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安倍政権にノーを突きつける愛媛県知事「中村時広」とは何者か 二度の落選を経験した苦労人
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/55821
2018.06.02 週刊現代 :現代ビジネス
二世議員でありながら、商社勤務を経て2度の落選を経験した苦労人。だからこそ「ノー忖度」な物言いができるのだ。
安倍にトドメを刺す男
JR今治駅は、人口15万人都市のターミナル駅としてはにぎわいをみせている。四国と本州を結ぶ主要な玄関口のひとつであり、広島県尾道市へ架かるしまなみ海道を、バスや自転車で渡る観光客がこの街に集う。
そのしまなみ海道へは、今治駅から北西に1.5kmほど向かうと突き当たるが、行程の途中にある丘陵地に建つ、広大な新築の校舎が目を引く。
加計学園獣医学部――今年4月に開校されたばかりの新しい学び舎を訪れると、職員や学生らしき人たちがちらほらと出入りしている。近所には学生用のアパートやマンションも次々と建てられ、にわかに学園都市の体を成しはじめた。
加計学園の職員や学生に罪はない。だが、安倍首相と理事長・加計孝太郎氏らの関係について、官邸の釈明で十分に真相が明らかになったと感じる国民はほとんどいないだろう。
「記憶にない」
「愛媛県職員が同席していたかはわからない」
5月10日、柳瀬唯夫元首相秘書官の参考人質疑は、「誠実に話したい」との事前コメントとはあまりにも裏腹な答弁に終始した。
森友学園問題における佐川宣寿前国税庁長官の「無回答質疑」が記憶に新しいが、今回はまるでそのデジャブのように映った。
政界のトップ層は知らぬ存ぜぬとダンマリを決める者たちのオンパレード。そんななか、ある男が突きつけた「ノー」は、まるで国民の声を代弁するかのようだった。
柳瀬はウソをついている――。
そう主張するのは、中村時広愛媛県知事(58歳)である。まず4月10日、「首相案件」発言を記録した愛媛県職員作成の文書の存在を認め、職員と会ったことすら「記憶にない」と言っていた柳瀬氏を痛烈に批判。そのうえで中村氏は「職員を全面的に信用している」と言い切った。
また、5月11日の会見後には、県職員が面会した日付が刻印された柳瀬秘書官の名刺と、職員の発言内容をまとめたメモを公表。柳瀬氏が「愛媛県職員に会ったかどうか定かでない」とした発言は虚偽であるとした。
俺にトドメを刺す男は、ひょっとするとこいつかもしれない。思わぬ刺客の登場に、安倍首相は気もそぞろだろう。野党は中村氏の参考人招致を求めているが、与党は頑として拒否している。
国会に呼び出したらなにを話すかわからないうえ、彼の言葉には説得力がある。
これまで全国区で名前が出ることの少なかった中村氏だが、地元・愛媛県民からの信頼は厚い。
「中村知事には、私たちの主催するイベントにサプライズゲストとして登場してもらったことがあります。比較的小さなイベントでも、地域振興になるならと積極的に出てくれる人です。
非常に気さくな方で、打ち合わせにも親身に応じてくれる人でしたね。県のスタッフの人も知事を信頼しているような雰囲気がある。少なくとも、裸の王様ではありません」(愛媛県の地域振興イベント関係者)
慶大卒の元商社マン
1960年生まれの中村氏は'87年に愛媛県議会選に初当選し、その後衆議院議員や松山市長を歴任。'10年から現職、今年で2期8年の長期政権を維持してきた。
父の時雄氏もまた松山市長を務めた人であったが、時広氏は幼くして故郷を離れ、慶應義塾幼稚舎に入学、エスカレーター式に慶應大学へ進学する。大学時代はバドミントンに打ち込むスポーツマンで、卒業後は三菱商事に入社。
経歴だけを振り返れば、まさに順風満帆な「お坊ちゃんロード」を歩んできた男の人生に見える。
だが実際はそうではない。中村氏は血気盛んな学生時代を経て、さまざまな苦難を乗り越えてきたという。
後援者が語る。
「高校時代は慶應ボーイというよりも、むしろやんちゃに遊んでいたみたいで、おイタが過ぎて補導され、停学になったこともあると聞いています。
