日本国憲法前文 小6が暗唱:日本国憲法前文! THE CONSTITUTION OF JAPAN https://www.youtube.com/watch?v=ePPDNN_QxME 前 文 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。 そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。 これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。 われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。 われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。 われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。 ________________ あたらしい憲法のはなし 文部省 https://www.aozora.gr.jp/cards/001128/files/43037_15804.html 一 憲法
みなさん、あたらしい憲法ができました。そうして昭和二十二年五月三日から、私たち日本國民は、この憲法を守ってゆくことになりました。このあたらしい憲法をこしらえるために、たくさんの人々が、たいへん苦心をなさいました。 ところでみなさんは、憲法というものはどんなものかごぞんじですか。じぶんの身にかゝわりのないことのようにおもっている人はないでしょうか。もしそうならば、それは大きなまちがいです。 國の仕事は、一日も休むことはできません。また、國を治めてゆく仕事のやりかたは、はっきりときめておかなければなりません。そのためには、いろ/\規則がいるのです。この規則はたくさんありますが、そのうちで、いちばん大事な規則が憲法です。 國をどういうふうに治め、國の仕事をどういうふうにやってゆくかということをきめた、いちばん根本になっている規則が憲法です。 もしみなさんの家の柱がなくなったとしたらどうでしょう。家はたちまちたおれてしまうでしょう。いま國を家にたとえると、ちょうど柱にあたるものが憲法です。 もし憲法がなければ、國の中におゝぜいの人がいても、どうして國を治めてゆくかということがわかりません。それでどこの國でも、憲法をいちばん大事な規則として、これをたいせつに守ってゆくのです。國でいちばん大事な規則は、いいかえれば、いちばん高い位にある規則ですから、これを國の「最高法規」というのです。 ところがこの憲法には、いまおはなししたように、國の仕事のやりかたのほかに、もう一つ大事なことが書いてあるのです。 それは國民の権利のことです。この権利のことは、あとでくわしくおはなししますから、こゝではたゞ、なぜそれが、國の仕事のやりかたをきめた規則と同じように大事であるか、ということだけをおはなししておきましょう。 みなさんは日本國民のうちのひとりです。國民のひとり/\が、かしこくなり、強くならなければ、國民ぜんたいがかしこく、また、強くなれません。 國の力のもとは、ひとり/\の國民にあります。 そこで國は、この國民のひとり/\の力をはっきりとみとめて、しっかりと守ってゆくのです。そのために、國民のひとり/\に、いろ/\大事な権利があることを、憲法できめているのです。この國民の大事な権利のことを「基本的人権」というのです。これも憲法の中に書いてあるのです。 そこでもういちど、憲法とはどういうものであるかということを申しておきます。
憲法とは、國でいちばん大事な規則、すなわち「最高法規」というもので、その中には、だいたい二つのことが記されています。 その一つは、國の治めかた、國の仕事のやりかたをきめた規則です。 もう一つは、國民のいちばん大事な権利、すなわち「基本的人権」をきめた規則です。 このほかにまた憲法は、その必要により、いろ/\のことをきめることがあります。 こんどの憲法にも、あとでおはなしするように、これからは戰爭をけっしてしないという、たいせつなことがきめられています。 これまであった憲法は、明治二十二年にできたもので、これは明治天皇がおつくりになって、國民にあたえられたものです。 しかし、こんどのあたらしい憲法は、日本國民がじぶんでつくったもので、日本國民ぜんたいの意見で、自由につくられたものであります。 この國民ぜんたいの意見を知るために、昭和二十一年四月十日に総選挙が行われ、あたらしい國民の代表がえらばれて、その人々がこの憲法をつくったのです。 それで、あたらしい憲法は、國民ぜんたいでつくったということになるのです。 みなさんも日本國民のひとりです。 そうすれば、この憲法は、みなさんのつくったものです。 