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天皇への誹謗中傷は愛情の裏返しでしょうか。(谷間の百合)
http://www.asyura2.com/18/senkyo244/msg/851.html
投稿者 赤かぶ 日時 2018 年 5 月 21 日 13:15:55: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 

天皇への誹謗中傷は愛情の裏返しでしょうか。
https://taninoyuri.exblog.jp/29506991/
2018-05-21 10:43 谷間の百合


「阿修羅」のコメント欄で特徴的なのが、関係のない記事に対しても「天皇がー」とか「ヒロヒトは」とかと言わずにいられない人たちが常駐していることです。

十年一日、天皇への誹謗中傷を繰り返している人たちなのですが、愛の反対が無関心だと言われているように、無関心ではいられない何か根の深い思いがあるのでしょうか。

愛情と背中合わせの「思い」と言えば怒られそうですが、例えば、総理や「日本会議」系の人々がこころにもない天皇護持を言っているのがまさに「無関心」であってそれに比すればまだ誹謗中傷のほうが人間的だと言えなくはありません。

最近確信したのが、天皇への荒唐無稽なデマを流してきたのはフリーメーソンでもGHQでもなく、そういう誹謗中傷の中から生まれてきたものだということでした。

「かれら」をなんと呼べばいいのか悩むところですが「朕はたらふく食っておるぞ」で有名なプラカード事件からすでにそういう流れができていたと思われるので、共産主義者でいいのだろうと思います。
(ちなみに、今の共産党と同一視はしていません。)





天皇は沖縄をアメリカに売ったと言うだけでは気が済まないのか自分の命と引き換えに売った言わずにいられないのがかれらの本性です。

しかし、終戦直後に、沖縄のことを思った政治家や日本人が果たしていたでしょうか。

天皇は共産中国やソ連の沖縄への侵攻を恐れるとともに、統治機構が機能していない状況の中で沖縄はどうなるのだろうと思われたに違いありません。

遠い沖縄には支援も届かず、復興も一番後回しになると思われたのではありませんか。

それには、マッカーサーとの個人的な信頼関係があったことが大きいかったと思いますが、だから天皇は沖縄の支援、復興をアメリカに委ねられたのではありませんか。

天皇のこの措置が今に禍根を遺しているというのは違うと思います。

明らかにそれは政治の責任です。

わたしも天皇に戦争責任はあると思っています。

しかし、責任を追及する人たちの最終目的は天皇制の廃止だろうと思いますので、わたしは同調できません。

それに、沖縄の件も含めて、天皇は全国行脚することで責任を果たされました。

歴史上だれも行わなかったというより行い得なかったことです。

広島を訪れた天皇を迎える広島市民の熱狂、歓喜のどよめきは大地も揺るがすほどだったそうです。

そのときの動画をみると涙が噴き出ます。

当時、軍も政治家も戦況について、天皇には嘘しか報告しませんでした。

今もそうです。

国会で嘘をつくということはそういうことです。






昭和天皇の広島巡幸_1947.S22.12.7_背景に原爆ドーム



昭和天皇 広島行幸





 

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コメント
 
1. 2018年5月21日 13:30:25 : DM57KkHIEU : 96CbCgjLgOA[1]
こいつは何を言いたいのだろうか。今天皇を批判しているのは復古主義の極右の連中なのだが。八木秀次とか西尾幹二とか。

[スレ主【赤かぶ】による初期非表示理由]:その他(アラシや工作員によくあるコメントはスレ主が処理可能)
アラシ。
2. 中川隆[-12493] koaQ7Jey 2018年5月21日 13:34:23 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14137]
天皇一族は殺人鬼で人身売買で稼いでいた悪魔だから天罰を下さないといけないんだよ:


キーナンは、自分が技巧的に追及してきたその判決を聞いた日の夜、
彼の切り札証言人、田中隆吉と一杯飲みに外出した。彼は酔いにかまけつつ、

「馬鹿げている、まったく馬鹿げた判決だ」と口にした。彼が最も反対してきた判決は、
松井――南京攻略の際、その命令が悪用された痛ましい小柄な大将――の死刑だった。

 公正は私に、被告に有罪を決定する際、天皇の免責について再考するよう、求めている。
http://www.retirementaustralia.net/rk_tr_emperor_13_3_4.htm


鬼頭久二(1916年8月生まれ)
第16師団歩兵第33連隊 第1大隊

南京戦の時、当時の宮さん〔朝香宮〕から命令があって、その命令は中隊長か小隊長から聞いたけど、

「犬も猫も含め生きている者は全部殺せ」

ちゅう命令やった。

天皇陛下の命令やと言ったな。

当時のことを書いた日記帳は終戦の時に全部焼いた。
http://www.geocities.jp/kk_nanking/
http://www16.atwiki.jp/pipopipo555jp/m/pages/468.html


沢田小次郎(1915年9月生まれ)
第16師団歩兵第33連隊 第1大隊某中隊指揮班

 この中隊には「男も女も子どもも区別なしで殺せ」という命令が出ました。つまり虐殺でした。残虐な攻略戦で、その残虐さは南京に入ったらすぐそうでした。
(略)
南京攻略戦はちょっとやりすぎでした。反日の根拠地というので、
南京に入るまでは家を全部焼けという命令がずっと出てました。
するとまた後続部隊が泊まる所がないからといって、家を焼くのを中止したんです。

とにかく「家は全部焼いて、人間は全部殺せ」という命令でした。

命令が出てなかったらこっちはしませんよ。

北支の戦争では「兵隊以外の者は絶対に怪我人を出したらあかん」という命令が出ていました。 だから北支は戦争しにくかったです。

 でも南京攻略戦は手当たり次第やったので、戦争がしやすかった。
それももちろん命令があったからです。

皆伝え聞いて分かっていました。中支では、上陸してからずっとやりたい放題にやっとったんです。その代わりこっちの被害も多かったですな。あそこは支那の部隊も集中してました。
http://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/

天皇一族は売春業者

 19世紀初頭、世界帝国を建設しようと考えた英国はアジアに対し、アヘン=麻薬を売り、アジア人に英国に対する抵抗心を喪失させ、アヘン売買の利益でアジアを支配するための兵器を買う戦略を採用する。

英国のアヘン売買の中心となったのが、銀行ジャーディン・マセソンであった。マセソンは、英国がインドでアヘンを買い付ける資金を提供し、中国、日本にアヘンを運搬する船の建設費を出し、アヘンの売り上げはマセソンの銀行口座に振り込まれ、その資金で中国、日本を攻める兵器が購入された。兵器の代金は、マセソンの銀行口座で決済された。

マセソン、中国では香港に香港上海銀行(現在の中国の中央銀行)を支店として置き、日本では東京に日本銀行=日銀を支店として創立した。日本政府の井上馨、渋沢栄一に「命令」し、ノウハウを教え、日本銀行を創立させたのは、麻薬銀行マセソンのアレクサンドラ・シャンドである。

日本の中央銀行、日銀は麻薬銀行として創立された。しかし中国と違い、日本では麻薬は売れなかった。


困ったマセソンは、福沢諭吉と天皇に相談し、日本人女性を誘拐し「売春婦」として海外に「販売」する事にした。


貧しい農村の女性には海外で豊かな生活が出来るとダマシ、良家の娘達には洋裁学校を紹介するとダマシ、天皇と三菱財閥は日本人女性を「売春婦」として、海外に売り飛ばした。

天皇と三菱の経営する船会社、日本郵船がダマサレタ女性達を売春婦として海外に運んだ。大部分が処女であった日本人女性達は、船の中で「売春婦」として教育するため、英国人水夫達に毎日、強姦輪姦された。これは天皇の「命令」である。

天皇がダマシ、売春婦として海外に売り飛ばした日本人女性の数は、50万人を超える。大くの女性は、20歳代で梅毒等の性病で死に、または刃物で自分の喉を突き刺して自殺した。

天皇一族の財産はこうして作られた。

http://alternativereport1.seesaa.net/article/50371493.html

高校教科書『新詳説・日本史』の一節から引用する。


「日本の商社活動が活発となり、横浜正金銀行が積極的な貿易金融を行った。(略)また、海運業奨励政策によって、日本郵船会社などの手で、次々と遠洋航路がひらかれていった。(注)日本郵船会社は、三菱会社と半官半民の共同運輸会社との合併によって1885年に設立され、1893年にはボンベイ航路、1899年にはヨーロッパ、アメリカ、オーストラリアへの各航路がひらいた。」

日本郵船の大株主は天皇家と三菱財閥であった。
アメリカへ大量の移民を運んだのは、この日本郵船の船であった。

<中略>

天皇家と日本郵船の深い関係は、明治時代から続いていた。
この会社の船で娼婦たちが海外に「進出」させられた。
詳しくは山田盟子の『ウサギたちが渡った断魂橋』に書かれている。


日本の偉人中の偉人と評価の高い福沢諭吉は、


「賤業婦人の海外に出稼ぎするを公然許可するべきこそ得策なれ」

(『福沢諭吉全集』第十五巻)と主張した。

娼婦を送り出す船会社が、天皇家と三菱に大いなる利益をもたらすということを計算したうえでの「得策なれ」の主張であった。


「至尊の位と至強の力を一に合して、人間の交際を支配し、深く人心の内部を犯してその方向を定る」


福沢諭吉の思想は当時の天皇家に迎えられた。


至尊の位(天皇)と至強の力(三菱)を一に合して、日本郵船は発展していった。日露戦争後、アメリカ移民が増えていった。1908年ごろには、約十万人の移民がアメリカにいた。

1901年、共産主義者の片山潜は、小冊子『渡米案内』を発行した。一週間に二千部売れるほどの当時では大ベストセラーとなった。 片山は、アメリカでの移民生活をベタほめした。日露戦争のころ、アメリカに行くのに約二百五十円の大金が要った。現在、日本に密入国しようとする中国人が、中国マフィア(蛇頭)に支払うくらいの金額だった。
やっとアメリカに渡ったものの、新聞や雑誌や『渡米案内』の甘言広告とは違い、辛酸の極みの生活が移民を待っていた。


男たちは鉄路の重労働やタマネギ畑で働かされ、女たちのほとんどは娼婦の館にほうり込まれた。


このときの莫大な金は、福沢が言う「至尊の位と至強の力」すなわち、皇室と三菱の懐に入った。

片山潜は、天皇が支配(大株主)する横浜正金銀行(旧東京銀行の前身)から金を貰って生活していた。当時の日本共産党幹部たちが、ニューヨーク、ロンドン、モスクワと流れていったが、そのほとんどの金は、この銀行が出したのである。元社会党委員長鈴木茂三郎もこの銀行から金を貰った一人である。

http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20060825

1885年、天皇一族と三菱財閥で日本初の船舶会社


日本郵船が創立される。

明治維新により富国強兵の道を歩み始めた日本は、欧米からあらゆる兵器を購入し続けていたが、欧米への支払いに当てる資金が日本には無かった。

そこで福沢諭吉は、


「賤業婦人の海外に出稼ぎするを公然許可すべき」


という指示を天皇に与える。賤業婦人つまり売春婦として日本人女性を海外に「輸出、 売却」し、兵器購入資金を作るというプランであり、天皇一族はこのプランに飛び付き実行する。

(福沢諭吉全集 第15巻)


1900年初頭から天皇の命令の下、

「海外に行けば良い仕事があり、豊かな生活が出来る」


という宣伝が日本全国で大々的に行われた。

日本の健全な家庭に育った当時の若い女性達は天皇の言葉を信じた。

天皇一族によりだまされ「売春婦として欧米に販売された」日本人女性の数は数十万人。

大部分は健全な家庭に育った若い女性達であり、天皇は「健全な女性を売春婦」として「売却」する事で、欧米の売春業者から女性1人あたり数千円、当時普通の会社員で
あれば10数年分の給与を手に入れていた。

その金額が数十万人分=莫大な資金がこの天皇一族のサギ行為、女性の人身売買により天皇一族に転がり込んだ。 その資金の一部は戦争のための兵器購入に当てられたが、
大部分は天皇の「個人財産」として「蓄財」された。

天皇一族は自分の金儲けのために、健全な若い日本人女性をだまし、売春婦として欧米に「売却」して来た。

天皇一族は欧米の売春業者とタイアップした日本の売春業者であった。

天皇により経営される日本郵船により、欧米に「売却」された日本人女性は、1人残らず現地に着くと即座に売春宿に「連行」され監禁された。そして売春を強制された。

初めての外国であり、逃げ場も助けてくれる相手もいない。
数十万人の日本人女性が、天皇によって売春を強制された。

これが従軍慰安婦の原型である。


日本郵船の共同経営者三菱財閥もこの売春業で巨大化した。
この莫大な富を生む売春業に参加させてもらったお礼に、三菱財閥は昭和天皇の結婚後の新居を、全額三菱財閥の出資で建設する。

