漢字の読み書きが小学生以下のレベルで不自由な厚労省特定難病障害者安倍晋三のアホが総理辞めると言い出したのは二度目だな。 前回総理を突然辞めた経緯を詳しく見てみようか。 阿修羅にスレ立て依頼して、てんさい(い)さんが辞書として建ててくれたスレから引用しながら、 今回とどこが違うのかをハッキリさせるためにも前回の経緯をできるだけ詳しく前後左右の脈絡がわかるように辞書代わりスレから引用コピペして検討していきたい。 *辞書代わりスレ「安倍政権 日本の歴史 雑学の世界」 http://www.asyura2.com/18/senkyo243/msg/771.html 第1次安倍内閣 2006年9月26日 - 2007年8月27日 内閣総理大臣 / 安倍晋三 衆議院 / 無派閥 総務大臣 / 菅義偉 衆議院 / 古賀派 法務大臣 / 長勢甚遠 衆議院 / 町村派 外務大臣 / 麻生太郎 衆議院 / 麻生派 財務大臣 / 尾身幸次 衆議院 / 町村派 文部科学大臣 / 伊吹文明 衆議院 / 伊吹派 厚生労働大臣 / 柳澤伯夫 衆議院 / 古賀派 農林水産大臣 / 松岡利勝 衆議院 / 伊吹派 2007年5月28日死去 赤城徳彦 衆議院 / 高村派 2007年6月1日任命 若林正俊 参議院 / 町村派 2007年8月1日任命 経済産業大臣 / 甘利明 衆議院 / 山崎派 国土交通大臣 / 冬柴鐵三 衆議院 / 公明党 環境大臣 / 若林正俊 参議院 / 町村派 防衛大臣 / 久間章生 衆議院 / 津島派 小池百合子 衆議院 / 町村派 2007年7月4日任命 内閣官房長官 / 塩崎恭久 衆議院 / 古賀派 国家公安委員会委員長 / 溝手顕正 参議院 / 古賀派 防衛庁長官 / 久間章生 衆議院 / 津島派 内閣府特命担当大臣 / 山本早苗(高市早苗) 衆議院 / 町村派 内閣府特命担当大臣 / 山本有二 衆議院 / 高村派 内閣府特命担当大臣 / 大田弘子 民間 内閣府特命担当大臣 / 佐田玄一郎 衆議院 / 津島派 渡辺喜美 衆議院 / 無派閥 2006年12月28日任命 就任表明では「美しい国」というテーマの下に「戦後レジームからの脱却」「教育バウチャー制度の導入」「ホワイトカラーエグゼンプション」などのカタカナ語を連発し、他の議員からは「分かりにくい」と揶揄された。 安倍は小泉前首相の靖国参拝問題のために途絶えていた中国、韓国への訪問を表明。 2006年10月に中国・北京で胡錦濤国家主席と会談、翌日には、盧武鉉大統領と会談すべく韓国・ソウルに入り、小泉政権下で冷却化していた日中・日韓関係の改善を目指した。 北朝鮮が核実験を実施したことに対しては「日本の安全保障に対する重大な挑戦である」として非難声明を発するとともに、国連の制裁決議とは別に、より厳しい経済制裁措置を実施した。 同年9月から11月にかけ、小泉時代の負の遺産とも言える、郵政造反組復党問題が政治問題化する。 12月には、懸案だった教育基本法改正と防衛庁の省昇格を実現した。 一方で、同月、安倍が肝煎りで任命した本間正明税制会長が公務員宿舎への入居と愛人問題で、佐田玄一郎行改担当大臣が架空事務所費計上問題でそれぞれ辞任。 この後、閣内でスキャンダルが相次いだ。 2007年3月の安倍の慰安婦発言が「二枚舌」と欧米のマスコミから非難されたが、4月下旬には米国を初訪問し、小泉政権に引き続き日米関係が強固なものであることをアピールした。 参議院沖縄県選挙区補欠選挙に絡み、日米関係や基地移設問題が複雑に絡む沖縄県特有の問題があったため、多くの側近の反対を退け2回にわたり沖縄県を訪れて自民系無所属候補の島尻安伊子の応援演説を行うなどのバックアップを行い、当選させた(島尻はその後で自民党に入党)。 5月28日、以前から様々な疑惑のあった松岡利勝農水大臣が議員宿舎内で、首を吊って自殺。 官邸で訃報に接した安倍は涙を流し「慙愧に耐えない」と会見し、その晩は公邸で妻の昭恵に「松岡さんにはかわいそうなことをした」と語っている。 