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2018-04-17 05:02
【ボストン・マラソンで川内優輝(31=埼玉県庁)が、瀬古利彦以来、31年ぶりに優勝した。(*^^)v祝 川内は悪天候の中、スタートで地元メディアに「クレイジー」と言われるような大逃げを敢行。途中でつかまったものの、40キロ過ぎで昨年優勝したキルイ(ケニア)を追い越し、2分25秒差をつけて逆転優勝を果たしたという。(・・) 優勝タイムが2時間15分58秒だった。<東京五輪が夏でなければ、川内もメダルが狙えそうなのにね〜。(~_~;)>
そして、ゴルフではマスターズでも予選通過&健闘していた小平智(28)が「RBCヘリテイジ」で米ツアー初優勝を果たした。(*^^)v祝<日本人選手としては青木、丸山、松山についで5人め。米参戦15戦目での優勝は最速。>
昨年、元賞金女王の古閑美保(35)と結婚。古閑はマスターズは現地応援に行っていたのだけど、今週は仕事のため帰国中だったとか。ツイッターで「おめでとうございます」と、選手としては夫のファンだという古閑らしく、喜びを表していた。(^^♪
その古閑の4月13日のツイッターとインスタに、「火垂るの墓 ずっとずっとずっとずっと小学校の必須科目にして欲しい、戦争は殺し合い、日本人がどんなことをしたか、日本とはどういう国だったのか、日本人として誇りを持つ気持ちがあるならばもっと日本を知るべき」という投稿がされてて。思わず「同感だ〜!」と嬉しくなったmewなのだった。(・・)】
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今回は、イラク派遣部隊の日報に「戦闘」に関する記述が複数あって、当時の小泉政権や防衛省が国民を騙していたという話を。
(関連記事・『小泉、どこが戦闘地かわからぬままイラク派兵。その空自の日報も出現。他のPKO部隊の日報も』『日報隠し、財務省の森友問題も忘れるべかからず。行政府の信頼を失うような問題が次々と発覚!』)
16日、防衛省が陸上自衛隊イラク派遣部隊の日報(435日分、1万4929ページ)を公開した。(・・)
昨年2月には「ない」と言っていた日報が、次々と出て来ることに。<当時の稲田防衛大臣には「見つからない」と報告し、国会でそう答弁させてたが、3月に見つかっていたらしい。一部は、最初からあったんじゃないの〜?>
13日には、新たに防衛省情報本部と陸上幕僚監部で計265日分のイラクの日報が見つかったと発表。結局、435日分にも及ぶことになった。(・o・)
<黒塗り部分あり。1日分がかなり長いものもあるし、全部読むのは大変だけど。朝日新聞に370日分の日報のリンクあり。(コチラ)毎日新聞が重要な5日分のPDFをリンクしてくれているので、ソチラから読むのもいいかも。>
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尚、政府は稲田防衛大臣(当時)が昨年、イラク日報は「見つからなかった」と国会で行なった答弁は、適切でなかったと認める答弁書を出した。(++)
『政府は13日、自衛隊のイラク派遣部隊の日報について、当時の稲田朋美防衛相が昨年2月20日の衆院予算委員会で「見つからなかった」と述べたことを「適切な答弁ではなかった」と認める答弁書を閣議決定した。立憲民主党の逢坂誠二衆院議員の質問主意書に答えた。
答弁書によると、防衛省は当時、イラク派遣の関連部局として、統合幕僚監部と陸上、航空両自衛隊の計5部署を探索したが、日報を発見できなかった。各部署は3時間程度調べただけだったが、稲田氏は予算委で「確認したが、見つけることはできなかった」「残っていないことを確認している」と答弁した。
