http://www.asyura2.com/18/senkyo242/msg/287.html
Tweet |
佐川氏証人喚問で露呈した「小学生レベルの道徳性」 あの情けない姿を心理学的に見ると…
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/55040
2018.03.29 原田 隆之 筑波大学教授 現代ビジネス
「俺の人生は、一体何だったのだろう」
3月27日、国会での証人喚問を受けた佐川宣寿・前国税長長官は、このように自問する日々を送っているのではないだろうか。
東大を卒業し、官庁の中の官庁である財務省に入り、大臣秘書官、関税局長、理財局長、そして国税庁長官など、華々しい経歴を歩んで来た佐川氏であったが、まさにそのキャリアの最後で疑惑にまみれ,その地位も名誉も地に堕ちた。
今年の確定申告のさなかに自ら財務省を辞職した後、証人喚問の場に引きずり出され、今後は大阪地検特捜部の捜査の手も及ぶことが予想されている。
大きな不満と不信が残った
さて、衆参両院の予算委員会で佐川氏の証人喚問が行われたが、その証言を巡っては厳しい批判が相次いでいる。
特に、文書改ざんの経緯や自身の関与については、証言拒否を繰り返し、その数は50回近くにも及んだ。
その一方で、改ざんに対して官邸側からの指示があったかどうかという点に関しては、明確に否定した。
まさに自己保身に汲々とし、上におもねる姿は、理財局長時代の国会答弁と何ら変わらず、その小役人ぶりは徹底していた。辞めてまで政権の顔色をうかがうその姿は、哀れですらあった。
とはいえ、きちんととらえておかねばならないことは、刑事訴追を受けるおそれのある場合など、正当な理由があるときは証言を拒むことができるという証人に保障された正当な権利についてである。多分に乱用したきらいはあるが、彼はその権利を行使したにすぎないとも言える。
また、偽証したときは、刑事罰が科される可能性があることから、彼が官邸からの指示を明確に否定したということは、官邸側からの「明確な指示」はなかったのだろう。
これらを割り引いても、やはり佐川氏の証言とその態度には大きな不満と不信が残る。
特に、問題になっているのは「明確な指示」の有無よりも、財務官僚による忖度の有無であり、文書の改ざんはもとより、国有地の不当な値引きはあったのかどうかについて、忖度がはたらいて行政がゆがめられたのかどうかということである。
それは当然彼もわかっているはずだ、しかし、それについては、「内心のことはわからない」と逃げの証言に終始した。
自己保身と上にへつらうのが、佐川氏の生き方なのであれば、その良し悪しは別として、それを今から急に変えることはできなかったのかもしれない。
そういう点では、トップで質問に立った自民党の丸川珠代議員も同じだ。
「首相からの指示はありませんでしたね」「昭恵夫人からの指示はございませんでしたね」と畳みかけるように問いかけ、それは質問というよりは、誘導尋問であった。さらに、議員の権力を背景にした「ダメ押し」のようにも聞こえた。
質問をする側、証言をする側、その立場は違っても、国民よりも官邸のほうばかり向いて、こんな茶番のような質問をする丸川議員もまた、佐川氏と同じ種族の人間なのだと強く印象づけられた。
道徳性の発達「6段階」
国権の最高機関である国会で、このような情けない姿を見るにつけ、つくづく知性と道徳性は比例するものではないことがはっきりわかる。
トップ官僚も国会議員も、知性という面では、相当に秀でた人々なのだろう(と信じたい)。
その一方で、彼らの道徳性はどうだろう。
アメリカの心理学者のコールバーグは、道徳性の発達について、6つの段階に分けて説明している。それは、以下のような6段階である。
(1)罰の回避と服従の段階
(2)相対主義的な利益を志向する段階
(3)同調し「よい子」を志向する段階
(4)既存の法と秩序そのものを尊重する段階
(5)合意や契約によって変更可能なものとして法や秩序を遵守する段階
