軍隊が無いとアメリカから独立できないんだ 永遠に植民地として搾取され続けたくないだろ 日本をまたアメリカと戦争できる国にするのが安倍先生の目的なんだ虐殺するのはアメリカ軍 虐殺されるのはイラク、シリア、リビア、それから核放棄した北朝鮮とアメリカから独立した日本 日本を人間が住めない土地にされたくなかったら改憲して核兵器を持つしかないんだな マッカーサーが日本人への懲罰として作った日本国憲法と戦後意図的に起こした飢饉 マッカーサーのこうした写真は全部ヤラセで、俳優のように何度もポーズを取っては撮り直した 引用:http://learnlearn.net/Historie,religion,kunst/res/Default/ESS_PasteBitmap02329.png
マッカーサーの歪んだ人格
連合軍総司令官として日本に乗り込んできたダグラス・マッカーサーには多くの知られていない逸話があり、その一つは事実上「日本共産党」の創設者だという事です。 日本共産党と名乗る団体は戦前から存在し、日本をソ連の植民地にするため活動していたが、非合法テロ組織という位置づけでした。 日本の統治者として君臨したマッカーサーには人格上の欠陥があり、『ニセ写真』作りを趣味にしていた。 硫黄島に米国旗を立てる写真とか、マッカーサーがフィリピンの海岸に上陸した写真などは全部”やらせ写真”でした。 マッカーサーは映画監督のように戦場で写真や動画撮影を指示し、気に入った構図で自分がヒーローに見えるように報道させていました。 厚木飛行場の輸送機からコーンパイプを咥えて降りてくる写真も、専属カメラマンに映画撮影のように撮影させました。 この時日本軍は武装解除されていたが、襲われるのではないかという恐怖心から、マッカーサーは小便を漏らしていました。
日本に到着してからも彼は、あらゆる写真で自分が格好良く見えるように撮影するため、専属の撮影スタッフを周囲に置いていました。 昭和天皇とマッカーサーが面会した有名な写真があり、マッカーサーは作業服のような軍服のズボンに手を突っ込んでいます。 正装ではなく平服で、胸のボタンを全部止めず、身体を斜めにして立っていたのも計算しつくした『構図』でした。
昭和天皇が自分よりかなり背が低いのが目立つように、昭和天皇を直立不動にさせ、自分がくつろいでいるように撮らせました。 当時新聞を統制していたのはGHQなので、新聞に掲載する写真も記事も、GHQが決めていました。 「マッカーサーが日本の支配者であって、天皇はこれほどみすぼらしい」と日本人に見せ付けて天皇を貶める目的でした。
GHQは何の根拠で日本を占領していたのか
マッカーサーについて70年間一度も議論されず、タブーになっている事は、実は正式な資格が無いのに日本を統治していたという事実です。 マッカーサーは連合軍司令長官だったが、一体何ゆえに日本の支配者となったのか、この根拠が曖昧なままなのです。 日本が1945年8月15日に停戦したとき「ポツダム宣言を受諾し、占領地を放棄する」と言いましたが、アメリカが日本本土を占領して良いとは誰も言っていません。 アメリカ大統領や国連事務総長、あるいは国連安保理が任命したからと言って「だから何?」という事です。
降伏したら占領されるのが当たり前という主張もあるが、それなら日本はロシアを占領できるし、朝鮮や中国の占領は正しかった事になります。 1945年9月2日に東京湾の米戦艦ミズーリ上で、連合国各国と日本代表団が日本の降伏文書に署名調印しました。 文書には連合国軍最高司令官の指示に基づき、日本政府は日本軍と日本国民を従わせると書かれているが日本占領には触れていない。
8月15日の玉音放送でも、9月2日の降伏文書でも連合軍が日本を占領できるとは書かれていない。 日本軍の武装解除については書かれているが、連合軍の日本占領には、天皇や他の誰も合意していない。 マッカーサーが小便を漏らしながら厚木飛行場に降りたのは8月30日、連合軍先遣隊が厚木に到着し武装解除したのは8月28日だった。