稲田氏はその2日後に再探索を指示し、陸自は対象を研究本部(現在の教育訓練研究本部)などに拡大。昨年3月27日に研究本部教訓課で日報が見つかったのに、稲田氏に報告していなかった。【秋山信一】(毎日新聞18年4月16日)』
何かここ1〜2ヶ月、モリカケ関連で、財務省の文書改ざん問題や、首相官邸での秘書官との面会問題(さらには財務次官のセクハラ発言問題)などたくさんの問題が次々と噴出して、マスコミや国民に注目されているので、もしかして防衛省幹部の中は「ラッキー・チャ〜ンス!」だと思った人がいるかも知れず。^^;
この際、「え〜い。今、他の問題でバタバタしているうちに、隠している&問題のありそうな日報をできるだけオモテに出しちゃえ〜」って感じで、南スーダンPKO日報も含めて、一気に開示して来たように邪推しちゃったりもするのだけど・・・。(^^ゞ
でも、「平和が一番」で安保軍事系の動きにやや敏感なmewとしては、モリカケ問題よりも、防衛省の「情報隠し」や、防衛省の「制御困難」(=シビリアン・コントロールが機能していないこと)の方が、大きな問題だと思う部分があるし。
メディアにも(TVにも)、是非、この問題はしっかりと取り上げて欲しいと願っている。(・・)
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で、やはり最も気になるのは、果たして自衛隊が派遣されたイラクの地域(サマーワ)は、本当に「非戦闘地域」だったのか、それとも「戦闘」が起きていたのかということなのだが。
<小泉首相(当時)は04年、国会で「どこが戦闘地域で、どこが非戦闘地域か、私に聞かれたってわかるわけがない」「自衛隊が活動している地域が非戦闘地域」とふざけた答弁を行ないながら、派遣にGOサインを出してしまったんだよね。(`´)>
案の定、今回、公開された日報のアチコチに「戦闘」という言葉が出て来ていた様子。また自衛隊の活動する地域や宿舎周辺で不穏な動きがあったり、宿舎にロケット弾が撃ち込まれたりなど、危険な場面も少なからずあったようだ。(ーー゛)
<More部分に詳しい記事をアップ>
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『「戦闘拡大」と表記=陸自宿営のサマワで―イラク日報を公表・防衛省
防衛省が存在しないとしていた陸上自衛隊イラク派遣部隊の日報が見つかった問題で、同省は16日、これまでに発見された計435日分の日報を公表した。
日報では自衛隊が宿営地を置いたイラク南部サマワの治安情勢に関して、「戦闘が拡大」という言葉が使われていた。
公表されたのは、2004〜06年の派遣期間中に作成された1万4929ページ。イラク全域や陸自活動地域だったムサンナ州の治安状況が報告、分析されている。
06年1月22日付の日報では、サマワの治安情勢として、「英軍車両がパトロールを始めたことに反感を持った民兵が射撃し、戦闘が拡大」と記載。さらに事態が拡大する可能性も「否定できない」と書かれていた。
陸自の活動期間中、サマワの宿営地内外には十数回に上る砲撃があり、04年10月〜05年7月には宿営地内で少なくとも4回、ロケット弾が確認された。発見翌日の05年7月5日の日報では、ロケット弾着弾について「連続発生の可能性は否定できず」と分析されていた。
同年6月23日には、陸自の車列で路上爆弾が爆発し、車両1台が破損。同日付の日報には、「(破損した車両が)見えないほどの土ぼこり」「活動開始の時間を狙われている可能性」などの記載とともに、現場や被害車両の写真が添付されていた。
防衛省は陸自の活動について、「迫撃砲弾やロケット弾と思われる着弾痕などが十数回発見されたが、人的被害は発生せず、無事に任務を終了した」と総括していた。(時事通信18年4月16日)』
『<イラク日報>部隊に迫撃砲や投石 戦闘地域と変わらぬ実態
