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麻生大臣が致命的な「問題発言」を繰り返す理由が分かった 圧倒的に欠如している2つの力(現代ビジネス)
http://www.asyura2.com/18/senkyo244/msg/701.html
投稿者 赤かぶ 日時 2018 年 5 月 17 日 23:30:05: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 


麻生大臣が致命的な「問題発言」を繰り返す理由が分かった 圧倒的に欠如している2つの力
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/55668
2018.05.16 原田 隆之 筑波大学教授 現代ビジネス

繰り返される問題発言

前財務次官のセクハラ問題を受けて、麻生財務大臣の発言がたびたび物議を醸している。

例えば、既に財務省がセクハラを認定した後になっても、「(福田氏)本人が、ないと言っている以上、あるとはなかなか言えない」「はめられた可能性は否定できない」「セクハラ罪という罪はない」などと、平気で暴言を繰り返している。

発言の一部は、後になって撤回、謝罪したが、自民党のなかからも批判が噴出している。

また、問題発言の撤回や謝罪は、麻生大臣の「お家芸」のようなもので、これまで何度も繰り返しているのに、まったく過去の失敗から学んでいないようだ。

このような発言をするのは、当然、女性に対してのゆがんだ認識、ハラスメント行為や人権に対しての浅い認識があるからであって、そうした自分の問題を改めようという姿勢もないようだ。

事実、財務省で幹部対象に実施されたセクハラ研修にも大臣の姿はなかった。



発言内容を分析してみると…

ここに挙げた問題発言を分析すると、いろいろな特徴が見えてくる。

まず、最初の2つの発言であるが、本人は福田氏を弁護するつもりで、あるいは多様な見方があることを示すつもりでの発言だったのかもしれず、本人なりにいろいろと考えてはいるのだろう。しかし、そこに決定的に欠如しているものがある。

それは、「共感性」である。共感性とは、他者の感情を思いやって、それを共有する能力のことをいう。

こんなことを言えば、聞いている人は何を思い、どう感じるのか、とりわけ被害者はどう感じるのか、こうしたことに思いを馳せることのできる能力のことだ。この能力があれば、あのような暴言は出てこないだろう。

一方、これらの発言を聞いて、不快に思ったり批判をしたりしている多くの人々は、共感性が働いたからこそ、自分とは直接関係がなくても、その発言内容のあまりの酷さに唖然とするのである。

そして当人は、そのことを周囲から批判されても、まったく理解していないかのような顔つきである。

だから、同じ過ちを繰り返すのであるが、いくら言葉で伝えても、心に響いていない様子である。まさに、右から入って左へと抜けているような有様である。

さらに、「セクハラ罪はない」という発言であるが、その後しぶしぶ謝罪したものの、当初は批判を受けても、本人は「事実を述べただけ」と強弁を続けていた。ここにも共感性の欠如は如実に現れている。

たしかに事実を述べただけかもしれないが、それに対して受け取った人がどう感じるかという視点がまったく抜け落ちているのである。

当たり前のことだが、事実であれば何を言ってもいいわけではない。そこには、共感性欠如に加えて、未熟な幼児性とも言える問題が指摘できる。

子どもは、平気で相手の身体的欠陥をあげつらって笑いものにしたり、「言っていいこと」と「悪いこと」の区別がつかず、人前で口にすべきでない言葉を大声で述べて、親をハラハラさせたりする。

例えば、小学生が「ウンコ」などと言って大笑いしている姿は、いつの時代にも見られる幼稚な言動である。

しかし、成長につれて、親のしつけが内面化され社会化が進み、周りの反応などを敏感に察知する能力も身につけて、こうした発言がなくなっていく。これが、大人が身につける分別であり、良識というものだ。

大人が人前で「ウンコ」と言ってみろと言われたら、不安や羞恥心を抱くだろう。現に、この原稿を書いている私もそのような気持ちを感じながら書いている。

「事実を述べただけ」と開き直って強弁する姿には、「嘘じゃないもん。だって本当なんだもん」などと言って、親の言うことをきかない未熟な子どもの姿を重ねてしまう。

ハラハラして不快になっているのは周囲のみで、本人はそれを感じていないのだ。

共感性とは何か

では、共感性について詳しくみていきたい。

先に簡単に定義したように、一言で言えば他者の心情を思いやる力のことを共感性という。しかし、共感性には2種類あり、この区別は重要だ。



1つは、「認知的共感性」である。これは、相手の気持ちを頭で理解することのできる能力を言う。よく国語の問題などで、「この主人公はどのように感じていたでしょうか」などと問われることがあるが、これは認知的共感性を育むための教育である。