渋谷区下渋谷の第一御領地の「花御殿」が昭和天皇の新婚の住居であり、それは数十万人の日本人女性を「売春婦として販売した」利益で、三菱の天皇に対する「売春業参加のお礼」として建設された。

(山田盟子「ウサギたちが渡った断魂橋」 新日本出版社)。

また天皇が大株主であった船舶会社商船三井も天皇と協力し、同一の「売春婦・輸出事業」に従事する。 こうして日本人女性の「販売業者」として天皇一族が蓄積した財産は、第二次大戦後日本に進駐してきた

米軍GHQの財務調査官により調査され、当時の金額で1億ドルを超えると記録されている。

国民に対しては「自分は神」であるとしていた天皇は、女性の人身売買で金儲けし、また日清戦争、日露戦争で中国、ロシアから得た賠償金を自分の私財として「着服」していた。

戦争中全ての日本人は餓死寸前の中、軍需工場で「無給」で重労働を行っていた。
そうした重労働と日本人男性=軍人の死によって戦争によって得られた賠償金を、国民のためでなく自分の私的財産として天皇は着服し、密かに蓄財していた。

また日本軍が朝鮮、中国に侵略し、朝鮮人、中国人を殺害し略奪した貴金属は、天皇の経営する日本郵船によって日本に運び込まれ、日銀の地下金庫にある天皇専用の「黄金の壷」という巨大な壷に蓄財された。

中国、朝鮮から略奪された貴金属、そして賠償金=侵略戦争 は天皇の個人的蓄財のために行われていた。

この問題を調査したエドワード・ベアは、「天皇一族は金銭ギャングである」と吐き棄てるように語っている。

(エドワード・ベア「天皇裕仁」 駐文社)


1945年、日本の敗戦が決定的になると、天皇一族はこの蓄財を米国に「取られる」事に恐怖を感じ、海外に蓄財を「逃し」始める。

天皇の個人銀行でもあった横浜正金銀行を通じて、スイスに850万ポンド、ラテンアメリカに1004万ポンド等、広島、長崎に原爆が落とされ死傷者が苦しんでいる最中、天皇は自分の蓄財を海外に次々と逃がす事に専念する。この問題を調査したマーク・ゲインは、海外に天皇が逃した蓄財は累計で5〜10億ドルに上るとしている。

(マーク・ゲイン「ニッポン日記」 筑摩書房)。

広島、長崎に原爆が落とされ膨大な死傷者が出、戦後日本をどのように再出発させるかを考えなくてはならない時期に、天皇はひたすら自分の蓄財を守るため数百回に及ぶ海外送金を繰り返していた。

日銀の地下金庫からは、莫大な金塊と貴金属が日本郵船により運び出され、アルゼンチンの銀行そしてスイス銀行まで遠路運搬されていた。

中国では日本に逃げ戻るための船舶が無く、逃げ遅れた日本人女性が中国各地で多数強姦殺人され子供が殺害されている最中、天皇は貴重な船舶を独占し、自分の金塊を遠路
アルゼンチン、スイス等に運び出していた。

天皇が自分の蓄財だけしか頭に無く、日本人の事など何も考えていない事は明白である。

(ポール・マニング「米従軍記者が見た昭和天皇」マルジュ社)。


なお天皇が第二次大戦中「売春婦輸出業」を行っていた商船三井の共同経営者が、CIA(当時はOSS)の対・日本作戦部長マクスウェル・クライマンであるのは何故なのか?

敵国のCIA対・日本作戦部長と「仲良く」天皇が「売春婦輸出業」を行っている=天皇はCIA工作員であったのか?

天皇は戦後、このスイス銀行に預けた金塊を担保に資金を借り、CIAが事実上創立した不動産業者=森ビルと共に、港区の不動産を次々に買収し、またハイテク産業に投資し、莫大な蓄財をさらに莫大に膨れ上げさせて行く。
天皇は神でも「象徴」でもなく単なる金儲け主義の金融ビジネスマンである。

そしてここでも「何故か」CIAと天皇は「共同経営者」である。

天皇は、1940年代初頭からスイス銀行に少しずつ蓄財を「移し」始めるが、ヨーロッパにおいてナチス・ヒトラーが虐殺したユダヤ人から奪った貴金属を管理していたのもスイス銀行であった。

天皇はヒトラーに請願し、ナチス・ヒトラーの口座の中に「天皇裕仁」のセクションを作ってもらい、そこに天皇一族の蓄財を隠していた。

天皇とヒトラーはスイス銀行の秘密口座を「共有」する略奪ビジネスのパートナーであり、ナチスと天皇は一体であった。

(アダム・レボー 「ヒトラーの秘密銀行」 


ベストセラーズ・・また濱田政彦「神々の軍隊」 三五館)。


1924年、米国は「排日移民法」という法律を成立させる。
日米関係はまだ険悪ではなく、日本から余りに多数の若い女性が「売春婦」として米国に「輸入」されてくる事が社会問題化し、それを禁止した法律であった。


天皇自身の発言を記録した「昭和天皇独白録」

(藤原彰「徹底検証・昭和天皇独白録」 大月書店)の「大東亜戦争の原因」=日米戦争の原因の項目に、1946年3月18日の天皇の発言として以下の言葉がある。

「米国のカリフォルニア州への移民拒否については、日本を憤慨させるに十分なものであった。」

この発言は日米戦争の原因についての天皇自身の発言である。

日本人女性をだまし、売春婦として米国に「売却」する天皇の売春ビジネス=移民を米国が禁止した、それに憤慨激怒し米国と戦争を始めたと天皇自身が独白しているのである。

天皇一族は神でも「象徴」でも無く、人間のクズの集団である。

追記・・例え殺されても自分の命と引き換えに真実を語るのがジャーナリストの仕事である。

天皇に欺かれ売春婦にさせられた数十万人の日本人女性達の無念の人生のために、誰かが真実を語らなければならない。

http://www5.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=521727&log=20070607

人身売買と近代日本の成立 


自国女性を海外に売るのが「ロイヤルビジネス」だった


「からゆきさん」と呼ばれたどちらかといえば普通の「娘の身売り」の陰には、さらに悪質な詐欺的人身売買が、国策として、天皇のロイヤルビジネスとして、白人商人と連携して組織的に、国策会社日本郵船(=三菱)により、大々的に行われていた。

そして、その人身売買こそが、日本資本主義の原初的蓄積過程だった。

つまり、近代日本国家は自国女を売って成立した。


「オルタナティブ通信」などを通じて知るようになったこの事実ですが、まとまった知識を持った人をTwitterで見つけました。

http://twitter.com/urashima2


戦前の日本は民族差別に反対してたとか言ってる方がいまだに多いが、実際のところは人身売買する上で邪魔だったというのが大きな理由のようだ。そもそもアメリカが排日移民法を作らざるを得なかったのは日本からあまりに膨大な日本人女性が売られてきたからにほかならない。


戦前の日本が差別を許さないとか、プロパガンダにもならない妄想…。

世界最大の賤業婦人(売春婦)輸出大国だったのに。

それも騙して海外へ連れ出すという極悪非道ぶり。


いわゆる「からゆきさん」なんてハイカラな名称付けられているのが、それ。

ジャパゆきさんは自分の意志でオーディション受けて、どういう場所で働くか承知で来るかも知れない、からゆきさんの大半は国策として騙された人や誘拐・拉致同然に連れだされた方々なのでまるっきり違う。


からゆきさんと言っても中国だけじゃない。

世界中に貨物船の片隅に押し込められ売られており、明治から昭和にかけて、その数は30万人以上とも言われている。

戦争責任を追求する大手マスコミでさえ、からゆきさんについては非情に及び腰。

理由はロイヤル・ビジネスだから。


おもに日本郵船=三菱と組んでいるが、三菱といえば岩崎弥太郎。

岩崎といえば龍馬。龍馬といえばグラバー。

グラバーといえば武器商人…ってな具合に背後は真っ黒の助。

そもそも武器を買うための資金として人身売買をはじめた。


グラバーといえばマセソン商会の元社員で代理人。

マセソンといえばアヘン商人。

ようするに茶を買うためアヘンを売るのが、武器を買うために女性を売る…にかわっただけ。

長州ファイブを留学させたのもマセソン商会。

岩崎=長州閥=天皇家は一蓮托生でアヘン・武器商とつるんでた。


騙して日本人女性を売った金で武器を買う。

その両方でピンハネすればボロ儲け。


三菱財閥が巨大化した最大の理由が人身売買…

などとは歴史の教科書や社史にも出てくるわけない。


人身売買であげた利益で武器を買い、それで戦争を行っては国民を虫けらのように死なせた。そういうビジネスを明治以来一貫して下衆なアヘン・武器商人と結託しながらやってきた。宗教も人種も違う連中を奴隷貿易するでもなく、自国の同胞女性を詐欺まがいに海外へ大量に売り飛ばすという豪快なことをしていた日本。


さうがの毛唐も

「オーマイガッツ!

ジャップのやつ正気の沙汰とは思えない。

オークレイジー」

なんて驚いたことだろう。


そういう背景により、クレージーなジャップによる人身売買を阻止するため、アメリカは排日移民法をつくってくれた。それを、差別だとかいうのだから凄い。


戦争の原因について


「カリフォルニア州への移民拒否については、 日本を憤慨させるに十分なものであった」

とは裕仁天皇のお言葉。これが戦争の原因なのだというから素晴らしい。


戦前の国策による人身売買の実態を隠蔽するため「からゆきさん」と混同されるようにイメージの偽装転換が巧妙になされている。実際はからゆきさんなんてレベルをこえた国策の人身売買が壮大なスケールで行わていた。


本来の「からゆきさん」なんてのは九州の貧しい農村部の女性が女衒に連れられアジアの娼館で働くというものだが、日本郵船とかがやってたのは基本的に詐欺。


「海外で教養を身につけよう」

「あこがれのアメリカで働こう」


なんてかんじで良家の子女から寒村にいたるまで処女を集めた。


私もこのブログで、アメリカの人身売買報告書が日本に異常に厳しいことを人種差別ではないかと批判したことがありましたが、見当違いだったかもしれません。

彼らは当然ながらこういう過去の事実を知っている。この件の被害者は日本人であり、欧米商人も関与していたので、あえて言挙げはしないが、日本国がこういう体質をもっているということには留意している。このような過去の犯罪行為について、日本人がほとんど知らされておらず日本国内に批判も反省もないことも見ている。

普通に「人身売買を防止する」という観点から見て、日本が要警戒国になるのは当然ですね。


これから必然的に貧しくなっていく日本ですが、日本女性は日本国家および天皇一族を警戒したほうが良いといえます。同時に、従軍慰安婦問題や南京強姦事件で騒いでくれる近隣国の人々に感謝しなければならない。被害者が日本人だけなら、誰も騒がず、語ろうとする者は口封じをされ、そんな過去はなかったことになります。

天皇と三菱とが一体になり、外国商人と連携して、国策でこのような犯罪行為を行った歴史が「なかったこと」にされている。何の反省もない。

このままでは、日本国家にカネが必要なときにはまた同じことが繰り返されることになるでしょう。


日本国=天皇=三菱等、

はその成立時から人身売買マフィアであり、芯から腐っていると言えます。初めから腐っているものはどうしようもありません。「日本の解体」が是非必要です。

http://kuantan-bin-ibrahim.blogspot.com/

あめゆきさんの歌、山田わか


 日系アメリカ人の歴史の本を読んでいた時に、

「アメリカの日本人の嚆矢(はじまり)は日本人売春婦」

という記述に出会って、愕然としたことがある。


 コロラドに、江戸時代の日本人売春婦の墓標が残されているそうだが、日米和親条約(1853年)が締結される以前の話である。日本から、アメリカに直接に向かうことができなかったので、アジアを経由して、密航者としてアメリカに渡ったらしい。

 この女性たちの歴史の発掘に尽力されたのが、サンフランシスコの日本語協会の石崎五郎さん(UCデイビス校の獣医学の教授、故人)だった。石崎さんは、そうした女性の存在を不憫に思われたようだ。 中国や東南アジアに渡ったからゆきさんのことは、森崎和江や山崎朋子の著作で知ってはいたが、そうした事実が、このアメリカでもあったのだ。