9月2日に降伏文書に調印し、9月15日にGHQ本部が日比谷に設置され、GHQによる日本統治が始まった。 だがマッカーサーは武装解除までは良いとして、一体どのような条約や合意に基づいて「日本占領」をしたのだろうか。 この写真も自分は立派に見え、天皇は「みすぼらしい小男」に見えるよう計算されている mig
日本国憲法はアルバイトに書かせ脅迫して成立させた
法的根拠がないのに一介の軍人が日本を占領して独裁者になった事が、その後の日本の70年に大きな悪影響を与えた。 例えばマッカーサーは日本政府に憲法改正を命令し、政府が帝国憲法の改正案を示すと、これを拒絶して独自の憲法を創作させました。 マッカーサーはGHQのアルバイト職員に命じて適当な憲法草案を書かせて、日本政府に無断で新聞に発表しました。 東久邇宮(ひがしくにのみや)内閣は新憲法が非民主的だとして辞職し、マッカーサーは「もう一度東京を空襲してやろうか」と言って議会を脅迫しました。
日本人は新聞に書いてあるからには日本政府が作ったのだろうと思い込んだが、実際にはマッカーサーがアルバイトに書かせた落書きでした。 東京大学などの法学者もこのやり方に怒り、新憲法反対の立場を取ったが、GHQは反対するものを「戦争犯罪人」として逮捕していきました。 新憲法に反対するものは戦犯になり処刑されるか刑務所に入れられると分かり、反対する人間は居なくなりました。
こうしてできたのが現在の「日本国憲法」であり、日本人は一切関わっていないし、民主主義とは正反対の経緯で成立しました。 マッカーサーが日本を統治するために優遇したのが共産主義者で、特に逮捕歴がある共産主義者を好んで重用しました。 GHQを創設するとすぐに、共産主義者や反政府主義者を釈放させ、労働組合や政党を結成させました。
こうして誕生したのが日本共産党と日本社会党で、事実上GHQが合法化し創設したのです。 マッカーサーの意図は日本の「犯罪者」である天皇や旧時代の権力者に対抗させるため、反政府主義者に力を持たせる事でした。 マッカーサーの共産党優遇
マッカーサー自身は共産主義者ではなかったが、それ以上に日本の「右翼」を嫌っていたので、共産主義者を重用しました。 GHQは主要な新聞社に共産主義者を雇用するよう圧力を掛け、応じなければ事実上活動できなくしました。 こうして日本の新聞社やNHKの上層部は共産主義者や戦前の逮捕者、反政府主義者になり、今日まで続いています。 マスコミだけではなく銀行や企業にもこうした圧力が掛けられ、自動車で有名な「日産」などは特に酷かったとされている。
日産は戦前には三菱や三井以上の最大の財閥だったが、戦争に協力したとしてほとんど解体されました。 自動車生産も認められなかったが、朝鮮戦争勃発で軍事生産が必要になり、共産主義者を経営に参加させる条件でようやく認められました。 こうしたGHQの共産党優遇は1948年まで続いたが、1949年になると米ソ冷戦が始まり、米本国は日本を再軍備させる方針に突然変わりました。
その変化は急激なもので、それまで日本人をわざと飢えさせては笑いものにして楽しんだり、なるべく日本経済が破綻するように仕向けていました。 ところが1949年のある日から、本国は「日本軍を再結成させろ」「日本の産業を立て直せ」と命令してきました。 マッカーサーは最初本国からの指示を無視していたが結局従わざるを得なくなり、1950年には朝鮮戦争が勃発しました。
マッカーサーの間違いは誰の目にも明らかになり、その後アメリカは何度も日本軍を再建しようとしては、日本政府と対立する事になります。 この後日本ではマッカーサーの後遺症で反日カルト政党が大ブームになり、今も日本を破壊するために”日々努力”しているようです。 マッカーサーの占領下では日本を貶めたり日本を破壊する事が正しいとされ、日本の為に貢献する人は戦犯や右翼と決め付けられました。
マスコミは全てGHQの統制下にあったので「日本国民はマッカーサー様を心から慕っています」などの気持ち悪い記事が量産された。 北朝鮮の新聞が金正恩を褒めるのと同じで、これほど気持ち悪い事はない。 そして当時GHQの為に報道していた新聞やテレビは、当時の本当の事を決して話そうとしない。
▲△▽▼ 醜い戦後 終戦後とはどんな世界だった?