つまりこれは、言葉、表情、しぐさなどから、相手の気持ちを推論する能力である。心理学では「こころの理論」とも呼ばれており、自閉症児などではこの能力に問題があるケースがあるが、教育や治療によって育てることが可能である。いわゆる「忖度」もこのタイプの共感性である。

もう1つは、「情緒的共感性」である。これは、相手の心情を頭で理解するだけではなく、それを追体験し、同じように感じ取る能力のことである。ドラマを観て、登場人物に自分を重ねて感動したり、事件事故の被害者に思いを馳せて涙を流したりするのも、情緒的共感性ゆえのことである。

情緒的共感性の働きは、社会生活や対人関係においてきわめて重要である。この能力があるからこそ、いたずらに他人を傷つけることなく、円滑な関係を発展、維持することができる。また、誰かが困っているときには心の支えになったり、話を聞いて共に悩んだり、喜んだりすることもできる。

麻生大臣のこれまでの発言や、批判に対する対応などを見るとき、これらの双方が欠如していると言わざるを得ない。

なぜ共感性が欠如しているのか

さて、ここからは一般論であるが、共感性の欠如はなぜ生じるのだろうか。

まず、認知的共感性であるが、これは成長とともに、親のしつけや教育、友人関係などのなかで「学習」していくものだ。これが、「理性的な関所」となって、自分の発言をチェックするように働く。

しかし、イスラエルの心理学者でノーベル賞受賞者のダニエル・カーネマンが言うように、その働きは、咄嗟のときや、疲労、アルコールなどの影響下では減退しやすい。こうしたときに、失言が出やすくなる。

また、そもそもこのようなしつけや教育がなされていないケースもある。

親が放任していた場合や、無神経な発言をしてもそれが許される環境で育ったような場合も、認知的共感性は育たないだろう。

そのような人は、自分本位の一方的な物の見方しかできず、常に強者の立場で、強者の論理に立った言動を取りがちである。

「理性的な関所」、すなわち認知的共感性は、脳の中の前頭前野と呼ばれる部位にその座があり、ここに障害や機能不全であったりする場合、十分に作用しないことが考えられる。

そして、もう1つの情緒的共感性であるが、これに関連する部位は、前頭前野の下部に位置する眼窩部と呼ばれる皮質である。ここは「温かい脳」とも呼ばれ、良心や感情に関連した働きをする。

さらに、脳のもっと奥にある大脳辺縁系と呼ばれる部位に位置する扁桃体という小さな構造物も、情動の調節をする機能がある。

これらの部位に何らかの異常や機能不全があったとき、温かい人間的な感情の発露が見られなくなる。言葉は理解しても、心に響かないというのは、こうした異常を反映している。

共感性が育つしくみ

子どもが誰かを傷つける言動をした場合、親や教師から叱責を受ける。また、友達仲間から非難されたり、相手に泣かれたりすることもある。

こうした場合、本人は少なからず動揺する。また、強く叱責されると、心臓の鼓動が高まり、大きな恐怖や不安を抱く。

このように、自分の言動によって、ネガティブな結果が伴うと、以後、その言動を慎むようになる。

これが、基本的な人間行動の原理であり、「学習」と呼ばれるプロセスである。つまり、失敗から学んで思慮分別のある大人になっていく。

このプロセスで重要なことは、不適切な言動は、心拍の増加や不安感情などとペアになって学習されるということである。

したがって、そのあと、同様の言動が頭に浮かんだとき、心拍が増加し、不安を抱くので、それが行動のブレーキとなる。つまり、それが「感情的な関所」として働くようになる。

われわれが、他人を傷つける言動を慎むのは、頭で「いけない」とわかっているからという理由(理性的な関所)もあるが、そのような言動をすることに対する不快感や不安のような感情が作動するから(情緒的な関所)でもある。

かつて、われわれの正しい判断には、理性的で冷静な脳の働きが重要で、感情はそれらの邪魔をするものだととらえられていた。

しかし、ポルトガルの神経科学者アントニオ・ダマシオは、人間の行動には、「感情に基づく判断」も重要な役割を果たすと考え、これを「ソマティック・マーカー(生理的信号)仮説」と呼んだ。