心を入れ替えたきっかけは、地元の愛媛が舞台になっている司馬遼太郎の『坂の上の雲』を読み、深い感銘を受けたことにあります。明治の若者のように公明正大で高い目標を持った人間になりたい、と自分を見つめなおしたようです」
慶應大学法学部を卒業した'82年、中村氏は当時就職人気ランキングでトップに名を連ねていた三菱商事に就職を決める。
グローバルに世界を渡り歩く仕事にあこがれて叩いた商社の門だったが、現実はそれほど華やかなものではなかった。配属された燃料部ではガソリンスタンドを回り、店長との価格交渉に追われる日々。
入社後いきなり海外で活躍する同期に比べれば、だいぶ地味な仕事だろう。顧客の信頼を得るために、土日は担当のガソリンスタンドを手伝うこともあった。
三菱商事の同期が当時の中村氏をこう評する。
「根っからの体育会気質で、相手によって言葉遣いや対応を変えるようなことはしない人です。目の前の物事に対してはストイックで、たとえばゴルフに行くと、ラウンド中は一言も無駄口を聞かない(笑)。
仕事に関しても、常に顧客第一で彼なりに工夫を重ねる男だったと思います。いまでも付き合いがありますが、一度でも話したことがある人で彼のことを悪く言う人はいませんよ」
安倍一族との深い因縁
厳しい現実に直面しながらも、徐々に周囲の信頼を勝ち取っていった中村氏に転機が訪れたのは、三菱商事に入社して5年目のことだった。たっての希望であった海外赴任の話が突如として転がり込んできたのだ。
「(海外に行けば)何年も帰ってこれないですから、政治家の選択肢はなくなる。翌年には選挙がある。さあどっちだと。(中略)家族にも言わず辞表を出しちゃった。周りの反応はもう、とんでもないっていう感じですよ(笑)」(情報誌『ココロエ愛媛』より)
本人はこのように語っているが、特に母親からの反対は強かった。「政治家以外なら何をやってもいい」と母親に言われるほどだったが、自らの意思で政治家を志した。
「愛媛はすでに自民党議員の地盤が固く築かれた土地で、松山市長を4期務めた父の時雄さんも選挙のたびに相当な苦労をしてきた。家族はそれを見てきたから、時広さんが政界に転身するのを反対したんだと思います」(前出・後援者)
'87年に愛媛県議会議員選挙に立候補し、初当選を果たす。県議時代は同じく20代で当選した大分の岩屋毅氏、佐賀の原口一博氏らと意気投合。彼らとともに「国政に出よう」と一念発起する。
かくして'90年の衆院選に無所属で出馬。当時中選挙区制だった愛媛一区は定数が3で、自民党2枠と社会党1枠が「指定席」だった。中村氏は自民党の対立候補の固い地盤に割って入ることができず、惨敗を喫する。
自身が自民党の清和会に所属しながら敗北したのは、痛恨の極みだっただろう。最初の衆院選出馬当時に中村知事を支援していた人物はこう語る。
「このとき大きな壁になったのが、塩崎恭久衆議院議員の父である潤氏と、関谷勝嗣氏の2人です。『現職2人がいるのに自民党からの出馬を目論むとは何事か』と、結局自民党の公認をもらうことができませんでした。
極めつけは、2人の働きかけで、派閥のドンである安倍晋太郎さんに激励会の演説をドタキャンされたことです。『晋太郎さんが高松に引き返したらしい』と会場で噂になるや、騒然としたものです。
もちろん一番つらかったのは時広さんでしょう。駆けつけた3000人の支援者の前で土下座するハメになった。安倍一族とは二代にわたる因縁なのです」
忖度はしない
中村氏は落選翌日から、毎週月曜日には松山駅に立ち、街頭演説をはじめた。この政治に真摯に向き合う姿勢が、新たな人生を拓くきっかけとなる。
'91年には結婚、翌年には長男を授かる。落選中の身とあって、もう後に引くわけにはいかなくなった。そんななか、清和会の重鎮であった森喜朗氏の計らいもあって、'92年に結党された日本新党から出馬オファーが舞い込んだのだ。
このころ、中村氏は偶然にも党首であった細川護熙氏と出会う。結党したばかりの新党から出馬するべきかどうか迷っていたところ、森氏から細川氏へ「中村時広をよろしく」との後押しがあったという。結果、中村氏は日本新党ブームに乗り、'93年に当選を果たした。