空襲でホームレスになり上野駅に避難した人達 引用:http://livedoor.blogimg.jp/abechan_matome/imgs/3/d/3df4faa4-s.jpg アメリカはわざと日本人を飢えさせた
テレビや映画や小説では「戦後」は美しいものの同義語で語られていて、まるで理想郷のように描かれている。 そこでは貧しいながらも人々は協力して生き、戦後の復興をなしとげたとされている。 またGHQは困窮した日本人に食料を支給して助け、民主主義を与えたとも言われている。 こうした物語は映画やドラマの中だけで十分であり、事実とは程遠いか、正反対だった。 GHQは日本人に食料を与えるどころか奪い取ってわざと飢えさせて、日本人を従わせる手段に用いていた。 戦争前後は食糧難だったのはよく知られているが、戦時中に日本国内で(朝鮮台湾でも)飢えて亡くなった人や、その危険はなかった。 都会の人は空襲で疎開したが、農村には食べるものがあり、十分ではなかったが飢餓状態などではなかった。
それが戦争が終わって平和になり、アメリカ軍が占領したら食料が足りなくなり、「来年は1000万人が食糧不足で亡くなる」と総理大臣が警告する事態になった。 多くの要因があるが最大のものはアメリカ合衆国自体で、戦争の報復としてわざと日本人を飢えさせていました。 占領軍による妨害で日本は食糧の輸入ができなくさせられ、生産活動も制限され、経済破綻しました。
農業も経済の一部なので、国が経済破綻すると農業生産が停止して、食糧不足に陥ります。 終戦の昭和20年から昭和25年まで、日本はほとんどの工業生産を禁止され、前近代社会になりました。 経済破綻するように仕向けた
戦前から存在する設備を更新することは出来ず、農業生産に支障を来たし、外地に出兵した男達は中々帰ってきませんでした。 「戦争が終わって平和になった」と書いたが、そのこと自体が日本経済を破綻させる原因を作り出しました。 戦争中はあらゆる兵器をフル生産していたが、それが8月15日を境に全面停止になり、一切の生産活動が停止した。 困った日本政府は紙幣を印刷して「金融緩和」したが、激しいインフレを引き起こしました。
物を生産していないのにお金だけばらまいたからだが、当時の日本政府は他にどうする事もできなかった。 あらゆる工場が全て操業停止、鉄道は空襲で破壊しつくされ交通網が分断され、労働者たる男達は外地に居るか戦犯として逮捕されていた。 空襲によって東京など都市部の多くの人は家を失ってホームレスになっていて、路上や公園などで生活していました。
この頃アメリカ本国では、日本人のこうした窮状を伝えては「楽しんでいた」のが分かっています。 自分たちが倒した敵が飢えて苦しんでいるのを見て面白がっていたのが、本当の戦後の世界でした。 一例として占領軍は広島や長崎の被爆者を診療したが、治療をせずに「治療するふり」をして、どのように悪化するか観察しました。
生産活動が禁止され輸入も禁止されているので、復興が進まずホームレスが溢れているのも、無論そうなるように仕向けていました。 さらに占領軍は日本人同士が憎み会うように、心を破壊する政策を実行していました。 アメリカは日本人の食料を絞り上げた上で、自分の手で少し援助した。 援助を受け取った人達はアメリカに感謝し日本を憎むよう仕向けられた。 enjo 引用:http://blog.nihon-syakai.net/blog/wp-content/uploads/img2011/enjo.jpg
美しくない戦後
NHKというラジオ放送局(当時唯一のラジオ)で「真相はこうだ」という日本軍や戦前の日本の暴露番組を放送させました。 内容は日本軍がいかにアジア人や欧米人に酷い事をしたかという物だったが、内容は全て嘘だったのが分かっています。 だが当時の日本人はこうした「真相」を信じ、日本人同士で憎みあったり攻撃するようになりました。 愚かなことに「こんな酷い日本を倒してくれて有難う」「原爆を投下してくれて感謝します」とアメリカ軍に感謝する連中すら大勢居た。
人々は最初アメリカ軍を鬼畜だと思っていたが、食料を恵んでくれるので、感謝するようになっていった。 実は占領軍はわざと食料を絞り、日本人を飢えさせてから、犬を手なずけるように「餌」を与えていきました。 学校では子供たちに「日本は悪の国」「アメリカは正義の国」と教え込み、拒否する教師は戦犯として逮捕しました。
