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「嘘のすすめ」 21世紀の日本を生き抜くための処方箋
https://blog.goo.ne.jp/aibatatuya/e/511df1e26dea2e67622b3e01abe2676e
2018年05月31日 世相を斬る あいば達也
遂に、若者“諸君”に「嘘のすすめ」を語らなければならない時代が来てしまった。本来意図するところではないが、どうも、嘘つきの方が、日本社会では出世する時代が到来したようだ。いまさら、“正論”を語っても、唇が寒くなるばかり、ただ無力感が漂うばかりだ。
以下の雑誌は書店の店頭で目立つ雑誌だ。『Wedge』、『WiLL』、『新潮45』、『SPA!』、『正論』、『中央公論』、『Hanada』、『文藝春秋』、『Voice』……。保守乃至は右翼系雑誌と言っていいだろう。拙ブログ、2014.10.05付で、以下のように語っていたが、当時よりも、状況は悪化している。日本会議が正体を現し、安倍政権による、ファシズム体制の進捗に合わせ、保守系雑誌の健闘が目立つ。
―以下のcf.参照―
これら雑誌の場合、冠スポンサーが存在している場合も多く、スポンサーがない場合でも、企業の広告は豊富に見られる。つまり、保守右翼系雑誌の方が企業広告が得やすいので、営業上有利な展開が加担している。日本経済新聞による出版も、保守系書籍メディア部門で、大きな貢献をしているようだ。どうも、金儲けと云うものは、保守的である必要が必須にも思えてくる。
政教分離と世俗(現実)主義と云うものがあるが、最近の安倍政権の思想の通底には、世俗の逆さま“俗世”が主義になった様相を呈している。日本会議のような人々が思考する大日本帝国主義と俗世の経済状況が成らしめている世間の世相を背景に、勢いを増しているように思える部分が多い。安倍政権が、もっと悪政を為政することで、一般人も気づくはずという論は、どうも怪しい気がし始めている。
金子勝氏が日刊ゲンダイのコラムで、「これは深い病だ…文書やデータの改竄に社会が驚かない異常」と題して、東洋ゴム、旭化成建材、東芝、神戸製鋼、日産、スバル、三菱マテリアル、東レから理化学研究所、スルガ銀行などでも改竄がなされ、社会に表層的な「成果主義」が蔓延したことと無縁ではないだろう、と書いているが、このような事例は、現代社会の氷山の一角であり、民間企業では当然のように、霞が関でも時折、警察検察でも、隠ぺいが上手なだけで、起きているものと推量できる。
昔は、嘘も方便であるとか、武士の情け的な見逃し方や体裁を整えるような事は起きていた。しかし、最近の隠ぺいや改ざんの類は、自己保身的なオベンチャラによる犯罪の隠ぺいにまで広がりを見せている。このコラムでは、敢えて、政界の範囲で話をしようと思うが、この大きな意味で「嘘をつく」現象は、世間を表層的に上手に生きる教訓、人生訓にまで格上げされたようにさえ思えてくる。
上手に相手を騙すと云うことは、人生の中では、よくあることで、或る意味の優しさでもあるのだが、最近の企業などの隠ぺい改ざんは、優しさとは無縁で、多くはバレル筈がない、他の企業もやっている。そう云う単純な保身経営傾向が強いのだが、安倍政権の隠ぺい改ざんは、権力による強要や権力の私物化から生まれた問題であり悪質なのだが、一般国民の怒りは、総じて激しいとは言えない。まぁ、あの右翼の安倍の政権だ、そのくらいの事はするんじゃないの?その程度なのだ。
はじめから、怪しい自民党内の永田町の論理で、恥も外聞も忘れて、二度目の登場となった安倍総理なのだから、世間一般は、碌でもない総理、長続きなどする筈もない。そう思っていたのだが、気がつくと5年半も総理の座にいることになった。ただ、一般国民は、政治ネタを避けて生きている傾向が強いので、安倍首相が、どれ程の悪事に手を染めているか、リアリティーを持って評価しているフシはない。
