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安倍政権は、マスコミに「沈黙を強いる」政権ということかな。また、好んでマスコミは、安倍政権の番犬になり下がった 
http://www.asyura2.com/18/senkyo242/msg/770.html
投稿者 赤かぶ 日時 2018 年 4 月 10 日 23:20:05: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 

安倍政権は、マスコミに「沈黙を強いる」政権ということかな。また、好んでマスコミは、安倍政権の番犬になり下がった
https://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/922addb730aa22c9c91308856072390a
2018年04月10日 のんきに介護


nippon1043@1043nipponさんのツイート。




〔資料〕

「古賀茂明『安倍政権の霞が関破壊に手を貸す忖度メディア』」

   AERA(2018.4.9 07:00)

☆ 記事URL:https://dot.asahi.com/dot/2018040800008.html

 公文書の改ざん、隠ぺいが続々と明るみに出ている。一々挙げることはしないが、どれ一つとっても、政権の屋台骨が揺らぐような事件だ。その原因の一つとして、安倍政権の「恐怖政治」が官僚の忖度を誘発しているということが指摘されている。この点は、私も繰り返し指摘してきたことで、そうした側面があることは確かだが、マスコミがあまり報じない重要な論点が他にもある。

 それは、マスコミが霞が関崩壊に果たしている役割だ。今回は、私自身の官僚時代からの経験を振り返りながら、この点について考えてみたい。

 官僚とマスコミの関係は複雑だ。まず、一つの側面としては、マスコミは面倒な存在というのがある。いつも自分たちのやることに批判的な目を向けて、何かと揚げ足を取ろうとしてくる。政策の問題だけならまだ良いのだが、天下りの問題にも非常に批判的で、自分たちの生活を脅かす存在である。そんな意識を官僚は持っている。

 他方で、記者クラブに特権的地位を与え、事実上の談合組織とすることで、あまり突出して批判する社に対しては、時にはあからさまに、また、時には陰にこもった形で、情報提供を制限したり、取材の邪魔をし、提灯記事を書く社に対しては、特ダネを与えるというようなやり方で、マスコミを自分たちの広報機関として利用しているという面もある。一言で言えば、緊張感を伴う持ちつ持たれつの関係と言えばよいだろうか。

 これは一般的な官僚と一般的なメディアとの関係だが、これとは少し違う特別な関係を持つ官僚と記者も存在した。

 官僚への信頼は地に堕ちたが、彼らの中にも、国民のための改革をしたいと考える者も一定程度(現在は「絶滅危惧種」とも言われるが)存在する。そうした「改革派」官僚たちにとって、マスコミは非常に重要な「助っ人」であった。具体的な例を紹介しよう。

 1990年代の「規制改革」の時代、まだ、多くの行政分野で岩盤規制と言われる前時代的な既得権保護システムが無数に存在していた。身近なところでは、例えば、レンタルが原則だった携帯電話の売り切り制が認められたのも、銀行の普通預金金利規制がなくなったのも1994年だ。

 心ある「改革派」官僚から見れば、変えるべきことは山ほどあるが、そのどれもが所管省庁の天下り利権と族議員の利権の源泉だったので、簡単にはそれを突き崩すことはできない。そこで彼らが考えたのが、外圧とマスコミの「利用」だ。今回はマスコミの話をするが、例えば、私の場合は、通産省(当時)で産業組織政策室の室長をしながら、全政府の規制改革を推進しようとしていた。その際、マスコミの援護射撃を得るために、経済問題に強い日本経済新聞の記者とタイアップして世論喚起と政治家誘導を図った。

 私たちが、各省の主要な規制改革テーマごとにA4用紙1ページの「アジびら」を20項目分作る。それを改革推進派の財界人などに渡して、国会議員に「陳情」に行ってもらう。それと同時に、新聞には、規制によっていかに国民が損をしているか、産業の競争力を削いでいるか、そして官僚たちがどんなに甘い汁を吸っているかという記事を連日書いてもらう。さらに、野党議員に国会で質問してもらうというようにして包囲網を作っていくのである。

 このとき私は、マスコミが支持してくれているので、国民世論から支持されているという自信を持つことができた。他省庁のことに口を出してけしからんという霞が関の中からの強い批判も予想したが、そこはマスコミに守られているという安心感もあった。