じゅうたん爆撃や原爆で数百万人が犠牲になり、本来なら犯人であるアメリカ人を憎むべき所なのだが、次第に日本のせいだと思い込むようになった。 終戦時に外地には日本軍数百万人が存在したが、ソ連や中華民国の捕虜になった日本兵は、洗脳した順番から帰国を許された。 集団学習や反省、謝罪(今日使われるような軽い意味ではない)などで日本は悪の国と教え込み、拒否したものは永遠に帰国できなかった。
アメリカ軍の捕虜になると多少ましだったが、戦犯として裁かれ、やはり徹底して「日本は悪の国」と教え込んだ。 こうして「日本に原爆を落としてくれて有難う」などと言う日本人が大量生産され、この人達が現在の左翼になっていきます。 この状況が1948年まで続き、1950年に朝鮮戦争が勃発して、急にアメリカは日本の工業力や日本軍の軍事力を必要とするようになります。
ここから日本側の発言力が強まって復興へと繋がっていくのだが、戦後数年間の占領が長く日本を蝕むことになります。 http://www.thutmosev.com/archives/72011631.html 2017年05月04日 安倍首相、2020年まで憲法改正表明 日本国憲法の暗黒面 マッカーサーは尿漏れしながらタラップを降り、独裁者になった img_0 引用:http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-fa-95/naojyi/folder/1134515/20/15427020/img_0 憲法改正の日程
安倍首相は憲法記念日の5月3日、憲法改正推進のフォーラムにビデオメッセージを寄せて改憲を訴えました。 首相はメッセージで、新憲法が2020年に施行されるようにしたいと具体的な年限を示した。 また憲法9条について、自衛隊の存在が明記されるように追加し、位置づけを明確にしたいと語った。 自民党総裁の任期は3年で2回まで続けて就任できるので2018年までだったが、3回に延長されたので2021年9月まで可能になった。
日本国総理大臣には期限がないので、理論上は自民党の総裁でなくなっても、総理を続けることは出来る。 改正には衆議院参議院が別々に3分の2以上の賛成を得た上で、国民投票で過半数の賛成を得る必要がある。 国民投票の過半数は憲法の日本語で定義されておらず、護憲派は有権者の過半数だと主張していたが、これだと絶対に憲法改正はできない。
日本国憲法は英語で書いた文章を日本語に翻訳したので英語の原文が存在し、一応「日本語から翻訳した」事にしている。 GHQの原文では「投票者の過半数」と書かれているので、日本人の半分しか投票に行かなくても改正可能だという解釈になった。 2020年に改正憲法施行とすると1年前には国民投票が必要で、その1年前には衆参両院の法案審議を始める必要がある。
その前に改正憲法の条文を明確に決定して国民に示す必要があり、2017年か遅くとも2018年には示されなくてはならない。 2012年に自民党から示された憲法改正案は、はっきり言えば稚拙の印象があり、架空戦記小説に似ている。 日本国憲法の根本的矛盾
2012年自民党案は改正内容が多岐に渡っていて、個別の議論だけで数年を要し、その間に政権が交代したら白紙になってしまう。 緊急に必要なのは「戦争の権利」あるいはもっと穏やかに「自衛権の明記」、それと憲法改正手続きの簡素化の2点だけです。 衆参両院でそれぞれ3分の2が必要なのは、当時のアメリカ軍が日本を敵国と見なしていたため、憲法を改正できないようにしたのです。 世界のどの国でも多数決の原則に基づいて議会の過半数で改正できるのが当たり前で、両院それぞれの3分の2としているのは全世界で日本だけです。
この制度では衆議院で100%の議員が改正賛成でも、参議院の3分の1の議員が反対したら憲法改正はできません。 少数意見が通り多数意見が排除される仕組みで、こういう制度を「独裁政治」と言います。 なぜ独裁を奨励するのかといえば、日本国憲法が成立した1946年の日本は、1人の軍人が全ての権限を握る「独裁国家」だったからです。
この軍人とは東条英機ではなく米軍人のダグラス・マッカーサーで、公式な資格がないのに勝手に憲法を作って議会に承認させました。 誰もこれを指摘しないので自分で書くが、マッカーサーは連合軍総司令官で、トルーマン大統領から日本占領を命じられた。 だが一体何故、「ただのアメリカ軍人」が日本を占領して議会や政府に命令し、憲法を勝手に作り変える権限を。アメリカ大統領が与えるのだろうか?