いまが、そこそこ不幸でなければ、それで良いと云う感覚だ。幸福でなければではなく、不幸のどん底でなければ、もうそれでいい。物欲も程々で良い、性欲も程々で良い、そんな生活感が彼らにある。ハウスシェアーも、カーシェアも問題ない。古着、お古でリッチに暮らす。断捨離なんて言葉まで生まれている。所謂、上昇志向の停滞なのだ。中高年は、この若い世代の上昇思考停止を嘆くのだが、20世紀後半から21世紀にかけての、硬直日本社会において、上昇志向は、実は怪我の元でもあった。
つまり、隙間の少なくなった社会構造を打破するには、それなりの才能のある一定の人々に限って、上昇志向が成り立つわけで、一般人には不向きな社会構造があると言っても過言ではない。若い連中が、こんな指向では、国は亡びるなど、老人の戯言なのだ。老人の戯言に踊らされて、不幸な人生は歩きたくない。幸福より、不幸ではないことが、彼らには重要なわけである。ここのところが、ミスマッチで残念な所だが、その溝は埋まらないだろう。筆者は、大学生やOLさんらとのつき合いも多いので肌で感じることだが、彼らを説得するだけの材料が乏しく、容認する方向で日々を送っている。
考えてみると、よく判ることだが、構造的に、中高年の指向と、彼らの指向は、違い過ぎるのだ。彼らは、少子高齢化社会の被害者であるように見えて、実は被害者なだけではなく、受益者でもある。彼らは家を買うことに人生を掛ける必要がない。いずれ家屋は社会的に過剰になり、向きになって家に執着する必要はない。結婚こそ人生、子供こそ生きがい、そのような柵で、人生をぶち壊す気はないようだ。高齢化のお蔭で、爺婆健在、親も健在。そういう家庭が増えているので、食と住はタダ同然だ。精々、自分の稼ぎは、衣とスマホ代と遊興費に回るわけで、低賃金でも、不幸ではない。
その上彼らは、生まれながらにして、経済の低迷しか経験しておらず、高度経済成長やバブル経済が、社会のゆがみを大きくして、現在のような、階層社会、いや、階級社会を生んだと思っているフシさえあるのだ。筆者からみれば、無気力とも取れるわけだが、これからの世界が、グローバリズムの限界と金融資本主義経済、市場原理主義経済の限界点が見えているだけに、大志を抱けとは、口が裂けても言えない時代だけに、見守るしか手立てはない。
ウッカリすると、「嘘のすすめ」と書いてしまいたくなる心境だ。平気で嘘のつける“癖”を身につけるのも悪くない。嘘と誠のTPOが大切だ。仕事では「嘘」私生活では誠……。こんな風に書いても、あまり奇妙さがない今日この頃だが、それほど、安倍政権の嘘が常時化しているのが怖ろしいが、国会で答える人間全員が「嘘つき」なのだから、範を示すなどは“死語”である。
≪これは深い病だ…文書やデータの改竄に社会が驚かない異常 金子勝の「天下の逆襲」
いまの日本社会は、文書やデータの改竄が当たり前の社会になっている。
ここ最近だけでも、東洋ゴム、旭化成建材、東芝、神戸製鋼、日産、スバル、三菱マテリアル、東レ……と日本を代表する名だたる大企業が改竄に手を染めている。研究者の世界でも理化学研究所で研究データを改竄。金融機関ではスルガ銀行で貸し付けデータの改竄が行われた。社会に表層的な「成果主義」が蔓延したことと無縁ではないだろう。
数字を操作して当面乗り切ればいい、どうせバレやしないという態度は、銀行の不良債権問題が深刻化していた25年前にさかのぼる。そうした粉飾が当たり前の社会が行き着いた先が、「官庁の中の官庁」である財務省の公文書改竄なのではないか。国民の血税を預かり、予算を管理する財務省までが数字や事実をごまかすようになったのだ。