 明治の新聞ダイジェストを読んでいた時に、オーストラリア行きの船の船倉で、日本人売春婦が窒息死体となって発見されたという記事を目にしたことがあるが、日本人売春婦は、オーストラリアにも、密航させられていたようだ。 十九世紀末のアジアに渡った日本人売春婦を意味する”からゆきさん”という言葉から、山崎朋子(ノンフィクション作家)が、”あめゆきさん”という言葉を作り、「あめゆきさんの歌:山田わかの数奇なる生涯」という本を書いたのが、1978年。

 プラムさんに、山田わかが働いていた場所を訊ねられた私は、シアトル時代の山田わかの手掛かりを求めて、この本を読み返した。 この本の記述とシアトル旧日本人街明細図から、20世紀初頭に、彼女が白人相手の売春婦として働いていた場所が分かった。

現在のシアトル・アジア人街のあるインターナショナル・ディストリクトの一角だ。 私自身、以前、インターナショナル・ディストリクトを訪れた時に、山田わかはどこで働かされていたのだろうと、漠然とした疑問をもちながら、同地域を歩いていたのだが、今回、キング・ストリートと5番街の角のアロハ・ハウス(現在は別のお店になっている)で働いていたことが分かった。


 1906年に、26歳で日本に帰国した山田わかは、近所に住んでいたことから平塚らいてふと知遇を得て、青鞜に参加。『朝日新聞』の人生相談の回答者になって、アメリカ帰りの女流評論家として成功した。


 アメリカの図書館で、私は、戦前に発行された山田わかの本を2冊、見掛けたことがあるし、サンフランシスコで、彼女の夫となった山田嘉吉の教える英語塾で山田わかに出会ったことがあるという人から話を訊いたこともある。 私が渡米した頃には、ヤングさんと呼ばれた日系一世の若手がまだ、生きていたのだ。ヤングさんは、英語の勉強のために、サンフランシスコの山田嘉吉の英語塾に通ったようだ。

 山田わかのシアトル時代の記述については、サンフランシスコで発行された『あめりか新聞』(1937年)のオリジナルをUCLAのライブラリー(special collections library)で読んだこともあるし、山崎朋子が出会ったリン(林)司書から、直接、お話を聞いたこともある。リンさんは、UCLAのアジア関係の生き字引のような方だったが、1990年代の前半に退職された。

第二次世界大戦後、山田わかが心血を注いだ仕事に、売春婦の更生施設の建設、運営があった。 売春婦から更生して家庭人となった彼女だからこそ、更生が、いかに大切であるかということを知っていたのであろう。

 私は、アメリカに住む日本人のことをリサーチしている理由の一つに、日本人は、アメリカから何を学ぶのだろか、ということがある。山田わかの場合は、不屈の向上心だったのではないだろうか。

http://plaza.rakuten.co.jp/katiebooks/diary/200408240000/

昔アメリカで、ハロウィーンに英語もできないくせに白人様の真似をして調子こいていた馬鹿な日本人留学生が射殺された事件がありました。しかし、アメリカ白人がやったことなので日本人は怒りません。その因縁のハロウィーンを、やがて日本人たちはアメリカ白人と一緒になって馬鹿騒ぎして祝うようになりました。

だいたい日本人に同胞意識などない。自分が白人様にでも引き立てられれば、黄色人種の同胞なんてクソみたいなものです。日本人で出世して偉くなる人はみんなそう思っています。


天皇のロイヤルビジネスは、日本人の素人女性を騙して、日本郵船の貨物船に乗せて海外に性奴隷として売り、外貨を稼ぐというものでした。


日露戦争などの戦費もそれで出した。

同胞の日本人女でさえ騙して奴隷にして、船内で白人船員に強姦させて売春婦教育し、外国の売春宿に平気で売る事をしてきた日本人なので、朝鮮人従軍慰安婦の強制連行や戦地や日本軍進駐先(前記事のタイにも進駐していた)での住民強姦など朝飯前のことです。

(そんなことを否定したり事実を争ったりする方がどうにかしています)。


日本はもともとそういう麗しい国なのです。なので、マトモな人間なら、日本人であれ外国人であれ、「反日」になるのが自然です。
http://kuantan-bin-ibrahim.blogspot.com/



[スレ主【赤かぶ】による初期非表示理由]:その他(アラシや工作員によくあるコメントはスレ主が処理可能)
アラシ。

[18初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数により全部処理

3. 2018年5月21日 14:19:55 : 8j1WRQYK5E : Gq_UtmUbYCU[8]
工作員が全く無関係の話題で的外れな「朝鮮人非難」を書き込むのは、ヘイトスピ−チ対策法を作るためだったんだろう。

じゃ、的外れな天皇批判を書き込むのは何のため?


4. 中川隆[-12497] koaQ7Jey 2018年5月21日 14:46:58 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14143]
天皇批判 = 日本国憲法批判

だからさ

天皇制を守りたい売国奴だけが護憲派なんだ

[18初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数により全部処理

5. 中川隆[-12496] koaQ7Jey 2018年5月21日 14:49:08 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14143]
天皇はアメリカのお蔭で地位が保証されるから、日本をアメリカの植民地にしたんだだ

現行憲法も天皇の地位を保証する為にGHQが急いで作らせたものだしね:


東京を囲むように米軍基地がある。
横須賀に海軍もある。

東京に敵は攻めて来るか?
なら、東京周辺は、何のために?

天皇家を守るために、又ク-デタ-を心配して駐屯しているのだそうだ。


天皇一族は軍人によるクーデターや革命を極度の恐れているので、日本軍を持たないで米軍に皇居の近くに駐留して天皇一族を守ってもらいたいのですね:


革命に恐れおののいていた天皇家の人々


梨本宮伊都子妃の日記

梨本宮伊都子妃の日記が死後発表された。梨本宮伊都子妃は昭和51年まで生き、死後、この日記は発表された。よく発表したもんだと思う。プライベートに書き綴ったものを遺族が発表したのだ。ここまで書いていたら普通なら発表しない。あるいは、この部分は省略するか、あるいは発表する前に破り捨ててしまうか。それをしなかったのは大変な勇気だと思う。


伊都子妃が、「日本ももうだめだ」と考えたのが昭和33年11月27日だ。その4ヶ月前、その皇太子さまも、絶望的な気持ちになっていた。「おことば」はこうだ。

 『昭和33年7月14日。
 きみ、きっと、これが僕の運命だね。
 明仁皇太子』

 どんな運命かというと、「暗殺される運命」だ。島田の「解説」には、こうある。

 『この日、イラク国王ファイサル二世は、軍部のクーデターと民衆の蜂起により暗殺された。ご学友の橋本明氏がたまたま御所に招かれていて、一緒にお茶を飲んでいると、侍従から報告があったという。

 「皇太子はその瞬間、蒼白になり、手にしていた紅茶が入った茶碗を膝の上に落として、数秒だったが、口をおききになれなかった」が、自分を取り戻してこう発言されたそうだ。まだ美智子妃の実家、正田家が婚約を固辞していた頃だ。二十二才で暗殺された国王の不幸を他人事とは思えなかったのだろう』


(3)「浩宮の代で最後になるのだろうか」と悲しいおことばを

 昭和33年というのは、1958年だ。60年安保闘争の直前だ。左翼の力が強かった時だ。「天皇制打倒!」を叫ぶ人々も多くいた。そうした日本の風潮も知っていたのだ。そこにイラク国王の暗殺の報だ。

 しかし、ご学友が遊びに来てる時にわざわざ、こんな事を報告するなんて、侍従もおかしい。島田はさらにこう続けている。

 『のちに、戦後初の国賓として来日し、鴨猟で接待したエチオピア皇帝ハイレ・セラシェも亡くなり、イランのホメイニ革命によりパーレビ王朝も打倒され、アジアからは続々、王制が消えてゆく。

 長男浩宮が生まれると、明仁皇太子は学友たちに「浩宮の代で最後になるのだろうか」といったという』
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/2207/2005/shuchou0822.html


脅迫で可決した日本国憲法

マッカーサーはGHQのアルバイト職員に、7日間でで英語の憲法草案を書かせ、日本語に翻訳して新聞社に直接掲載させた。

GHQによる憲法発表が先であって、国会議員や総理大臣は新聞を読んで初めて「GHQ憲法」の存在を知らされた。

ここで駆け引きに使われたのが「昭和天皇処遇と戦争再開」で、GHQ側は公然と、「議会が承認しないならもう一度空襲してやる」と言ったそうです。


ここで日本の国会議員らは、もう一度アメリカと玉砕戦争をするか、それともGHQ憲法を承認するかの二者択一を迫られました、

GHQ憲法は3月7日に発表され、1946年8月24日に衆議院可決、10月6日に貴族院(後の参議院)でも圧倒的多数で可決成立した。

若干の審議と修正がおこなわれたものの、1946年の時点では昭和天皇を初めとして大半の政治家や有力者が、戦犯として裁判に掛けられる恐れがあった。

東京裁判はアメリカ軍側の証拠や証人だけが採用され、被告側の証人や証拠は一切認めないので、最初から有罪が確定していたイカサマ裁判でした。


例えば東京大学(当時唯一の最高学府で最高権威)はGHQ憲法は違法だと主張していたが、GHQは教授らを連行して戦争裁判に掛けると脅迫した。

東大は新憲法容認に立場を変えて「憲法学」という珍妙な学問を考案し、以来日本国憲法を擁護している。

日本国憲法はその成立過程において、民主的な手続きを一切経ておらず、憲法自体が無効だと考えられるが、安倍首相はあくまで正式な改正手続きを踏みたいようです。

リサイクルも良いが、ゴミはゴミ箱に捨てるべきでは無いだろうか。
http://www.thutmosev.com/archives/70762817.html


新憲法が作られるのは早く、1947年5月3日に施行されているが、その理由も東京裁判と同じだ。
当時、日本の支配層は認められるはずのない「大日本国憲法」に執着、時間を浪費していた。

そのため、アメリカ主導で天皇制の継続が謳われた新憲法が作成されたわけである。

「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」と第1条にある。


1937年12月に日本軍は南京を攻略している。

中支那方面軍司令官兼上海派遣軍司令官だった松井石根大将が指揮したことになっているが、事実上のトップは昭和天皇の叔父にあたる上海派遣軍の司令官だった朝香宮鳩彦だった。

そこで何が行われたかをイギリスも知っていたはずだが、その直後、イギリスの支配層でソ連を第1の敵と考える勢力が「日本・アングロ・ファシスト同盟」を結成しようと考えていたという。(Anthony Cave Brown, “"C": The Secret Life of Sir Stewart Graham Menzies”, Macmillan, 1988)


日本の場合、最大の問題になる人物は昭和天皇。日本が降伏した直後、堀田善衛は上海で中国の学生から「あなた方日本の知識人は、あの天皇というものをどうしようと思っているのか?」と「噛みつくような工合に質問」されたという(堀田善衛著『上海にて』)が、同じことを考える人が日本軍と戦った国々、例えばイギリスやオーストラリアには少なくない。ソ連も天皇に厳しい姿勢を示していた。

 つまり、そうした人びとの影響力が強まる前にアメリカの支配層は天皇制官僚国家を維持するために手を打とうとする。1946年1月に設立された極東国際軍事裁判(東京裁判)の目的はそこにある。その裁判では厳罰に処せられた人がいる反面、本来なら起訴されるべき人が起訴されていない。

 新憲法が作られるのは早く、1947年5月3日に施行されているが、その理由も東京裁判と同じだ。当時、日本の支配層は認められるはずのない「大日本国憲法」に執着、時間を浪費していた。そのため、アメリカ主導で天皇制の継続が謳われた新憲法が作成されたわけである。「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」と第1条にある。

 占領時代、アメリカ軍が中心のGHQ/SCAP(連合国軍最高司令官総司令部)の内部でも、多くの将校は天皇を中心とする侵略戦争の象徴である靖国神社の焼却を主張していたという。焼かれなかったのは、ローマ教皇庁が送り込んでいたブルーノ・ビッターが強く反対したからだという。(朝日ソノラマ編集部『マッカーサーの涙』朝日ソノラマ、1973年)

 ビッターはニューヨークのフランシス・スペルマン枢機卿の高弟で、この枢機卿はジョバンニ・モンティニ(ローマ教皇パウロ6世)と同様、CIAと教皇庁を結びつける重要人物だった。

 月刊誌「真相」の1954年4月号によると、1953年秋に来日したリチャード・ニクソンはバンク・オブ・アメリカ東京支店の副支店長を大使館官邸に呼びつけ、「厳重な帳簿検査と細かい工作指示を与えた」というのだが、この会談では闇資金の運用について話し合われたとされている。
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201608070001/


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6. 2018年5月21日 15:23:34 : 7EiYaQx3gY : W@hUfVvS_3Y[88]

素晴らしい! さすがはGHQのプレスコード、戦後メディアと洗脳教育の成果! これほど洗脳が深化し、ゆるぎない確信となり、天皇教となっていれば、天皇家と縁戚の安倍インチキ政権・自民党・日本会議もやりやすい。来年は皇位の継承儀式があるだろう。どうぞ、天皇陛下万歳! と叫んでください。そしてヤラセ・ミサイル危機の折には、戦前酷似の地べたへ伏して天皇陛下に感謝しましょう!