防衛省が公開した陸上自衛隊イラク派遣部隊の日報は、同国南部サマワで2004〜06年に活動した期間のうち435日分、1万4929ページに上る。膨大な量だが、詳細に見ると、部隊の宿営地に迫撃砲が撃ち込まれたり、群衆に囲まれ投石を受けたりした記述がある。イラク派遣で隊員は「非戦闘地域」で「人道復興支援」に当たるとされたが、戦闘地域と変わらないリスクを負わされ、緊張を強いられた実態が浮かぶ。【井上英介/統合デジタル取材センター】
サマワで05年6月、陸自車両を狙った爆破事件が起きた。6月23日の日報は「0900(午前9時)、復興支援現場に向かう途中の陸自車列が西から東へ走行中、3両目右前方付近で爆発」などと記述。3両目を走っていてフロントガラスにひびが入り、ミラーが割れ落ちた被害車両(高機動車)や、現場で見つかった爆破装置の写真がついている。
同年7月4日夜には宿営地付近にロケット弾が撃ち込まれた。7月5日の日報には「昨夜の『飛翔(ひしょう)音・弾着音弾』対応として0600(午前6時)より宿営地一斉検索実施」と記述されている。
同年12月4日の日報には「1100(午前11時)頃、養護施設竣工(しゅんこう)式準備中に陸自車両が群衆と遭遇。車両に被害あり」という短い記述がある。部隊はサマワ近郊のルメイサでこの日、イスラム教シーア派のデモ隊に囲まれた。デモ隊は「ノージャパン」と叫んで投石し、軽装甲機動車のサイドミラー1個が割られた。群衆の中に銃の所持者もおり一触即発の状態で、部隊が発砲すれば大事件になっていた。官邸で報告を受けた政府幹部の一人は取材に「あれは本当にやばい状況だった」と証言した。
また、06年1月22日の日報には、英軍とサドル派民兵の間で「戦闘が拡大、イラク警察及びイラク陸軍が治安回復のために介入」との記載があった。その評価として「トラブルが継続した場合、事態が拡大する可能性は否定できない」と懸念を示していた。(毎日新聞18年4月16日)』
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『小泉氏は06年6月20日に陸自部隊の撤収を表明。理由として「陸自の人道復興支援活動が一定の役割を果たした」と述べた。しかし、直近の5月31日には、サマワで自衛隊と豪州軍の車両が進行中、進路脇の爆弾が爆発。この日の日報は、「爆発事案」として詳細を記録し、仕掛け爆弾(IED)の可能性を指摘した。現場写真とみられる部分は黒塗りだが、緊迫した事態が続いていたことをうかがわせる。
小野寺五典防衛相は16日夕、「イラク特措法に基づいて活動したという認識に変わりない」と述べ、非戦闘地域とした根拠は覆らないとの認識を強調した。(朝日新聞18年4月16日)』
小泉氏は、この日報公開を受けて、「(当時)戦闘をしている報告は一切なかった」と語ったそうだが。<年金未払いを批判されて「人生もいろいろ」と答弁してた小泉氏だが、「戦闘の解釈はいろいろ」らしい。(>_<)>
でも、当時のブレーンだった柳沢協二氏には「戦車、戦闘機が戦っている地域を非戦闘地域と言うのは、なかなか法律的に難しいよな」と話していたという。(~_~;)
『安全保障・危機管理担当の官房副長官補だった柳沢協二氏は当時、自衛隊が戦闘に巻き込まれる恐れはないと判断したが、「非戦闘地域の概念が、すんなりいかないという認識はあった」と認め
る。小泉首相も当時秘書官に「戦車、戦闘機が戦っている地域を非戦闘地域と言うのは、なかなか法律的に難しいよな」と話していたという。
小泉氏は14日の水戸市での講演後、イラク日報に「戦闘」の文字が含まれていることについて記者団に問われ、「戦闘地域には行かないといって(自衛隊を)出したの。いいじゃないですか」「戦闘とは何か、解釈はいろいろだ」などと弁明。「戦闘をしている報告は一切なかった」と述べた。(朝日新聞18年4月16日)』