これは深い病だ。何より深刻なのは、企業がデータを改竄しても社会が驚かなくなり、役所が公文書を改竄しても国民がさして怒っていないことだ。公文書は民主主義の土台になるものだ。その公文書を役人が勝手に書き換えたのに、責任を問う声がさほど大きくなっていない。いつの間にか、国民も慣れてしまったのだろうか。
恐ろしいことに、日大アメフト部の事件を見ていると、スポーツの社会まで事実をねじ曲げるという風潮が伝染しているように見える。どこまでアメフト部の監督とコーチが事実を語っているのか、多くの国民は疑問に感じている。
モリカケ事件にしろ、企業のデータ改竄にしろ、このままファクトを無視する風潮が当たり前になると、この国は本当に壊れてしまうだろう。
ただ、一筋の希望が見えるのは、組織の論理に染まらず、圧力にも屈せず、「事実はこうだ」と声を上げる個人が少しずつ出ていることだ。文科省の前事務次官の前川喜平氏、愛媛県の職員と県知事、日大アメフト部の宮川選手、さらにセクハラ被害者として実名で声を上げた狛江市役所の4人の女性職員などである。
事実の隠蔽やねじ曲げに対して、意を決して「ノー」の意思表示をした勇気ある者たちが出てきている。モリカケ事件も簡単に終わらないだろう。
≫(日刊ゲンダイ)
◆Cf.
≪「保守・右翼」と「リベラル」 メディアの力量差に愕然
そこそこの規模の書店・雑誌コーナーに立ち寄ってみて判ることだが、「90%対10%」の世界が、此処にもあったと云う印象を持つ。何のことかといえば、「保守・右翼・国家主義」系の雑誌と「ニュートラル・リベラル」系雑誌との、出版物の数の差である。積み上げられている展示スペースの差でもある。意地悪に観察していると、「保守・右翼・国家主義」系の雑誌を手にする客の多くが、中身を確かめることもなく手に取り、レジに向かい購入している。しかし、「ニュートラル・リベラル」系雑誌は手に取られ、パラパラとめくられるが、購入行動に直接結びついていない。つまり、その雑誌を買おうと書店に訪れたわけではなく、内容が読む価値あれば、と云う吟味が入っているように見える。
ニュートラル、リベラル系な人々の場合、筆者も多くの体験を持つが、細かい部分まで拘る傾向が強い。“あばたもエクボ”の心境にならず、原理的部分にも拘るし、“糞味噌”を絶対的に分別する傾向があるようだ。おそらく、リベラルやニュートラル系な政治活動が手を繋ぐことの困難さは、この傾向の人々の性癖にも由来するだろう。その点で、「保守・右翼・国家主義」系の人々はよく言えば大らかだ。糞味噌一緒に食べても平気だし、“あばたもエクボ”は年がら年中で、常に一定の方向で酔いしれていたい性癖を持つ。謂わば、酩酊状態でいたいのだから、目を覚ませと言われるのを最も嫌う。
大変大雑把な括りで話を進めるが、この両派の属する、どちらの人を対象に「商売」する方が得か問題で考えると、大変に判りやすい。誰が考えても、「ニュートラル、リベラル」系雑誌の読者は“七面倒くさい”に違いない。買わずに文句垂れる。「保守・右翼・国家主義」系雑誌では、敵国叩きとか、政敵叩きとか、他メディア叩き、ゴシップ等々、感情的な“酩酊”を誘うし、惚れているわけだから、どれ程粗雑に編集しても売れるのだから堪らない。つまり、商売上、「ニュートラル、リベラル」は金にならん層であり、商業雑誌の根幹を揺るがす。その点、商業雑誌に「保守・右翼・国家主義」はピッタリなのである。オマケで言えば、既存システム的だから、既存企業の広告も取りやすい。