ちなみに、ナチスとブッシュが敵同士であるにもかかわらず裏で手を組んでいたこと、沖縄米軍の長期駐留は、昭和天皇の強い要望であったこと、東京裁判のキーナン判事らへ賄賂と上流社会の女を与えて免罪を求めていたことなどは、ご存知か? そして安倍政権が、日米軍産の利益のためにデッチアゲられた不正選挙のインチキ政権であること、政治には隠しておきたい裏があることも、ご存じ? ご存知ない? へえ〜!

これを(↓)じっくり眺めた後で、下記を読んでみてください。たぶん、嘔吐を催します。
https://rakusen.exblog.jp/iv/detail/?s=22922833&i=201509%2F19%2F00%2Fe0069900_02503226.jpg

>実は今も続く天皇財閥の支配(日銀,日赤,神社だけでなく日本財団,創価学会も)
http://rakusen.exblog.jp/22922833/
>戦前に最強財閥だった天皇家!天皇家と政治家の癒着が凄すぎワロタwww
http://matome.naver.jp/odai/2140436353168944501
>【絶句】秋の叙勲:旭日大綬章にラムズフェルド元国防長官、アーミテージ元国務副長官など
http://健康法.jp/archives/8328

>太平洋戦争戦跡地:戦没者の60%強140万人は餓死であった
http://www7a.biglobe.ne.jp/~mhvpip/PacificWar.html
>天皇家の秘密(真 救世主 at 12/02 18:56)
http://takao-sato.seesaa.net/pages/user/m/article?article_id=171529972
http://takao-sato.seesaa.net/pages/user/m/article?article_id=171529972&page=3
>昭和天皇の戦争責任(1)http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-6425.html
>沖縄メッセージ(昭和天皇がマッカーサー元帥に宛てた「米軍による長期沖縄占領継続を依頼するメッセージ」) http://www.geocities.jp/warera_tikyujin/law_war/okinawa_message.html

>ブッシュとナチスの結託 政府公文書で確証http://cybervisionz.jugem.jp/?eid=50
〜911事件以降 イラク(中東)に於いて "自由・解放"の名の下に殺戮を繰り返す米ブッシュ大統領の家系は、第二次大戦当時 祖父のプレスコット・ブッシュによってナチス・ヒットラーとの関係により財を成してきた家系であることが政府公文書で確証されている。



7. 2018年5月21日 15:53:49 : 8HQYdGi1DM : zN7l8NMJDrs[1]
そこを抜きに今の支配体制は語れない
ある種の闇みたいなものになってしまっている
国民もその闇に一役買っている

8. 2018年5月21日 16:38:39 : vBv70J51rE : GPm8QxyRndY[30]


  たとえ天皇の先祖が古代豪族で日本列島で最大の権力者であったとしても、それがどうしたと言うのだ。先祖の人間が偉かっただけで、その子孫が1000年以上経った今でも偉いわけではなかろう。

  先祖がどんな権力者であろうと、その子孫を神格化したり、日本国の元首だ象徴だなどというのはいいかげんに終わりにしろと俺は思う。

  それにしても、何がうれしくて人の上に人を作りたがるのかわからんな。責任ある主権者になるより、無責任な被統治者のほうが気楽でいいのか。奴隷根性だな。




9. 2018年5月21日 17:01:21 : A4AvZivHZs : VNftEPmtM9w[389]
天皇(朝廷)という存在は あくまでも神輿に過ぎない 明治維新から急に持ち上げられただけの事で
江戸時代以前 特に戦国時代など、朝廷は清貧を極め 民衆から搾取する事は ほとんど無かったという事実を
よく考えれば誰にでも判る事 もし 本当に 日本を支配し民衆から搾取していたならば
戦国時代に あの織田信長は 絶対に朝廷を攻め滅ぼしたであろう

戦国時代 京都御所は ボロボロで修復の資金すらなく 侍女が夜な夜な日銭を体で稼いでいたという
まさに 「君臨すれど統治せず」 権威は持つが 権力は持たない これが 中国大陸における歴代の皇帝と
決定的に違う事で 日本の歴史に、長年 君臨し続けてきた“処世術”のようなものであったろう

中川のような ネトウヨは あの戦争への責任を【すべて天皇に押し付ける事で 天皇以外の指導者を擁護する】
という事を目的としている馬鹿ウヨだ だから 天皇以外の 当時の指導者への批判は一切語る事がない
「天皇が全て悪い 他の指導者に一切責任はない」 という事の一点張りだ

● 昨今 天皇は左翼だ 在日だ などと、平気で罵るネトウヨがやたらと目立つ

事実 昭和天皇が もっとも信頼を置いていた閣僚は、今でなら絶対に左翼論客と呼ばれるであろう米内光政
だった事は 周知の事実である したがって 天皇は左翼だ は、ある意味事実かもしれない

※ 右翼が 天皇を気持ち悪いほど崇拝するのは 「ただカッコつけているだけ」 しかし本音では
 「誰のお陰でお前ら皇族が いい暮らしが出来るようになったんだ」 これなのですから
 薩長の国粋主義者たちからすれば、あくまでも天皇は 飾り物 なのです ※


なにせ 明治維新の帰趨を 決定的にした『錦の御旗』は、薩長の国粋主義者と岩倉具視が結託した
【偽物】であったという この説が 歴史研究で 最有力となりつつあるのは厳然たる事実であります
要するに 「徳川幕府を倒せ」 という勅令は 最後まで出なかった可能性が高い訳であり
薩長が勝手に作り上げた国家体制に 事後承諾と言う形で乗せられたのが 明治維新新政府の真の姿で
この 「権力の二重構造」 が、軍部の暴走を呼び いつかは帝国は 崩壊する運命にあったという事です。


要するに 「偽物だった錦の御旗」 に始まり 「(軍部が政治に口を出した)統帥権干犯の論理」 まで
軍部および国粋主義者たちが 天皇を散々政治利用しまくり ついには自滅の道を歩んだ訳ですが
戦後は 国民には 「天皇に対する敬愛」 だけが残った訳です
(ただし、天皇にだって あの戦争に 極めて大きな責任は 有った事は事実でしょうが)

だから 織田信長も 徳川家康も マッカーサーも 天皇(皇室)を 決して潰したりしなかった訳です。


10. 中川隆[-12507] koaQ7Jey 2018年5月21日 17:37:29 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14155]
>>9
軍部には力なんか全然無かったんだよ:

昭和天皇が2・26事件を起こさせた本当の理由


ねず氏は、天皇は自分の統帥権が犯され、統帥権が奪われようとすることには敏感に反応するのであって、統帥権を断固維持しようと腐心する。これは天皇家の歴史的本能だ、という。

2・26事件は為替相場を不当に操作して儲けるために起こさせたものだった.
2・26事件が起きると、当然のことながら日本の国家信用が落ちて、為替や株価が暴落した.

もし、天皇があらかじめ為替や株価でも儲けを企図し、シナリオを書かせていたとしたら、事件で暗殺される「重臣」たちが青年将校らによって殺されることも計算のうちに入っていた、あるいは気に入らない「重臣」を消すために事件を起こさせたとも考えられる。

青年将校らにとっては、いわば天皇親政によって昭和維新を断行するのだと夢見ていたのだろうが、実際の天皇はそういう人ではなかった。つまり天皇は飾り物にされ、周囲の奸臣・奸官に取り巻かれているから正しい政治が行われないと善意に解釈していたが、そうではなくいわば奸凶は天皇自身だったのである。

 2・26事件がおきると、天皇はその40分後には情報を得て、ただちに彼らを反乱軍と断じ、鎮圧を命令している。決起した将校らにしてみれば、天皇にまさかの裏切りにあったのである。しかし、この天皇の裏切りは、「将校らにしてみれば」なのであって、私は彼ら将校は天皇・財閥側が仕掛けたワナにハマっただけではないかと思う。
天皇は、決起将校らを私利私欲に基づくものと激怒したが、当の将校らは無私の心で決起した心づもりだから、まるで話がかみあわない。むしろ、天皇のほうが、私利私欲で自分の資産の運用だけの思惑で動いていたのだ。

なにしろ、戦前の天皇家は世界一の金持ちとも言われるほどの天文学的資産家であった。天皇は、大財閥や主要銀行、大企業などの大株主であったから、国家から予算として年額150万円を支給されていたとは別に、その配当は巨額なものであった。

だから戦争をやれば、こうした大企業が巨利を得ることになり、それがそのまま皇室の持ち株への巨額配当となって返ってくる仕掛けだった。事変=戦争を起こし、植民地で搾取すればするほど皇室の懐が潤う仕掛けである。

だから天皇家は、日本が満州事変、支那事変、大東亜戦争へと打って出ることに反対しなかった。2・26事件の将校を断罪するなら、なんで満州事変や支那事変を主導した軍部を断罪し止めなかったのだ? 

それは昭和天皇が、立憲君主ではなく、実は専制君主であったからであり、実際、戦争に反対するどころか積極的に戦争を押し進めた。

大東亜戦争中は、なんと宮中に大本営を置き、作戦を指揮し、認可していたのが真相である。

2・26事件のときだけ政治的に介入し鎮圧を命じて、あとのときはすべて「君臨すれども統治せず」を貫きとおし、終戦のときだけ仕方なく決断したなんてことがありようか。
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20060825
 

2・26事件が起きることを天皇はあらかじめ知っていたのではないか。財閥から情報が入っていたに違いないのである。というよりも、そもそも天皇と財閥(とその代理人)が2・26事件を仕掛けたと見るべきではなかろうか。

事件発生から終息までの2日間もちゃんと前もって計算されていたのであるまいか。仕掛けた闇の勢力は当然、真崎らがどう動くか、どう終息させるかも読んでいたか、指示していたに違いない。

 クーデターが起きれば為替も株も暴落するのは、あらかじめわかりきった話である。それをあえて事前にわかっていながら反乱を阻止しなかったこの不自然さ。反乱を起こす予定の将校らには財閥から資金が流れていたし、将校らには官憲が張っていたのだ。彼ら将校は六本木第一師団司令部(防衛庁跡地)前の中華料理屋でしきりに会合(飲食?)を開き、談論風発をやって、決起、決起と気勢をあげていた。それが官憲に筒抜けにならないわけがなかろう。それなのに、将校が事件直前に弾薬庫から実包(実弾)を運び出しても黙って通過せているのだから、こんな見え見えの策謀はない。
皇室も財閥も「クーデターによって為替の相場を下落させて、売買の操作によって利を求めるドル買い事件にすぎなかった」この2・26事件を、すべて芝居でやらせたのではなかったか。

つまり、すべては財閥と天皇の書いたシナリオに従っていただけで、すべては企画された事件だったのではあるまいか。
http://blog.goo.ne.jp/hienkouhou/e/6863442c2632a11902486caa91a0cb55

昭和天皇は、自分の恋(つまり後の良子(ながこ)香淳皇后との恋)を成就させるために、右翼勢力の力を借りた。そのために右翼の台頭を許してしまい、かえってみずからの統帥権をその右翼壮士らに脅かされる事態になったので、その動きを壊滅させるために、右翼の首領で日本政治に隠然たる力を行使していた頭山満を使って2・26事件を起こさせ、一気に理屈をこねる右翼を壊滅させたと鬼塚氏は見る。

そして自らの統帥権をしっかりと把持すると、いよいよユダヤ国際金融資本の陰謀に乗せられて、支那大陸へ、東南アジアへと戦争を仕掛けていくのである。


 昭和11年2月が2・26事件であり、翌年8月には第二次上海事変が起きて、一気に支那事変が拡大していく。

これを見れば、あきらかに天皇や財閥が、支那へ戦争を仕掛ける意図をもって、事前に2・26事件を起こしたらしいことが見てとれる。
http://blog.goo.ne.jp/hienkouhou/e/bd61d9d5c3085df3fddc6adf68c4c7d2