(6)一人ひとりの人間の尊厳の尊重といった普遍的倫理原則を志向する段階
小さな子どもは誰しも、親や大人に叱られたり、罰を受けたりすることがないように行動する。それが、子どもの道徳性である(第1段階)。
しかし、成長に伴って、より打算的になる。「相手が自分にとってよいことをしてくれれば、自分もよいことをしてあげる」という相互主義的なルールに従って行動する。一見、公正であるように見えても、自己中心的な道徳性である(第2段階)。
その後、仲間集団など、自分が準拠する集団のルールに同調し、「よい子」「よいメンバー」として振る舞うことが道徳的だと思うようになる。これも一見、「よい子」には見えても、拡大された自己中心性にすぎず、より大きな社会のルールや規範を無視してしまうこともある(第3段階)。
もっと成長すれば、自分や自分の属する小さな集団の利益ばかりを追求することが「よいこと」なのではなく、社会の法や規範を守ることが道徳的なのだと言うことを理解し、そのように振る舞うことができるようになる(第4段階)。
さらに進んだ段階として、権威から押し付けられた法や社会規範が絶対なのではなく、社会にはさまざまな価値があり、それを守るために合意によってルールを変更すべきだという柔軟な道徳性を持つに至る。われわれがルールに仕えるのではなく、自分たちのためにルールはあるということを理解できる段階である(第5段階)。
そして、最もレベルの高い道徳性は、普遍的価値、倫理的原理に従った行為が正しい行為だととらえる段階であり、法を超えてでも「正しい行い」をすることができる。ときには、その社会や時代には理解されず、後世になってその偉業が称えられることもある(第6段階)。
ここで、注意すべき点は、誰もが最高のレベルまで到達することができるわけではないという事実である。ほとんど人は、第4段階あたりで足踏みし、第5段階ですら到達するのは難しいと言われている。
このように見たとき、佐川氏のこれまでの言動は、(2)や(3)のレベルであると言わざるを得ない。いわば小学生レベルの道徳性だ。
これまでの答弁や態度、そして今回の証言を見ると、自らの利益を守り、政権にとって「よい子」であるように振る舞うことが、彼の道徳であったとしか思えない。
自身の関与は明確にしなかったが、理財局ぐるみでの公文書の改ざんは認めており、公務員でありながら、法も秩序も軽視する傾向があったことはもはや否定しがたい。
さらに、自らの立場を危うくしても、高い倫理観をもって、職責を果たすことや、証言をすることは到底できなかった。
国会がこれだけ大混乱をきたし、膨大な時間を浪費し、大きな国益を損ねていることを、彼はどう感じているのだろうか。
おそらく、このように「小さい道徳」しか持たぬ者には、それが見えないのだろう。
あるいは、頭ではわかっていても、そのように振る舞うことができないのだろう。
これでは、組の掟には従うが、国の掟には従わないヤクザと、道徳性という意味では何ら変わらない。
チャンスは残されているが…
人間はもとより弱くて小さな存在であるし、誰かが自己保身を図ったからといって、それを非難できるほど私自身も高い道徳性を有しているわけではない。
自己を犠牲にして、大きなものを守ることができるほどの高い道徳性を有している人々は、英雄や偉人として名を残している人々である。そのような人は少なくて貴重だから、尊敬を集め、歴史に名が刻まれるのだ。
とはいえ、佐川氏もひたすら自己保身と証言拒否をしていただけはない。彼は「書き換えはあった。担当局長としてひとえに私に責任がある」とも証言している。
ならば、今後その責任をどう果たしていくというのか。本当にそう感じているのなら、単なる口先だけでなく、行動で示してほしい。
彼は地位も名誉も地に堕ちてしまったが、それを挽回できるチャンスはあった。
それが証人喚問の場だった。
国会を混乱させ、文書改ざんという大それたことに関与して、国民と国会を冒涜した責任の自覚があるならば、率直に非を認めたうえで、誠実に証言することもできたはずだ。
