http://www.asyura2.com/18/senkyo242/msg/239.html
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本日は多忙につき、ひと口コメントで失礼する。以下現代ビジネスの気になぅたコラムを参考掲載しておく。山下氏のコラムに全面的に賛同するものではないのだが
筆者は個人的には“すべてが安倍さんを守るために動いてるby Kagoike”と云う言葉は、まさに、一連の安倍一家による縁故主義政治の典型例だと考えている。縁故政治では、忖度と圧力は同居しながら、いつの間にか融合してしまうものである。法律上は、佐川の改竄も、迫田元理財局長の政治への配慮行政も、犯罪ではない結果になる可能性はあるが政治的悪は安倍の縁故政治に存在していると認識せざるを得ない。
司法における悪と、政治上における悪は別物だと云う認識を、我々国民は理解しておく必要がある。
佐川の証言などは、そもそも、大した問題ではない。佐川が、単に自分のポジショントークの辻褄を合わせようと公文書を改竄したのか、官邸筋から、何らかの示唆があって改ざんに手を染めたのか、そういうことが重大事のようになっているが、それは違う。
根本的な問題は、佐川が改ざんをした事実などの一万倍も悪質な籠池の“ゆすりタカリ”が、いとも易々と実行することが出来た理由が何なのか、ここが問題なのだ。無論、公文書改ざんは重大な犯罪だが、政権与党側の“目くらまし”誘導戦術に惑わされてはいけないと云うことだ。その証拠ではないが、政府側は“書きかえ”と強く主張しているのだから、財務省の公文書の書き変えに過ぎないと云うことで、一件落着で良いだろう。
籠池が発言しているように、安倍昭恵付き秘書の谷査恵子が、FAXで問い合わせ(口利き)をした翌年に「神風が吹いた」と言わしめている。
そして、現実に、籠池はただ同然で土地を入手したのだから、“女房が関わっていない証拠”はまったく挙証されていない。「黒!」と国民から指を差されているのは安倍内閣総理大臣なのだから、真相を究明すると断言した安倍晋三が、挙証できないのなら、黒は黒のままで、内閣支持率は一段と下がることになりそうだ。調子に乗った籠池のオッチャンだけが逮捕勾留は、アンフェアーだ。政治も社会も、公正公平により近づく努力が必要だろう。
≪森友文書改ざん問題、財務省を暴走させた「圧力」の正体
「忖度か指示か」の二択は奇妙だ
■これは本当に「忖度」なのか
:1年前に収束したはずの森友問題が、朝日新聞によるスクープにより、にわかに新たな展開を始めている。
:当初は朝日の誤報を論じる向きもあったが、財務省理財局による公文書書き換え(筆者は財務省が「書き換え」といっている以上、「書き換え」を用い、政府が「改ざん」を認めた時点で用語を修正したい。近くそうなることを願っている)は紛れもない事実のようだ。
:今後、財務省でもさらに調査が進められ、国会でも証人喚問を含めて議論され、また検察による調査結果も報告されることになっている。
:だが今回の騒動をみていて、筆者としてどうにも気になる点がある。
:それはこれまで筆者が本誌で書いてきたことにも深く関わるので、ここでこの問題を論じることを試みたい。
:多くの報道がこの事件を「財務省理財局の忖度」として分析している。
:だがこれは本当に「忖度」なのだろうか。
:むしろ、忖度として論じることで大事な点が抜け落ちているのではないか。 そしてそれは何より「今後の再発防止」に深く関わるのではないか、ということだ。
:忖度を辞書で引くと次のように説明されている。
:「そんたく【忖度】他人の心中をおしはかること。推察。」(広辞苑)
:忖度とは、辞書の上では、「いわなくてもわかっているよ」と、相手の心をこちらで察してあげるということだ。
:だが、この「忖度」という漢語がもつ雰囲気がそうさせるのだろう、一般にこの語には上下の関係が含まれており、下のものが上のものの気持ちを推量し、上が言わなくても下のもので勝手に何事かを進めて達成してしまうような、そういう意味をもって使われている。
:今回の事件も、安倍首相夫人の森友学園への関わりを察知して、財務省の方で(上からの指示なく)忖度し、大幅な値引き等の優遇を行ったとされている。
:また佐川氏の国会答弁やそれにあわせた文書書き換えについても、安倍首相が「もし自分や妻が関わっていたら、総理大臣も議員も辞める」といったことへの配慮から、誤解されそうな事実の記載を公文書から一切省いておこうと、そういう忖度が働いたのだと、説明されている。