みなさんは、じぶんでつくったものを、大事になさるでしょう。 こんどの憲法は、みなさんをふくめた國民ぜんたいのつくったものであり、國でいちばん大事な規則であるとするならば、みなさんは、國民のひとりとして、しっかりとこの憲法を守ってゆかなければなりません。 そのためには、まずこの憲法に、どういうことが書いてあるかを、はっきりと知らなければなりません。 みなさんが、何かゲームのために規則のようなものをきめるときに、みんないっしょに書いてしまっては、わかりにくい[#「わかりにくい」は底本では「わかりくい」]でしょう。 國の規則もそれと同じで、一つ/\事柄にしたがって分けて書き、それに番号をつけて、第何條、第何條というように順々に記します。 こんどの憲法は、第一條から第百三條まであります。 そうしてそのほかに、前書が、いちばんはじめにつけてあります。 これを「前文」といいます。 この前文には、だれがこの憲法をつくったかということや、どんな考えでこの憲法の規則ができているかということなどが記されています。 この前文というものは、二つのはたらきをするのです。 その一つは、みなさんが憲法をよんで、その意味を知ろうとするときに、手びきになることです。 つまりこんどの憲法は、この前文に記されたような考えからできたものですから、前文にある考えと、ちがったふうに考えてはならないということです。 もう一つのはたらきは、これからさき、この憲法をかえるときに、この前文に記された考え方と、ちがうようなかえかたをしてはならないということです。 挿絵2 それなら、この前文の考えというのはなんでしょう。 いちばん大事な考えが三つあります。 それは、「民主主義」と「國際平和主義」と「主権在民主義」です。 「主義」という言葉をつかうと、なんだかむずかしくきこえますけれども、少しもむずかしく考えることはありません。 主義というのは、正しいと思う、もののやりかたのことです。 それでみなさんは、この三つのことを知らなければなりません。 まず「民主主義」からおはなししましょう。 二 民主主義とは
こんどの憲法の根本となっている考えの第一は民主主義です。 ところで民主主義とは、いったいどういうことでしょう。 みなさんはこのことばを、ほう/″\できいたでしょう。 これがあたらしい憲法の根本になっているものとすれば、みなさんは、はっきりとこれを知っておかなければなりません。 しかも正しく知っておかなければなりません。 みなさんがおゝぜいあつまって、いっしょに何かするときのことを考えてごらんなさい。
だれの意見で物事をきめますか。 もしもみんなの意見が同じなら、もんだいはありません。 もし意見が分かれたときは、どうしますか。 ひとりの意見できめますか。 二人の意見できめますか。 それともおゝぜいの意見できめますか。 どれがよいでしょう。 ひとりの意見が、正しくすぐれていて、おゝぜいの意見がまちがっておとっていることもあります。 しかし、そのはんたいのことがもっと多いでしょう。 そこで、まずみんなが十分にじぶんの考えをはなしあったあとで、おゝぜいの意見で物事をきめてゆくのが、いちばんまちがいがないということになります。 そうして、あとの人は、このおゝぜいの人の意見に、すなおにしたがってゆくのがよいのです。 このなるべくおゝぜいの人の意見で、物事をきめてゆくことが、民主主義のやりかたです。 國を治めてゆくのもこれと同じです。
わずかの人の意見で國を治めてゆくのは、よくないのです。 國民ぜんたいの意見で、國を治めてゆくのがいちばんよいのです。 つまり國民ぜんたいが、國を治めてゆく――これが民主主義の治めかたです。 しかし國は、みなさんの学級とはちがいます。
國民ぜんたいが、ひとところにあつまって、そうだんすることはできません。 ひとり/\の意見をきいてまわることもできません。 そこで、みんなの代わりになって、國の仕事のやりかたをきめるものがなければなりません。 それが國会です。 國民が、國会の議員を選挙するのは、じぶんの代わりになって、國を治めてゆく者をえらぶのです。 だから國会では、なんでも、國民の代わりである議員のおゝぜいの意見で物事をきめます。 そうしてほかの議員は、これにしたがいます。 これが國民ぜんたいの意見で物事をきめたことになるのです。 これが民主主義です。 ですから、民主主義とは、國民ぜんたいで、國を治めてゆくことです。 みんなの意見で物事をきめてゆくのが、いちばんまちがいがすくないのです。 だから民主主義で國を治めてゆけば、みなさんは幸福になり、また國もさかえてゆくでしょう。 國は大きいので、このように國の仕事を國会の議員にまかせてきめてゆきますから、國会は國民の代わりになるものです。