本来であれば、忘れ去られてしかるべき歴史的事件が、今もなお、
「昭和史最大の謎」として話題になるところは、2・26事件のす
ごさでしょう。

1年半前に我々がとりあげた鬼塚英昭さんの「日本のいちばん醜い日
」は8・15クーデター未遂事件は、天皇側が仕組んだ偽造クーデ
ターと考えています。そしておそらく2・26事件も。

また、8・15事件のシナリオを書いて、細かな演出をしたのは塚
本誠憲兵中佐だと紹介しています。

驚くことに、8・15クーデター事件の背後で暗躍していた塚本誠
中佐は、2・26事件のときも背後にいました。

塚本は当時、上海で憲兵をしていましたが、昭和「11年11月に(大阪
の留守宅で)三男が生まれた」とありますから、昭和11年2月ごろ日
本にいたようです。おそらく上海をベースにしながら、偽クーデターが起きるように日本にちょくちょく帰って煽って歩いていたのではないかと思われる。

記述のない前日まで日本で暗躍して、当日はアリバイ作りのために上海にいたのではないかと思われます。鬼塚さんは2・26も8・15も、天皇側が仕組んだ偽クーデターと考える。 またシナリオと演出は塚本誠憲兵中佐だとバーミガニの記述を紹介。

「塚本は、1934年に陸軍大学における北進派即ち征露派の陰謀を暴露するのに
、宮廷の密偵を助けたことで、天皇の注意を惹いた。彼はそれから1935年の間
じゅう、大阪で皇叔東久邇宮の下で様々な秘密計画に携わった。その1つは(略)
永田軍務局長の殺人であった。」
http://www.asahi-net.or.jp/~VB7Y-TD/220305.htm
http://www.asahi-net.or.jp/~VB7Y-TD/220216.htm



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11. 2018年5月22日 05:34:01 : 9g4gNfP2oQ : dwMn_tESh1k[11]
板垣(英憲氏)も 「敬うふり」の 一味かな

12. 2018年5月22日 06:42:01 : 0wp6aX3XDM : ne9rIRHR9_A[7]

天皇が悪いと言って、軍部(官僚)を批判しないことと^^

安倍さんが悪いと言って、官僚の処罰を求めないこととは^^

同じ官僚主義者=共産主義者の思考パターンである^^


13. 2018年5月22日 12:55:54 : UnFvH45c53 : P23qKw0YpKQ[1]
他人の、天皇制、天皇に対する批判を、誹謗中傷と否定する、このブロガーは、自分には、天皇制存続を主張する権利がある、と思っているのか?

言論の自由において、他人の権利を否定する者は、必然的に、自分の言論も、否定される。(言論統制や焚書の世界だ。)

このブロガーは、阿修羅投稿やコメントを読んでいると、言いながら、次の投稿を知らない。

> 敗戦国の国家元首がマッカーサーに日本人という愚民の扱い方を指図していた≪1946年第三回マッカーサーと天皇の会談議事録≫

http://www.asyura2.com/17/warb21/msg/616.html

裕仁は、マッカーサーに、次のように語ったことが、米国の公文書に残されている。

> the Emperor had talked a great deal lately about the lack of religious feeling among the Japanese. The Emperor did not consider Shinto a religion. It was merely a ceremony and he thought that it had been greatly over-rated in the United States.

戦前は現人神で、「天皇陛下万歳」と唱えて、沢山の人が、戦場で命を失った。

その人々に対して、まるで、鞭打つような言葉だ。

単なるセレモニーである、宮中祭祀など、天皇は、本当に行っていたか?

現政権が行っている、一連の政策は、一言で言うならば、戦前への回帰だ。

戦前の大日本憲法下で、その最大の受益者は、天皇であった。

さて、百歩譲って、戦前、軍部が天皇を利用したのが、事実であるならば、何故、今、その戦前への回帰に対して、現天皇明仁は、危惧を感じないのか?

本当の平和主義者ならば、、退位ではなく、天皇制の廃止を、言い出すべきではなかったか?

このブロガーは、天皇制の存続を唱えながら、その天皇制が、今正に危機に瀕していることに、思いが行かないようだ。

天皇制は、風前の灯だ。

天皇制反対を唱えずとも、遠くない将来に、後継者が消滅する可能性が大きい。


14. 2018年5月22日 16:44:56 : A4AvZivHZs : VNftEPmtM9w[391]
>>13
このブロガーだって  >「わたしも天皇に戦争責任はあると思っています。」 と言うように
認めているではないですか

そして 「天皇陛下万歳」 と言って 多くの命が失われたのは 厳然たる事実ではあるけれども
ならば天皇が いなければ彼らは命を落とさずに済んだかと言うと まったく別問題である
天皇が 天皇制が 無かったならば 戦争が起らなかったという論証など誰にもできるとは言い難く
あくまでも天皇は 利用された立場にある

※ そうでなければ 軍の解体 財閥の解体 を躊躇なく行なったGHQが 天皇だけ許す事など有り得ない
 天皇が戦争を起こしたと GHQが考えたならば 間違いなく天皇は 断頭台の露と消えていたのは確実
 事実 米国国内の強硬派は 天皇の絞首刑を 声高に主張していたのは事実です ※


「上官の命令は 天皇陛下の命令だと思え」 下っ端兵士には常にこう厳命されてはいたものの
天皇が本当に 下っ端兵士に何かしら要求や命令を下した実例など全く無いし
「天皇陛下に命を捧げよ」 は、体制側の人間 軍上層部が 天皇の意思に関係なく勝手に言い出した事で
天皇が本当に兵士に 「死ね」 と命令した訳ではない

断罪されるべき人間達は、天皇を利用して 天皇の名の元に 日本国民を 「アメリカというライオンの檻」 に
放り込んだ人間達である 薩摩藩長州藩を始祖とする 軍を中心とした国粋主義者達がその元凶であって
彼らが幅を利かせている内は たとえ天皇制がどこかで消滅したとしても 軍部による独裁的な国家体制は
「完膚なきまでの敗戦」 を迎えない限り続いていったであろう事は 当然の考察と考えられる筈です
 
● 実際、惨敗を喫したミッドウェイ海戦は 天皇には痛み分けだったと平気な顔で報告しており
台湾沖航空戦などは 敵空母10隻撃沈などと 大ウソの報告をしていたのは 軍の上層部ですから ●

むしろ、彼ら 国粋主義者達への 最後の防波堤となって かろうじて本土決戦を回避して終戦を成し得た
「右翼勢力が 唯一 逆らう事の出来ない存在」 それが天皇だった訳ですから

# 詳しくは 「日本の一番長い日」 を 参照あれ #

終戦後 中国大陸に駐留していた軍に 武装解除を行き渡らせたのは 天皇の命令だったのである訳で
それが無ければ まだまだ終戦に頑じ得ず ゲリラ的な抵抗を続けた兵士は 大勢いたであろう事は
多くの歴史家が認めているところです


ただし 私個人的には 日本が復興を遂げた今となっては 天皇制など あってもなくてもどうでもよいが
終戦当時は 日本国民にとっては 必要な存在だったと思いますね。


15. 2018年5月22日 17:12:02 : vBv70J51rE : GPm8QxyRndY[31]


  昭和天皇が戦争犯罪者であることは間違いないだろう。
  太平洋戦争開戦時大日本帝国において昭和天皇は唯一の統治者であり、立法権を持ち、国の全軍隊を統帥したうえで戦いを宣している。間違いなく侵略戦争の開始責任者である。

  当時の「米英両国ニ対スル宣戦ノ詔書」は次のとおり。
 
  天佑ヲ保有シ萬世一系ノ皇祚ヲ踐メル大日本帝國天皇ハ昭ニ忠誠勇武ナル汝有衆ニ示ス 朕茲ニ米國及英國ニ対シテ戰ヲ宣ス 朕カ陸海將兵ハ全力ヲ奮テ交戰ニ從事シ 朕カ百僚有司ハ勵艶E務ヲ奉行シ 朕カ衆庶ハ各々其ノ本分ヲ盡シ 億兆一心國家ノ總力ヲ擧ケテ征戰ノ目的ヲ達成スルニ遺算ナカラムコトヲ期セヨ(以下略)

  この詔書によって国家が戦争に駆り立てられ、日本国民300万の死者がでたのは消すことも隠すこともできない事実だ。

  日本の場合東京裁判とは別に、敗戦後間をおかずに日本自身で戦争を総括し、けじめをつけるべきだった。1931年以来のいわゆる十五年戦争の最高責任者たる昭和天皇が、はっきりと罪を認めて退位し、天皇制を終わらせるべきだった。




16. 2018年5月23日 12:36:10 : 6nUWTnUnvo : nk6rEvU34ns[4]
> 天皇は 利用された立場にある

裕仁は、昭和の大悪人である。

天皇を頂点とする閨財閥体制は、国民の命と弄んで食いものにして、莫大な蓄財をした。

歴史家バーガミニの引用。

> 大日本帝国憲法 第三条

天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス

 天皇は、いかなる理由によっても、その皇位を奪われず、その統治権の執行にあたり、法の限界を超えることについての責任を有しない。天皇の統治権執行のすべての責任は、国務大臣およびその他の機関がこれを引き受ける。したがって、批判は、天皇に対しては向けえず、その統治権の手段に対してのみありうる。原則として、法律、ことに刑法は、天皇には適用されず、いかなる法廷も天皇を審問できず、天皇はいかなる法律の対象にならない。
 日本年鑑 1944-45年版 117 ページ、日本外交協会(日本政府出資による機関)出版。

> 天皇が本当に兵士に 「死ね」 と命令した訳ではない

責任ある大人が口にする言葉ではない。

日大フットボール部問題と森友加計学園問題に対して、問題の人物を守ろうとして、行う、発言によく似ている。


17. 2018年5月23日 18:55:28 : A4AvZivHZs : VNftEPmtM9w[392]
>>16
私は 天皇に 責任が全くないとは 一度たりとも言及した覚えはありませんぞ

むしろ天皇にだって 極めて大きな責任はある というのが私の立ち位置である
が しかし 天皇の責任を糾弾する前に 天皇を散々政治利用して 国民を地獄に引き込んだ国粋主義者たちと
軍部や右翼 および彼らに迎合した新聞マスコミ
彼らをまず最初に 断罪するのが ものの順序と言うもので それが理解出来ないのであれば
やはり、ただの 陰謀論 陶酔感に浸りたいだけのインモー論としか言い様はない

天皇の責任を追及して 悪いという物言いはしたことはない 順序が違うだろという事だ
軍部および右翼や国粋主義者たち 財閥と新聞マスコミ それらを徹底的に断罪した その後で
「天皇にだって大きな責任はある」 というのなら 何も異を唱えるつもりは無いのですよ。


18. 2018年5月23日 21:27:39 : vBv70J51rE : GPm8QxyRndY[32]


  >>17  

  戦前の軍部がいかに内閣に圧力を加えたとしても、結局は昭和天皇が戦争を決意することによってしか戦争はできない。戦前においては全軍を統帥する天皇が命令指揮しない戦争はありえないのだ。

  当時の帝国憲法と教育勅語によって、「天皇が神の子孫であり、国民は天皇に絶対に従わなければならない」という考えが国民に植え付けられていた。15年に亘る侵略戦争について、誰よりもまず天皇が責任を負わなければならない。

  敗戦についても、すでに敗北が決定的になっていたのもかかわらず、昭和天皇の決断が遅きに失したために、沖縄戦や広島・長崎の犠牲を招いた。日本国民300万の犠牲の最大の責任者といえるだろう。




19. 2018年5月24日 03:03:54 : A4AvZivHZs : VNftEPmtM9w[393]
>>18
結局 あの札付き右翼 中川隆と 結果的に同じ手法の論法だ

「すべては 天皇が悪い 軍部は天皇に従っただけだ」 こうやって 軍部および指導者を庇う目的という事

しつこいようだが 私は 天皇の責任を 否定した事は一切ない 天皇一人に責任を押し付けて
天皇以外の指導者および軍部の人間への批判を 全く忘れている(あるいは逸らしている)連中を指弾するだけだ

本当に 軍部にとって 天皇の意思が 絶対のモノだったら なぜ 宮城事件と言うものが起こるのだ?
天皇が 自分の身はどうなっても良いから ポツダム宣言を受け入れよと 明確に意思を示したのに
それに頑じ得ず 武力蜂起を起こし 近衛師団の森師団長を射殺してまで 偽の命令書すら偽造してまで
場合によっては 天皇を殺害する事まで視野に入れていたという こういう連中は 一人や二人ではなかった
海軍 厚木基地だって、司令官が 蜂起して立て籠もったという

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E5%9F%8E%E4%BA%8B%E4%BB%B6


昭和天皇の決断が 遅きに失したという批判は、まったくその通り 「自分の身はどうなっても良いから」
こう言う覚悟が始めから 当初からあれば、戦争そのものを未然に防げたことは間違いなく
「軍部の暴走を 止める事の出来た唯一の存在」 それが 天皇であるからして、極めて大きな責任である事は
私は 始めから 否定など全くしてはいないのだよ。


20. 2018年6月02日 22:01:48 : vBv70J51rE : GPm8QxyRndY[43]


  >>19 >本当に 軍部にとって 天皇の意思が 絶対のモノだったら なぜ 宮城事件と言うものが起こるのだ?