もし、彼が自己の立場が危うくなることを承知のうえで、そのように真摯に証言したならば、少なくともその態度に多くの人は感銘を受け、名誉の回復につながったかもしれない。
しかし、残されたその貴重なチャンスも彼は自ら放棄してしまった。
でもまだチャンスはある。それは、今後予想される検察による取り調べに対してである。
ここで彼が何を語るのか。
これまで雁字搦めになっていた「小さい道徳」から自由になり、1つも2つも上の段階へと成長して、自らの責任を果たすことができるチャンスはまだ残されている。
ピンチのときこそ、成長のチャンスである。
窮地に陥ったときに、思ってもいなかった力を発揮できるのが人間のすごいところだ。名誉挽回のチャンスも、道徳性の発達の可能性もまだ十分ある。
そして、それを成し遂げることができれば、「俺の人生は、一体何だったのだろう」という問いも、もう虚しく響くことはないだろう。
ものすごく納得した考察。6段階あるという道徳性が分かりやすく響いた。残された機会に勇気を振り絞ってもらいたい。
— madoka yanagisawa (@madoka_yng) 2018年3月28日
佐川氏証人喚問で露呈した「小学生レベルの道徳性」(原田 隆之) | 現代ビジネス | 講談社(1/4) https://t.co/xgxVfk9u9M
「日陰の男に成り下がり!!」 佐川氏証人喚問で露呈した「小学生レベルの道徳性」 あの情けない姿を心理学的に見ると… https://t.co/e6JH7XWurp #スマートニュース
— エイユー8379 (@AU_8379) 2018年3月28日
佐川氏証人喚問で露呈した「小学生レベルの道徳性」 あの情けない姿を心理学的に見ると… #SmartNews
— 涌井貞夫 (@4vZ7Pd9a5POu68h) 2018年3月28日
正直に素直な気持ちになり
有りの侭、証言されたら心が休まれたのでは、安眠出来ない日がこれからも続くのはとても辛いと思いましす!早く楽になって欲しかったです! https://t.co/atWEEF3Ia9
組織の中にどっぷりつかると、それができなくなる。ここのところ多い大企業のデータ改ざん問題も同根だと思う… → 佐川氏証人喚問で露呈した「小学生レベルの道徳性」 あの情けない姿を心理学的に見ると… https://t.co/9OE540TyZ1
— 大久保惠司 (@keijix55) 2018年3月28日
東大出たと言って人のレベルは測れない手本だな。人間のクズ。
— くろ (脱原発・脱被曝・立憲民主主義保守派) (@tkurokawa31) 2018年3月28日
佐川氏証人喚問で露呈した「小学生レベルの道徳性」(原田 隆之) https://t.co/2MpQJgEmdx
国が実施する愛国心教育とは一億総佐川氏のような道徳レベル3止まりにする教育に思える。日本人に必要なのは高度な道徳教育である。 佐川氏証人喚問で露呈した「小学生レベルの道徳性」 あの情けない姿を心理学的に見ると… https://t.co/S8y304RjaW #スマートニュース
— ひで (@hide15820922) 2018年3月28日
佐川氏証人喚問で露呈した「小学生レベルの道徳性」
— ぴっかり親父 (@pickarioyazi) 2018年3月29日
⭕️目先の強権力にかしずく『小っぱ役人』の代表を具現した佐川君。
https://t.co/jnZD6tAHV3
“これまでの答弁や態度、そして今回の証言を見ると、自らの利益を守り、政権にとって「よい子」であるように振る舞うことが、彼の道徳であったとしか思えない。”
— J.MOJA (@moja_tweet) 2018年3月29日
佐川氏証人喚問で露呈した「小学生レベルの道徳性」 https://t.co/kKTSeTaWEE #現代ビジネス
佐川氏証人喚問で露呈した「小学生レベルの道徳性」 あの情けない姿を心理学的に見ると…
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/55040