この「代わりになる」ということを「代表」といいます。 まえに申しましたように、民主主義は、國民ぜんたいで國を治めてゆくことですが、國会が國民ぜんたいを代表して、國のことをきめてゆきますから、これを「代表制民主主義」のやりかたといいます。 しかしいちばん大事なことは、國会にまかせておかないで、國民が、じぶんで意見をきめることがあります。
こんどの憲法でも、たとえばこの憲法をかえるときは、國会だけできめないで、國民ひとり/\が、賛成か反対かを投票してきめることになっています。 このときは、國民が直接に國のことをきめますから、これを「直接民主主義」のやりかたといいます。 あたらしい憲法は、代表制民主主義と直接民主主義と、二つのやりかたで國を治めてゆくことにしていますが、代表制民主主義のやりかたのほうが、おもになっていて、直接民主主義のやりかたは、いちばん大事なことにかぎられているのです。 だからこんどの憲法は、だいたい代表制民主主義のやりかたになっているといってもよいのです。 みなさんは日本國民のひとりです。
しかしまだこどもです。 國のことは、みなさんが二十歳になって、はじめてきめてゆくことができるのです。 國会の議員をえらぶのも、國のことについて投票するのも、みなさんが二十歳になってはじめてできることです。 みなさんのおにいさんや、おねえさんには、二十歳以上の方もおいででしょう。 そのおにいさんやおねえさんが、選挙の投票にゆかれるのをみて、みなさんはどんな氣がしましたか。 いまのうちに、よく勉強して、國を治めることや、憲法のことなどを、よく知っておいてください。 もうすぐみなさんも、おにいさんやおねえさんといっしょに、國のことを、じぶんできめてゆくことができるのです。 みなさんの考えとはたらきで國が治まってゆくのです。 みんながなかよく、じぶんで、じぶんの國のことをやってゆくくらい、たのしいことはありません。 これが民主主義というものです。 三 國際平和主義 國の中で、國民ぜんたいで、物事をきめてゆくことを、民主主義といいましたが、國民の意見は、人によってずいぶんちがっています。 しかし、おゝぜいのほうの意見に、すなおにしたがってゆき、またそのおゝぜいのほうも、すくないほうの意見をよくきいてじぶんの意見をきめ、みんなが、なかよく國の仕事をやってゆくのでなければ、民主主義のやりかたは、なりたたないのです。 挿絵3 これは、一つの國について申しましたが、國と國との間のことも同じことです。 じぶんの國のことばかりを考え、じぶんの國のためばかりを考えて、ほかの國の立場を考えないでは、世界中の國が、なかよくしてゆくことはできません。 世界中の國が、いくさをしないで、なかよくやってゆくことを、國際平和主義といいます。 だから民主主義ということは、この國際平和主義と、たいへんふかい関係があるのです。 こんどの憲法で民主主義のやりかたをきめたからには、またほかの國にたいしても國際平和主義でやってゆくということになるのは、あたりまえであります。 この國際平和主義をわすれて、じぶんの國のことばかり考えていたので、とうとう戰爭をはじめてしまったのです。 そこであたらしい憲法では、前文の中に、これからは、この國際平和主義でやってゆくということを、力強いことばで書いてあります。 またこの考えが、あとでのべる戰爭の放棄、すなわち、これからは、いっさい、いくさはしないということをきめることになってゆくのであります。 四 主権在民主義 みなさんがあつまって、だれがいちばんえらいかをきめてごらんなさい。 いったい「いちばんえらい」というのは、どういうことでしょう。 勉強のよくできることでしょうか。 それとも力の強いことでしょうか。 いろ/\きめかたがあってむずかしいことです。 國では、だれが「いちばんえらい」といえるでしょう。
もし國の仕事が、ひとりの考えできまるならば、そのひとりが、いちばんえらいといわなければなりません。 もしおおぜいの考えできまるなら、そのおゝぜいが、みないちばんえらいことになります。 もし國民ぜんたいの考えできまるならば、國民ぜんたいが、いちばんえらいのです。 こんどの憲法は、民主主義の憲法ですから、國民ぜんたいの考えで國を治めてゆきます。 そうすると、國民ぜんたいがいちばん、えらいといわなければなりません。 挿絵4 國を治めてゆく力のことを「主権」といいますが、この力が國民ぜんたいにあれば、これを「主権は國民にある」といいます。 こんどの憲法は、いま申しましたように、民主主義を根本の考えとしていますから、主権は、とうぜん日本國民にあるわけです。 そこで前文の中にも、また憲法の第一條にも、「主権が國民に存する」とはっきりかいてあるのです。 主権が國民にあることを、「主権在民」といいます。 あたらしい憲法は、主権在民という考えでできていますから、主権在民主義の憲法であるということになるのです。 みなさんは、日本國民のひとりです。