連合国(=国連)が任命したというが、日本は国連加盟国ではないので、そいつらに指図される筋合いがない。 1945年8月に日本が受け入れたのはポツダム宣言だけであって、米軍の日本占領に合意しても居ない。 トルーマン大統領は「天皇の処遇」「憲法を自由に作る」「戦争裁判を開く」などの権限を与えたが、なぜアメリカ大統領にこうした権利があると考えるのかも謎です。 独裁者になった尿漏れ男
1945年8月28日、帝国海軍厚木飛行場に米軍第一陣が到着し、8月30日にマッカーサーがパイプを咥えて降り立った。 マッカーサーは写真にはこだわりがあり、硫黄島の有名な写真や、厚木に降り立った写真など、すべて演出させた「やらせ写真」でした。 厚木の輸送機から降りるマッカーサーは、日本軍人から襲撃される恐怖から、尿を漏らしながらタラップを降りました。 マッカーサーは開戦時にフィリピンにいたが、部下を置き去りに逃げ出し、沖縄や本土では民間人への空襲を命令した、そんな人間でした。
マッカーサーは軍事法廷や天皇の処罰などをチラつかせながら憲法(帝国憲法)改正を命じ、帝国議会は現行憲法(帝国憲法)の改正案を示した。 1945年(昭和20年)10月4日、マッカーサーは日本政府に憲法改正を命令したが、日本側はマッカーサーの命令を拒否し、時間を掛けて改正すると回答しました。 1946年1月、日本政府はGHQに憲法改正案を提出したが、GHQは却下し独自の憲法を作成する事にした。
特にマッカーサーを激怒させたのが天皇の身分を存続させる点で、彼は天皇を「犯罪者」として定義させたがった。 イラクやアルカイダの首謀者をアメリカは犯罪者と定義したが、あれと同じ事を日本でもやりたかったようです。 脅迫で可決した日本国憲法
マッカーサーはGHQのアルバイト職員に、7日間でで英語の憲法草案を書かせ、日本語に翻訳して新聞社に直接掲載させた。 GHQによる憲法発表が先であって、国会議員や総理大臣は新聞を読んで初めて「GHQ憲法」の存在を知らされた。 ここで駆け引きに使われたのが「昭和天皇処遇と戦争再開」で、GHQ側は公然と、「議会が承認しないならもう一度空襲してやる」と言ったそうです。 ここで日本の国会議員らは、もう一度アメリカと玉砕戦争をするか、それともGHQ憲法を承認するかの二者択一を迫られました、
GHQ憲法は3月7日に発表され、1946年8月24日に衆議院可決、10月6日に貴族院(後の参議院)でも圧倒的多数で可決成立した。 若干の審議と修正がおこなわれたものの、1946年の時点では昭和天皇を初めとして大半の政治家や有力者が、戦犯として裁判に掛けられる恐れがあった。 東京裁判はアメリカ軍側の証拠や証人だけが採用され、被告側の証人や証拠は一切認めないので、最初から有罪が確定していたイカサマ裁判でした。 例えば東京大学(当時唯一の最高学府で最高権威)はGHQ憲法は違法だと主張していたが、GHQは教授らを連行して戦争裁判に掛けると脅迫した。
東大は新憲法容認に立場を変えて「憲法学」という珍妙な学問を考案し、以来日本国憲法を擁護している。 日本国憲法はその成立過程において、民主的な手続きを一切経ておらず、憲法自体が無効だと考えられるが、安倍首相はあくまで正式な改正手続きを踏みたいようです。 リサイクルも良いが、ゴミはゴミ箱に捨てるべきでは無いだろうか。 http://www.thutmosev.com/archives/70762817.html 2016年08月19日 日本国憲法を作ったのは軍隊のアルバイト http://thutmose.blog.jp/archives/65117879.html
マッカーサーはやらせ写真を作るのが大好きで、こういう写真を撮らせてはマスコミに掲載させた。 http://livedoor.blogimg.jp/aps5232/imgs/c/8/c8d8b55f.jpg 日米両国の高官が「日本国憲法を作ったのは我が国だ」と主張している。
日本国憲法の珍論争
日本国憲法を作ったのは誰かという珍論争が日米の政府当局者で勃発し、互いに牽制している。 8月15日に大統領候補ヒラリークリントンの応援演説をした、副大統領のバイデンが次のように発言した。 「日本が核兵器を持てないように、我々が日本の憲法を書いたのを、トランプ候補は知らないのではないか」 この前に対立候補のトランプは様々なヒラリー批判や民主党批判をしていて、その中に次のような演説があった。
「日本には米軍駐留陽を負担してもらう。あるいは米軍に頼らず核武装して自分で守ってもらう」という趣旨の発言だった。 バイデンはトランプへの反論として、日本が核武装出来ないことを指摘し、そうなるように我々が憲法を作ったと話した。 実際はどうかというと、日本国憲法に核武装を禁止した条文はないし、軍隊の保有も軍事行動も禁止するとは書かれていない。