 こうしたやり方は、「改革派」官僚の定石となっていった。私は2008年に自民党政権下で、渡辺喜美公務員改革担当相に呼ばれて内閣審議官として公務員改革を担当することになった。この時は、財務省が霞が関全体を仕切って一斉攻撃を仕掛けてきたので、大変だったが、マスコミ、とくにテレビ局とタイアップして、連日官僚批判を展開してもらい、財務省名指しの報道もしてもらうと、彼らは表立った反対ができなくなった。もちろん、裏で政治家に働きかけることは行われるが、そうなれば、今度は改革に対してどの政治家が後ろ向きかを出していくぞと脅すことによって、そちらの反対も抑えられる。最後の関門、自民党総務会で重鎮が続々と反対論を述べた時は、やはりだめかと思ったが、賛成論が一人もない中、結局全会一致で総務会長一任となった。この法案を潰したらどうなるのかと自問した時、マスコミの集中砲火が怖くて、彼らも法案を了承するしかないという状況に追い込んだのだ。こうして、守旧派の総大将のような麻生総理の下で、国家公務員法改正案をまとめることができたのは驚きだったが、逆に言えば、それくらい、マスコミは心ある官僚にとっては、頼りになる存在だったのである。

 私個人がマスコミに救われる経験もした。

 2009年の民主党政権誕生直後、当時の仙谷由人行政刷新担当相から補佐官になってくれと言われたが、その発令直前に財務省の横やりでそれが覆された。その後、私には仕事が与えられず1年近くが経過し、この間、経産省の個室に「幽閉」状態となった。仕方がないので、民主党政権の公務員改革が大幅に後退している点を批評する記事などを経済誌に投稿すると、野党議員の要請で、現職官僚として参議院の予算委員会総括質疑に参考人として出席することになった。総理以下全大臣が居並ぶ中だ。現職官僚としては、大きなプレッシャーを感じる。政権の意向を忖度すれば、「現在は公務員改革担当ではなくなったので、職務外のことについてはお答えを差し控えさせていただきたい」というのが模範解答である。しかし、私は、「民主党政権の公務員改革は全くおかしい」と正面から政権批判の答弁をした。その時の私には、これで政権にやられるかもしれないという恐怖感もあったが、一方で、マスコミが私を守ってくれるはずだという自信があった。

 その答弁の後、仙谷官房長官(当時)が、この答弁で私の出世がなくなるというような「恫喝答弁」をしたが、結局、陳謝に追い込まれた。この時はテレビ局が私の特集まで組んで「古賀支援」キャンペーンを展開してくれた。

 これに対して、経産省の事務方は、火種を処理しようと、私に天下り先を提示するなどして、何とか辞めさせようとしたが、逆にマスコミが私を擁護するための質問を経産相にすると、大臣は、マスコミの批判が怖くて、「古賀さんのような優秀な官僚には是非活躍してもらいたい。そのためにポストを探しているところだ」と答えてしまい、事務方は私を辞めさせることができなくなった。

 それくらい、改革派の官僚にとっては、マスコミは最後の応援団として頼りになったのだ。

 しかし、安倍政権が誕生し、マスコミ支配が進んでくると、この状況は一変する。

 私がそれを痛感したのは、2015年1月23日だった。この日、私は、テレビ朝日の報道ステーションに出演し、初めて「I am not ABE」というメッセージを発した。この発言に至った経緯を説明しておこう。

 同年1月20日にイスラム国(IS)が後藤健二さんの拘束動画をネット上に公開し、殺害予告を行った。当時、安倍総理は中東諸国を歴訪中だった。この映像を見た日本国民は大いに驚いた。特に、後藤さんが捕虜になっているときに、安倍総理がわざわざ中東諸国を歴訪し、イスラエル国旗の前で記者会見したり、エジプトで「ISと闘う周辺諸国に2億ドルの支援をする」と述べて、わざとISを刺激するような「宣戦布告」発言を行ったことなどを巡って、テレビでは、安倍総理の言動に疑問を呈するコメントが流れた。もちろん、安倍総理は全てわかったうえで中東を訪問していたのだが、ISがビデオ映像をそのタイミングで公表するとは思っていなかったのであろう。官邸はパニックに陥って、テレビ局に相当な圧力をかけたようだ。21日まであった批判的コメントは翌日から完全に姿を消し、メインキャスターやコメンテーターたちが、「日本は今、テロリストとの戦いを行っています。今こそ、一致団結しなければなりません。こんな時に安倍政権を批判するのは、テロリストを利することになります」などと叫んで、事実上政府批判を自粛することになった。