:すべてこの事件は、下のものが、上のもののために、先走った配慮=忖度を行ったことによるのであり、政治には問題はなく、行政の側の暴走が事件の本質だということだ。
:だが、そんな説明でよいのだろうか。
■忖度でなければ「指示」なのか
:他方で、こうした説明に対する野党側の追求は、こうなっているようだ。
:「官僚の忖度だけで、こんなことはおきないだろう。そこにはもっと上からの(政治家からの)指示があるはずだ」――忖度でなければ指示だ、というわけだ。
:だがこの数日出て来たものを見ても、そこに例えば安倍首相からの指示のようなものは認められないようだ。
:財務省による公文書書き換えが確認された3月12日の夕方、安倍首相自身がテレビカメラを真正面に見すえ、「なぜこんなことがおきたのか」と述べていたのは記憶に新しいが、実際に指示した人間にこうした態度はできない。
:やはり、やったのは財務省の一部ということで決着せざるをえないのだろう。 が、政治家からの指示でなければ、官僚の忖度なのか。しかし自らの首をかける書き換えを「忖度」でやるとは到底思えない。あまりにも自らの犠牲が大きすぎるからだ。
:3月11日の国税庁長官・佐川宣寿氏辞任にあたっての会見で、佐川氏は記者から「忖度はあったんですか?」と聞かれ、気色ばんでこう答えている。
:「忖度って、すみません、どういう意味ですか!」
:見ていた人は「あれっ」と感じたはずだ。筆者もずっとこのことが気になっている。
:これは本当に「忖度」なのか。
:忖度か、指示か。そうした二者択一から離れて現実を見つめ、分析する必要がありそうだ。
■霞ヶ関を暴走させる「圧」の存在
:筆者はこう考える。
:これは官僚側の忖度ではない。
:目に見えない「圧」。その「圧」に官僚が屈した結果なのだ。
:この「圧」は、表だった実際の政治家の行動によるものではないので、どうやってできているのかその具体的なカラクリはとらえようがない。
:ある種の集団心理だ。だが、それが実際の現実として霞ヶ関を押さえ込んでいるので、その「圧」がある方向を指し示すと、予期せぬ行動を次々と官僚たちに引き起こす――そういうことが現実に起きているようだ。
:「圧」は、山本七平の「空気」にも似ている。
:が、互いを読みあうことから作られる「空気」とは違って、「圧」はもっと上から浴びせられる重苦しいものであり、だから「忖度」の語に含まれるような相手への配慮でもなく、もう、そうせざるをえないような、有無を言わさぬ強い力なのである。
:しかもそこには実際に「力」を及ぼすものの正体がはっきりとは見えないので、力そのものがどこから来ているのかわからず、ただ「圧」としかとらえようのないもの――これが人々を思わぬ行動へと駆り立てたのではないか。
■行き過ぎた政治主導
:では、この「圧」はいったいどこからきているのか。 :いつから発生し、どのようにすれば止まるのか。
:まず、この「圧」の正体は、「政治主導」であろう。政治主導が強く作動しすぎたことが、こうした事件が生じた背景にある。
:安倍政権はまさに政治主導の体制であり、それも与党執行部の非常に強い1強構造がその特徴とされている。
:1強構造はたしかに様々な政策を断行し、国家を強力に導く指導力に優れた体制なのかもしれない。が、そこには危うさが潜んでおり、それが財務省の公文書書き換えなどという前代未聞の事態を引き起こした原因だと見たい。
:政治と行政のバランスが大きく崩れ、行政の側から「それは政治としてやるべきことではない」と批判することさえできなくなっていく。
:それどころか、「行政としてやってはいけない」ことにさえ手を染めはじめ、森友問題ではまず森友学園への過剰な配慮にはじまり、第二段階としての佐川氏の国会答弁、そして第三段階としての公文書書き換えが行われたということなのだろう。
:そして我々はこうしたことが単発で生じていたのではなく、いくつものことが重なってエスカレートしていったことに、「圧」がもたらす問題の根の深さを見なくてはならない。
:そして振りかえれば、森友問題のあとには加計問題が発覚し、またその前後には防衛省、厚労省で似たような問題が発覚した。
:そして筆者が先日分析したように(「福島原発事故から7年、復興政策に『異様な変化』が起きている」)、例えば福島第一原発事故からの復興政策についてみても、第三次安倍政権以降の政策内容に、従来の霞ヶ関では考えられないようなずさんで矛盾した内容が――しかもそれでいて政権の成果を過剰に礼賛する奇妙なものが――現れてきているのであった。