また年金記録問題が大きく浮上した。 こうした中、6月当初の内閣支持率は小泉政権以来最低になったことがメディアに大きく報じられた。 同月6日-8日には首相就任後初のサミットであるハイリゲンダム・サミットに参加、地球温暖化への対策を諸外国に示した。 また、議長総括に北朝鮮による日本人拉致問題の解決を盛り込ませた。 7月3日には久間章生防衛大臣の原爆投下を巡る「しょうがない」発言が問題化。 安倍は当初続投を支持していたが、批判の高まりを受け久間に厳重注意を行った。 久間は直後に辞任し、後任には小池百合子が就任した。 ■参議院議員選挙での敗北 2007年7月29日の第21回参議院議員通常選挙へ向けての与野党の舌戦開始早々、自殺した松岡の後任である赤城徳彦農林水産大臣にもいくつかの事務所費問題が発覚。 安倍はこういった閣僚の諸問題への対応が遅いと非難された。 選挙中に発生した新潟県中越沖地震では発生当日に遊説を打ち切り現地入りした。 2007年の参議院選挙では「年金問題」の早期解決を約束し、「野党に改革はできない、責任政党である自民党にこそ改革の実行力がある」とこれまでの実績を訴えた。 選挙前、安倍は「そんなに負けるはずがない」と楽観視していたが、結果は37議席と連立を組む公明党の9議席を合わせても過半数を大きく下回る歴史的大敗を喫した。 これまで自民党が強固に議席を守ってきた、東北地方や四国地方で自民党が全滅、勝敗を左右する参議院一人区も、軒並み民主党候補や野党系無所属に議席を奪われた。 安倍は選挙結果の大勢が判明した時点で総理続投を表明したが、これについては、応援演説において「私か小沢さんか、どちらが首相にふさわしいか」と有権者に「政権選択」を迫るような趣旨の発言をしていたことから内外から続投に対する厳しい批判が出た。 また、参院選直後の7月31日の自民党総務会においても、「決断されたほうがいい」などと党内からも退陣を促す声が出た(安倍おろし)。 同日、アメリカ下院では慰安婦非難決議が議決されていた。 翌8月1日には赤城農相を更迭したが、「遅すぎる」と批判された。 この頃から安倍は食欲の衰えなど体調不良を訴え始め、8月19日から8月25日のインドネシア、インド、マレーシア3ヶ国訪問後は下痢が止まらなくなり、症状は次第に悪化し始めた。 ■安倍改造内閣 選挙結果や批判を受け、8月27日に内閣改造、党役員人事に着手した(安倍改造内閣)。 ところが組閣直後から再び閣僚の不祥事が続き、求心力を失う。 9月9日、オーストラリア・シドニーで開催されたAPEC(アジア太平洋経済協力会議)首脳会議の終了にあたって開かれた記者会見において、テロ特措法の延長問題に関し9月10日からの臨時国会で自衛隊へ給油が継続ができなくなった場合は、内閣総辞職することを公約した。 この間も安倍の健康状態は好転せず、体調不良によりAPECの諸行事に出席できない状況となり、晩餐会前の演奏会を欠席した。 2007年9月10日に第168回臨時国会が開催され、安倍は所信表明演説の中で「職責を全うする」などという趣旨の決意を表明した。 なお、この表明では自身の内閣を「政策実行内閣」と名づけ、「美しい国」という言葉は結びに一度使ったのみであった。 午後には「(改正案を通すのは)厳しいでしょうか」と辞任を示唆する発言を麻生幹事長に漏らしていたが、麻生から「テロ特措法があがった後でよろしいのではないですか。絶対今じゃないです」と慰留された。 9月11日には妻の昭恵に対し「もうこれ以上、続けられないかもしれない」と語ったが、辞任の具体的な日程までは一切明かさなかった。 ■辞意表明 2007年9月12日午後2時(JST)、「内閣総理大臣及び自由民主党総裁を辞する」と退陣を表明する記者会見を行った。 これにより同日予定されていた衆議院本会議の代表質問は中止となった。 