東大法学部の縄張りと化す財務省の浮世離れした出世競争の内幕 https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E6%B3%95%E5%AD%A6%E9%83%A8%E3%81%AE%E7%B8%84%E5%BC%B5%E3%82%8A%E3%81%A8%E5%8C%96%E3%81%99%E8%B2%A1%E5%8B%99%E7%9C%81%E3%81%AE%E6%B5%AE%E4%B8%96%E9%9B%A2%E3%82%8C%E3%81%97%E3%81%9F%E5%87%BA%E4%B8%96%E7%AB%B6%E4%BA%89%E3%81%AE%E5%86%85%E5%B9%95/ar-AAON06v?ocid=msedgntp霞が関のトップエリートが集まる財務省(旧・大蔵省)。古くは1998年の過剰接待汚職事件、近年ではセクハラ問題や決裁文書改ざん問題等、官僚による事件やスキャンダルが続いている。昔のように優秀な人材が官僚を目指さなくなっているという声もあるが、少子高齢化や気候変動、新型コロナウイルスなど霞が関の官僚が対応を迫られる問題は日々深刻さを増している。 受験戦争を勝ち抜いた末に行き着く立身出世の世界とは?『財務省の「ワル」』を上梓したジャーナリストの岸宣仁氏に話を聞いた。(聞き手:長野 光、シード・プランニング研究員) ※記事の最後に岸宣仁氏のインタビュー動画が掲載されていますので是非ご覧ください。 ──財務省で「ワル」という場合は悪人ではなく、一種の尊称として使われてきたと本書の冒頭にあります。勉強もできるが遊びも人並み以上にできる、省内に巣食う「ワル」がどんな人たちなのか教えてください。 岸宣仁氏(以下、岸):私が読売新聞経済部の記者として、大蔵省(現・財務省)を担当したのは1981年(昭和56年)のことです。主計、主税、関税、理財、銀行、証券、国際金融・・・。当時の大蔵省は日本のすべての情報が集まっていたと言ってもいいほど、大きな権力を持っていました。 大蔵官僚たちは自他ともに認めるエリート中のエリートで、四谷大塚や東京大学、国家公務員試験、司法試験で主席や一番だったというような、ずば抜けて頭がいい人が集まっていました。しかし、必ずしも成績優秀な人が出世しているわけではありません。 現在の矢野康治さんまで、事務次官は全部で36人いますが、私が調べた限りでは、国家公務員試験で一番になった人で次官になったのは、1953年(昭和28年)入省の吉野良彦さんだけです。では、成績以外の出世の要素が何かというと、遊びも人並み以上にできる、ということなんです。 これまで大蔵省、財務省において不祥事が繰り返されてきました。最近では、森友学園に関する公文書改ざん問題や、次官による女性記者へのセクハラ問題が記憶に新しいですね。明治期にキャリア制度ができてから、ここには脈々と流れる「ワル」という精神風土があります。かつては旧制一高出身者が多かったので、旧制一高の蛮カラな校風が根付いたという側面もあります。 ただ真面目な仕事のできる人間ではなく、遊びの才能もある「仕事のワル」が、いつの間にか「生活全般のワル」に変質し、出世の階段をしたたかに上って組織の中枢を牛耳っていく。その文化が、大蔵省、財務省を「滅びの世界」へ導いた根底にあると僕は考えています。 「ジャングル・ファイア」を編み出した若手官僚 ──大蔵省の官僚の間で一時期、陰毛に火をつける「ジャングル・ファイア」という遊びが宴会の席で流行ったと書かれています。官僚たちが集まって陰毛を燃やし合っていた背景には、どのような心理があったのでしょうか。 岸:1998年、大蔵省の職員ら112人の大量処分が出た過剰接待汚職事件がありました。当時はノーパンしゃぶしゃぶ事件として有名になりましたが。彼らは銀行などの金融機関から毎晩、新橋や向島で接待を受けていて、スケジュールは3カ月先までぎっしり埋まっていました。 遊びって、どんどんエスカレートしていくんですね。もっと面白いことを求めて止まらなくなる。ノーパンしゃぶしゃぶ店に物足りなくなった上司の「もっと面白い遊びはないか?」という要望に、入省2、3年目の若手官僚が応えて「ジャングル・ファイア」という余興を持ち込んだんです。彼は東大運動部出身で、実はこの遊びの起源は東大運動部にあるのですが。 非常に優秀な上に、こんな面白い遊びを提案したので、この若手官僚を上司は高く評価します。だから、ただ仕事ができれば評価されて出世できるというわけではないんですね。ちなみに、彼は現在、国会議員として活躍しています。 その頃、最も遊んでいた数人のうちの一人が振り返って言っていました。「霞が関の窓からしか外を見られなかった」と。大蔵省のキャリア官僚は20代後半で税務署長として地方の税務署に着任します。