員の嘆きが聞こえてくるようだ。共産党のことを少しは分かる党員なら、「またかよ! 成功するわけがないだろう」と思っていることが容易に推察できる。 この会議で志位氏は、実に率直に党勢拡大運動の歴史について語っている。「しんぶん赤旗」日刊紙を読まない党員も少なくない現状なので、党員なら誰でも知っているというわけではない。だが、少なくともベテラン党員や地方議員ならみんな知っていることだ。それを委員長が改めて、そして率直に述べたというのは、珍しいことである。 志位氏は次のように発言した。 「1958年の第7回党大会以来、わが党は、党勢拡大に力を集中する『月間』や『大運動』に繰り返し取り組んできましたが、率直に言って、自ら決めた目標を達成したのは1970年代中頃までの運動であり、その後の『月間』や『大運動』では、奮闘はするが目標を達成できないという状況が続いてきました」 この数年だけを見ても、共産党は何度も『月間』や『大運動』に取り組んできたが、目標を達成したことがないというのである。それも70年代中頃からだと言うのだから、40年以上にわたって成功していないということなのだ。今回も、絶対に失敗すると断言して間違いなかろう。 失敗し続けてきた原因の分析が皆無 志位氏や小池晃書記局長の発言を見ると、なぜ40年以上も「月間」「大運動」が成功してこなかったのか、失敗したのか、その原因についての分析は皆無である。 話を病気に例えてみよう。なぜ病気になったのか、その原因も究明せず、適切な治療法が見つかるわけがない。「病は気からだ。ともかく頑張れ」と言っているのに等しいのが、今回の共産党の「党勢拡大特別月間」なのである。 また失敗を繰り返すことが確実な理由はいくつもある。 1960年代から70年代中頃というのは、当時20歳前後の団塊の世代が入党したての若手党員として活動していた時代である。私などもその1人であった。怖いものなしで党勢拡大運動に取り組んできたものだ。 共産党の指導を受けることが規約に明記されている日本民主青年同盟(民青、「みんせい」と呼ぶ)は、全国で20万人を超える組織を誇っていた。私は1972年まで三和銀行(現三菱UFJ銀行)に勤務していたが、当時、東京の都市銀行だけで民青同盟員は1000人にのぼっていた。この民青が共産党員の供給源になっていた。製造業など他の大企業でも、同様の傾向になった。地方公務員や国家公務員の場合も同様だ。 だが今の共産党はどうか。この世代が歳をとっただけなのである。民青は壊滅状態になっており、若い党員の供給源ではなくなっている。若い党員は激減し、60歳代後半から70歳代が共産党の大半を占めているのが現実である。若手の激減、党員高齢化の進展からの脱却は、20年、30年も前から、共産党の最重要の課題であった。だが何もできずに今日まで来てしまった。その結果、60歳代後半から70歳代が共産党の大半を占めているのが現実である。 共産党員と言えば、誰でも革命的気概に燃え、いかなる困難にも打ち克って前進する勇猛果敢な人々と思われているかもしれない。だが、それは過去の話である。もう10年も、20年も前から、選挙の時に電話での投票依頼すらできない党員が増え、選挙のポスター貼りも、近所に知られるのは嫌だというのでできないという党員が増えてきた。その結果、ビラを配布しやすいように折っただけでも、「活動参加」とカウントしているぐらいなのだ。「しんぶん赤旗」の日刊紙を読まない党員も増えている。 こんな党員が党員を増やし、「しんぶん赤旗」を増やす活動に取り組めないことは自明のことだ。 では、誰がやるのかというと、顔も広く、共産党員として公然と活動している地方議員である。しかし、地方議員といえども、そうそう簡単に増やせるわけではない。どうするか。「しんぶん赤旗」の元読者に頼み込むのである。私自身も30歳代から40歳代にかけて中選挙区時代の東京1区(千代田、新宿、港)で衆議院の候補者をしていた。この種の運動があると街中に入って拡大活動に取り組む。その際、支部のベテラン党員や区議と一緒に行なうのだが、ほとんどが元読者である。 「いま9月までの拡大運動をやっておりまして、なんとか7月から9月まで3カ月とってもらえませんか」という調子で頼み込むのである。区議などと一緒だと、「3カ月だけだよ」と言ってとってくれる人もそれなりにいるのだ。だが、10月には確実に減紙になる。まさに「賽の河原の石積み(無駄な努力)」なのである。 真の原因に目を覆っている では、9月末までの拡大月間でどれほど増やそうというのだろうか。志位氏は、「党員でも、読者でも、現勢の約1.4倍以上を目指すという目標になります」と説明している。到底、真面目な提案とは思えない。2017年の党大会時に党員数は約30万人、「しんぶん赤旗」読者数は、日刊紙・日曜版合わせて113万部とされていたはずだ。恐らく現在はこれより減っているから拡大月間に取り組むということだろう。だが仮に、党員30万とすれば、その1.4倍ということは、12万人増やすということだ。「しんぶん赤旗」は、45万部以上増やすということだ。とても真面目に定めたとは思えない絶望的な目標である。 志位氏は、「わが党の歴史をふりかえれば、前回選挙時比で130%以上の党勢を築いて、つぎの選挙戦で勝利を目指すというのは、1960年代から70年代の時期には、全党が当たり前のように追求してきた選挙戦の鉄則でした。党綱領路線確定後の『第1の躍進』の時期――1969年の総選挙、72年の総選挙などでは、いずれも前回比130%の党勢を築いて選挙をたたかい、連続躍進をかちとっています」。 1969年、1972年というのは、どんな時代だったのか。日本社会党と共産党のいわゆる革新勢力が最も高揚した時代である。東京、神奈川、名古屋、京都、大阪などに社共が与党となった革新自治体が次々と誕生していった時代である。 さまざまな問題点が露呈していたとはいえ、社会主義のソ連、東欧諸国が表面的には意気揚々としていた時代である。その後、これらの革新自治体はすべて消滅した。ソ連、東欧の社会主義国は崩壊し、生き残った共産党独裁の国も、市場経済、資本主義経済の道を進んでいる。この日本と世界の巨大な変化こそ、共産党の組織減衰の最大の要因である。 この根本原因に一切触れずして、減退した勢力からの脱却などできるわけがない。 小池書記局長が会議の結びの発言(共産党では「結語(けつご)」と言う)で、「全体として、4中総決議案が提起した『参議院選挙・統一地方選挙躍進 党勢拡大特別月間』、さらに参議院選挙にむけて『3割増以上』の党勢をきずく目標、この提起を正面から受け止め、決意が語られる意気高い総会になりました」と述べている。 これまでの共産党の会議で「意気高く」終わらなかった会議などない。四十数年間、同じように意気高く会議を終えてきたが、すべてその場限りであった。「究極の無責任会議」、それが共産党の「よんちゅうそう」である。
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