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安倍政権や日本の現状将来に対して、藻谷浩介氏が穏当で公平な論評をしている。しごくまっとうな物言いだが、どこか日和見的なニオイがしないでもない。日本総研の主席研究員としてのポジションとしては、最大級の勇気かもしれない。逆に言えば、物言いは優しいが、安倍政権が駄目な政権であり、その取りまきの愚劣さまで言及しているのだから、やはり、安倍政権は相当に駄目な政権なのだろう。
野党の稚拙さは今にはじまった話ではないので、そのことは留保してもいい。彼らは、彼らなりに、今後の自民党政治を、まっとうな民主主義、立憲主義な方向から逸脱しない勢力として育とうと努力している最中なのだから、その動向を注視しておこう。無論、数合わせのような野合に意味がないことは、民進党のスカスカで意思統一のない政党など意味がないことは証明済み、同じ過ちは繰り返してはならない。
自民党も、折角、憲法改正に必要な充分の勢力を持ったのに、担ぐ神輿を間違えた。党員投票の結果を重視して石破を総理にしておけば、安倍以上に右寄りな憲法改正も可能だっただろうに、馬鹿な選択をしたものだ。しかし、当時の自民党の選択が間違いだったというのは結果論であって間違いではなかったかもしれない。問題は、安倍官邸の政治権力維持の目的が、まったく国民に向かって政治をする気がないとは思いもよらなかった点が問題なのだろう。
まさか、腹痛を起こして不様な退陣をした安倍晋三が、これほどまで、権力を私的に流用するとは、流石の麻生も読み間違ったに違いない。財界人やマスメディア幹部、芸能人などと、個人的にヨイショされることを目的に友好関係を結び、安倍政治に一言と云う環境を抑えにかかった。無論、そのような行動は、安倍政治が、日本会議系の人脈に対する政治であったり、幕末長州を彷彿とさせるような政治であったり、自己宣伝に徹する政治であったり、権力維持の装置作りに奔走していた5年だったことだ。
つまり、本来の主権者である多くの一般国民に向かって、一切、本気で政治をする気が、さらさらなかった安倍政治である。挙句は、森友加計事件で、政治の私物化が表面化し、女房さえもコントロール出来ないマネージメント能力がない人間性まで晒してしまった。憲法改正は、時代の要請であるのなら、平常心で、国民的議論が行われる環境整備に腐心する政権の下で行いたいわけで、明治回帰などと云う狂信的集団の為の憲法改正など、もっての外である。
行政機構を私物化するために、内閣人事局をフル活動させ、官僚機構のメカニズムを破壊し、国民に向かった政治行政を行うのであれば意味があったが、政権維持の為に、その装置を使い尽くし、官僚の精神構造を賤しくさせ、政と官の緊張関係を、なあなあ関係に貶めた罪は大きい。政と官の癒着は、議会制民主主義の否定であり、国民の側が得るものは一つもない。有能な官吏が、無能な暴君の為にかしずくことの罪深さは万死に値する。
憲法改正などと云うものは、これから先の50年、100年、歴史に堪えうる改正を行うべきで、目的が改正することでは話にならない。また、国民投票で受け入れられやすい云々で安易に改正案を出されても迷惑なだけである。安倍政権の下での憲法改正は、カルト集団のような日本会議仕様の改正であり、それは民主国家の放棄を意味しているのは確実だ。全体主義、国家主義でありながら市場原理主義だと云うまったくもって歪で異様な国家の誕生を意味する。これでは、国民は納得出来ないだろう。
議会で憲法改正発議に必要な議席を確保している政党であるならば、権力側の都合の良い改正ではなく、国民が権力を制御する装置を多く盛りこんだ改正であるべきだ。或る一定の個人的政治勢力に媚びるような改正では、憲法改正ではない。町内会の規約改正のレベルであり、長州に逃げかえって、内々でやって貰いたいものである。五日市憲法ではないが、松陰憲法として靖国神社にでも奉納して、安倍は総辞職するのが妥当だ。
現在の与党勢力であれば、憲法改正は可能なのだから、安倍を総裁の座から、早々に退いて貰い、カルト集団色を排除した、国民に目の向いた改正であれば、国民の側にも、一定の範囲で受け入れる素地は充分にある。要は、安倍晋三では、もう無理なわけである。おそらく、石破でも駄目だろう。小泉進次郎も市場原理主義な点で駄目だ。岸田じゃ居ないのと同じ。個人的には野田聖子を推薦する。野田を総理にするくらい、自民党も変わった姿を見せないと、今度こそ、本当に下野の憂き目を見るだろう。枝野の立憲民主党は時が過ぎれば、案外手ごわいよ。