かくして、売ることが目的の書店においても、「保守・右翼・国家主義」が多く置かれるし、よく売れる。無論、販売力の差もあるだろう。複雑系な人間達より、単純系人間の方が、人口構成上も多いだろうし、純朴でもある。そうして、優れたマーケッティングから考えても、「保守・右翼・国家主義」系の雑誌が重用される。無論、イデオロギー的色彩も存在するのだが、市場原理に沿った発行は、「保守・右翼・国家主義」と云う点で一致してしまったのだろう。このような傾向は、日本人が「総中流意識」を形成した、時期と重なっているようだ。そして、日本では労働運動も下火になり、学生運動も下火になって行く。
このような傾向は相乗性もあり、加速度的傾向もあるようで、リベラルな人々が読む雑誌類が、殆どボランティア的精神に委ねられているので、いつの日か、書店で一切目にすることが出来ない出来事まで想定できる。いまでは、一世を風靡した岩波の「世界」にしても、「文芸春秋」の30センチ平積みの中で、2センチの背丈では、ちょぃと「世界」の上に「文芸春秋」が置かれれば、永遠に顧客の目にはつかない運命になる(笑)。 「ニュートラル、リベラル」な雑誌としては、上述の「世界」がどうにか生き残っているが、「改造」(1955年廃刊)、「展望」(1978年廃刊)、「月刊現代」(休刊)、「論座」(2008年廃刊?)の惨状だ。その他の「ニュートラル、リベラル」の月刊誌の多くは、書店での販売に見切りをつけたのだろう、定期購読方式になって生き残りに掛けている。(例示:「選択」、「創」、「FACTA」、「月刊日本」、「紙の爆弾」など)。今後は、ネット上における「ニュートラル、リベラル」系論壇に期待するしかない現状のようだ。「リテラ」の試みが成功するかどうか、注目に値する。
それに引き替え、マーケットを独占状態で、そもそも有利な戦いにあって、「保守・右翼・国家主義」系の雑誌は、安倍晋三政権の右寄り思考と相乗的に、我が世の春を満喫している。書きだすのも腹立たしいが、取りあえず、中身もたしかめず購入してくれるファンによって、美味しい商売をしているのだろう。益々、政府にとって都合の良い人々が増えるのだが、到底“麻疹のようなもの”と言うだけでは済まないのだが、現状では打つ手なしである。まあ、安倍政権がコケタ時どうなるかだが、あまり期待が持てるとは思えない。ちなみに、「保守・右翼・国家主義」雑誌は、元気溌剌である。
国内の宿敵たちの粗探しバッシング、隣国の粗探しと憐れみ、そして崩壊する運命予測。これだけで充分、感情を高揚させてくれる。これが、現状のシステム維持に親和的なのだから、広告面でも有利に作用する。そもそも保守的地盤のある“お上”の国だから、同じようなテーマを、論者を代えて、数回繰り返せるので、編集も楽である。政権自体が、「保守・右翼・国家主義」なのだから、基盤が堅牢な上に、追い風まで吹いているのだから、元気が悪くなる要素ゼロである。もっと面白いことは、叩かれている側も、それなりのリアクションで対決してくるから、いつまでも同一テーマで商売が可能になる。そして、その上、購買者が、内容に関わらず、“この雑誌は買うのだ”と云うバイブル化している点も強みである。ちなみに、あれれ?と思う「保守・右翼・国家主義」系雑誌を羅列して、終わりにする。
「文藝春秋」、「諸君」(2009年休刊、文藝春秋内での諸君化現象)、「正論」(産経新聞)、「中央公論」(読売新聞)、「WILL」(悪名高き花田紀凱編集長・『週刊文春』の編集長に就任した後は、タカ派の論調を展開)、「Voice」(PHP)、「新潮45」(新潮社)、「SAPIO」(小学館)等々。これらに強力にタッグを組んで、ビジネス関連雑誌が刊行されている。書店において、雑誌棚で目にするものは、殆どこちらの属性にあるようだ。尚、週刊誌関連は時間の関係上省略したが、傾向は月刊誌と同じだ。
≫(2014.10.05付拙ブログ)
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