2018.03.29 原田 隆之 筑波大学教授 現代ビジネス
「俺の人生は、一体何だったのだろう」
3月27日、国会での証人喚問を受けた佐川宣寿・前国税長長官は、このように自問する日々を送っているのではないだろうか。
東大を卒業し、官庁の中の官庁である財務省に入り、大臣秘書官、関税局長、理財局長、そして国税庁長官など、華々しい経歴を歩んで来た佐川氏であったが、まさにそのキャリアの最後で疑惑にまみれ,その地位も名誉も地に堕ちた。
今年の確定申告のさなかに自ら財務省を辞職した後、証人喚問の場に引きずり出され、今後は大阪地検特捜部の捜査の手も及ぶことが予想されている。
大きな不満と不信が残った
さて、衆参両院の予算委員会で佐川氏の証人喚問が行われたが、その証言を巡っては厳しい批判が相次いでいる。
特に、文書改ざんの経緯や自身の関与については、証言拒否を繰り返し、その数は50回近くにも及んだ。
その一方で、改ざんに対して官邸側からの指示があったかどうかという点に関しては、明確に否定した。
まさに自己保身に汲々とし、上におもねる姿は、理財局長時代の国会答弁と何ら変わらず、その小役人ぶりは徹底していた。辞めてまで政権の顔色をうかがうその姿は、哀れですらあった。
とはいえ、きちんととらえておかねばならないことは、刑事訴追を受けるおそれのある場合など、正当な理由があるときは証言を拒むことができるという証人に保障された正当な権利についてである。多分に乱用したきらいはあるが、彼はその権利を行使したにすぎないとも言える。
また、偽証したときは、刑事罰が科される可能性があることから、彼が官邸からの指示を明確に否定したということは、官邸側からの「明確な指示」はなかったのだろう。
これらを割り引いても、やはり佐川氏の証言とその態度には大きな不満と不信が残る。
特に、問題になっているのは「明確な指示」の有無よりも、財務官僚による忖度の有無であり、文書の改ざんはもとより、国有地の不当な値引きはあったのかどうかについて、忖度がはたらいて行政がゆがめられたのかどうかということである。
それは当然彼もわかっているはずだ、しかし、それについては、「内心のことはわからない」と逃げの証言に終始した。
自己保身と上にへつらうのが、佐川氏の生き方なのであれば、その良し悪しは別として、それを今から急に変えることはできなかったのかもしれない。
そういう点では、トップで質問に立った自民党の丸川珠代議員も同じだ。
「首相からの指示はありませんでしたね」「昭恵夫人からの指示はございませんでしたね」と畳みかけるように問いかけ、それは質問というよりは、誘導尋問であった。さらに、議員の権力を背景にした「ダメ押し」のようにも聞こえた。
質問をする側、証言をする側、その立場は違っても、国民よりも官邸のほうばかり向いて、こんな茶番のような質問をする丸川議員もまた、佐川氏と同じ種族の人間なのだと強く印象づけられた。
道徳性の発達「6段階」
国権の最高機関である国会で、このような情けない姿を見るにつけ、つくづく知性と道徳性は比例するものではないことがはっきりわかる。
トップ官僚も国会議員も、知性という面では、相当に秀でた人々なのだろう(と信じたい)。
その一方で、彼らの道徳性はどうだろう。
アメリカの心理学者のコールバーグは、道徳性の発達について、6つの段階に分けて説明している。それは、以下のような6段階である。
(1)罰の回避と服従の段階
(2)相対主義的な利益を志向する段階
(3)同調し「よい子」を志向する段階
(4)既存の法と秩序そのものを尊重する段階
(5)合意や契約によって変更可能なものとして法や秩序を遵守する段階
(6)一人ひとりの人間の尊厳の尊重といった普遍的倫理原則を志向する段階
小さな子どもは誰しも、親や大人に叱られたり、罰を受けたりすることがないように行動する。それが、子どもの道徳性である(第1段階)。