われわれが、他人を傷つけるような言動に出ようとしたとき、不安や心拍亢進のような生理的信号が生起し、それがブレーキとなる。

しかし、前述の眼窩部や扁桃体、あるいは心拍などを調節する自律神経系の機能異常がある場合は、これらが適切に働かない。

すると、何のためらいもなく、無配慮で相手を平然と傷つける言動を繰り返すことになる。これは、うっかりによる「失言」とは質が違う

そして、そのことで失敗をしたり、周りから誹りを受けたりしても、感情的な動きが伴わないので、学習できずに、同じことを懲りもせずに繰り返してしまう。つまり、このタイプは失敗から学べないので、治らない。

これからの「正義」について

プラトンにしても、アリストテレスにしても、正義を理性の問題としてとらえていた。しかし、繰り返される不正義のなかには、感情の不全による問題が大きいことがわかってきた。

あらためて、正義とは、単に理性の問題ではなく、感情の問題でもある。

ハーバード大学の政治哲学者マイケル・サンデルは、その著『これからの「正義」の話をしよう』の中で、「民主的な社会での暮らしのなかには、善と悪、正義と不正義をめぐる意見の対立が満ち満ちている」と述べ、「では、正義と不正義、平等と不平等、個人の権利と公共の利益が対立する領域で、進むべき道を見つけ出すにはどうすればいいのだろうか」と問いかける。


マイケル・サンデル〔PHOTO〕gettyimages

そしてその解決として、まず自らの正義に関する見解を批判的に検討すべきであることを提唱する。

さらに、従来の理性的な正義感ではなく、「美徳」を涵養することと「共通善」について判断すること重要性を説く。

これは、私なりに解釈すると、正義に対する感情を育てること、個々の相違や不一致を受け入れることのできる共感性を育むことと言い換えることができる。

しかし、既に述べたように、理性的な共感性や正義感を育むことには、教育はある程度の成功を収めてきたが、情緒的共感性や「感情的正義感」については、まだ議論が始まったばかりである。さらに、現時点の神経科学による見通しは、悲観的である。

とはいえ、繰り返されるハラスメントや無神経発言に対抗するために、これからの「正義」の話をするとき、「感情的正義感」という概念は、間違いなく重要なキーワードになってくるだろう。

さて、麻生大臣であるが、5月14日には国会でセクハラ問題に関して、初めて被害女性に陳謝した。続いて、15日には閣議後の記者会見で「大臣としてセクハラを認定した」旨発言した。

これが世論の反発を受けての、しぶしぶの発言なのか、それとも情緒的共感性や感情的正義感に基づく真摯な発言なのか、今後の言動に注目していきたいものである。

           






















 

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コメント
 
1. 2018年5月17日 23:39:47 : jxJ4OdXouA : _ZHlKrr21WY[1]
忖度の中で産まれて忖度と共に育った二人の病気だよ
お腹が悪い方の、何が忖度で何がそうでないかよくわからない、とは正直な述懐だ
同じような生まれ育ちの金正恩は、自分が置かれている立場を冷静に認識しているように見える
知性と理性で金正恩に遥かに劣る、どっかの国のゲリとひょっとこである

2. 2018年5月17日 23:45:26 : uVqcZ530VM : 1DAc34vfSKU[11]
そんなに難しい話ではない。 あのような物言いをしたときだけ、回りが振り返ってくれる。それ以外に実のある話はしない。
まあ、炎上商法。
その人が派閥を率いる不思議。そこにいる人の不思議。

3. 2018年5月17日 23:56:48 : xVlABeqbuM : Ig59HbXaxV0[15]
「話しを逸らしている」とおもう。

4. 2018年5月18日 00:26:39 : Rt02UdjH9g : 7FMPgE6twRo[808]
まさに。
安倍から注目を反らす目的のスピンである可能性を疑うべきだ。

5. 2018年5月18日 01:16:16 : wFkITvasPQ : L1LZwIvqSIY[93]
ガキのままなんだよ。
坊ちゃんに育って、周りにちやほやされておっきくなっちゃったんだろw
調子に乗って総理になってみたが、自分がまるで総理をできる人物でないと気づいて、びっくりしたはず。
その後、ちょっと悪ぶったこと言うとウケがいいもんで、それをやってるんだよw
中高生あたりによくある行動じゃねえかw
まあ、この分析も当たってると思うよ。
でも、それは麻生が大人だったら、と言う話だ。
やつはまだガキのままの精神だから、この人の言う共感性とかが発達する以前の状態なんだなw
でもこのままもう発達しないだろうけどねw