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そして、どうか日本の国民は、このイラク派遣で政府に騙されたことを「過去の出来事」では済まさず。今後のための教訓にして、政府が今度、自衛隊の海外派遣を考えた時には、事前にしっかりと条件や現地条件のチェックをして、簡単にだまされないようにしましょう!・・・と呼びかけたいmewなのだった。
THANKS
<イラク日報>緊迫生々しく 防衛省幹部は「戦闘行為ない」
4/16(月) 22:08配信 毎日新聞
防衛省が16日に公表した陸上自衛隊イラク派遣時の日報。計435日分に記載された事案の多くは当時から報道されてきた内容が中心だが、陸自部隊が活動していた南部サマワ市周辺では他国軍と武装勢力との衝突や陸自宿営地への攻撃が断続的に続いており、現場の隊員たちの緊迫した様子も記載されている。
「サドル派(反米強硬派)民兵(が)多国籍軍の反応を確認するために攻撃した」。日報で「戦闘が拡大」と表現した2006年1月21日の英国軍などと武装勢力の武力衝突。同日中にサマワ市内では英軍やイラク軍などの合同作戦センターも銃撃されるなど衝突が断続的に続き、日報は「(サドル派は同センター)を敵の象徴とみなし、これを攻撃することで多国籍軍を排除しようとしている」として、今後も攻撃が続く見通しを記していた。
ただ、ほかに「戦闘」の文言が確認されるのは、首都バグダッドやイラク北部での情勢に触れた部分などにとどまった。自衛隊の活動を「非戦闘地域」に限るとしてきた政府見解との整合性について、防衛省幹部は「(国または国に準ずるものによる組織的な武力攻撃という)法的な意味での戦闘行為になるようなものではない」と強調する。
一方で、陸自の宿営地周辺では04年4月以降、撤収が完了する06年7月まで10回以上にわたって迫撃砲やロケット砲によるとみられる攻撃があったことが当時から報道されており、日報には緊迫した様子も出てくる。05年12月12日に宿営地付近で起こった攻撃について日報は「宿営地においてボンという発射音」などと記載。同日の作戦会議で「サドル派のはねっかえりがどう行動するかが気になる。動揺は敵につけ込まれるすきを与える」と過激分子の動向に敏感になっていた様子が見える。
また、日報からは05年6月15日にサマワ市内を走行中の陸自車両2両に激しい投石があり、ミラーが破損するなど車両に被害が出たことも判明。「一歩間違えば人員に被害が及ぶ非常に危険な事案」と分析していた。同23日に起こった陸自車列近くの爆発事案については現地指揮官が「投石の延長から、本格的なテロリストの侵入との捉え方まで、幅をもった対応を考察する必要」と述べたことに言及し、隊員の「アフターケア」の必要性にも触れた。
派遣部隊が宿営地などへのテロ情報を多数把握していたこともうかがえる。05年10月16日の日報には「サドル派民兵メンバーがパトロールをしている日本隊に対して攻撃を実施(との計画がある)」などと記載があった。また、05年5月29日には、日本の国旗の看板に「日本に死を」などと落書きされていたことが写真付きで報告され、世論への影響力が大きいイスラム指導者が毎週金曜に礼拝所(モスク)で説法する内容なども逐一報告されていた。
ある陸自幹部は「派遣部隊が直接、武力勢力との衝突に巻き込まれたことはなかったが、緊迫した場面がいくつもあったのは事実。日報は上級部隊に状況を報告する作戦日誌で、法的な言葉の意味を考えず、ありのままを伝えていたと思う」と話す。
06年5月14日の日報では、ある隊員がこう所感を記している。「ここイラクは普通の国ではなく、毎日のように戦死者が出ており、軍隊が恒常的に軍事的作戦を遂行しているところであることを改めて関係者が理解する必要がある」【前谷宏、秋山信一、福島祥】
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