エリートだからと大事に大事に守られていた。そうしたら自分の周りだけが世界のすべてになってしまっていた、ということなのかもしれません。 ──本書の中は、いかに財務省に東京大学法学部の人間ばかりが採用されてきたのかという点が繰り返し書かれています。東京大学法学部と財務省の深い絆の歴史について教えてください。今も財務省は東大法学部の縄張りなのでしょうか。 岸:1894年(明治27年)に高等文官試験(高文)が実施されて、キャリア官僚制度はスタートしました。それから100年以上、キャリア官僚制度はもちろんマイナーチェンジはしていますが、基本的な部分は変わっていません。 かつては旧制一高―東大法学部―大蔵省というコースを歩む人がほとんどでした。現在も東大法学部出身者が、だんだんその割合は減ってはいますが、8割以上を占めます。次官経験者の36人のうち、32人は東大法学部出身です。 そういう東大法学部ばかりの組織の中で、それ以外の出身の人が生きていくのは大変ですよ。「そう言えば、あの時、法学部の何番教室でこんなことがあってさ」なんて盛り上がるんですから。東大法学部は身内で、身内しか会話についていけない。その中で出世していかなければならない、改めて過酷な役所だと感じました。 数年前に出回った財務省「パワハラ番付」とは ──数年前、財務官僚のパワハラ度を測る恐竜番付なるものが明るみに出た、と本書の中にあります。恐竜番付とは何でしょうか。どんなことが記されているのでしょうか。 岸:恐竜番付というのは、「嫌なパワハラ上司の番付表」です。財務省の中で誰が書いたのかは分からない。おそらく複数の人が集まって作り上げたものだと思います。全部で3通あって、例えばセクハラ行為で辞任した福田淳一さんは西前頭4枚目(2005年版)、佐川宣寿さんは東前頭4枚目(2005年版)と西前頭6枚目(2013年版)に記されています。 パワハラする人間もけっこう多いんですよね。自分が優秀で仕事ができる反面、そうではない人を徹底的に叩くし、仕事も遊びもできない人には声もかけない。 この恐竜番付には、フラストレーションのはけ口ということ以外に、おそらく「お前ら、これからもこういう態度を取っていると危ないぞ」という警告の意味がある。今の次官の矢野康治さんが官房長の時に、「360度人事評価」を導入しました。これは上からだけではなくて横や下からも評価しましょうというものですが、恐竜番付はこの「360度人事評価」の先駆けだったと考えています。 ──「我ら富士山、他は並の山」を自任する超エリートの集団である彼らは、他省庁に比べて若いうちから「将来の次官候補」が噂にのぼる傾向が強かった、と書かれています。財務官僚が入省してから次官になるまでの道のりについて教えてください。 岸:まず出世の第一関門は課長補佐(主計局の場合は主査)です。だいたい30代後半くらいですね。例えば公共事業主査とか厚生労働主査、あるいは主税局だったら税制第一課課長補佐あたりかな。筆頭主査をどこで務めたか、ということが最初の勝負です。 第二関門は課長です。主計局なら公共事業担当や厚生労働担当の主計官、またはさらにその上のポストである文書課長か秘書課長です。この段階でそのどちらかをやっていなければ、ほとんど次官の目はないと言っていいでしょう。 そして、文書課長や秘書課長の後に主計局次長を務める。または、いったん外に出て例えば近畿財務局長を経て、官房長になる。近畿財務局長というのは、次に次官になる人を関西にお披露目する機会なんです。これが次官への既定路線になっています。 消費増税を通した大蔵官僚の胆力 ──本書の中に財務官僚(旧大蔵官僚)とのやりとりは概して禅問答めくことが多いと書かれています。これはいちいち謎めいた話し方で簡単に核心を明かさない相手に対して、こちらは常に推察しながら慎重に本音を引き出さなければならない、という意味だと想像しますが、なぜ禅問答めいた話し方になるのでしょうか。やはり、後からどうにでもいい直せるような余地を残すようなものの言い方になるということでしょうか。 岸:おっしゃる通りです。「あの時にこう言った!」と後で言われるのが怖いから、例えば「消費税を導入しない」とは言わない。おぼめかしという言葉もありますが、「消費税導入は、今は難しいけどやる時が来たらやります」という程度の言い方にしておく。そういう言質を取られない会話に長けた人が多いですね。 ──本書の中で、財務省の中で出世するタイプの官僚は、センス、バランス感覚、胆力に優れた人材であると語られていますが、さらに独特の言語力や表現力を持つ人々が特に秀でる傾向があると書かれています。先の見えないカオスの状態を整理し、そこから物事の本質を浮かび上がらせ、それを絶妙の比喩などを交えた平易な言葉で説明する能力が重要だと書かれています。これはどういうことでしょうか。 