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「正しいと思うことを」外務省時代に教わった官僚の在り方 日本外交と政治の正体
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/229833
2018年5月26日 日刊ゲンダイ
人格者として知られた故・魚本藤吉郎氏(C)日刊ゲンダイ
1980年前後、在ソ連大使館で書記官として働いていた。ソ連がアフガニスタンに侵攻したころである。この侵攻以前に米国がドイツに中距離弾道弾を配備し、ソ連の安全保障環境は押し込まれる状況になっていた。
私は侵攻を一方的な攻撃とみなすべきではない。追い詰められている状況が侵攻を生んでいると、東京に報告していた。
その後、東京に帰ることになった。当時のソ連大使は故・魚本藤吉郎氏である。外務省では「仏の魚本」と呼ばれるほどの人格者という評判だった。帰国前、魚本大使が「2人で飯を食おう」と言われた。私はとっさに、これは帰国にあたって説教されると思った。
魚本大使は「君も帰れば課長になる。だから言っておきたい」と切り出してきて、さらに叱られる予感が現実味を帯びてきたと思った。しかし、彼はまず、こう言った。
「外務省は課長が正しいと思ったことは何でもやらせてくれるところだ。君も、自分の正しいと思うことをやれ」
そして自身の経験について語り始めたのだった。
「安保課長の時、オリンピック直前だった。水泳競技場は代々木で、他の競技場もその周辺だった。だが、選手村は朝霞の予定だった。代々木には米軍キャンプがある。日本国民も世界も、何で、米軍が東京の一等地にキャンプ場を持つかと批判が強まる。それで上司の参事官を連れて、ライシャワー大使のところに出かけ『米軍が朝霞へ行って、選手村を代々木にする』案を提示した」
「ライシャワーは同意した。それで、オリンピック担当の文部省に言うと、選手村は朝霞に決めているから動かせないという。困って官房副長官のところに行って説明すると『君の言うのはもっともだ』となった。そして助言をくれた。『通常閣議で決定する際には事前に次官会議の了解をとる。今回は次官会議にかけずに閣議に出せ。文部大臣は説明を受けていないから、難なく決定できる』と」
閣議の決定後、文部省は怒り狂ったというが、魚本大使はあらためてこう締めくくった。
「正しいと思ったことをやれ。それが外務省の課長に課せられた責任だ」
帰国後、魚本大使の言葉を免罪符に自分の正しいと思うことをやった。関係者の中には困惑した人もいただろう。だから、飛ばされたりもした。しかし、不思議なことに誰かが救い出してくれた。右の論客であり、サウジアラビア、タイ大使などを務めた故・岡崎久彦氏が常に自分を救ってくれるひとりだった。
孫崎享 外交評論家
1943年、旧満州生まれ。東大法学部在学中に外務公務員上級職甲種試験(外交官採用試験)に合格。66年外務省入省。英国や米国、ソ連、イラク勤務などを経て、国際情報局長、駐イラン大使、防衛大教授を歴任。93年、「日本外交 現場からの証言――握手と微笑とイエスでいいか」で山本七平賞を受賞。「日米同盟の正体」「戦後史の正体」「小説外務省―尖閣問題の正体」など著書多数。
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— 日刊ゲンダイ (@nikkan_gendai) 2018年5月25日
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— MCしぐまる (@sgmr0222) 2018年5月26日
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