 私は、後藤健二さんへの連帯を示す「I am KENJI」というプラカードが世界に拡散するのを見て、それとともに、日本は平和を愛している、誰とも戦争したくない、安倍総理が中東で発した言葉は日本国民の思いではない、ということを世界に伝えるべきだと思った。そこで、英語で、「I am not ABE」と発信しようと報道ステーションの番組内で、「言葉」で呼びかけたのだ。

 5年前の日本なら、多くのマスコミが私の言葉を支持しただろう。しかし、番組中に菅義偉官房長官の二人の秘書官から、テレ朝幹部二人に別々に抗議のショートメールが届くと、テレ朝報道局長は報道ステーションに圧力をかけた。2月には私の4月以降の番組出演がなくなることが決まった。もちろん、陰で官邸からの嫌がらせもあった。そこで、私は、3月27日の最後の報道ステーション出演で、「I am not ABE」というフレーズを印刷したA3の紙を掲げ、安倍政権の報道弾圧の事実を告発するとともに、世界に向かって我々日本人は安倍総理とは違うというアピールをしようとテレビを通じて呼びかけた。

 普通であれば、全てのテレビ局が私に取材し、その背景を含めた報道をして、安倍政権を批判したであろう。現に欧米のマスコミは私に取材し、安倍政権の報道弾圧について批判的な記事や風刺画を掲載した。日本外国特派員協会は私を招いて、真相について話を聞いたり、報道の自由推進賞という賞をわざわざ新設して、私に「報道の自由の友賞」を授与し、私を支持する姿勢を鮮明にした。

 一方、日本のテレビ局は、安倍政権ににらまれることを怖れて沈黙するか、逆に私を批判する映像を流した。その日を最後に、報道ステーションのプロデューサーも異動となり、レギュラーコメンテーターの恵村順一郎氏(朝日新聞論説委員)も降板。報道ステーションが終わった日である。

 この時、私は、安倍政権のマスコミ支配が完成したということをあらためて確認した。それは、安倍政権批判をするときにマスコミの支持を期待することはできないということを意味する。

  もちろん官僚たちは、こうした事態を敏感に感じ取っている。マスコミとタイアップして、政府の悪政を告発するという手段はほぼ封印された。

 その後、安倍政権のマスコミ支配とその悪用は、さらにエスカレートし、批判を封印するだけではなく、安倍批判を展開する個人を潰すという驚くべき手段を使うまでになった。文部科学省の前次官の前川喜平氏が、退官後、加計学園問題で安倍政権批判を展開すると、読売新聞が個人攻撃と思える記事を報道した。一民間人について、前次官とはいえ、職務と関係のない私生活を暴露し、その個人の信用を失墜させるということが起きたのだ。これを見た官僚たちは驚いた。安倍総理の異常性は霞が関中に知れ渡ってはいたが、「御用新聞」とはいえ、日本最大の販売部数を誇る天下の読売新聞が、政権のために”人権侵害”の恐れがある記事で安倍批判をする個人を潰すような報道をする。それほど、日本のマスコミが安倍総理にひれ伏し媚を売っているのだと。

 安倍政権の悪政と闘おうとする官僚から見れば、もはやマスコミは頼りになる協力者ではない。それどころか、下手をすると、牙をむいて襲い掛かる敵方の番犬に豹変する危険な存在だということになってしまった。

 近畿財務局で決裁文書の改ざんを強要され、最後は自殺に追い込まれた男性職員のことを考えていただきたい。この方は、元々、森友への土地の不当安売り当時からこの件に関与していたとされる。おそらく、その時から、問題の存在に気づいていたはずだ。しかし、地方の出先機関である近畿財務局の現場では、本省の指示は絶対だ。大きな疑問を抱きながらも、やむなく上司の命令に忠実に従っていたのであろう。

 決裁文書の改ざん命令を受けた時、この職員はかなり抵抗したと報じられている。その時、マスコミが正常に機能し、官僚から見て、信頼に足る存在だったらどうなっていただろうかと思う。この職員本人だけでなく、これに関わる複数の職員、あるいは、近畿財務局の幹部の中にも、さすがに決裁文書改ざんはしたくないと考えた人は多かったはずだ。そのうちの一人でも、マスコミにこの話を持ち出して、本省からの改ざん指示や昭恵夫人の関与などを報道してもらえたら、改ざんはしなくて済んだに違いない。あるいは、佐川氏のように、2016年夏以降の人事異動で理財局の担当部局に異動してきた、いわば、手の汚れていない部下たちの一人でも、改ざんの動きについてマスコミにリークしていたら……。 尊い命は犠牲にならずに済んだのではないか。

