http://www.asyura2.com/18/senkyo245/msg/893.html
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中村喜四郎も凄いがこの記事を書いた常井健一が何より凄い。
— 菅野完事務所 (@officeSugano) 2018年6月9日
各位、これ読んだ方がいい。「日本にこんな凄いライターがいるのか」と唸るぞ。
「日本一選挙に強い男」中村喜四郎は、なぜ新潟県知事選に本気で挑むのか #中村喜四郎 #田中角栄 https://t.co/TAO1CruD6V
「日本一選挙に強い男」中村喜四郎は、なぜ新潟県知事選に本気で挑むのか 幻の中村喜四郎独白録「私と選挙と田中角栄」#1
http://bunshun.jp/articles/-/7716
2018年6月8日 常井 健一 文春オンライン
69歳のベテラン政治家が、永田町の玄人たちをざわつかせている。衆院議員・中村喜四郎。衆院選で14戦無敗を誇り、「最強の無所属」の異名を取るその男が、地元・茨城から遠く離れた新潟の地で神出鬼没の動きを見せている。
新潟県知事選(6月10日投開票)の告示前日、中村は県内で講演した小泉純一郎が、野党6党派が推薦する女性候補者と握手する場面をセット。1990年代の自民党で中村と盟友関係にあった山ア拓を通じて、小泉の意向を水面下で探り、超党派の「原発ゼロ共闘」を演出した。
中村喜四郎(左)と小泉純一郎 ©常井健一
衆院ナンバー3の古株でありながら
告示後も3度にわたり新潟入り。自民・公明両党が支持する男性候補者と競り合う中越地方で「極秘のローラー作戦」を展開し、同地方のホールでは500人の聴衆を前に「新潟から女角栄を生みだしていただきたい」と熱弁を振るった。選挙戦終盤には野田佳彦とともに街頭でマイクを握り、知られざる雄弁家の一面を見せつけた。
議員生活40年。小沢一郎、野田毅に次ぐ衆院ナンバー3の古株でありながら、一部の政治通を除けば、忘れられた存在だ。それも無理はない。1994年3月にゼネコン汚職事件で逮捕され、自民党を離党してから四半世紀が経とうとしている。その間、国会の議場では1度しか発言したことがないのだ。
しかし、衆院茨城7区では熱狂的な支持を集め、麻生太郎側近の自民党現職に5戦5勝。中村の応援に森喜朗や古賀誠ら引退した大物たちが入ったこともあり、同じ中学校の後輩である公明党代表の山口那津男とも気脈を通じている。比例復活なし、政見放送なし、選挙カーは1台限り――などという無所属の制約をものともせず、服役中で出馬を断念した2003年の総選挙を除けば、無双の勝負強さで「孤高の1議席」を守り続けている。
マスコミ嫌いの中村が、1度だけ師匠・角栄について語った
そのしぶとさは、ロッキード事件の逮捕後も選挙区トップで5戦全勝した新潟の偉人・田中角栄を彷彿とさせる。事実、中村は「田中角栄秘書」を政治の原点としている。選挙戦術、スピーチ術、人心掌握術に至るまで、20代の頃から見よう見まねで学び取った。果たして、40歳で「戦後生まれ初」の入閣を成し遂げ、一時は「将来の総理候補」と目された。その後、事件で転落してもなお、政界の重鎮からは「日本一選挙に強い男」(小泉純一郎談)として一目置かれている。
田中角栄 ©文藝春秋
マスコミ嫌いで知られる中村が政治家人生40年の中で、たった1度だけ、師匠・角栄について饒舌に語ったことがある。4年前の2014年、私(常井健一)が担当した初の単独インタビューである。その時は一部のコメントを「文藝春秋」(2014年8月号)に寄稿した角栄の人物評伝に載せただけで、紙幅などの都合上、愛弟子による「オンリーワンの角栄論」を十分に読者に届けることができなかった。
だが、今回の新潟県知事選、中村が継承した〈角栄直伝の選挙戦術〉が投票結果をどれだけ左右するか――が一部の政界関係者の間で注目されている。これを機に、長く封印されていた「幻のインタビュー」を思い切って公開し、中村の原動力になっている田中角栄との師弟関係に迫りたい。
(文中一部敬称略。政党名などは2014年当時の呼称で記載してあります)