しかし、成長に伴って、より打算的になる。「相手が自分にとってよいことをしてくれれば、自分もよいことをしてあげる」という相互主義的なルールに従って行動する。一見、公正であるように見えても、自己中心的な道徳性である(第2段階)。
その後、仲間集団など、自分が準拠する集団のルールに同調し、「よい子」「よいメンバー」として振る舞うことが道徳的だと思うようになる。これも一見、「よい子」には見えても、拡大された自己中心性にすぎず、より大きな社会のルールや規範を無視してしまうこともある(第3段階)。
もっと成長すれば、自分や自分の属する小さな集団の利益ばかりを追求することが「よいこと」なのではなく、社会の法や規範を守ることが道徳的なのだと言うことを理解し、そのように振る舞うことができるようになる(第4段階)。
さらに進んだ段階として、権威から押し付けられた法や社会規範が絶対なのではなく、社会にはさまざまな価値があり、それを守るために合意によってルールを変更すべきだという柔軟な道徳性を持つに至る。われわれがルールに仕えるのではなく、自分たちのためにルールはあるということを理解できる段階である(第5段階)。
そして、最もレベルの高い道徳性は、普遍的価値、倫理的原理に従った行為が正しい行為だととらえる段階であり、法を超えてでも「正しい行い」をすることができる。ときには、その社会や時代には理解されず、後世になってその偉業が称えられることもある(第6段階)。
ここで、注意すべき点は、誰もが最高のレベルまで到達することができるわけではないという事実である。ほとんど人は、第4段階あたりで足踏みし、第5段階ですら到達するのは難しいと言われている。
このように見たとき、佐川氏のこれまでの言動は、(2)や(3)のレベルであると言わざるを得ない。いわば小学生レベルの道徳性だ。
これまでの答弁や態度、そして今回の証言を見ると、自らの利益を守り、政権にとって「よい子」であるように振る舞うことが、彼の道徳であったとしか思えない。
自身の関与は明確にしなかったが、理財局ぐるみでの公文書の改ざんは認めており、公務員でありながら、法も秩序も軽視する傾向があったことはもはや否定しがたい。
さらに、自らの立場を危うくしても、高い倫理観をもって、職責を果たすことや、証言をすることは到底できなかった。
国会がこれだけ大混乱をきたし、膨大な時間を浪費し、大きな国益を損ねていることを、彼はどう感じているのだろうか。
おそらく、このように「小さい道徳」しか持たぬ者には、それが見えないのだろう。
あるいは、頭ではわかっていても、そのように振る舞うことができないのだろう。
これでは、組の掟には従うが、国の掟には従わないヤクザと、道徳性という意味では何ら変わらない。
チャンスは残されているが…
人間はもとより弱くて小さな存在であるし、誰かが自己保身を図ったからといって、それを非難できるほど私自身も高い道徳性を有しているわけではない。
自己を犠牲にして、大きなものを守ることができるほどの高い道徳性を有している人々は、英雄や偉人として名を残している人々である。そのような人は少なくて貴重だから、尊敬を集め、歴史に名が刻まれるのだ。
とはいえ、佐川氏もひたすら自己保身と証言拒否をしていただけはない。彼は「書き換えはあった。担当局長としてひとえに私に責任がある」とも証言している。
ならば、今後その責任をどう果たしていくというのか。本当にそう感じているのなら、単なる口先だけでなく、行動で示してほしい。
彼は地位も名誉も地に堕ちてしまったが、それを挽回できるチャンスはあった。
それが証人喚問の場だった。
国会を混乱させ、文書改ざんという大それたことに関与して、国民と国会を冒涜した責任の自覚があるならば、率直に非を認めたうえで、誠実に証言することもできたはずだ。
もし、彼が自己の立場が危うくなることを承知のうえで、そのように真摯に証言したならば、少なくともその態度に多くの人は感銘を受け、名誉の回復につながったかもしれない。
しかし、残されたその貴重なチャンスも彼は自ら放棄してしまった。
でもまだチャンスはある。それは、今後予想される検察による取り調べに対してである。