 しかし、当時の状況を考えると、仮にマスコミに話をした場合、それが、世の中に出る前に官邸に伝わるリスクが非常に大きいと考えるのが普通だ。官僚は、社会部の記者とは普段あまり付き合いがない。優秀な社会部の記者は、情報源を守ることに異常なまでの注意を払うが、官僚が付き合っているのは経済部や政治部の記者がほとんどだ。彼らの情報源秘匿の意識は平均的に言うと非常に低いというのが私の官僚時代に得た経験だ。私は、記者と会うときに、取材を受けているというよりも、自分が取材しているというつもりで会っていた。それほど、こちらの情報をとるために、記者は容易に敵方の情報を漏らしてくれるのだ。もちろん、敵もそれを知っていてわざとガセネタを記者を通じて流すこともあるが。

 いずれにしても、経済部や政治部は、完全に安倍政権の軍門に下っているか、そうでなくても、部内に必ず安倍政権から情報をとるために、ご機嫌伺いで、安倍政権批判をする人間の情報を差し出したりする連中がたくさんいることを官僚たちはよく理解している。特に、各社の社長クラスがほぼ安倍政権の軍門に下っているという現状は、これまでとは全く状況が異なる。仮に信頼できる記者がいても、その上司を含め、上層部の人間が信頼できるかと言うとかなり疑わしいと言わざるを得ないのである。

 さらに、1社が協力してくれても、その記事が出た後、他社が後追いしてくれる可能性が最近は非常に低い。記事が出ることを察知すれば、官邸などからすぐに他社に後追いするなと圧力がかかるのだろう。過去にもそういう例は数え切れないほどある。せっかく素晴らしいスクープ記事が出ても、他社が非常に小さな扱いしかしなければ、翌日にはそれはまるでなかったかのように霞んでしまい、あっという間に人々の記憶から消えていくのである。

 最近、森友、自衛隊の日報などで新たな事実が報じられているが、安倍政権のマスコミ支配が揺らいでいるかと言えば、決してそうではない。朝日新聞のスクープは確かに素晴らしいものだったが、他社の最近の記事は、意識しているのかどうかわからないが、役所を批判する形での報道が多い。特に、政府が隠ぺいしていたのではないかという政権批判につながる内容がテレビに報じられるときには、ほとんどが、野党議員の国会での質問を流して行われる。つまり、何か言われたときに、野党議員の国会での発言を流しただけですというためである。もちろん、必ず、政府側の言い訳の動画も同時に同じくらいの分量で流れている。

 今の状況では、官僚は、マスコミの「流れが変わった」とは感じないだろう。様々なスキャンダルの核心に迫るには、どんなときにも、関係者の捨て身の情報提供が必要だ。その際、情報提供する者から見れば、記者がどれだけ信頼できるのかということが何よりも重要だ。ある意味、戦場でともに闘う同志という感覚にならなければ本当に重大な情報提供はできない。

 まずは、マスコミが「心ある官僚」から見て、信頼に値するものに生まれ変わる。それがなされなければ、スキャンダルは、単に世の中を騒がせただけ終わり、その真相は永遠に闇の中ということになってしまう可能性が高い。

 マスコミ、とりわけ、テレビ局が、本来の機能を取り戻すことができるかどうか。

 それを考えると、安倍政権が倒れなければ、それは無理だという答えにたどり着く。安倍政権が倒れるにはマスコミがその機能を取り戻すことが必要だから、結局は堂々巡りになっているというのが、悲しいかな、日本の政治とマスコミの現状なのだ。



 

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コメント
 
1. 2018年4月10日 23:30:02 : ZzOyrNpFVo : uT5oJV7IqtM[8]
何が沈黙しているだよwwwwカスゴミ
大谷がどうだのハリルがどうだの
朝から晩までどうでもいいニュースで明け暮れ
少しは本当に「沈黙」してみろってんだ
まずは放送終了時間を12時までに繰り上げ
キー局は現在の半分でいいな
お犬様は当然民営化

2. 2018年4月11日 19:18:21 : oL2O7Rl0qE : wFtNGMQFqtg[40]
あぶく銭 フェイクと無駄を 垂れ流し

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