6. 2018年5月18日 02:20:25 : xYBWFjCs82 : i3BqqI4X6wU[2]
日本の中枢や、
企業の幹部、
企業の総務、
なんてのはこんな人間が多いだろうね。
巷で「上に行けば行くほど馬鹿ばかり」と
言われる所以だ。

日本の社会というのは日本人に力を持たせないように、
非常によく出来た社会だ。
いくら有能な日本人でも意図的に評価されず、
邪魔者は意図的にイジメの対象に等々、
そういった表に現れない実に馬鹿馬鹿しい態勢が
企業や地域に決め細かに敷かれている。

と思うのである。
体制側に都合のよい人間だけが繁栄する
そういった表に現れない社会の仕組みが
存在するのだろう。
日本人には敵対的な仕組みだ。

表立ってできないから、
陰湿なイジメや、
?な事故や
不可解な上司等々が、
相手に理由を通告しないまま
起こり、存在することになる。

麻生や安倍の存在は、
日本社会を象徴しているようだ。


7. 2018年5月18日 04:05:25 : t4xAkxgn9w : Y9y6mzOlnow[14]
安倍に揺さぶりかけてんでしょ。

党内のパワーバランスから、
麻生が大臣やめたら、内閣がもたないだろうからね。
安倍内閣のおしまいよ。

麻生の問題発言のたびに、下痢は死にそうな思いしんてんじゃないのw


8. 2018年5月18日 08:05:57 : UxlElC34EQ : iVSAcw2qWi0[81]
単純に認知症の現れじゃないの

9. 無段活用[1920] lrOSaYqIl3A 2018年5月18日 08:19:03 : y3ktnOS9WA : bOyPHFUtXfQ[42]

麻生氏を見くびるな。氏は1%の側の人物だ。

「ナチスを見習え」などと、世界の金融経済を握るユダヤ人社会の神経を逆なでする発言を度々行っても失脚していない。現に先月もワシントンに行って無事に帰ってきた。

ただ、歪んだ全能感を持った若い経営者たちが、麻生氏がそうなのだから何を言っても世間は通れると勘違いするようならばそれは困る。



10. 2018年5月18日 10:45:41 : uWedgro8jk : 3QnUJQ9DeGs[78]
〇引用___

 すでに国家機能そのものが不全状態であるのだけれど、カオス(無秩序)は多国籍企業の利潤行動によってもたらされているのであり、つまり行政が海外勢力の下部構造と化し、既得権益を担保としてあらゆる法制や税制を彼らの要求に準拠させるという、壮大な背徳が民族社会を崩壊させているわけだ。

 本書で繰り返したとおり、この国の政治とは軍事政権下のラテン・アメリカ、通貨危機当時のアジア諸国、崩壊後のソビエト連邦において実践された市場原理主義改革の劣化コピーに過ぎない。つまり、少数者の野心は多数者の苦悶によって成就するということだろう。

 それはフリードマン主義であり、レーガノミクスであり、サッチャリズムであり、小さな政府であり、つまるところ国民が獲得した労働や福祉などの権利一切を解体し、抑制した社会支出をグローバルエリートとそのステークホルダー(利害関係者)である官吏グループヘ付け替えるという「略奪者のロジック」に他ならない。

 労働者の没落、貧困の蔓延、家庭やコミュニティの崩壊、医療や教育の劣化、自殺や買春の増加などはイズム浸透のメルクマール(指標)なのであり、換言するならば不幸の増大に比例して改革が進捗するという構図なのであり、あらためて国民国家における失敗とは、資本帝国における成功であると認識すべきだ。

 ヴアーチヤルな現実が再生される中で、問われているのは、何が現実に見えるかではなく、何が現実なのか、という一点だけなのだと思う。

 報道者は人格障害者(サイコパス)のごとく、巧みに論点をすり替え、虚言は自己強化され、これからも事実は情報化されることもなく、軽薄なコンテンツ群に埋没していくのだろう。根源的に現実は不在であり、誰もがシュールリアル(あり得ない現実)の鑑賞者であり、世界認識とは擬似意識に過ぎない。