ここで彼が何を語るのか。
これまで雁字搦めになっていた「小さい道徳」から自由になり、1つも2つも上の段階へと成長して、自らの責任を果たすことができるチャンスはまだ残されている。
ピンチのときこそ、成長のチャンスである。
窮地に陥ったときに、思ってもいなかった力を発揮できるのが人間のすごいところだ。名誉挽回のチャンスも、道徳性の発達の可能性もまだ十分ある。
そして、それを成し遂げることができれば、「俺の人生は、一体何だったのだろう」という問いも、もう虚しく響くことはないだろう。
ものすごく納得した考察。6段階あるという道徳性が分かりやすく響いた。残された機会に勇気を振り絞ってもらいたい。
— madoka yanagisawa (@madoka_yng) 2018年3月28日
佐川氏証人喚問で露呈した「小学生レベルの道徳性」(原田 隆之) | 現代ビジネス | 講談社(1/4) https://t.co/xgxVfk9u9M
「日陰の男に成り下がり!!」 佐川氏証人喚問で露呈した「小学生レベルの道徳性」 あの情けない姿を心理学的に見ると… https://t.co/e6JH7XWurp #スマートニュース
— エイユー8379 (@AU_8379) 2018年3月28日
佐川氏証人喚問で露呈した「小学生レベルの道徳性」 あの情けない姿を心理学的に見ると… #SmartNews
— 涌井貞夫 (@4vZ7Pd9a5POu68h) 2018年3月28日
正直に素直な気持ちになり
有りの侭、証言されたら心が休まれたのでは、安眠出来ない日がこれからも続くのはとても辛いと思いましす!早く楽になって欲しかったです! https://t.co/atWEEF3Ia9
組織の中にどっぷりつかると、それができなくなる。ここのところ多い大企業のデータ改ざん問題も同根だと思う… → 佐川氏証人喚問で露呈した「小学生レベルの道徳性」 あの情けない姿を心理学的に見ると… https://t.co/9OE540TyZ1
— 大久保惠司 (@keijix55) 2018年3月28日
東大出たと言って人のレベルは測れない手本だな。人間のクズ。
— くろ (脱原発・脱被曝・立憲民主主義保守派) (@tkurokawa31) 2018年3月28日
佐川氏証人喚問で露呈した「小学生レベルの道徳性」(原田 隆之) https://t.co/2MpQJgEmdx
国が実施する愛国心教育とは一億総佐川氏のような道徳レベル3止まりにする教育に思える。日本人に必要なのは高度な道徳教育である。 佐川氏証人喚問で露呈した「小学生レベルの道徳性」 あの情けない姿を心理学的に見ると… https://t.co/S8y304RjaW #スマートニュース
— ひで (@hide15820922) 2018年3月28日
佐川氏証人喚問で露呈した「小学生レベルの道徳性」
— ぴっかり親父 (@pickarioyazi) 2018年3月29日
⭕️目先の強権力にかしずく『小っぱ役人』の代表を具現した佐川君。
https://t.co/jnZD6tAHV3
“これまでの答弁や態度、そして今回の証言を見ると、自らの利益を守り、政権にとって「よい子」であるように振る舞うことが、彼の道徳であったとしか思えない。”
— J.MOJA (@moja_tweet) 2018年3月29日
佐川氏証人喚問で露呈した「小学生レベルの道徳性」 https://t.co/kKTSeTaWEE #現代ビジネス
▲上へ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK242掲示板 次へ 前へ
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
▲上へ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK242掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。