:霞ヶ関の官僚機構はもはや、本来の働きを失って、きっかけがあればいつでも暴走する、そういう危うい状態に入っているのではないかと危惧される。
■政治と行政のバランス崩壊
:現在、野党は今回の文書書き換え事件を自民党・安倍政権の責任問題として追及しているが、なぜこんなことが起きたのかを理解するにあたっては、とくに民主党政権時代に進めたことも含めて、野党自身のあり方もしっかりと反省する必要があると思われるのである。
:問題は政治と行政のバランスが崩れてしまったことにある。そのきっかけとなったものとして、平成26年設置の内閣人事局があげられているが、これも民主党政権が導入を強く押していたものと記憶する。
:安倍政権におけるバランス崩壊の度合いはひどいと思うが、ではその前の民主党政権はどうであったかと言えば、その時もまた別の意味でバランスを欠いていた。
:そしておそらく小泉改革以来、二十年来の政治=行政バランス変更のおぞましい結果として、財務省による文書書き換えをはじめとする、第三次安倍政権下の各種の事件が位置づけられるものと思う。
:政=行バランスをいかに決着つけるのかという問題意識なしに、安倍首相やそのまわりの政治家たちの責任論を追求しても、政治バトルは活気づくかもしれないが、本当の問題は解決されないだろう。
:加計問題をめぐって、当時の文部事務次官であった前川喜平氏はこういったことを思い出す。
:「行政が歪められた」
:政治が強大化し、そのことで行政が歪曲化されているのであれば、それを正すことが必要だ。
:財務省はまがりなりにも文書の書き換えを認め、その内容を白日の下に曝した。悲痛なものであったと推察する。
:野党はここで「何をやってるんだ」ではなく、「よくやった。もっと正直に色々出してくれ。君たちのことは守るから」と、そういわねばならなかったのではないか。
■いまの政治に求められていること
:今後の再発防止という面から見て、この事件を「忖度」の結果と見るか、過剰な「圧」による装置の暴走と見るかで、その処方はまるっきりかわってくる。
:筆者はここが恐いのだ。
:すべてを「忖度」と理解することで、二度とこういう書き換えが行われないよう、行政の政治による管理を徹底化し、忖度など決して働かないような制度へと改良していく――そんな官僚をさらに縛り付ける方向へと動きだすのではないかと。
:だが、そういう形で決着すれば、実際に起きることは、「おかしなことが起きてももう告発はしない」「記録はできるだけ細かく残さない」「何が起きてもだまっていればよいのだ」――そういう官僚の硬直化だろう。
:そして今後は、忖度が働いたり、圧力に屈したりしても、もはや二度と公文書の形でその形跡をたどることはできなくなるだろう。
:財務省は引き続き、麻生大臣の下で調査を進め、再発防止策を出すのだという。
:だが、現状の政=行体制に問題の根幹はあるのだ。その体制を解かずにその内部で出す防止策は、間違いなく官僚への「圧」をさらに強め、問題をますますこじらせていくものになるだろう。
:おそらく安倍首相や麻生大臣の直接の指示などは出てこない。だから問題はないのかと言えばそんなことではない。指示がないのにこんなことが起きたということの方が恐ろしいのである。
:だとすれば、ここで起きていることのカラクリをしっかり暴くことが大切だ。そうした解明にふさわしい調査体制を緊急に設計すること、それがいまの政治に求められていることである。
:今回の騒動の中で、筆者が唯一腑に落ちたのが、小泉進次郎氏のコメントである。
:「自民党は官僚だけに責任を押し付けることがない姿を、ちゃんと見せないといけない」
:指示がないのに暴走した官僚機構。だが暴走を引き起こしたのは官僚側ではない。
:官僚は、暴走だろうがあるまいが、どちらにしても自分で自分のスイッチは押せない。スイッチが押せるのは政治の側だ。
:そして官僚の抵抗や誤作動という意味では、現在の自民党政権のみならず、旧民主党政権がそうであったのだ。
:問題は共通する。
:政治は互いに相争うのではなく、どうしたら適切に官僚機構を使いこなし、国民のために最適の解を導き出す流れを作ることができるのか、このことにもっと心を砕いていくべきだろう。
:そしてこのことはまた、政治を見守る世論・マスメディアや、思想・識者の責務なのでもある。
≫(現代ビジネス:政治―首都大学東京・山下祐介)
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