もし私が当選したらロッキード選挙で「全国最年少当選」
――中村さんは国会に議席を持つ田中角栄「最後の弟子」と言われております。秘書時代、若手議員時代を通して教えを受けた直伝の選挙戦術とはどのようなものだったのでしょうか。
選挙というものは机上の空論ではなく、足を棒にして足で稼がなくちゃ勝てないという基本をいつも訴えていた人だったですよね。それをまともに聞ける人か、聞き流しちゃう人かどうかが、選挙に強いか弱いかの差になっていったと思います。
私は大学を卒業してから4年ほど砂防会館(東京都千代田区平河町)にあった田中事務所にいて、1歳年上の鳩山邦夫さんなんかと一緒に秘書として働いていました。その間、ちょうどロッキード事件が起こって、田中さんが逮捕された直後の総選挙(通称・ロッキード選挙)に27歳で出たんですね。衆議院が解散になった日、私は田中さんに「いろいろ申し上げたいことはありますが、頑張ってください。もし私が当選したらロッキード選挙で『全国最年少当選』は田中角栄秘書ということになります。もし、私が負けても、(旧東京8区から出た)鳩山邦夫(当時28歳)がおります。どちらかが初当選して、『最年少』になれば、田中さんの事件に対するアンチテーゼを世間に示せるので、頑張ります」と言ったのを鮮明に覚えています。
ロッキード事件の初公判に向かう田中角栄 ©文藝春秋
総選挙の開票中、田中さんは私が出馬した茨城3区の状況を、どこよりも関心持って見ていたそうです。私が当選したことをものすごく喜んだ。「中村は最高点(選挙区トップの得票)で合格した。ちゃんと約束を果たした、あっぱれだ」と言っていたと、後に事務所の人たちから聞かされましたよ。
選挙区内のほとんどの家を訪ねた
――田中角栄は初めて選挙に挑む新人に「戸別訪問3万軒、辻説法5万回」を課したと語り継がれています。
私は初めて選挙に出る前、4年間で11万軒を歩いたんですよ。選挙区内のほとんどの家を訪ねた。田中先生から言われたからやったわけではないんですけど、私が初当選したら「中村に歩けと言ったら、ちゃんと歩いた。だから当選した」ということを仰っていたそうです。田中さんは私が自分から決めてやったことを知っていながら、「オレの弟子はそうやった。それでトップ当選している。オレの言うこと聞いている奴は強いんだ」と言い聞かせていたと聞きました。
新潟県知事選の女性候補(写真中央)と同席する中村 ©常井健一
「歩く」ということはテクニカルな点でも重要ですけど、やっぱり田中さんの場合、「人の気持ちも大切にする」という考えがその基本にありました。この人たちは何を欲しているのか、どうすればこの人たちの気持ちを惹きつけられるのかを瞬時にして見分ける。そういう政治家としての感性は、歩かないと磨かれない。だから、できるだけ歩いて身につけろと言っていたんですけど、普通の人にはその意味がわかりません。
だから、田中さんに言われても聞き流しちゃう人は割と政治的に恵まれないまま終わっていったし、田中さんの持っているセンスをモノにするために盗もうとした人は選挙に強くなっていった。小沢一郎さんなんかも、羽田孜さんなんかも、田中さんの良い面を盗んだ人たちです。そういう人たちが田中派の流れを汲んで動いて、政治の表舞台で大きくなっていったんじゃないですかね。
ヘリコプターは田中イズムの象徴だった
――田中角栄は地道な戦術だけでなく、総理時代にはヘリコプターを使って、派手に全国行脚をすることもありました。
田中さんの頃は、いかにして候補者本人が一生懸命闘っている姿を見せ、それを応援してもらえるように周りの人々を巻き込んでいくか。マンパワーで勝敗を決めていくような選挙で、割と国民に近いところで勝敗が決まっていたわけです。
ヘリコプターは、そういう田中イズムを全国的に広げようというひとつの象徴だったのでしょう。つまり、ヘリコプターを使ってまで駆けつけるだけでも、「あの田中さんがあそこまでしても勝たせる価値のある候補者なんだ」というメッセージを送ることができる。支持者への叱咤激励にもなる。陣営内にも「自分たちも頑張ろう」という雰囲気ができて、それぞれの能力をギリギリまで発揮しようとなる。そういうことが勝敗にも影響するということを、信じて疑わなかった時代ですよね。非常に顔が見える選挙、やりがいがある選挙でした。