 被災地からは健康異常が報告され、海外勢力の侵略が加速するなか、メディアは毎度バカ騒ぎを電波に奔出させ、民衆の軽薄化に狂奔しているのだから、我々の情報環境とはかくも欺瞞であり、情報の非対称性は許容を超えているのであり、社会はすでにオーウェル(1984)的世界の様相を呈している。

 メディアの擬似像は我々の認識を捏造しているだけでなく、生存権すらも脅かしているのであり、正説にすりかえられた虚説は認知の錯誤をもたらしているだけでなく、全面的な社会崩壊すらも起動するのであり、我々は先の大戦と同様、文化的敗北によって国家の終焉を迎えようとしているのかもしれない。

 なお、本書の構成は文字群を最低限まで削ぎ落とし、直感的に事象の本質を理解できるよう配慮した次第だ。非常に実験的な試みであったのだが、「ある言葉」を「ある事実」によって概念化し、洞察や怒りという諸々の混合気を、知性というシリンダーで爆発させることが狙いである。

 非常に実験的な試みであったのだが、壮大な世界現象を例示しながら、相関性を個人の生活世界(ミクロ)に帰結させることによって構造を保ちつつ、ひとつの円を閉じることができたのではないかと考えている。

 ネットワークが高密度化し、端末群が氾濫する時代であるのだが、どれほど情報を追い求めたところで、その背後にある精神構造(エートス)という力学を理解しなければ、本質へ肉薄することは叶わないだろう。

 我々はメディアが創出する虚構に幻惑され、「プラトン洞窟の比喩」のごとく、投影された影を実存だと認識する奴隷に等しいのかもしれないが、五感を覆い尽くした虚構は知的衝撃によって破壊できるのだと信じたい。つまるところ変革のエネルギーとは論理でなく激情なのだと思う。

 執筆にあたっては多数の文献を参照したのだが、そのなかでも
・『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く(上)(下)』(ナオミ・クライン)、
・『ルポ貧困大陸アメリカ』(堤未果)、
・『侵略の世界史』(清水馨八郎)、
・『ならず者の経済学』(ロレッタ・ナポレオーニ)、
・『ラテン・アメリカは警告する』(内橋克人、佐野誠)から、特に多くの教示を受けたことを明記するとともに、作者、翻訳者、編集者の皆様方に敬意を伝えたい。・・・2013(H25)年2月5日

______ 経堂 雪乃 著 「略奪者のロジック」 あとがき より_____


11. 2018年5月18日 10:50:54 : O42R4Z80NU : E48bXmsqp2w[378]
5番さんのコメント通りだと思う。

最早80にも近い、人生の何たるかを経験した人間の頭ではない。

育ちの問題で、今更この男の性根は変わる筈はないだろう。

人間性も知性も全く持ち合わせていない情けない人間。

コンビニに突っ込むような、高速道路を逆走するような認知症的

感覚がこの男の現実の姿。


12. 2018年5月18日 11:12:52 : CzYJx39lTc : FaXl5LfuFC0[743]