  もちろん戦前においても、当時の1億の国民の中に天皇の意思を絶対のものと思わなかった者もいただろう。だがそれは極めて少数の存在だった。

  敗戦決定時に反乱を起こした将兵がそういった存在(天皇の意思を絶対視しないもの)かどうかは不明だ。おそらく降伏を潔しとしない「戦陣訓」を叩き込まれた将兵だったのだろう。
  
  天皇自ら敗戦を認めたことが戦争を終結させた。軍司令官や師団長ら上官の命令でなく天皇の敗戦決定によって、南方の島々でも中国大陸でも軍隊は速やかに銃を棄て粛々と武装解除したのだ。
  敗戦時まで天皇の意思が絶対であった表れである。




21. 2018年6月03日 04:37:55 : A4AvZivHZs : VNftEPmtM9w[402]
>>20
そりゃ 一般兵士や国民 いわゆる下々の人間達にとっては 「天皇は絶対」 と、叩き込まれたのだから
天皇の命令が 終戦への武装解除を速やかに行わせたのも また事実ではある

しかし それは あくまでも末端の兵士達の話だ 軍の中枢を司っていた“高級将校”は そうではない
もちろん 天皇の意思を絶対として甘受する将校だって 大勢いた事も確かだ

だが、宮城事件は 決して 「極めて少数の」 人間が起こした事件などではないからだ
詳しい事は 「日本の一番長い日」 に、書かれてあるが この反乱は 陸軍のトップである海軍大臣および
参謀総長まで、反乱計画の全貌は事前に伝わっており 文字通り陸軍総ぐるみの企てであったのだ
陸軍トップの阿南陸相が 最終的に同意しなかったせいで潰れたが あと少しで玉音放送は阻止される所だった

本当に ごく一部の人間による反乱ならば 反乱計画が伝わった時点で即座に 首謀者は捕われ拘束されるはずで
実際に宮城を占拠して 御文庫(天皇の寝所)に向けて 機関銃を据える事など 絶対に有り得ないのである
阿南陸軍大臣他の陸軍上層部が 最終的に同意しなかったというだけの事で、この反乱計画は事前に
陸軍全体に伝わっており 用意周到に計画されたものである

※ 畑中少佐以下 反乱将校たちが 近衛師団 森師団長の元へ出向いた時に 森師団長は、畑中らの顔を見るなり
大声で一括しており 反乱将校たちは顔面蒼白になったという つまり 森師団長も事前に知っていたから
これを咎めたのである(そしてこの後 射殺される) ※

これは 宮城事件だけに限らず 2.26事件においても同様なのである
陸軍のトップの大半は 反乱計画を事前に察知していており 事件発生当初は反乱将校達への同情の声が
軍上層部の中を占めていたが、これに昭和天皇が激怒して 「朕自ら 近衛師団を率いてこれを鎮圧する」
こう言い出したから 大慌てで軍上層部は 一転して反乱将校達を厳罰に処しただけの事である

お判りかな? 末端の兵士達にとっては 確かに天皇は絶対の存在 しかし 軍の中枢を占めていた将校たち
とりわけ、右翼および国粋主義者たちにとっては 天皇は飾り物であって 本当に忠誠を誓うのは
天皇個人ではなくて 天皇制という枠組み 国家体制いわゆる国体なのである

天皇個人の考え方と 天皇および天皇制のあり方(国家の枠組みを最優先 これを国粋主義という)
これの齟齬が 日本を破滅の道へ走らせた元凶なのですよ。


22. 2018年6月04日 03:06:08 : A4AvZivHZs : VNftEPmtM9w[403]
事実 終戦を決定した 最高戦争指導者会議の面々は、阿南陸軍大臣の動向に 冷や汗をかきながら注視して
見守っていたという 「陸軍が反乱を起こすのでは」 という噂は 鈴木貫太郎内閣の閣僚たちにとって
まことしやかに囁かれていたのである

だがもし、武装蜂起まではしなくとも 陸軍大臣が辞表を提出すれば 鈴木内閣は瓦解してしまい
終戦を決定する事が出来なくなってしまう(当時の法律でそうなっており 新たな内閣を編成しなくては
何も決められない事になるが そんな時間的余裕は当然ない)

結局 阿南陸軍大臣は 武装蜂起にも同意せず 陸軍大臣としての辞表も提出しなかった
最終的に 天皇の意思に従うという判断を示し なおかつ終戦の決定後に 全ての責任を取って割腹自決という
この行動が 陸軍の若手将校たちの蹶起にはやる意思を 最終的にくじいただけの事で
本当にあとちょっとで 日本はポツダム宣言を受諾せず 本土決戦に突入して あと何百万人が命を落としたか
想像も付かないのである


本当に 天皇の意思が 絶対の存在であったなら、そもそもあの戦争は 始めから無かったのだよ
あんたらオカルト陰謀論者は、天皇の発言の 都合の良い部分ばかりを 切り取ってあげつらうが
満州事変から終戦にかけての 全ての発言とその流れを 均等に精査して考察するならば
「天皇は戦争など望んではいなかった」 という事が 誰にでも理解できると言うものだ

ただし、それでもやっぱり 天皇にだって大きな責任は残るという事は間違いないが。


23. 2018年6月06日 18:35:45 : vBv70J51rE : GPm8QxyRndY[45]


  >>21 >天皇は飾り物であって 本当に忠誠を誓うのは天皇個人ではなくて、天皇制という枠組み 国家体制いわゆる国体なのである


  その考えが間違いだ。「天皇の永遠の統治」これが当時における「国体」であり、天皇個人と天皇制という枠組みを分けて考えることは出来ない。

  「大日本帝国は、万世一系の天皇皇祖の神勅を奉じて永遠にこれを統治し給ふ。これ、我が万古不易の国体である。(以下略)」(「国体の本義」)

  1934年当時の内閣は「統治権が天皇に存せずして天皇は之を行使する為の機関なりと為すがごときは、これ全く万邦無比なる我が国体の本義を愆るものなり」として、天皇と国体とは一体であるとした。

  前に述べたように、日本の行なった侵略戦争の開始責任は、誰よりもまず昭和天皇が負うべきものであり、その意味(侵略戦争開始)で最大の戦争犯罪者であったことは間違いない。



24. 2018年6月06日 22:04:54 : vBv70J51rE : GPm8QxyRndY[46]


  >>22 >本当に 天皇の意思が 絶対の存在であったなら、そもそもあの戦争は 始めから無かったのだよ-----「天皇は戦争など望んではいなかった」 という事が 誰にでも理解できると言うものだ。


  「天皇は戦争など望んではいなかった」のか、どうか。
  取り上げる記録等によって人間像は良くも悪くもなるのだ。

  昭和天皇は、宮中の書斎にはナポレオンの胸像を飾っていた。彼ははナポレオンを崇拝し(侍従武官・本庄繁の『日記』による)、真珠湾攻撃が「成功した」と聞くと」と聞くと、狂喜したと言われる。

  敗戦の放送の朝、侍従が天皇を書斎に訪ねると、昨夜まであったナポレオンの胸像がなくなっており、代わってリンカーンとダーウィンの像が置いてあった。
  つまり占領軍がいつ来てもいいように、ナポレオンの像は撤去し、リンカーンを飾り、生物学に専念している人間との印象を与えるためダーウィンを飾ったのである。

  東京裁判で収監された東条英機は尋問に答えて、「我々日本人は、陛下のご意志に逆らうことはありえない」と言った。これは当時としては真実である。しかし東条のこの発言が宮中に伝えられると天皇は焦ったと言われる。責任が全部自分に来る、と。

  戦後天皇とニューヨークタイムスの記者との会見が実施された。「昭和天皇実録」によれば、昭和天皇は記者にこう回答した。「東条英機が使用した如く宣戦の詔書が使用されるとは予期せられざりし旨を記す」。つまり、真珠湾への攻撃は東条が勝手にやったことで、昭和天皇のあずかり知らぬところと述べた。

  これはアメリカで「裕仁、インタビューで奇襲の責任を東条におしつける」との見出しの記事として発表された。

  1946年1月来日中の英国特命全権大使を通じて英国王にメッセージを伝える試みがなされた。その内容は以下のようなものだった。
  「私は当時の首相の東条大将に、英国での楽しかった日々の記憶を思い出しながら、強い遺憾と不本意の気持ちを抱きつつ、余儀なく(署名)するのだ、と繰り返し告げながら、胸のはりさける悲痛な思いで開戦の詔書に署名をしました」(高橋紘「昭和天皇発言録」)

  この昭和天皇のメッセージについて、英国外務省高官フォールズは以下のように「覚え書き」をしている。「天皇は、胸のはりさける悲痛な思いで開戦の詔書に署名をされたかもしれない、がしかし、署名をしたのである。」


  東京裁判の裁判長は、天皇の戦争責任についてこう述べている。
  「天皇は常に周囲の進言に基づいて行動しなければならなかったという意見は、証拠に反するか、またかりにそうであっても天皇の責任は軽減されるものではない。」
  俺の考えは、≪東條英機の言った「我々日本人は、陛下のご意志に逆らうことはありえない」という言葉が当時の真実を表しているであろう。≫ということだ。

  いろいろな意見があるだろうが、確実なことは、結局《天皇の決定=天皇の意思》によってのみ戦争は始まったということだ。
  その責任は、他の誰に押し付けるわけにもいかないものなのだ。




25. 2018年6月07日 03:54:46 : A4AvZivHZs : VNftEPmtM9w[408]
>>24
天皇の責任うんぬんは 勝手にやってくれたまえ 何度も言うが 私は天皇に責任が無いと主張してはいない

だが あんたの論法からは、「天皇を傀儡として 軍国日本を牛耳った 右翼と国粋主義者」 これらの勢力へ
一言たりとも批判を述べていない 「すべて天皇の責任」 この一点張りであるから
あの 中川隆と まったく同様の【責任押し付け論法】に過ぎないのだ 軍部の責任をすべて押し付けて
【天皇以外の指導者や軍部の連中を 庇う】 という目的にしか考えられない


そしてな 都合の良い話ばかりを抜き出して それだけを殊更に強調し、都合の悪い話は無視するという
オカルト陰謀論者の典型的な論法だよ まず初めに陰謀論ありきの恣意的な取り上げ方でしかない
ナポレオンの像が無くなったからって 天皇が戦争を望んでいた事の証明になど まったく成りはしない
子供じみた推論にしかなっていない

都合の良い話ばかり そればかり抜き出したって 恣意的としか言わざるを得ない
天皇の発言や行動 すべて均等に考察すれば 「天皇は戦争など望んでいなかった」 と言う話は
ほとんど歴史研究の世界では 常識である

天皇が戦争など望んでいなかった逸話なんて 腐るほどある

@ 張作霖爆殺事件 関東軍が謀略によって 当時の軍閥 張作霖を暗殺した、この事件の処理を巡って
 天皇は、時の首相 田中義一に 激しく叱責を加えており 田中義一内閣は退陣を余儀なくされている

A 満州事変でも 支那事変の発端となった盧溝橋事件でも、いずれも天皇は 「戦火を拡大せぬように」
 と言う指示をしているのだが、関東軍上層部は ほとんどこれを無視 次々と戦果を拡大し領土を獲得
 天皇の意志など 有って無いようなものだった