主権をもっている日本國民のひとりです。 しかし、主権は日本國民ぜんたいにあるのです。 ひとり/\が、べつ/\にもっているのではありません。 ひとり/\が、みなじぶんがいちばんえらいと思って、勝手なことをしてもよいということでは、けっしてありません。 それは民主主義にあわないことになります。 みなさんは、主権をもっている日本國民のひとりであるということに、ほこりをもつとともに、責任を感じなければなりません。 よいこどもであるとともに、よい國民でなければなりません。 ・・・・・・・
中略(参照)https://www.aozora.gr.jp/cards/001128/files/43037_15804.html ・・・・・・・ 十五 最高法規 このおはなしのいちばんはじめに申しましたように、「最高法規」とは、國でいちばん高い位にある規則で、つまり憲法のことです。 この最高法規としての憲法には、國の仕事のやりかたをきめた規則と、國民の基本的人権をきめた規則と、二つあることもおはなししました。 この中で、國民の基本的人権は、これまでかるく考えられていましたので、憲法第九十七條は、おごそかなことばで、この基本的人権は、人間がながいあいだ力をつくしてえたものであり、これまでいろ/\のことにであってきたえあげられたものであるから、これからもけっして侵すことのできない永久の権利であると記しております。 憲法は、國の最高法規ですから、この憲法できめられてあることにあわないものは、法律でも、命令でも、なんでも、いっさい規則としての力がありません。 これも憲法がはっきりきめています。 このように大事な憲法は、天皇陛下もこれをお守りになりますし、國務大臣も、國会の議員も、裁判官も、みなこれを守ってゆく義務があるのです。 また、日本の國がほかの國ととりきめた約束(これを「條約」といいます)も、國と國とが交際してゆくについてできた規則(これを「國際法規」といいます)も、日本の國は、まごころから守ってゆくということを、憲法できめました。 みなさん、あたらしい憲法は、日本國民がつくった、日本國民の憲法です。 これからさき、この憲法を守って、日本の國がさかえるようにしてゆこうではありませんか。 おわり
底本:「あたらしい憲法のはなし」日本平和委員会 1972(昭和47)年11月3日初版発行 2004(平成16)年1月27日第38版 底本の親本:「あたらしい憲法のはなし」実業教科書株式会社 1947(昭和22)年7月28日同日翻刻印刷 1947(昭和22)年8月2日同日翻刷発行 1947(昭和22)年8月2日文部省検査済 ※「/\」と「/″\」の使い方は、底本通りにしました。 入力:林 幸雄 校正:松永正敏 2004年6月9日作成 2013年6月7日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
*表記について このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。 [#…]は、入力者による注を表す記号です。 _____________________________ _____________________________ _____________________________
五箇条の御誓文
https://ja.wikipedia.org/wiki/五箇条の御誓文 五箇条の御誓文 この項目では、1868年に布告された五項目からなる明治政府の基本方針について説明しています。朝鮮商工連と国税庁との間に取り交わされたとされる五項目の協定については「五項目の合意事項」をご覧ください。 五箇条の御誓文(ごかじょうのごせいもん)は、慶応4年3月14日[1](1868年4月6日)に明治天皇が天地神明に誓約する形式で、公卿や諸侯などに示した明治政府の基本方針である。正式名称は御誓文であり、以下においては御誓文と表記する。 (転記者註:天皇が天地神明に誓約することを日本古来「詔勅」という。 聖徳太子は法皇大王すなわち後の天皇とおなじ位であるから、 十七条憲法も日本古来日本語の正しい意味で天皇が天地神明に誓う「詔勅」であり、 十七条憲法と五箇条ご誓文とは同じである。 しかしながら、大日本帝国憲法は明治22年明治政府総理として廃仏毀釈した伊藤博文が天皇絶対不可侵の唯一絶対神専制独裁条項を盛り込んで起草しており、 これは十七条憲法と五箇条ご誓文の詔勅を臣下の身で恣意的に破棄した大逆不敬の菲法であった。 大日本帝国憲法は中世キリスト教ヨーロッパの王権神授説そのものであり、 政教一致カルト専制弾圧搾取の武器でしかなかったのである。) 起草の過程[編集] 明治新政府は大政奉還後の発足当初から「公議」を標榜し[2]、その具体的方策としての国是を模索していた。