©常井健一
もちろん世論調査をかけたり、県会議員や首長レベルの人脈を全国に持つように心がけていたと思うんですが、そういうことよりも、やっぱり基本を大切にしていたんじゃないですか。
そういう意味では、今の選挙と根本的に違います。今は、マニフェストをマスコミにどう売り込むかとか、いわゆるイメージで風を吹かせる選挙をやっているわけですよ。「風」に乗り遅れれば、当選できない。努力する者が勝ち、汗かいた者が生き残れるような選挙で、シンプルな戦い方ができたのが昔の選挙だったのが、今は高学歴とか、ブームとか、何だかわからないような形で当落が決まってしまう。
人の心をつかむのが卓越していました
――中村さんはそもそもどうやって田中事務所に入れたのでしょうか。その経緯を教えてください。
私の父(先代・中村喜四郎)が1971年末に参院議員在職中に亡くなった後、翌年の補選(参院茨城選挙区)に私の母(中村登美)が無所属で出たんですよ。父は自民党で大平派だったのに、大平正芳さんは一方的に水戸駅前に来て、自民党の公認をもらった別の候補(山口武平)の応援演説をやっていった。
ところが、終盤になって「どうも中村が強いぞ」という情勢になった。すると、(当時通産相の)田中さんが自民党候補の応援に来た際、何を言ったかといえば、「中村喜四郎(先代)は大変立派な政治家だった。筑波に研究学園都市を持ってきたのは彼だった。彼を失ったことは大きい」と。そう言って帰っていった。
大平さんは自民党公認候補を応援に来て、未亡人の母に対しては一言もメッセージを発しない。田中さんは未亡人に向けたメッセージを送っていく。そういうことでも人の心をつかむのが卓越していましたよ。やっぱり、人の感性に響く。選挙に対する研ぎ澄まされた感性があった。
大蔵大臣就任時の田中角栄 ©文藝春秋
それで、母は当選した。当選した後、母は大平派には絶対行かないということになって、田中のところに行くわけですよ。その時、田中さんは「困ったことがあったら何でも言え」と、経済的に困っているんじゃないかという感覚で言ったら、母は「頼むことはない。息子を秘書にしてくれ」と言った。でも、「それはダメだ」と言われた。
そこは田中さんの合理的なところなんです。私が秘書になるということは、将来、衆院選に出るということ。そうすると、当時の茨城3区(定数5)には赤城宗徳(当時佐藤内閣の農相)、丹羽喬四郎(同運輸相)、北沢直吉(元官房副長官)のベテラン3人がいたから、みんな敵に回すことになる。そこに登坂重次郎(同厚生政務次官)も含めれば自民党は4人いる。たった1人の子分を出すのに4人も敵に回すのはダメだ、と合理的な考え方をするんです。母はずいぶん粘ったけど、どうしてもダメ。「まあ、1回連れてきてくれ」ということで、後日、私が田中さんに会いに行った。
私は事情を聞かされ、「それなら、わかりました。私が当選しても絶対に田中派に入りません」と言ったら、田中さんは「それなら、うちに来い」と迎え入れてくれた。こうして、田中事務所に押しかけて秘書になることが決まりました。
ただし、田中さんからは「その代わり、20年も勤めている秘書が朝7時に来るんだから、その前に来い」とも言われました。私はずっと朝6時に出勤した。だから、田中さんは私が(1976年に)選挙に出る時に一つも反対しなかったし、反対しないどころか私が初当選したら「オレが教えてやったから当選した」というふうに私のことを自慢話のようにアッチコッチでされた。そういういきさつがあったんです。
「この人のために汗かこう」という気持ちに
――自民党候補の応援に来た角栄が、「敵」である無所属候補にもエールを送る。茨城の中村派も悪い気はしなかったということですね。
心、鷲づかみですよ。後年、母が病気になって入院した時、田中さんがロッキード裁判の公判を終えてから病室にお見舞いに来たことがありました。それでね、1時間も病室にいた。ただ来たんじゃない。あの田中角栄が1時間もいた。そういうことがしっかりと家族の心をつかむんですよ。「この人のために汗かこう」という気持ちにさせる。
