核実験の裏で被ばく被害を受ける北朝鮮・特級栄誉軍人の使い捨て https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E6%A0%B8%E5%AE%9F%E9%A8%93%E3%81%AE%E8%A3%8F%E3%81%A7%E8%A2%AB%E3%81%B0%E3%81%8F%E8%A2%AB%E5%AE%B3%E3%82%92%E5%8F%97%E3%81%91%E3%82%8B%E5%8C%97%E6%9C%9D%E9%AE%AE-%E7%89%B9%E7%B4%9A%E6%A0%84%E8%AA%89%E8%BB%8D%E4%BA%BA%E3%81%AE%E4%BD%BF%E3%81%84%E6%8D%A8%E3%81%A6/ar-AAONbQh?ocid=msedgntp除隊後に続出する特級栄誉軍人 2020年夏、平安南道の人民病院に除隊した軍人たちが身体検査を受けにやって来た。「栄誉軍人」を申請するためだ。嘔吐や急激な食欲減退、疲労感の蓄積と免疫低下による感染症の発生など、さまざまな症状に苦しみ、病院を訪れる彼らの中には、急速な脱毛現象で禿げ頭になった人や奇形児が2人生まれた人もいた。 除隊した年と年齢はさまざまだが、被ばく者を自認する彼らは「自身が栄誉軍人」だと主張する。そんな彼らが同日同時刻に、平安南道の人民病院に身体検査を受けに来たのは傷痍軍人であることを証明する「栄誉軍人」を申請するためだ。 彼らは「131指導局」出身の除隊軍人だ。131指導局は金正日総書記の指示で1985年に創設された核施設の建設部隊で、社会安全部建設局部隊を母体とする部隊だ。朝鮮労働党に対する忠誠心に一点の曇りもなく、家系がしっかりしていると立証された、優秀な下士官から選抜して作られた部隊である。 金正日総書記は、「私が核開発の総司令官で、131指導局は私の核開発部隊、私の親衛隊だ」と話して彼らの忠誠心を鼓吹した。その時から131指導局は朝鮮労働党軍事委員会直属の軍部隊となった。今は朝鮮労働党軍需工業部直属で、北朝鮮の核開発の主力部隊として活動している。 131指導局の正式な名称は「131原子力指導局」で、数十年間、北朝鮮の核施設建設やウラン採取・加工などで隠れた主役を担ってきた。とりわけ核問題を巡り北朝鮮と国際社会が衝突した1990年代以降、131指導局は北朝鮮全域に秘密核施設を建設し管理した。 防護服なしで核実験の作業を進めた軍人たち 例えば、1990年代の国際原子力機関(IAEA)の査察時には、放射性物質が漏れないよう主要核施設を鉛で隠す役割を担った。咸鏡北道吉州郡豊渓里の核実験場も同部隊が実質的に管理している。 131指導局所属の軍人たちは、朝鮮労働党中央委員会の直属部隊という自負心に満ちている。事実、1980年代に黄海北道平山郡のウラン鉱山を開発した際には防護服なしで作業し、被ばくするという盲目的な忠誠心を示した。寧辺の核実験を稼動させた時も、党に誓った実験期日に合わせるため、防護服なしという狂気の沙汰で作業を進め、多くの被ばく者が発生した。 彼らの軍服務は徹底して秘密裏に行われるため、除隊時には秘密保障誓約書に誓約し、人民武力省軍事建設局所属部隊で軍服務を終えた軍人として除隊する。そのため、131原子力指導局という名称は、経歴のどこにも見当たらない。 このように徹底的に隠蔽された131指導局の軍人が、除隊後に自分たちの身体から現れる被ばく症状に憂慮を感じて、遅ればせながら栄誉軍人だと主張しているのだ。 北朝鮮の栄誉軍人とは、軍服務期間中に負傷して除隊した傷痍軍人を指す。特級栄誉軍人は、重度傷害の1級傷痍軍人だ。 90年代初めまで、食料の優先供給や食料品の特別供給制度など、栄誉軍人になると国家から多少の優遇を受けることができた。しかし、「苦難の行軍」が始まった1990年代半ばから、北朝鮮経済が急激に厳しくなると栄誉軍人のための特別供給制度はなくなった。 現在は、かつて作られた栄誉軍人学校や栄誉軍人工場、栄誉軍人村などで働き、生活するだけで「栄誉軍人」という象徴性だけが残っている。除隊軍人が栄誉軍人になろうとする理由は、その象徴性のためである。 秘密隠しのために作られた栄誉軍人制度 配給制度が崩壊した北朝鮮は、もはや商売をすることなしには食べていけないが、現在は通行証がなければ自由に国内を行き来できない状況だ。以前は地域ごとの品目の違いや価格差を利用してさやを抜くこともできたが、通行証制度が導入されたことで身動きが取れなくなっている。 ところが、栄誉軍人の身分証があると、取り締まりの時に通行証がなくても、国家のために献身した傷痍軍人という理由から見て見ぬ振りをする社会的な風潮がある。国家が祖国のために身を捧げた栄誉軍人を優遇できないのに、身体の不自由な栄誉軍人が自力で稼ぐための往来を阻止することなどできないからだ。 かつて通行証を持たない栄誉軍人たちが荷物を持って旅に出た際に、取り締まりに遭って社会的な物議となったことがある。 栄誉軍人たちは取締官に「私が祖国のために手足を失った時、お前はどこで何をしていた」と言って襲い掛かったが、逆に取締官に殴打され、死亡した。知らせを受けた栄誉軍人たちは激怒し、集団で取締機関の建物に火をつけた。その後、北朝鮮当局から取締機関に栄誉軍人を例外とする内部指針が下された。 傷痍軍人を優遇する余力を持たない北朝鮮は、国家による恩恵ではなく、栄誉軍人という象徴性を活用することで、傷痍軍人を優遇せざるを得ない。 栄誉軍人を申請するために、131指導局出身の除隊軍人が平安南道の人民病院を訪れたことが上級機関である保健省を通じて当局に正式に報告されると、中央党組織指導部は全国の病院と保健所に被ばく被害者たちに対する実態調査を依頼した。3カ月にわたる実態調査で、さまざまな被ばく事例が明らかになった。 代表的なのが、131指導局出身者に対する婚姻忌避だ。 娘を持つ親たちは、相手が人民武力省軍事建設局に服務した除隊軍人だと知ると結婚に難色を示す。実際には131指導局出身者だけでなく、人民武力省の軍事建設局で軍服務をした除隊軍人までもが被害を受けており、「私たちは本当に軍事建設局の除隊軍人だ」と叫んでいるという。 風評被害の二次被害を受ける核被爆者 最近では、息子を持つ親は息子を軍隊に行かせる時に131指導局に送られるのではないかと心配し、娘を持つ親は131指導局出身者を婿養子に迎えるのではないかと心配する。131指導局の除隊軍人は服務の被ばくで1次被害を受け、除隊後は社会的にそっぽを向かれる2次被害を受けている。 報告を受けた当局は、保健省に「131指導局」や「被ばく」といった表現を禁じる指示を出し、被ばく被害が提起される対象を「特級栄誉軍人」に分類する指針を下した。被ばく被害とその発生源である131指導局の秘密を維持するために「特級栄誉軍人」制度を設けたのである。 平安南道人民病院で栄誉軍人を申請するために身体検査を受けた131指導局出身の除隊軍人たちは「特級栄誉軍人」となり、平安南道平原郡月一里にある栄誉軍人村に入居することになった。いつまで実態が隠されているのか、見守らなければならない。
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