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2018年04月16日 「ジャーナリスト同盟」通信
<人間は誰でも過ちを犯す>
人間は誰でも過ちを犯す。同時に、反省の出来る人間である。民間では東芝の経営陣は、いまもこれが欠落して、非難を浴びている。政界では先週の土曜日、野中広務のお別れ会が、地元の京都で開かれ、首相の安倍晋三も駆けつけた。思想面では、二人は水と油、右翼とリベラルである。安倍は三選に向けてリベラルの支持も得ようとしているのだが、実はそれだけではなかった。野中のお蔭で、清和会に政権をもたらしてくれた大恩人だった、そのためである。この5年、そしてその前にも、安倍の暴政は存在した。安倍暴政に怒り狂う多数国民にとって、野中の政界遊泳術は100点とは無縁であった。
<ポストに目がくらんだ普通の政治家>
政治に手を出す人間の多くが、野心家である。清廉な人格者はそうはいない。合格者を上げると、京都では前尾繁三郎がいた。彼は右翼・やくざを寄せ付けなかった。日中国交回復を実現した大平正芳も。むろん、尊敬と信頼の政治家は、宇都宮徳馬が第一人者だ。
総理大臣にしたい人物はいても、腐敗にまみれないと、政権は目の前に現れてはこない。
ポストに間がくらむ政治屋ばかりと言っていいのだが、野中にもそれが言えた。
<小沢一郎の天敵で頭角を現した野中>
今でこそ小沢一郎は、おとなしくなっているが、自民党を飛び出し、細川護熙内閣を立ち上げて、公明党の悪役・市川雄一と連携していたころ、下野した自民党の全てが、小沢の剛腕にひれ伏してしまった。
そのころ、安倍の同期生の森英介が「小沢の天敵が見つかった」との報告を受けた。その人物こそが、野中広務だった。やくざでバッジをつけていた浜田幸一の天敵はあまたいたが、小沢のそれはいなかった。
野中が幹事長時代だったと思う。時事通信が運営する内外情勢調査会の講師をしていたころのことである。彼が東京での講演会の講師に招かれた。そして沖縄問題をぶった。県民の思いを切々と訴える話に、不覚にも感動して涙を流してしまった。こんなことは、後にも先にもこれだけである。
「野中政権」が瞼に浮かんだものである。だが、自民党政治史は、彼もまたポストに振り回された政治屋の側面が強かった。
<国家神道を引きずる森喜朗・小泉純一郎・安倍晋三の極右・日本会議政権樹立の立役者>
「日本は天皇中心の神の国」と叫んだ最悪の首相は、野中の実績の一つである。
小渕恵三内閣で官房長官、次いで森喜朗幹事長のお目付け役となった幹事長代理の野中は、小沢との激論のあと倒れた後継人事において、官房長官の青木幹雄と連携して、森を擁立してしまった。このほか森や亀井静香ら5人組で、リベラル派の宏池会・池田行彦を外して実現してしまった。そうして、自らは幹事長に就任してしまった。
政権は、ややリベラルな経世会から右翼の清和会へと移行してしまった。森の神道政治連盟での「神の国」発言が飛び出した。野中は、その時の自民党幹事長だった。
<リベラルの本流・加藤紘一潰しの立役者>
「サメの脳みそ」と評されていた森の正体、すなわち神社本庁・日本会議を政治原動力とする森政権に危機感を抱いたのが、リベラル・大平の嫡子の加藤紘一だった。
森退陣に向かって決起した。過去に加藤幹事長時代に「加藤政権こそ自分の使命」と豪語していた野中は、あろうことか加藤潰しに奔走し、加藤勢力を幹事長の威力で押しつぶしてしまった。国家主義者の中曽根康弘が、野中の実力に手を叩いて喜んだ。
幹事長から這い上がった森、それならば自分も?との野心が新たに火をつけていたかもしれなかった。
無念にも、リバラルの最後の実力者は消えて、自民党からリベラルの火は見えなくなってしまった。野中の二番目の大きな過ちである。
森内閣の誕生が、小泉の出番を作ってしまった。当時、小泉が神社本庁に操られていることなど全く知らなかった筆者は、森後継の自民党総裁選で小泉を支持する過ちを犯してしまった。小泉が国家神道を引きずって、靖国神社を繰り返し参拝するという場面を全く想定できなかった。
政治家の出自は、要注意なのだ。安倍は山口県の田布施、小泉は鹿児島県の田布施と研究者は指摘している。
<靖国参拝・中国敵視・教育基本法改悪・特定秘密・戦争法・共謀罪の清和会政権に貢献>
結局のところ、公明党創価学会が政権に付着することで、戦前の天皇制国家主義の反民主主義の法律・制度、改憲軍拡の悪しき暴政が具体化した。
森のいう「天皇中心の神の国」は、小泉と安倍によって靖国参拝の常態化、教育基本法に教育勅語の理念を挿入した改悪を安倍が、安倍・自公によって特定秘密・戦争法・共謀罪が強行されてしまった。
不気味な日本の誕生、戦争する日本への国家改造である。この一連の悪法は、中国敵視政策として表面化した。日中友好の流れを止めてしまった。歴史認識で隣国と対立する構造を定着させてしまった。
72年の友好を逆転させたマイナス面は、測りがたく大きい。結果的に、野中の森政権実現と加藤潰しによって、日本政治は途方もない時代を到来させてしまった。これの過ちは、絶大であろう。野中を評価できない理由である。
<京都では、やくざと手を組んだ利権政治屋?>
よく前尾の秘書から、京都のやくざで「サンダン」という名前を聞かされたものだ。関東の人間には分からないのだが、元清和会関係者は「京都府の利権は野中が、京都市の利権はサンダンと棲み分けていた」と打ち明ける。
京都の人間であれば、多少は知っているかもしれない。「小沢の天敵」で浮上した野中の人生は、プラスだけではなかった。
野中にも言い分があろう。日本人の差別主義である。差別に泣いて、差別に打ち勝っての政界入り、そして天下も目の前にちらついたが、アメリカ経由の出自を問題にするレポートにひるんでしまった時は、大いに彼に同情した。
野中のお別れ会に参列、挨拶をした落ち目の安倍を、安倍寄りのテレビ局が、内閣支持率26%と報道した。ということは、安倍支持率は1%前後であろう。これほどの大嘘付きを、日本人は初めて経験させられているのだから。
野党の甘い追及は、蛇の生殺しを印象付けている。
2018年4月16日記(東京タイムズ元政治部長・政治評論家・日本記者クラブ会員)
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