形だけではない。「田中さんはやっぱり苦労している人だから」と、人の心に届く。みんなの力をつかんでしまう。大衆政治家ですよ。これも選挙の極意というか、まあそういうものに通じるものがある。とにかく卓越していた。私だって後年、(ゼネコン汚職で逮捕されて)裁判を抱えている時にはとてもそんなつもりにはなれなかった。そういう経験をしてから、改めて田中さんはスゴイと思いました。
自宅で書を嗜む田中角栄氏 ©文藝春秋
――中村さんは1976年の総選挙で衆院議員になった後、1985年に田中派を飛び出し、竹下登さんと金丸信さんが立ち上げた創政会(後の竹下派「経世会」)に参加しました。中村さん自身にとっては「経世会のプリンス」として頭角を現すスタートラインとなりました。ところが、その直後、田中角栄は脳梗塞で倒れます。
竹下さんがグループを束ねて田中派を出ていこうとした時、あくまでも「田中派の総理を作る」というのが我々の意志でした。「竹下さんを次のリーダーにする」ということではなくて、田中派にはこれだけ人数がいるんだし、みんなずっと田中さんの言う通りにやってきたんだから、もうそろそろ仲間の中から(田中さん以外の)総理大臣を出してもいいだろうという思いでした。
ところが不幸なことに、あの時の田中さんの心理ではそうと受け止められず、「謀反だ」と受け取ってしまった。それで、お酒なんかも非常に飲んだりして、体調を崩されてしまった。
だけど、田中さんと竹下さんを比べるような考え方なんて全くなかったですよ。我々の親分は田中角栄であり、親分の下で竹下さんを総理にするんだ。そういう考え方だったんですが、そういうふうに捉えてもらえなかったことが、私にはさびしかった。
実体と違う田中角栄像が出来上がってしまった
――田中角栄は総理時代にも、政権運営に批判が強まる中で突然入院することがありました。あの頃、中村さんは田中事務所に勤めていましたが、近くで見ていて総理の体調が悪そうだという印象はありましたか。
いやいや、体調が悪いというよりも、無理している感じですよ。「ゴルフを何ラウンド回った」とか言って、自分の体力を誇示することによって、「オレは逆境を乗り越えられるんだ」と自分に言い聞かせ、無理をしていた。近くで見ていても、それがありありとわかる。ストレスもあったのに、私は「そこまで無理してゴルフをやる必要があるのかな」と思いました。
私もその後、同じように(ゼネコン汚職)事件で追及を受け、刑事被告人になる経験をしましたが、やはり目に見えないプレッシャーとの戦いになります。私もそれを払いのけよう、払いのけようとして、非常に無理していたという感じはありましたね。
©常井健一
――総理時代には衆参で1度ずつ国政選挙をしているのですが、「今太閤」と呼ばれ、国民的人気が高かったと言い伝えられる割には芳しい結果を出せていません。私はそのナゾを追い続けているのですが、「選挙の神様」はなぜ一番の勝負時に本領を発揮できなかったのでしょうか。
総理になる前は非常に期待されたし、政策も魅力的だったと思われましたが、総理になってからは「金権政治家」と叩かれていました。田中さんの能力とか魅力とかいうのは、総理になってからは国民にとって逆にマイナスに映ってしまった。そういうような中で田中さんの能力は、総理大臣になってからはあまり発揮できなかった。
やっぱり田中さんのようなタイプが総理大臣になるということは、日本社会の中で非常に抵抗感が強かったんじゃないですか。「総理を1回やらせてみたい」という興味はあっても、いざなってみると、成り上がり者ということで、そういうものに対して叩こうという全体的な雰囲気、ネットワークが形成されていたように感じますね。
だから、今振り返ってみると、非常に特異なキャラクターだったし、それをうまく活かせるような態勢作りを周りの人たちもしてあげることができなかった。そのために、力が発揮できないまま総理を辞めることになってしまった。