慶応4年(1868年)1月、福井藩出身の参与由利公正が、「議事之体大意」五箇条[3]を起案し、次いで土佐藩出身の制度取調参与福岡孝弟が修正し、そのまま放置されていた。それを同年3月に入って長州藩出身の参与木戸孝允が加筆し[4]、同じく参与の東久世通禧を通じて議定兼副総裁の岩倉具視に提出した。 福岡孝弟は、由利五箇条に対して第一条冒頭に「列矦會議ヲ興シ」(列侯会議ヲ興シ)の字句を入れるなどして封建的な方向へ後退させ、表題も「会盟」に改めたため、列侯会盟の色彩が非常に強くなった。さらに福岡は発表の形式として天皇と諸侯が共に会盟を約する形を提案した。しかし、この「会盟」形式は、天皇と諸侯とを対等に扱うものであり、「諸事神武創業之始ニ原キ」とする王政復古の理念にも反するという批判にさらされた。
そこで、参与で総裁局顧問の木戸孝允は、 天皇が天神地祇(てんじんちぎ。簡単に言えば神)を祀り、神前で公卿・諸侯を率いて共に誓いの文言を述べ、かつ、その場に伺候する全員が署名するという形式を提案し、 これが採用されることとなった。その際、木戸は、(1)福岡案第一条の「列侯会議ヲ興シ」を「廣ク會議ヲ興シ」(広ク会議ヲ興シ)に改め、(2)「徴士」の任用期間を制限していた福岡案第五条を削除して、(3)木戸最終案第四条「旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ」を新たに組み込み、五箇条の順序を体裁良く整え直すなど、大幅に変更を加え、より普遍的な内容にした。また、議定兼副総裁の三条実美も福岡案表題の「会盟」を「誓」に修正したため、木戸による五箇条が「誓文」「御誓文」「五箇条誓文」「五箇条の御誓文」と呼ばれるようになった。この木戸五箇条が、天下に布告すべき日本国の国是として明治天皇の裁可を受け、慶応4年3月14日(1868年4月6日)、朝廷の偉大さを天下に確定させんとする木戸の狙い通り、誓約された。木戸は後日その意図について、「天下の侯伯と誓い、億兆の向ふ所を知らしめ、藩主をして其責に任ぜんと欲し」たと述べている[5]。 儀式と布告[編集] 中略参照https://ja.wikipedia.org/wiki/五箇条の御誓文 一 廣ク會議ヲ興シ萬機公論ニ決スベシ[編集] (現代表記)広く会議を興し、万機公論に決すべし。
一 上下心ヲ一ニシテ盛ニ經綸ヲ行フべシ[編集] (現代表記)上下心を一にして、さかんに経綸を行うべし。 一 官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメン事ヲ要ス[編集] (現代表記)官武一途庶民にいたるまで、おのおのその志を遂げ、人心をして倦まざらしめんことを要す。 一 舊來ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クべシ[編集] (現代表記)旧来の陋習を破り、天地の公道に基づくべし。 一 智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スべシ[編集] (現代表記)智識を世界に求め、大いに皇基を振起すべし。 勅語[編集]
勅語と奉答書(太政官日誌掲載) (現代表記)我が国未曾有の変革を為んとし、朕、躬を以て衆に先んじ天地神明に誓い、大にこの国是を定め、万民保全の道を立んとす。衆またこの旨趣に基き協心努力せよ。年号月日 御諱 (意味)我が国は未曾有の変革を為そうとし、わたくし(天皇)が自ら臣民に率先して天地神明に誓い、大いにこの国是を定め、万民を保全する道を立てようとする。臣民もまたこの趣旨に基づき心を合わせて努力せよ。 奉答書[編集] (現代表記)勅意宏遠、誠に以て感銘に堪えず。今日の急務、永世の基礎、この他に出べからず。臣等謹んで叡旨を奉戴し死を誓い、黽勉従事、冀くは以て宸襟を安じ奉らん。慶応四年戊辰三月 総裁名印 公卿諸侯各名印 (意味)天皇のご意志は遠大であり、誠に感銘に堪えません。今日の急務と永世の基礎は、これに他なりません。我ら臣下は謹んで天皇の御意向を承り、死を誓い、勤勉に従事し、願わくは天皇を御安心させ申し上げます。
(奉答書の日付が「慶応四年」となっているが、後の明治改元により慶応四年は1月1日に遡って明治元年に改められた(大正以降の改元とは異なるので要注意)。よって正式には「慶応四年」は「明治元年」に読みかえる[要出典]。) 江戸幕府の天下のご政道を受け継いだものである。
武士始め士農工商四民はみな佛教を奉じていたので、天下のご政道は「和を以て貴しとなす」十七条憲法に遵って天下を治める佛教の政教分離統治であった。
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