安倍は辞任の理由として 「テロ特措法の再延長について議論するため民主党の小沢代表との党首会談を打診したが、事実上断られ、このまま自身が首相を続けるより新たな首相のもとで進めた方が良い局面になると判断した」 「私が総理であることが障害になっている」などとした(小沢代表は記者会見を開き「打診を受けたことは1回もない」と否定。なお、小沢は党首会談について報じられてからも「意見を変える気はない」と明言している)。 一方で、自身の健康に不安があるという理由も与謝野馨内閣官房長官が同日中会見で述べている。 24日の記者会見では本人も健康問題が辞任の理由の一つであることを認めた。 もともと胃腸に持病を抱えているといわれており、辞意表明当日の読売新聞・特別号外でもそのことについて触れられていた。 また、辞意表明前日には記者団から体調不良について聞かれ、風邪をひいた旨を返答している。 この「胃腸の持病」について、安倍は辞任後の2011年に掲載された『週刊現代』へのインタビューで、特定疾患である「潰瘍性大腸炎」であったことを明かしているが、 辞意表明の当時はこの点を報じた者は皆無であり、過去に脳梗塞のために首相を辞任した石橋湛山や小渕恵三などと比較して「命に関わらない程度の健康問題」を理由にした退陣と見られたため、 立花隆をはじめとして辞任に追い込まれた実質的原因が(本人が記者会見をこなしていることなどを理由に)健康問題ではないとする見方をする論者も存在するなど、 批判にさらされることとなった。 臨時国会が開幕し内政・外交共に重要課題が山積している中で、かつ所信表明演説を行って僅か2日後での退陣表明は、各界各方面から批判を浴びた。 野党側は安倍の辞意表明について「無責任の極み」であるとして次のような批判を行った。 「40年近くの政治生活でも、過半数を失って辞めず、改造し、所信表明をし、そして代表質問の前に辞職と言う例は初めてで、本当にどうなっているのか、総理の心境・思考方法については良く分かりません」(民主党小沢一郎) 「参院選の後に辞めていればよかった。こういう形の辞任は国民に失礼」(民主党・鳩山由紀夫幹事長) 「所信表明直後の辞任は前代未聞」(共産党・志位和夫委員長) 「タイミングがあまりにひどい、無責任です。『ぼくちゃんの投げ出し内閣』だ。小沢代表との会談が断られただけで辞任するのは子供っぽい理由」(社民党・福島瑞穂党首) 与党側でも古賀誠元自民党幹事長などから退陣に至る経緯・理由が不透明であるという批判や、その他議員からも「なぜ今日なのか、無責任だ」という批判が出た。 かつて安倍派四天王と呼ばれ清和研幹部で引退後は自由国民会議代表務める塩川正十郎も 「非常に無責任な辞め方。熱意と努力で乗り切ってもらいたくて支えてきた。支えてきた者から見たらこんな辞め方は無い」と批判した。 また、公明党の北側一雄幹事長からも「なぜこの時期に辞意表明なのか、非常に理解しがたい」と批判された。 麻生太郎自民党幹事長は同日の会見において、記者からの「総理はいつ辞任を決断していたのか」との問いに対し、「2日くらい前といえばそうだし、昨日と言えばそうだし…、この3日間意向は全くかわらなかった」などと述べ、安倍の辞任を2日前(安倍晋三が臨時国会でテロ特措法の延長ができなければ内閣総辞職すると述べた日と同日)にはすでに知っていたことを明らかにした。 9月13日に朝日新聞社が行った緊急世論調査では、70%の国民が「所信表明すぐ後の辞任は無責任」と回答している。 安倍の突然の辞意表明は、日本国外のメディアもトップニュースで「日本の安倍首相がサプライズ辞職」、「プレッシャーに耐えきれなかった」(アメリカCNN)などと報じた。 欧米諸国の報道では批判的な意見が多かった。 ■入院・内閣総辞職 退陣表明の翌日(9月13日)、慶應義塾大学病院に入院。 検査の結果、胃腸機能異常の所見が見られ、かなりの衰弱状態にあると医師団が発表した。 これについても海外メディアで報道され、イギリスBBCは「昨日官邸をチェックアウトした安倍首相は、今日は病院にチェックインした」 「日本は1週間以上も、精神的に衰弱しきった総理大臣を抱えることになる」と報じた。 