「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」 「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」 「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」と憲法に書いてあるのに陸海空軍が存在するのは周知の事実で、これは次の理由による。
『国権の発動たる戦争』は先制攻撃『武力による威嚇又は武力の行使』は侵略戦争という意味で書かれていた英語の日本語訳だとされている。 国の主権者による戦争の禁止、恫喝行為と武力行使禁止、それらを行うための軍事力禁止と書かれています。 終戦後に軍事政権樹立した日本
ひっくり返すと侵略戦争や先制攻撃以外の戦争は認められているし、軍事力による反撃も、核保有も禁止していません。 集団的自衛権もミサイル防衛も、安保法制も、もちろんどこにも禁止とは書いてありません。 バイデン副大統領の発言の半分は誤解ですが、もう半分の「我々が憲法を作った」の部分はどうでしょうか。 英語の原文があり、それを日本語に訳したから「変な日本語」になっているのですが、そもそも英語の原文が存在するのが奇妙です。
時間を追って経緯を見るために1945年(昭和20年)8月15日に戻ってみます。 8月30日に帝国海軍厚木飛行場にマッカーサーが降り立って、パイプを咥えた有名な写真を撮ったが、このポーズはやらせだった。 マッカーサーという男はこういう記念写真が大好きで、硫黄島に旗を立てる写真などを作っては見せびらかしていた。
それはともかく10月4日、マッカーサーは日本政府に憲法改正を命令したが、軍による独裁には従わないとして東久邇宮内閣は総辞職しました。 マッカーサーは連合軍という軍隊の司令官にすぎず、日本政府や議会に命令する立場に無いのに、勝手に軍事政権を作った事になる。 日本側はマッカーサーの命令を拒否し、憲法調査会を組織して、時間を掛けて改正すると回答しました。
1945年11月に憲法改正のための委員会が発足し、1946年1月にGHQに提出しました。 日本側の案は現行憲法(帝国憲法)に米国の要望を取り入れて改正する案だったが、マッカーサーは拒絶しました。 アルバイトに適当な憲法を書かせて「拒否するなら何発でも原爆を落す」と議員らを脅迫した。
軍事政権が作った憲法
マッカーサーは民政局長のコートニー・ホイットニーに憲法作成を命令し、ホイットニーはアルバイト職員らに草案を書かせた。 こうして約7日間で書き上げたのが「日本国憲法」の原文の英語版でした。 当時日本の新聞はGHQの支配下にあったので、マッカーサーは日本政府に伝える前に、勝手に新聞で発表してしまいました。 先に日本政府に伝えるとまたゴネだして、内容を変更したり無効になると考えたからでした。
日本の国会議員らは新聞を読んで初めて憲法の内容を知り、激怒して絶対反対の態度を取りました。 するとマッカーサーは「新憲法を承認しなければもう一度戦争だ、原爆をまた落す」と言って脅迫しました。 東京大学などの法学者は新憲法を違法だと言い、反対の態度を取ったが、これも「認めなければ戦犯にしてやる」と脅迫して認めさせました。
当時マッカーサーはA級戦犯、B級戦犯などランク付けし、連合軍に反抗的な公務員や学者らを逮捕しては処刑していました。 GHQを恐れた東京大学は「憲法学」という学問を作り、日本国憲法は日本国民が作ったと言い出しました。 これが今日に残っている「憲法学」で、マッカーサーが「戦犯になるか憲法を認めるか」と脅迫して作らせた学問です。
GHQ支配下の新聞、NHKはこぞって「国民が新憲法を作った」という嘘の報道を繰り返し、やがて嘘の方が事実として広まりました。 帝国議会は「もういちど原爆を落とされたいか」と脅迫され、ほとんど審議せず新憲法を承認しました。 、 新憲法は「国民が作った」という宣伝の後で、1947年(昭和22年)5月3日に施行され、今日に至っている。 これを誰が作ったと考えるかはその人の考え次第だが、少なくとも日本の総理大臣や国会議員はまったく関与していない http://thutmose.blog.jp/archives/65117879.html ▲△▽▼
2018年5月4日 平成最後の憲法記念日 5月3日は「憲法記念日」。