B 日独伊三国同盟が 一旦は潰れた時期があったが、この時 三国同盟に反対し続けた海軍首脳にむけて
 「海軍のお陰で 日本の国は救われた」 こういって労っている 明らかに天皇は三国同盟を忌み嫌っていた
 ちなみに この時の海軍首脳とりわけ 今で言うなら左翼論客と言われる筈の 米内光政を天皇は
閣僚として最も信頼を寄せていた人物である事もまた事実である

C そしてその米内光政を、戦後に労っている 終戦工作に多大な働きを見せた米内光政をである
 「米内のお陰で終戦出来たのだ これからは体を大事にしてくれ」 こう言って天皇は 硯箱(すずりばこ)を
皇后までもが 金蒔絵の重箱を 米内にわざわざ送っているのだ その菊花紋章入りの硯箱と重箱は
地元 盛岡の米内光政記念館に 今でも現存して飾られている

D さらに 側近には戦後 「米内内閣が続いておれば 戦争などにならなかったのに」 こう発言しておる


これらは、天皇の発言の 一端であり 他にも数えきれないほどの 逸話は残っている
いずれも 「天皇は戦争など望んでいなかった」 という事への証左として 確立されているのが
歴史研究では常識なのだよ 都合の良い部分だけ抜き出したって 陰謀論の域を出やしないのだ

そしてなによりも 本当にすべてが天皇の責任だったら なぜアメリカは天皇を処罰しなかったのか
「天皇を絞首刑にせよ」 アメリカ国内では とりわけ対日強硬派の間では この声は絶大だったという

『軍部は解体 財閥も解体 右翼や国粋主義者たちも徹底的に排除して 教育現場にも徹底介入し根底から覆す』

これほどまでに日本を徹底的に民主化した アメリカおよび連合国が 天皇を処罰しないどころか
皇室を存続までさせるという そんな事有り得ないではないか


さらに 本当に天皇一人のせいであったならば なぜ東條英機以下A級戦犯の面々は天皇を庇うのか
絞首刑 自分の命が掛かっている そんな事態に 嘘を憑いてまで天皇を庇う理由はないのである
しかし、A級戦犯として処刑された人間の誰一人として 「すべて天皇の命令に従っただけ」 という発言は
一切出ていない これは厳然たる事実だ しかも 追及する連合国側の論客は 天皇の責任を断罪すべく
躍起になって彼らから 【天皇の関与の言質】 を引き出そうとしたのにだ


都合の良い話だけ抜き出してるのではなく 満州事変から終戦まで 天皇の全ての発言を均等に取り上げ
客観的に考察すれば 誰にでも判る事だよ

● もちろん 天皇にも大きな責任はある しかし 最大の責任は 軍部と国粋主義者にある ●


あんたは 軍部と国粋主義者へ まったく一言も批判を加えていない だから 中川隆と 同じだ。


26. 2018年6月07日 16:58:09 : vBv70J51rE : GPm8QxyRndY[47]


  >>25 >最大の責任は(天皇を傀儡として軍国日本を牛耳った)軍部と国粋主義者にある。


  >>25によると、戦前の(国策の立案決定権)は軍部や国粋主義者にあり、天皇は傀儡(操り人形)だったと言うのだが、よく聞く駄論の類である。

  戦争の開始を軍部や国粋主義者が勝手に決定できるものではない。まして、戦前、現人神とされ神聖不可侵の天皇を「意思を持たない傀儡(操り人形)」として臣下である軍部(その軍部とは誰のことだ?)や国粋主義者(誰?)が操ることなどあり得ない。

  太平洋戦争の開戦は昭和十六年十一月五日御前会議で決定し、十二月八日昭和天皇の宣戦の詔書によって戦争が開始された。
  >>25は、この御前会議で「軍部・国粋主義者」がどのように天皇を操ったのかを具体的に示すべきである。  
  
  >>25に、わかりやすく話をしよう。
  -----《組織の長の責任は部下のそれよりも重い。》-----
  組織(大日本帝国)の最高責任者(昭和天皇)の決裁によって始めた事業(太平洋戦争)の失敗で組織が壊滅状態になったとき、その失敗の責任をその事業を提案した部下(軍部等)に転嫁することはできない。
  失敗の最大の責任は最高責任者にあり、決断を下した決裁者こそが≪誰よりもまず失敗の責任をとるべきなのだ。≫




27. 2018年6月07日 18:59:16 : A4AvZivHZs : VNftEPmtM9w[410]
>>26
あの戦争は 文字通り 天皇の名において始められた戦争であるから 天皇に責任が有るのは当たり前の話で
私は元々それは否定などしていないのに あんたは必死で話を逸らそうとする

● 私が言うのは 「天皇にも責任がある」 と言っているだけ

● 対してアンタが言うのは 「すべて天皇の責任である」 こう言っているだけに過ぎない


そして ↓

>  -----《組織の長の責任は部下のそれよりも重い。》-----
  組織(大日本帝国)の最高責任者(昭和天皇)の決裁によって始めた事業(太平洋戦争)の失敗で組織が壊滅状態になったとき、その失敗の責任をその事業を提案した部下(軍部等)に転嫁することはできない。
  失敗の最大の責任は最高責任者にあり、決断を下した決裁者こそが≪誰よりもまず失敗の責任をとるべきなのだ。≫


↑ 頭がおかしいとしか言い様はない 【失敗】などではなくて 【犯罪】なのだよ
戦争に負けた事じたいは 失敗と言っても良いが 糾弾されているのは『失敗』などではない
武力を背景に中国大陸を侵略した 侵略と言う名の『犯罪』 これが戦争の最大の原因であるから
「負けた責任」 を 問われているのではない 「戦争を始めた責任」 と 「戦争の原因を作った責任」 だ

● 戦争に負けた責任と 戦争の原因を作った責任は まったく別である ●

したがって 仮にもし 100歩譲って いや一万歩譲って 天皇の命令によって泥棒を働いたとしよう
世界中のどんな国に行ったって 犯罪は 命令した人間よりも 実行した人間がまず最優先で法的責任を負い
その次に命令した人間が責任を問われるのは 当たり前の事である


実行犯は 軍部なのだよ たとえ天皇が決済しようともだ。


28. 2018年6月07日 19:51:35 : A4AvZivHZs : VNftEPmtM9w[411]
要するに 私と 貴方の 違いは 「軍部に責任が あるかなしか」 ただこれだけであろう

それをアンタは 必死になって天皇の責任うんぬんに話を逸らしているだけ
こういうのを ネトウヨお得意の 「スピン」 と言う。


29. 2018年6月07日 22:09:29 : vBv70J51rE : GPm8QxyRndY[48]


  >>27 >糾弾されているのは『失敗』などではない 武力を背景に中国大陸を侵略した侵略と言う名の『犯罪』これが戦争の最大の原因であるから「負けた責任」を問われているのではない「戦争を始めた責任」と「戦争の原因を作った責任」だ


  今まで何を論じてきたのか纏めよう。その「戦争を始めた責任」について
  俺は、>>15で、その理由と共に「昭和天皇が侵略戦争の開始責任者である。」と述べ、>>18で「結局は昭和天皇が戦争を決意することによってしか戦争はできない。」と述べ、更に>>23で「日本の行なった侵略戦争の開始責任は、誰よりもまず昭和天皇が負うべきものであり、その意味(侵略戦争開始)で最大の戦争犯罪者であったことは間違いない。」と述べてきているのだ。

  ----->>26の例え話は組織の事業の失敗の責任は最終決裁を下した最高責任者にあるという話で、もちろん戦争犯罪を述べた話ではない。-----

  その上で戦争犯罪「侵略戦争の開始」の責任は昭和天皇にあると言ってきているのだ。繰り返すと《太平洋戦争開戦時大日本帝国において昭和天皇は唯一の統治者であり、立法権を持ち、国の全軍隊を統帥したうえで戦いを宣している。間違いなく侵略戦争の開始責任者である。(>>15。ヒ。ユ

  言うまでもなく天皇以外の誰も(軍部大臣現役武官・文官その他何人も)開戦を宣することは出来ず、唯一の「戦争開始責任者」であり、これを否定することは出来ないだろう。

  ここで確認すべきは、≪軍部大臣現役武官らは、戦争の開始・遂行を提案し進言することは出来たとしても、決断し最終的に決裁を下すのは天皇である。≫ということだ。




30. 2018年6月07日 22:47:48 : vBv70J51rE : GPm8QxyRndY[49]


  >>27 >犯罪は命令した人間よりも実行した人間がまず最優先で法的責任を負いその次に命令した人間が責任を問われるのは当たり前の事である 実行犯は軍部なのだよたとえ天皇が決済しようともだ。

  
  前に「国体と天皇」についての>>21の誤りを指摘し、「天皇傀儡説」についての>>25の誤りを指摘してきたが、今回も誤りを指摘しておこう。

  「共同正犯」という語を知っていると思うが、実行犯でなくても共同謀議に参加した者は同様の罪を問われる。まして犯罪を命令した場合は実行犯の次にはならない。オウムサリン事件を思い出すとよいだろう。
  教団代表の麻原彰晃は事件の首謀者として死刑である。
  実行犯の中で林郁夫は無期懲役となった。

  これが戦前となると、天皇の命令は絶対であり従わざるを得なかった。また、敵前での「抗命罪」は「死刑または無期もしくは10年以上の禁錮」であった。実行犯が命令者より罪が重いとはとても言えまい。



31. 2018年6月08日 03:37:15 : A4AvZivHZs : VNftEPmtM9w[412]
ならばなぜ GHQは 天皇を絞首刑にしなかったのだね? 米国内では 「天皇を処刑せよ」 という声が
高かったにもかかわらず しかも 軍部から財閥 教育現場までも徹底的に介入して 日本の国家の体形を
根本から覆したはずのGHQが 天皇を処罰しないどころか 皇室を存続させるという事など有り得ない事だ

君臨すれど統治せず(権威は持つが 権力は持たない) これが天皇の原則的立場であった事を
GHQは理解したという他に 説明できる論理はない

天皇が傀儡 これは歴史の常識だ これに半白を加えたいのなら 各個たる論拠をもって説明できる
陰謀論サイトの受け売りなどではなく 信頼できる確かなソースを ちゃんと示して御覧 あんたの妄想はいいから


そもそも 大陸への侵略を 制していたのは明治天皇からであった
__________________________________________

征韓論を勅旨で収める[編集]

明治6年(1873年)に征韓論を巡って政府部内が紛糾した明治六年政変では、勅旨を出して西郷隆盛の朝鮮派遣を中止させてこれを収め、明治7年(1874年)から同8年(1875年)にかけて続いた自由民権運動では、立憲政体の詔(漸次立憲政体樹立の詔)を発して政体改革を進めるなど、天皇は政府内部の政治的対立を調停する役割を果たした。この自由民権運動への対応として、明治14年(1881年)には、国会開設の勅諭を発して議会創設の時期を明示し、運動の沈静化を図った。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E6%B2%BB%E5%A4%A9%E7%9A%87

他方、明治3年正月3日(1870年2月3日)には、宣教使ヲ置クノ詔(大教宣布の詔)[1]を発して、神道の国教化(国家神道)と天皇の絶対化を推し進めた。岩倉、大久保らは、天皇を近代国家の主体的君主として育成するため、宮廷改革を行なって旧習を廃し、天皇親政体制への切り替えと君徳の涵養に尽くした。
___________________________________________

↑ このリンクにもあるように  「君主として育成」
 「次第に三条実美、岩倉具視、木戸孝允、大久保利通らの発言権が大きくなっていった。」
と、なっているように 明治維新は 天皇が成し遂げたものではなく、維新三傑と呼ばれる人間達が中心となり
(明治維新の帰趨を決定づけた“錦の御旗”は 偽物だったという説が最有力である事も含めて)
天皇(朝廷)はただ 持ち上げられた存在であるという事は、歴史研究の今や常識である

● 日露戦争からして 時の明治天皇は望んではいなかった しかし、それを明確には表明しなかった
 大陸への侵略に危惧を持ちながらも 強い言葉で咎める事をせず 結果的に国際社会からの孤立を
 容認してしまった事 放置したも同然 これが 天皇の責任である ●

いいかね? あの有名な 「マッカーサーを訪問した昭和天皇」 この写真を 見た事のない人はいないだろう
敗戦国とは言え 仮にも一国の国家元首を 出迎える恰好かね? あのマッカーサーの態度(服装)は
まるで俘虜の尋問でも行うかのような服装で ポケットに手を入れて写真に写っているではないか
この時点では間違いなく アメリカおよび連合国にとって天皇は 戦争犯罪人だったという事が
あのたった一枚の写真からも 容易に理解できると言うものだ

それがなぜ 処罰されないどころか 皇室までも存続できたのか 細かいやり取りは知る由はないが
「処罰されなかった」 という事実だけが 厳然として残るのみなのだよ

● 文句が言いたいのなら アメリカとGHQに言いたまえ ●


32. 2018年6月08日 07:52:41 : vBv70J51rE : GPm8QxyRndY[50]


  >>31 >ならばなぜ GHQは 天皇を絞首刑にしなかったのだね?