岸:消費税導入時を例にお話しますと、消費税は1989年(平成元年)4月に導入されましたが、その前に激しい反対運動があったんです。僕なんか消費税導入はもう無理だな、と思っていたほどです。 1988年(昭和63年)、自民党と野党の激しい国会論戦の中で大蔵省が「六つの懸念」を出しました。これは、低所得者ほど税負担が重くなるとか、物価が引き上げられるからインフレは避けられないとか、消費税導入による欠陥を示したものだったんです。逆張りですね。この「六つの懸念」を機に、自民党がそこまで言うならと民社党と公明党が、賛成はしないけど協議には応じると反対のトーンを落としたんです。 当時、竹下登首相の首相秘書官を務めていた小川是さんが、法案が通るかどうか苦しい最後の局面で、「消費税の欠陥をすべて洗いざらい国民に見せましょう。一つひとつ解決策を示して、痛みを和らげながら通していきましょう」と言ったそうです。それで出てきたのがこの「六つの懸念」だった。僕は消費税法案の可決に向けて、この「逆張り」が論議の流れを変える大きな役割を果たしたと思っています。 竹下首相にこの「六つの懸念」を進言した小川さんは、後に次官になりました。大蔵省の官僚になるような人は、子どもの頃から神童だ、天才だとさんざん言われて挫折を知らないことが多い。パタッと折れてしまう危険がある。だからこそ、度胸や胆力も大事なんです。この逆張りは失敗する可能性もある大きな賭けでしたが、そこに挑む胆力が小川さんにあったんですね。 ふるさと納税に反対して飛ばされた総務次官候補 ──安倍政権が長期化する中、政と官のバランスが崩れた理由として、中央省庁の幹部人事を一元管理する内閣人事局の存在について説明されています。恣意的に運用されていると官僚が感じて、必然的に忖度の度合いが増す悪循環が生じていると書かれています。内閣人事局を巡り、官僚たちはどのような意識で動きがちなのでしょうか。また忖度はどのような深刻な問題を作り出していくのでしょうか。 岸:僕は内閣人事局そのものに反対ではありません。政治家は国民から選ばれた人たちであり、その政治家に対して、官僚は政策の選択肢を提供する役目を担っています。だから官邸という一つの国家権力、政治の中枢が人事を決めるのは悪いことではない。 最大の問題は、その人事の対象人員を増やしてしまったことです。当初は局長級以上のポスト200人が対象だという話でしたが、その3倍の審議官以上の600人を対象にしてしまった。 菅さん(菅義偉首相)が総務大臣の時、ふるさと納税に反対した人がいたんです。税との兼ね合いで、後で必ず不都合が起きるから止めた方がいいです、と。そうしたら、次官になるかもしれないと言われていた人だったのに、菅さんに飛ばされてしまった。そういう出来事を600人の官僚がしっかり見ていて、首相や大臣に目をかけられたいとか、嫌われたくないからといって用もないのに官邸に行ってごまをすって、どんどん忖度をしてしまうようになった。僕はこの制度の対象人員を200人に減らすべきだと考えています。 ──これまで日本銀行総裁の座は、財務省(大蔵省)と日銀が交互に担当してきたたすき掛け人事でしたが、この流れが変わった経緯を本書の中で紹介されています。日銀総裁の座を巡り、どのような駆け引きが水面下で繰り広げられているのでしょうか。 岸:大蔵省出身で日銀総裁になれるのは事務次官経験者だけだ、というのが暗黙の了解でした。第22代の佐々木直さんから、日銀―大蔵―日銀―大蔵と交互に6代日銀総裁を出したんです。 その後、武藤敏郎さん(東京オリンピック・パラリンピック組織委員会事務総長)が日銀の副総裁だった時に、日銀総裁になれるんじゃないか、という話があって。でも、国会で野党にノーと言われて総裁になれなかった。そこでたすき掛け人事は途絶えて、速水―福井―白川と日銀プロパーの総裁が3代続きました。 現在の第32代総裁は黒田東彦さんで、最終ポストは財務官だった人です。黒田さんは「黒田君の主張がアベノミクスの方向性と一番合っている」と言われて、安倍元首相から引っ張り出されたんですね。しかし財務省の論理では、財務官が日銀総裁になるなんてありえない。財務官はナンバー2ですから。 次官経験のない日銀総裁が、財務省の中でどういう位置づけにあるのか。現役の中堅官僚に聞いてみたら、「もし武藤さんが日銀総裁になって失敗をしたとしても、財務省は必死に支援するでしょう。でも、黒田さんは次官経験者でありませんから、財務省で守ろうとする人はいないでしょう」と言うんです。財務省というのはこういう論理なのかと驚きました。黒田さんも大変でしょうね。任期はあと1年半ですが、どんな締めくくり方をするのか興味があります。
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