71年前のこの日、 「日本国憲法」は施行されました。 安倍晋三首相が憲法改正の 方針を打ち出し、改憲に関する 事案を政治日程にのせるように なってから、大手メディア (とくに朝日新聞)の安倍批判は 激しさを増しています。 5月3日付朝日新聞社説 https://www.asahi.com/articles/DA3S13478086.html?ref=opinion 朝日は、安倍首相に改憲を 語る資格はないとし、この1年で 〈安倍政権が憲法改正を 進める土台は崩れた〉 と述べます。 〈そもそも憲法とは、国民の側から 国家権力を縛る最高法規〉 で、 〈「安倍1強政治」のうみとでも いうべき不祥事が、 次々と明らかに〉 なり、 〈憲法の定める国の統治の 原理がないがしろにされる事態〉 で 〈まっとうな改憲論議が できる環境にない〉 と。 〈「安倍1強政治」のうみ〉 というのは、 「森友・加計・自衛隊日報 ・財務次官のセクハラ」 等々でしょうが、ここには 事実と認定できない「疑惑」と、 法律的にどのような責任が 問われるのかが冷静に 勘案されないままの「懲罰感情」と、 まさに現在の憲法が抱える 主権国家としての矛盾が 放置されてきた結果の問題 (自衛隊の日報問題)などが 一緒くたにされています。 それから憲法が 〈国民の側から 国家権力を縛る最高法規〉 だと朝日がいうのは随分 乱暴な括り方で、「憲法」は 「国家の基本的事項を定め、 他の法律や命令で変更することの できない国家最高の法規範」 と認識するのが普通でしょう。 朝日は、安倍首相に対し、 〈透けて見えるのは、現憲法は 占領期に米国に押し付けられた との歴史観だ。 人権、自由、平等といった 人類の普遍的価値や民主主義を 深化させるのではなく、 「とにかく変えたい」という 個人的な願望に他ならない〉 というのですが、 〈現憲法は占領期に米国に 押し付けられた〉 というのは 安倍氏個人の歴史観ではなく 「事実」でしょう。 また、「改憲」を 〈個人的な願望〉と切って 捨てるのも、安倍氏を総裁とする 自民党に投票した国民の 意思を軽んじるものでしょう。 朝日は、 「民主主義を支える公文書が 改竄される安倍政権下で 9条改憲論議が進むこと」 は危険でけしからん、というような 論陣を張るのですが、筆者が 不思議に思うのは、朝日に限らず 現行憲法を守れと主張する 人々の多くが、現行憲法の 成立過程をほとんど問題視 していないように見えることです。 朝日の社説も 〈米国に押し付けられた〉 ことは一向に問題視せず、 〈普遍的価値や民主主義〉 を謳うだけです。 筆者はここで、既知の読者には 退屈かもしれませんが、 被占領時代の詳細で 丹念な研究によって 「戦後の言語空間」の歪みを 明らかにした故江藤淳の 『一九四六年憲法―その拘束 その他』 (文春文庫、平成7年)に拠って、 現行憲法の成立に関わる いくつかの話を手短に 紹介したいと思います。 連合国軍最高司令官のマッカーサーが、 総司令部民政局に指令を発して、 日本政府を「指導」するために 独自の憲法草案の起草を 命じたのは昭和21年(1946) 2月3日のことです。 前年11月、マッカーサーは、 東久邇宮に代わって内閣を 組織した幣原喜重郎に 「ポツダム宣言の実現に当りては 日本国民が数世紀に亘り隷属 せしめられたる伝統的社会秩序は 是正せらるるを要す。 右は疑いもなく憲法の 自由主義化を包含すべし」 との意向を伝えていました。 日本政府を「指導」する主眼として 示されたマッカーサー・ノートの なかに次の一文があります。 〈国家主権の発動として戦争は、 廃止される。 日本は、紛争解決の手段 としての戦争のみならず、 自国の安全を維持する手段としての 戦争をも放棄する。 日本は、その防衛と保全とを、 今や世界を動かしつつある 崇高な理想に委ねる。 日本が陸海空軍を維持する権能は、 将来ともに許可されることがなく、 日本軍に交戦権が 与えられることもない。〉 実際に民政局の憲法起草委員会の 作業を経て示されたのは、 〈国家主権の発動としての 戦争は廃止される。 他国との紛争解決の手段としての 武力による威嚇または武力行使は、 永久に放棄する。 陸、海、空軍その他の戦力を 維持することは許されず、 国家の交戦権が 認められることもない。〉 というもので、 マッカーサー・ノートに示されていた 〈自国の安全を維持する 手段としての戦争をも放棄する〉 というくだりは削除されました。 江藤氏は、マッカーサー・ノートの くだりについて 〈注目すべきことは、 「自衛権」と「交戦権」の否定が、 なによりもまず国家主権に対する 決定的な制限として想定されている ことであろう。 