退陣後は「院政」というような、国民が望んでいないようなことを自民党の中で展開していった。そうすると、非常に特異な魅力を持った人、大衆的な人でもあるのにかかわらず、国民から見ると「黒幕の元締め」みたいなイメージ。どんどん実体と違う田中角栄像が出来上がってしまったんです。ロッキード事件が、さらにそういう方向に強く持っていったということですね。
池田ちかこさんには、元国会議員とか派手な肩書きはない。
— woonuma (@woonuma3) 2018年6月8日
でもこの選挙せんの中でわかったことは、新潟県民一人ひとりの気持ちや希望を汲み取ることをとても重視していること。
「日本一選挙に強い男」中村喜四郎は、なぜ新潟県知事選に本気で挑むのか(文春オンライン) https://t.co/bKqNOusgM6
「日本一選挙に強い男」中村喜四郎は、なぜ新潟県知事選に本気で挑むのか | 文春オンライン https://t.co/gkssoCtAf0 あの中村喜四郎だよな。幻の存在じゃなかったんだ!実在したんだ!ほんと、他の選挙区に顔出すなんてどんな心境の変化なんだか。
— 中乃井みあき/九牛一毛 (@nakanoi_miaki) 2018年6月8日
「日本一選挙に強い男」中村喜四郎は、なぜ新潟県知事選に本気で挑むのか #中村喜四郎 #田中角栄 https://t.co/lnSSk2ciOo いろんな意味で大注目の新潟県知事選。
— ぽぽんぷぐにゃん (@poponpgunyan) 2018年6月8日
「日本一選挙に強い男」中村喜四郎は、なぜ新潟県知事選に本気で挑むのか #中村喜四郎 #田中角栄 文春オンラインhttps://t.co/M0ZJtu5Bsr
— kaoruww (@kaoruww) 2018年6月8日
中村喜四郎がこんなにしゃべってるの初めて読んだ。あのマスコミ嫌いによくしゃべらせたなあ。
隣の選挙区の静かな偉人がついに動き出しました。これからに注目。
— セノママ (@srsn0913) 2018年6月8日
「日本一選挙に強い男」中村喜四郎は、なぜ新潟県知事選に本気で挑むのか https://t.co/xUP9ig1FLK
「日本一選挙に強い男」中村喜四郎は、なぜ新潟県知事選に本気で挑むのか
— suhama 脱原発 脱格差社会 (@suhamayuki) 2018年6月8日
今のひ弱な政治家が右往左往している時代では、もっと大混乱の時代が来ますから、そういう時に日本国のために働く場所があれば頑張りたい。こう思っていますよ。
文春オンライン https://t.co/yKBltlIjhx
「日本一選挙に強い男」中村喜四郎は、なぜ新潟県知事選に本気で挑むのか https://t.co/FUUnVHFXhs
— 正藤 典子 (@nokoma0319) 2018年6月8日
Ф 面白いね、小泉さんも恐縮の呈だが。
こうして物事を大きく動かす人が現れるのはいいな。
「日本一選挙に強い男」中村喜四郎は、なぜ新潟県知事選に本気で挑むのか #中村喜四郎 #田中角栄 https://t.co/92m5blll4S 常井健一さんのこの記事は永久保存版です。ただただ感服。
— 畠山理仁 (@hatakezo) 2018年6月8日
このような方が池田氏を応援してると知り、
— water me (@water4flower9) 2018年6月9日
俄然、新潟県知事選が面白くなってきました。
凄いおっさんが味方なんやなー涙。諦めたらあかんなー
— 最近どうしてます?大丈夫です? (@okumanteihen) 2018年6月9日
読ませる力が凄い。
— さだ (@capo2ft) 2018年6月9日
中村さんの凄さを目の前でアツく語る人が居るような記事です。
唸りました。
良い記事だった。ご紹介ありがとうございます。感想としては、中選挙区時代の与党内の戦いが、政治に活力を与えていたんだなと。今の自民党議員は全体的に小粒に見えます。
— H.N. (@Nisitaka46N) 2018年6月9日
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