本文にある通り。

本文引用>
麻生大臣のこれまでの発言や、批判に対する対応などを見るとき、

これらの双方が欠如していると言わざるを得ない。

なぜ共感性が欠如しているのか

さて、ここからは一般論であるが、共感性の欠如はなぜ生じるのだろうか。

まず、認知的共感性であるが、これは成長とともに、

親のしつけや教育、友人関係などのなかで「学習」していくものだ。

これが、「理性的な関所」となって、自分の発言をチェックするように働く。

しかし、イスラエルの心理学者でノーベル賞受賞者のダニエル・カーネマンが

言うように、その働きは、咄嗟のときや、疲労、アルコールなどの影響下では

減退しやすい。こうしたときに、失言が出やすくなる。

また、そもそもこのようなしつけや教育がなされていないケースもある。

親が放任していた場合や、無神経な発言をしてもそれが許される環境で

育ったような場合も、認知的共感性は育たないだろう。

そのような人は、自分本位の一方的な物の見方しかできず、常に強者の立場で、

強者の論理に立った言動を取りがちである。

「理性的な関所」、すなわち認知的共感性は、脳の中の前頭前野と呼ばれる部位に

その座があり、ここに障害や機能不全であったりする場合、十分に作用しないこと

が考えられる。

そして、もう1つの情緒的共感性であるが、これに関連する部位は、前頭前野の下部

に位置する眼窩部と呼ばれる皮質である。ここは「温かい脳」とも呼ばれ、

良心や感情に関連した働きをする。

さらに、脳のもっと奥にある大脳辺縁系と呼ばれる部位に位置する扁桃体という

小さな構造物も、情動の調節をする機能がある。

これらの部位に何らかの異常や機能不全があったとき、

温かい人間的な感情の発露が見られなくなる。言葉は理解しても、

心に響かないというのは、こうした異常を反映している。
引用終わり>

まことに丁寧な解説である。

これで「麻生は精神患者」と認定できる。

早く、『松沢病院』に隔離の要あり。


13. 2018年5月18日 11:13:56 : 0CejVRban6 : urcdmA9xc1s[8493]
全体的によく分からなかった… というのも…

⇒《共感性が育つしくみ》
が、認知的/情緒的のどちらの共感性なのかハッキリしなかったから。
両方に関することであると仮定すると…

ソマティック・マーカー(心拍数上昇、不安感情)の情報が前頭前野に蓄積されるのが「認知的共感性」で、眼窩部や偏桃体に蓄積されるのが「情緒的共感性」ということですかね…
(自信なし…)

もしそうなら、なんとなく理由が分かります。
⇒《われわれが、他人を傷つけるような言動に出ようとしたとき、不安や心拍亢進のような生理的信号が生起し、それがブレーキとなる。》

このブレーキを壊してきたのです。そういうものがもともと少ないのが「ガキ大将」などと呼ばれる子ですし、わざわざ格闘技などを習って消していったりもします。
そういう人間は「頼りがいがある」とか「勇ましい」とか「九州男児」とか「日本男児」などと持ち上げられて、周囲から称賛されたりもします(昔は)。

そりゃ、学習しなくなるよね。他人を傷つけても心臓がバクバク言わないんだから…


14. 2018年5月18日 11:18:18 : CzYJx39lTc : FaXl5LfuFC0[744]

安倍も同病。「緊急入院」が必要なのも同じ。

「類は類を呼ぶ」とはこの事。


15. 2018年5月18日 14:34:01 : 0CejVRban6 : urcdmA9xc1s[8498]
認知的/情緒的共感性がある人が、立法をしなくてはならないなら…
保守派が好む「文武両道」なんてありえないですね。
共感性がない典型的な人間が軍人ですから。

やはり、女性か… ガリ勉クンか… 僧(菩薩)のように共感性の塊のような人か…
リベラル系がいいですね。


16. 2018年5月18日 15:18:01 : 32gaobLF6I : n57cn6vWo0E[213]
>>11さん
>育ちの問題で、今更この男の性根は変わる筈はないだろう。

●「育ち」だけではなく「生まれ」も結構わからないものです。

祖父の吉田茂は東大卒のエリートと思われていますが、東大には"無試験"で入学しています。

昔は(ひょっとしたら今も)こうした、特定の方々を無試験で入学させ箔をつけるなんてことが行われていたようです。

吉田茂は英国のエージェントであったことはよく知られた事実です。エージェント養成目的で東大無試験入学ができたのかも知れません。

それに、そもそも吉田茂の実母は今も不詳です。

だから、吉田茂の孫だから「生まれはいい」と思い込まない方がいい。生まれも結構よくなさそうです。

以下は、Wikipediaの「吉田茂」より引用)

−−−−−−−−
@出自:実母不詳

「実母の身元はいまでもはっきりしない。母親は芸者だったらしいが大室弥兵衛とハナの間の娘とする説がある。竹内の投獄後に東京へ出て竹内の親友、吉田健三の庇護のもとで茂を生んだ」

A学歴:東京帝国大学法科大学政治科卒業とあるが、無試験で入学している。

「当時華族の子弟などを外交官に養成するために設けられていた学習院大学科に入学、(略)大学科閉鎖に伴い1904年9月に無試験で東京帝国大学法科大学に移り、(略)」
−−−−−−−−−−


17. 2018年5月18日 15:20:12 : CGpjyXBv3k : oJuEVz1wdZ0[68]

へったくそ
 もっとマトモな字を書けよ
 恥知らずメ


18. スポンのポン[9556] g1iDfIOTgsyDfIOT 2018年5月18日 17:33:20 : XN8Mta8rpU : hLJQ36CPSwQ[805]
 
 
■責任力って何?

 責任能力ならあるが、責任力という日本語は存在しない。
 存在しない言葉を書いてドヤ顔の麻生には
 つける薬もない。
 
 


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