遠藤武彦農相に不正な補助金疑惑が発覚した際、遠藤の辞任の流れを与謝野馨内閣官房長官と麻生幹事長の2人だけで決めて安倍を排除したことから、安倍が「麻生さんに騙された」と発言したと言われる。 この内容について9月14日の報道ステーションが麻生にインタビューで問い質したところ、麻生は「(9月14日に安倍氏の見舞いに行った時)『そんなこと言われて与謝野とふたりで困っている』と安倍総理に言ったら、『そんなこと言ってない』と笑っておられました。どなたかが意図的に流したデマでしょう」と反論をしている。 同日のNEWSZEROは、番組終盤に安倍の「麻生さんに騙された」という発言を速報という形で伝え、麻生と安倍との間に不穏な空気が流れていたとする報道を行った。 また、自民党の若手による「麻生-与謝野クーデター説」について与謝野官房長官は、9月18日の閣議後の会見において明確に否定した。 さらに麻生幹事長は9月19日に「事前に安倍首相の辞意を知っていたのは自分だけではない」とし、与謝野官房長官も同日「中川(秀直)さんは11日(辞任表明の前日)に安倍さんに会っていて、知っていてもおかしくない」と、中川前幹事長も事前に安倍の辞意を知っていたことを示唆した。 安倍内閣メールマガジンは9月20日配信分において「国家・国民のためには、今身を引くことが最善と判断した」とのメッセージの下、これをもって最終号を迎えた。 なお、病院側は、安倍首相の容体は回復軌道には入っているものの退院できる状態ではないとした。 病室内では新聞は読まずテレビも基本的には視聴せず、外部の情報をシャットアウトした環境下で治療を行った。 9月21日は安倍首相53歳の誕生日だが、病院で誕生日を迎えることになった。 このように安倍首相は退陣まで公務復帰できなかった状況だが、与謝野官房長官は「首相の判断力に支障はない」と内閣総理大臣臨時代理は置く予定はないという方針をとっていた。 20日の官房長官会見では「首相は辞任と病気の関係を説明するべき」としていた。 入院中、妻の昭恵から政治家引退を勧められたが、安倍は「いや、それは違う」と答え、議員辞職は拒否した。 9月23日に行われた自民党総裁選には欠席して前日に不在者投票を行い、前総裁のあいさつは谷川秀善両院議員総会長が代読した。 9月24日17時、慶應義塾大学病院にて記者会見を行い、自身の健康状態及び退陣に至る経緯について「意志を貫くための基礎体力に限界を感じた」と釈明し、 政府・与党、国会関係者並びに日本国民に対して「所信表明演説後の辞意表明という最悪のタイミングで国会を停滞させ、多大な迷惑を掛けたことを深くお詫び申し上げたい」と現在の心境を開陳、謝罪した。 また、自民党若手による「麻生クーデター説」については本人の口から改めて否定された。 さらに、首相としての公務に支障があったにも関わらず臨時代理を置かなかったことについては「法律にのっとって判断した」としたが、これについては政府内でも批判の声があった。 9月25日、安倍内閣最後の閣議に出席し、国会へ登院して衆議院本会議での首班指名選挙に出席する意思を明らかにした。 9月25日の安倍内閣最後の閣議で閣僚全員の辞職願を取り纏めて内閣総辞職した。 安倍前首相は最後の閣議の席上、全閣僚に対して一連の事態に対する謝罪及び閣僚在任に対する謝意を述べた。 26日には皇居で行われた福田康夫首相の親任式に出席した後、再び病院へと戻った。 なお、安倍内閣の在職日数は1年あまりとなる366日であり、日本国憲法下では歴代7位の短期政権となった。改造内閣はわずか31日の短命に終わった。 ______________ まあ前後左右上下六方どこから見ても憲政の歴史上最低最悪の内閣であったことは間違いないね。
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