≪時代の風
「森友学園」国会審議 土俵の外から俯瞰せよ
=藻谷浩介・日本総合研究所主席研究員
国会で再び燃え盛る、森友学園問題の火。一部の与党議員や評論家が繰り返す「首相は知らなかったし、指示も出していないので、責任はない」という議論のおかしさを、改めて指摘しておきたい。
行政府の長でありながら、自分の配偶者の名前を振りかざす怪しげな相手と行政機関の取引について知らなかったというのは、知っていた以上に責任を問われる問題である。「部下の不正行為はトップの責任」「情報が上がってこないトップは監督者として怠慢」というのが、世界に共通する常識だ。「悪いのは勝手にそんたくした部下だ」と唱えるほど、「そんな部下にやめろと指示を出すことこそトップの仕事」と世界は思うわけで、政権の開き直りは日本の国家ブランドをどんどん毀損(きそん)している。
「野党など消えろ」「反政府の新聞はつぶせ」と唱えてきた一部論者にも問いたい。日本がもしオール与党の議会で、政権に異を唱えるマスコミも存在しない国になっていたら、この問題は闇に葬られていた。官僚組織の内部規律は更に崩壊の一途をたどっただろうが、それでいいのか。戦前の大本営よろしく、都合の悪い情報がトップに上がらない体制の下で、適切に外国に対峙(たいじ)できるとお考えか。挙国一致はむしろ国を弱くする。反対勢力がいてこそ社会は健全化するというのが民主主義の基本原理であり、全員一致の大政翼賛がお好きな方々は、民主主義ではない他国に移民でもされてはどうだろうか。
とはいえ筆者は、国会での議論の偏りにもあきれている。「知らなかった」「知らなかったはずはない」の応酬をいつまで続けるのか。「仮に知らなかったのであれば、むしろそちらの方が問題だ」という俯瞰(ふかん)した視点から指摘する声がなぜ出ないのだろう。持久消耗戦の覚悟を固めた政権側の仕掛けに乗って、永遠の水掛け論に終わるポイントに誘い込まれてしまっているのではないか。
土俵自体がゆがめられて設定された結果、議論が政局の範囲内に矮小(わいしょう)化されてしまう例は、これに限らない。辺野古問題でいえば、前回本欄で指摘したとおり「津波危険地帯の辺野古海岸に海上滑走路を設けるのは良くない」という論点がすっぽり抜け落ちている。青森県大間町の原発建設に関する議論でも、予定地は外国船舶が自由に通航できる津軽海峡に突き出しており、万が一テロリストが不審船から攻撃すればひとたまりもないのだが、関係者はどう考えているのか。これらは国防論議に熱心な「保守」の政治家にこそ直視してほしい問題である。
「アベノミクスによる景気回復で、5年間に就業者数は250万人増えた」「いや増えたのは主に非正規雇用だ」という応酬も、年齢を見ていない点でピントがボケている。総務省の労働力調査で、野田内閣当時の2012年と17年の平均を比較すると、増えた250万人(正規・非正規合計)の、6分の5に当たる211万人は65歳以上だ。残り40万人が64歳以下の就業者の増加だが、性別では女性が109万人増で、男性は70万人減となっている(四捨五入の関係で端数が一致しない)。景気回復で雇用増というのであれば、64歳以下の男性の雇用も増えているのが筋ではないだろうか。また「若者の雇用増」というイメージに反して、39歳以下の就業者も116万人減っている。
これらは別に政権が悪いのではない。日本では64歳以下の人口、特に39歳以下の人口が減っているので、上記のような流れは景気に無関係に止めようがないのである。そんな中でも「1億総活躍」の掛け声の下、出産で退職した女性の再雇用と高齢者の延長雇用が進んだ点は、素直に政権を評価すべきだ。さりとて就業者の増加の中身が圧倒的に高齢者である以上、非正規雇用が多いのは当然で、個人消費を増やす効果も乏しい。年代別人口の増減の影響を無視して設けられた既存マクロ経済学の土俵設定の外側から俯瞰せねば、事実は見えないのである。
土俵の外に出て事実を俯瞰する能力。これは、入試の出題傾向や学会での慣例といった狭い枠の呪縛を脱して、真の学びを深める能力と共通する。お受験に背を向け自分の頭で考える習慣を身に着けた若者が、これから一人でも増えていくことに、筆者はそれでも希望を持っている。=毎週日曜日に掲載
≫(毎日新聞)
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