戦争放棄条項≠非武装条項=A あるいは平和条項≠ニ解釈するのは 実は問題のすり替えであって、 それは正確には主権制限条項 と理解されなければならない〉 と指摘しています。 そして、それが民政局の 憲法起草委員会の段階で 削除されたことは、 〈起草者たちはおそらく、 マッカーサー・ノートに示された 「自衛権」の否定が、ほとんど 国家主権そのものの否定を 意味しかねないことに気がついて〉 のことであろうと。 江藤氏は同書で、昭和21年(1946) 2月13日、民政局長ホイットニー准将と 随行のケイディス陸軍大佐、 ラウエル陸軍中佐、ハッシー海軍中佐が、 外務大臣官邸において 吉田茂外相、松本烝治憲法担当国務相、 白洲次郎外相秘書官、長谷川元吉翻訳官 と会談した模様を記しています。 ケイディス、ラウエル、ハッシー による会談記録があり、 『日本国憲法制定の過程・T原文と翻訳』 (有斐閣、昭和47年)に収録され、 翻訳者は高柳賢三、大友一郎、 田中英夫の三氏です。 江藤氏は 〈私は意図的に敢えて その翻訳を採らなかった。 その理由は、おそらくあの 現行憲法に対するタブー≠ェ 暗々裡に作用しているために、 ことさらに婉曲かつ不正確な翻訳が おこなわれているように 思われてならなかったから〉 で、翻訳が、 〈現行憲法は「押しつけられた」 ものではないとする故高柳博士の 持論に適合するように 文脈を曲げて作成されている、 という印象を拭いがたかったから にほかならない〉 と述べています。 会談の雰囲気は どのようなものであったか。 ホイットニー准将は吉田外相らに 憲法草案を渡した後、 〈「一時退席し、文書を自由に検討し、 討論する機会を与えたい」〉 として、 〈ポーチを去り日光を 浴びた庭に出た。 そのとき米軍機が一機、 家の上空をかすめて飛び去った。 十五分ほどたってから、 白洲氏がやって来た。 そのときホイットニー将軍が 静かな口調で白洲氏に語った。 「われわれは戸外に出て、 原子力エネルギーの暖を 取っているところです」〉 これは江藤氏の訳文で、 高柳氏らの訳文との比較は 『一九四六年憲法―その拘束』で 確認できます。 「原子力エネルギーの暖」 とは何のことか。 日本は米国に原爆を投下されました。 多言を要さなくても 察しのつく方は多いでしょう。 日本国憲法は米国から 「脅迫的言辞」をもって 押し付けられたのであり、 「人権、自由、平等 といった人類の普遍的価値」 はその時点ですでに 蹂躙されています。 こうした事実の発掘は 多々なされているにもかかわらず、 これを問題視せぬまま 「憲法を守れ」という声だけが 喧しいのはなぜでしょうか。 朝日新聞をはじめ 大手メディアの安倍批判には、 〈現行憲法に対するタブー が暗々裡に作用〉 し続けていると言わざるを得ません。 日本国憲法第二十一条の 二項にはこうあります。 「検閲は、これをしてはならない。 通信の秘密は、これを侵してはならない。」 しかしながら、憲法の成立過程 そのものが占領軍による統制と 検閲下にありました。 諸々の矛盾を抱えたままま、 「主権制限条項」を「平和条項」 などと誤魔化して過ごしてきた 戦後七十余年――。 安倍政権の批判それ自体は 大いにすればいいのです。 消費税や移民政策、 安全保障や拉致問題など 具体的に論ずべき問題は いくらもあります。 なぜ野党と多数の大手メディアは それをせずに、 〈「安倍1強政治」のうみ〉 などというものに国民の 関心を引きつけようとするのか。 国民は本当に自由に モノを考えているか。 「平成最後の憲法記念日」に当たって、 また72年前の5月3日に 東京裁判の審理が開始された ことを想起して、江藤淳氏の 次の言葉を読者と共有 できればと思います。 〈憲法が「一切の批判」を拒む タブー≠ニして存続して来たのは、 決して日本人の良心がそう命じた からではなくて巧妙な占領政策の 帰結にすぎず、おそらくは同胞の中の 善意の熱心家が、知らず知らず のうちに検閲官の役割を買って出、 異端邪説を禁圧して来たからだ という事実を指摘するのみである。 しかし、憲法自体が禁圧として 作用しているような状況の下で、 「表現の自由」や「学問の自由」が 成立しがたいことはいうまでもない。 私はやはり、日本人に 自由になってほしい。 少くとも、必要なことが 平和の維持、つまり自らの 「安全と存続」であって、 「憲法の護持」ではないことを 公言できる程度には、 自由になってほしいのである。〉 (「憲法と禁圧」前掲書所収) https://38news.jp/economy/11899
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