しかし、新進党公認で挑んだ'96年衆院選では関谷勝嗣氏に敗れ、落選。ふたたび街頭に立ち、有権者に訴えかける。そのような地道な活動が功を奏し、'99年の松山市長選では地元からのラブコールを受けた。
「このときの現職は、父の時雄さんが市長時代に助役を務めていた田中誠一氏でした。田中氏は自民党の支援を受け、時雄さんを落選に至らしめた人物で、ぶつかれば父の敵討ちになる。
田中氏はすでに800近くの組織から推薦状を集めていて、中村陣営に当初勝ち目はなく、国政へのリベンジを考えていた時広さんも出馬を渋っていました。
ところが、市長選へ出馬してほしいと願う市の職員や住民の署名が6万以上も集まったのです。地元で誠実に政治活動を続けた成果と、当時39歳という若々しさが有権者に響いた」(地元紙記者)
3期務めた市長時代、中村氏はヤクルト・スワローズのキャンプを招致したり、『坂の上の雲』をモチーフにした街づくりやイベントを企画したりと、商社仕込みのアイデアマンぶりを次々と発揮していった。
それだけでなく、一部で批判する向きがあっても、懐柔してしまう「人たらし」な一面も持ち合わせている。
「中村家の根幹にあるのは保守的な考えですが、時広氏は『既存のものを壊すのが大好き』と言ってはばからないタイプ。『市より県、県より国のほうが上という意識はおかしい』と考えています。
愛媛は伊方原発があったり、慢性的な水不足に悩まされたりと、一筋縄では解決できない問題が多い土地柄です。
かつて西条市のダムから松山市へ分水する話が持ち上がったとき、中村知事は西条の人から『水泥棒』と揶揄されていた。
ところがその半年後、西条で開かれたスノーカーニバルという冬のイベントに、中村知事はいきなり登場し、颯爽とスキーを披露したんです。
これを見た西条市民は『あいつ、意外といいやつじゃないか』と考えを改めた。スタンドプレーもイヤミなくこなせるタイプです」(地元紙記者)
二世議員でありながら、商社マン時代の苦労や2度の落選という挫折を味わっている男の深みがそこにある。
「週刊現代」2018年6月2日号より
一筋の光を見るようです。
— 前田慶子 (@happyskyra5) 2018年6月1日
頑張って欲しい。
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自分も松山に住んでた頃から地域では知られた人物だった → 安倍政権にノーを突きつける愛媛県知事「中村時広」とは何者か https://t.co/Ztun0VcZiy #現代ビジネス
— Kiyoshi (@Kiyoshileo) 2018年6月1日
こういう政治家がいるから救われる。
— ネガ松 (@h8n7r) 2018年6月1日
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— みんみん (@miruki0318) 2018年6月1日
おもろい奴やなあ。二世でありながらボンボンパー助の安倍とは大違いじゃ。⇒安倍政権にノーを突きつける愛媛県知事「中村時広」とは何者か https://t.co/7BUJO13aIo #現代ビジネス
— 二宮金太郎 (@golgo13er) 2018年6月1日
誠実なリーダーこそ活力を生む元になります。_安倍政権にノーを突きつける愛媛県知事「中村時広」とは何者か(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース https://t.co/zQSFgVkhBq @YahooNewsTopics
— びたー (@sweetlifewizKpo) 2018年6月2日
加計学園の職員や学生に罪はない。だが、安倍首相と理事長・加計孝太郎氏らの関係について、官邸の釈明で十分に真相が明らかになったと感じる国民はほとんどいないだろう。
— 星 正秀(普通の弁護士) (@hoshimasahide) 2018年6月2日
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キーパーソンは二人の中村?
— Itchynose (@askmeabc) 2018年6月2日
面白い👍
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