  >>31の論点は外れてきたな。
  >>27での「命令者よりも実行犯がまず罪を問われるべきだ」に対し、俺はそうではないとしてオウムサリン事件の例等をあげて誤りを正した。
  
  すると「なぜGHQは天皇を絞首刑にしなかったのだね」と言う。
  それは>>31の言葉を借りるなら「GHQに訊け」が答えだな。それ以外は推測・憶測の域を出ないだろう。

  それより、実行犯云々のことはもういいのかな。  
  一つずつ問題を解決することをしないから、論点が外れてくる。  
  「天皇個人と国体」の話は、俺の>>23で納得したのかな。




33. 2018年6月08日 11:48:03 : A4AvZivHZs : VNftEPmtM9w[413]
論点が外れているのは もともと君だろう 私は何度も 「天皇に責任が無いとは言っていない」 と
しつこいほど繰り返しているのに、天皇の責任うんぬんに またしても話を持って行こうとする

そして 軍部の責任には 一言たりとも言及しない(軍部の責任を逸らす それが本音だろうが)

同じ事を何度言われても理解出来ず、都合の悪い話には一切触れない そういうのを 【カラス頭】 という。


34. 2018年6月08日 12:01:48 : vBv70J51rE : GPm8QxyRndY[51]


  >>31 >天皇が傀儡 これは歴史の常識だ これに半白〔ママ〕を加えたいのなら 各個〔ママ〕たる論拠をもって説明できる陰謀論サイトの受け売りなどではなく 信頼できる確かなソースを ちゃんと示して御覧 あんたの妄想はいいから


  「天皇傀儡説」に戻ってきたわけだ。
  しかし>>31は自分の言っている意味を理解しているのかな。「天皇が傀儡で無い論拠を示せ」か。古来、「主張する者が証明を要し、否定する者には立証責任はない」としたものだ。「傀儡で無い論拠」などとは愚かというしかない。

  ま、俺の考えは>>26で述べているから、その要点を再掲しよう。

  戦争の開始を軍部や国粋主義者が勝手に決定できるものではない。まして、戦前、現人神とされ神聖不可侵の天皇を「意思を持たない傀儡(操り人形)」として臣下である軍部(その軍部とは誰のことだ?)や国粋主義者(誰だ?)が操ることなどあり得ない。
  
  太平洋戦争の開戦は昭和十六年十一月五日御前会議で決定し、十二月八日昭和天皇の宣戦の詔書によって戦争が開始された。

  >>25が「天皇が傀儡(操り人形)」であったと言うのであれば、この御前会議で「軍部・国粋主義者」がどのように天皇を操ったのかを具体的に示すべきである。
  -----「主張する者に立証責任がある」のだよ-----




35. 2018年6月08日 13:08:07 : A4AvZivHZs : VNftEPmtM9w[415]
立証? なにを寝言みたいなことを言っているのだね?

私は 天皇が傀儡である証左を >>21 >>22 >>25 >>31 で、ソース付きで具体的な事実を元に示している
なのに貴方は 何一つ反論できていないではないか。


マトモに字も読めないのか?


36. 2018年6月08日 14:06:13 : vBv70J51rE : GPm8QxyRndY[52]


  >>35 A4AvZivHZs >私は 天皇が傀儡である証左を >>21 >>22 >>25 >>31 で、ソース付きで具体的な事実を元に示している

  全く立証していない。>>21>>22は「宮城事件」、>>25は張作霖爆殺事件当時あるいはその他の場面での天皇の言動、>>31は傀儡説そのものだ。
  
  どこにもA4AvZivHZsが>>25で言う「天皇を傀儡としてきた軍部と国粋主義者」がいかに天皇を操ったかを示すものはない。

  そもそも>>15で「昭和天皇は、間違いなく侵略戦争の開始責任者である。」と述べたことから始まる。これに対して「天皇は傀儡であり、最大の責任は 軍部と国粋主義者にある」としたのがA4AvZivHZsだ。
 
  「天皇は傀儡であり、最大の責任は 軍部と国粋主義者にある」のならば、太平洋戦争の開戦を決定した1931年の御前会議で「軍部・国粋主義者」がどのように天皇を操ったのかを具体的に示すべき、となるのは至極当然な帰結である。

  >>35A4AvZivHZsは、己の言ってきた「天皇傀儡説」を立証するため、軍部・国粋主義者がいかに天皇を操って開戦に至ったかを具体的に示す必要がある。開戦責任が誰にあるかを問うているのである。従って他の場面での逸話の類はこの際不要である。




37. 2018年6月08日 15:44:29 : A4AvZivHZs : VNftEPmtM9w[416]
>開戦責任が誰にあるかを問うているのである

まーーーた 始まった 天皇に責任が無いと 一言も言っていないと 何度言えば判るのだ
だから カラス頭と言うのだ。


38. 2018年6月08日 16:42:32 : vBv70J51rE : GPm8QxyRndY[53]


  >>37 A4AvZivHZs  >天皇に責任が無いと一言も言っていないと何度言えば判るのだ


  違うな。侵略戦争の開始責任について、A4AvZivHZsは、「天皇は傀儡であり、最大の責任は軍部と国粋主義者にある」と言ってきたのだ。

  天皇が「傀儡(意思を持たない操り人形)」ならば天皇には責任は無い。
  A4AvZivHZsが天皇傀儡説をとる限り、「天皇には責任が無い」と言っていることになるのだ。

  俺は「天皇は傀儡などではなく、大日本帝国における唯一の統治者であり、、国軍の統帥者として戦いを宣している。間違いなく侵略戦争の開始責任者である。」と一貫して述べている。

  だがA4AvZivHZsがあくまでも、「天皇は傀儡であり、最大の責任は 軍部と国粋主義者にある」の言うのならば、太平洋戦争の開戦を決定した1931年の御前会議で「軍部・国粋主義者」がどのように天皇を操ったのかを具体的に示すべきなのである。




39. 2018年6月08日 17:21:34 : A4AvZivHZs : VNftEPmtM9w[417]
あんた どうせ 都合の悪い情報は目を瞑るんだろう 見る気は無いと思うが、このスレを見に来た人たちに
判り易いようにリンクを貼って これで最後にしよう 読むか読まないかは勝手にしたまえ

天皇の戦争責任うんぬんについては 下記の通り議論百出であり 完全に結論が出されたとは言えないが
「暴走した軍部に最大の責任」 というのは 日本の社会において 完全に一般通説として知られており
よほどの新事実でも出て来ない限り この通説が引っくり返る事は有り得ないという事は確かだ

_____________________________________________
 
終戦直後の南原繁は戦争責任について具体的に法律的、政治的、倫理的カテゴリーを区分した上で発言した。山折哲雄によれば戦後まもなくは天皇の戦争責任が取り上げられ退位すべきだという意見もあった[1]。21世紀となってから秦郁彦は戦争責任は法律的、政治的、道徳的、形而上的の区分があると発言した[2]。

東京裁判では昭和天皇が大日本帝国憲法で軍の統帥権を持つ国家元首、かつ大日本帝国陸海軍の最高指揮官(大元帥。軍の階級としては陸海軍大将)であったため、侵略戦争を指導した国際法違反を昭和天皇が犯したとする法的責任があるとして、訴追対象になる可能性があった。しかし昭和天皇は訴追されなかったことから不問になった。一方日本国民に対する政治的、道徳的責任、すなわち国民国家に対する多大の人的・物的損害と領土失地などの敗戦責任を何らかの形で取るべきであったのではないかという議論があった。後者については秦によれば昭和天皇は退位することで取る意思があったが、こちらも実現することはなかった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%AD%E5%92%8C%E5%A4%A9%E7%9A%87%E3%81%AE%E6%88%A6%E4%BA%89%E8%B2%AC%E4%BB%BB%E8%AB%96
_____________________________________________

 ここでは『昭和天皇独白録』(文春文庫・以下独白録)に登場する人物を基本に据える。これは日米開戦時、外交官だった寺崎英成が、戦後、天皇の御用掛を務めていて側近3人と共に聴いたもの(昭和21年3月〜4月)。開始される「極東国際軍事裁判」を見据えたものとの現代史家・秦郁彦氏の指摘が的を射ていた。同様の英文がGHQに報告されていた。内容は、昭和天皇の弁明とも取れるが、戦争責任が天皇に及ばないことは、その時点で確認済で、記憶だけの率直な告白であると理解が可能。したがって天皇の指摘が正しいか正しくないか判断すのは引用者の問題だ。

 「独白録」では軍人、政治家に対する正直な告白もある。東條英機、嶋田繁太郎、岡田啓介、米内光政は評価が高く、松岡洋右、平沼騏一郎、宇垣一成、小磯国昭、近衛文麿などは酷評されている。弟宮である秩父宮・高松宮との関係にも触れている。徳富蘇峰には触れていないが冒頭の「米欧の日本人排斥問題」などに関連する言論人と解釈して取り上げる。

 結論を先に言えば誰ひとりとして「さあアメリカと戦争をしましょう」などと天皇に進言、国民に表明した人は居ない。天皇には開戦理由を説明したに過ぎない。軍事・外交日程が内閣で決められ、その「閣議決定」という事実のみが“臥薪嘗胆”とはならず、外交交渉打ち切りが自然承認され「日米開戦」に移行しただけだった。全体の空気に異を唱えることは憚られ、夫々の政治家・軍人が拱手傍観したに過ぎない。「ハワイ真珠湾攻撃成功」にメディア・国民は熱狂した。

http://www1.odn.ne.jp/~ceg94520/mumyouan/mumyouS05c.html
______________________________________________

 昭和天皇は好戦主義者でも和平主義者でもなく、皇統の維持が基本的な立場だったと考えています。できれば戦いたくはないが、皇位のため必要なら戦争もするし、平和なほうが皇位を守れるなら平和を選択するということです。

 1941(昭和16)年の対米開戦に至る過程で、天皇が初めは「戦争は嫌だ」と消極的だったのに、しだいに開戦を受け入れていくのは軍事指導者が執拗に「戦わなければ国は存立しない、皇位を守れない」と説得したからでしょう。

 実録では41年9月6日の御前会議で昭和天皇が祖父・明治天皇の御製「よもの海みなはらからと思ふ世になと波風のたちさわくらむ」を読み上げ、戦争に距離を置いていた姿勢が強調されている。12月1日の御前会議でも、原嘉道・枢密院議長に「なるべく早期に戦争を終結することを考えておく必要がある」と天皇の意思を代弁させた。嫌だ嫌だと考えながらも、戦争を決断せざるを得ない立場になっていくことがわかる。

https://dot.asahi.com/wa/2014101000043.html?page=1
___________________________________________

くどいようだが 天皇に戦争責任は 「有った」 というのが私の立場である

しかし だからと言って 暴走した軍部に責任が 「無かった」 とは残念ながらならない

麻原彰晃の殺人教唆が認められても 実行犯が誰一人として そのお陰で許された人間は存在しなく
ほんの僅かな情状酌量を得ただけに過ぎない 実行犯が最優先で刑罰を受けている事実には
何の変わりは無いのである。


40. 2018年6月08日 17:52:44 : vBv70J51rE : GPm8QxyRndY[54]


  >>39

  結局A4AvZivHZsは答えられなかった。
  天皇が軍部・国粋主義者らの傀儡であった主張しながら、彼らが天皇を操る場面を示すことは最後まで無かった。結局聞きかじりの、或いは拾い読みが得意なだけの半可通ぶりを露呈して終わった。

  深く追求することが不得手な性格なのであろう。
  戦前に於ける「天皇と国体」など重要な事柄を素通りさせる。言ってみただけなのだ。残念であるが、終わりにしよう。




41. 2018年6月08日 20:14:05 : A4AvZivHZs : VNftEPmtM9w[418]
おっと 一言だけ 礼を言う事を忘れていた あんたのお陰でこのスレ コメントランキング13位だと
スレを盛り上げてくれて 有難うね。

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