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絶句するような酷さ。【断種「おまえの番だ」 愛楽園強制不妊 もがく男性 羽交い締め 屈辱の手術】 - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース https://t.co/saVrBZoAkz
— 平野啓一郎 (@hiranok) 2018年5月17日
これを抵抗なく、平気でやる医者がいるっていうことですよね。731無反省な今の日本の医療を全く信用できないです。それが福島問題にもつながってると思います。
— waiwai (@J_fanwaiwai) 2018年5月18日
これを抵抗なく、平気でやる医者がいるっていうことですよね。731無反省な今の日本の医療を全く信用できないです。それが福島問題にもつながってると思います。
— waiwai (@J_fanwaiwai) 2018年5月18日
ナチスと同族だな 結構な国だね
— brandxspace (@brandxspace) 2018年5月18日
人権なんて微塵も考えてないな
動物よりも人の方が残酷というか、醜というか、、
— huyuniakaihana (@huyuniakaihana) 2018年5月18日
断種「おまえの番だ」 愛楽園強制不妊 もがく男性 羽交い締め 屈辱の手術
琉球新報 2018年5月17日 06:30
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-720180.html
出来上がった畝を見下ろし、くわに手を置いて一息入れていた時だった。突然、背後から男性職員2人に羽交い締めにされ引きずり出された。必死にもがく男性を押さえ、職員は耳元で言い放った。「おまえの番だ」。連れて行かれた場所は手術室だった。手術台に寝かされた男性はふんどしを看護婦にはぎ取られた。指で性器をぱちぱちとはじく看護婦の顔には薄笑いが浮かんでいた。
沖縄県名護市済井出にあるハンセン病療養施設「沖縄愛楽園」に強制隔離された男性(97)は、1947年ごろ、強制された断種の様子を初めて証言した。今も家族にすら明かせない体験を語るその口調は怒りに満ちていた。「人間のやることじゃない」
ハンセン病は以前「らい病」と呼ばれ、病名そのものに偏見が含まれていた。国は1907年、「ライ予防ニ関スル件」を公布し、31年に「癩(らい)予防法」を制定した。沖縄を含め、全国で患者の強制隔離を進め、「患者根絶」を図った。愛楽園は1938年、設立された。沖縄戦と米統治を経て、今も147人の元患者が暮らす。
不妊手術を強制された男性は20代前半で愛楽園に隔離された。園で出会った女性と恋仲になり、25歳で結婚した。
男性は、隔離された人々への強制不妊が施されていたことは知っていた。愛楽園では園内で暮らすことや、結婚を条件に断種を実施した。入所者名簿を基に、看護婦や職員が対象者を呼び出して施術した。呼び出しに応じないものは探し出して手術台へ連行した。
当時、愛楽園は一つの村のような広さがあり、強制的に連れてこられた人々と医師らの居住区はそれぞれ分かれていた。「断種しないと園におられなかったから、呼び出しに応じた人もいた。だけど、私は園内を逃げ回っていた」
「妻に腹いっぱい食べさせてやりたい」。おびえながらも、農作業に汗を流す日々がしばらく続いたが、園が男性を見逃すことはなかった。
あれから70年余。男性は屈辱的な光景が今も脳裏を離れない。「国にとってね、私らは人じゃなかった。恥よ。恥の子供を残させんと考えていたんだろう」。コンクリートの手術台に男性は全裸で押さえ付けられた。医師は有無を言わさずメスを入れた。
愛楽園内にある病棟。命が宿り膨らんだおなかをめがけ、看護婦が針を突き立てた。薬剤を注射され、母親のおなかから死産で出された赤ちゃんは真っ黒に変色していた。愛楽園は男性への断種だけでなく、妊娠した女性の堕胎も強制していた。
1950年、9歳で愛楽園に収容された金城幸子さん(77)=うるま市=はのちに回復者として実名を公表し、ハンセン病をめぐる社会の責任を長く訴えてきた。その中でも、金城さんにとって強烈な記憶として残る出来事がある。入所以来、金城さんを妹のようにかわいがってくれた女性から聞いた話だった。
その女性が妊娠すると、愛楽園の医師らが堕胎させようと注射をおなかに打ったが、赤ちゃんは生きたまま母胎から産まれた。だが、看護婦は赤ちゃんを体重計の皿に置き、そのまま放置した。赤ちゃんは母親を求めるかのように、小さな手足を懸命にばたつかせた。しかし、誰も手を差し伸べず、赤ちゃんはやがて動かなくなった。「治療されてたら今も生きている命だ」。見殺しにされた赤ちゃんを思い、金城さんの涙は今も止まらない。
ハンセン病患者・回復者の女性は妊娠すると、家族や知人を頼って園外に逃亡し、周囲に知られないよう出産するしかなかった。堕胎させられた赤ちゃんの遺体は、親が自ら園内に埋めた。
51年、9歳だった金城さんは愛楽園内の小屋に偶然入った。普段は施錠され、試験室と呼ばれる場所だった。内部は薄暗い。目を凝らすと、壁際の棚には複数のガラス瓶が置かれていた。中に入っているのは、人間だということが少女の目でも分かった。瓶の高さは30センチほど。胎児だけでなく大人の大きさの手、内臓のようなものまで、それぞれの瓶に入っていた。「こんなことが許された。まるで動物だ」。その衝撃は金城さんの中で怒りに変わった。
愛楽園交流会館などによると、園内の強制断種・堕胎は戦前から行われてきた。断種と堕胎の強制は繰り返されてきたが、「vasketomie(断種)」と記された患者カルテが複数枚残っているだけで、多くはカルテに記載されなかった。ホルマリン漬けの胎児について証言する元患者も多い。しかし、その内容や目的、現存するか否かなど今も未解明な点がほとんとだ。実態が闇から闇に葬られることへ、元患者らの懸念は根強い。
愛楽園自治会は2007年、産まれることを許されなかった赤ちゃんたちを慰霊する「声なき子供たちの碑」を園内に建立した。子どもたちを悼む琉歌が刻まれた。「天と地の恵み しらん水子たや やみの世の嵐 うらみきるな」(天地の恵みを受けずに逝った子よ 縁無き世相を恨まず蓮上の華となり 咲いてくれることを父母は祈っています)
断種を強制された男性は70年がたつ今も、怒りと悔しさで叫び出しそうになる。堕胎された友人の子を布できれいに巻いて一緒に園内に埋葬したこともある。「国による殺人さ。あんた、どう思うね」。男性は赤く腫らした目でこう問い掛けた。 (佐野真慈)
◇ ◇
名護市済井出の愛楽園開園から11月で80年を迎える。19、20日には県内で7年ぶり2回目となる全国「第14回ハンセン病市民学会総会・交流会」も開かれる。回復者の証言などを通し「らい予防法」廃止から22年が経過してもなお残る回復者や家族の苦しみを探る。
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