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内田樹氏「平成」を総括 再びアメリカに敗れた日本
http://mainichibooks.com/sundaymainichi/society/2018/03/11/post-1947.html
https://mainichi.jp/sunday/articles/20180226/org/00m/010/001000d
2018年2月27日 サンデー毎日 後段文字起こし
内田樹氏=竹内紀臣撮影
「平成」という時代の幕が下りるまで1年余。この30年ほどの間には冷戦の終了やバブル崩壊、政権交代や大震災など国内外でさまざまな出来事があった。そんな「平成」とは一体、どんな時代だったと見るべきなのだろう? 知の巨人・内田樹氏が解き明かす。
▼「主権」はカネでは取り戻せなかった
昨年末に平成の30年を総括して欲しいという原稿を頼まれたが、私が書いたのは「これから後『無慈悲で不人情な社会』が行政主導・メディア主導で創り出されてゆくだろう」ということだけだった(注・1月21日号)。
新年早々に気鬱な話を読ませてしまって、読者の皆さんには申し訳なく思う。でも、ほんとうにそう思っているのだから仕方がない。
過去の総括を求められたのに、これから日本を待ち受けるディストピア的未来について書いたのは、「これまでの30年を総括するためには、これからの30年を予測して、前後60年のスパンでおおまかな趨勢(すうせい)を見る必要がある」と考えたからである。今回はそれを踏まえて、過去30年間の総括をしてみたいと思う。
率直に言えば、1989年からの30年間は日本にとって「落ち目」の日々だった。そして、この長期低落傾向はこれから先もう止まることがないと私は思っている。
「落ち目」とは具体的にはどういうことなのか、そして、なぜそれは「もう止まることがない」と私が断言できるのか、それについて思うところを書き記したい。
バブルが日本人に残した深い傷
1989年、昭和が終わり平成が始まった年にベルリンの壁が崩壊して戦後40年余にわたって続いてきた世界理解の「枠組み」が失効した。東西冷戦構造というのは重苦しく、血なまぐさいスキームではあったけれど、わかりやすい構図だった。さまざまな政治的出来事は「資本主義対共産主義」「アメリカ対ソ連」「右翼対左翼」という対立構図の中でだいたい説明できた。その構図で説明することが不適切なイシューであっても、それで説明がついた。その意味ではシンプルな時代だった。
90年代に、その「大きな物語」が失効した。もう、「大きな物語」は使い物にならない。そんなもの、要らない。人々はそう思ったし、口にもした。その頃、「ポストモダン」という言葉がさまざまな文脈で使われたが、定義のはっきりしないその語に人々が託したのは「万人共通の世界理解の枠組みとか判断基準は失効した。これからは、みんな好きな仕方で世界を見て、好きな仕方で世界を切り取ればいい。国家のことも、共同体のことも、公共の福祉のことも私は与(あずか)り知らない。ほっといてくれ、好きにさせてくれ」といういささか投げやりな気分であった。
それは日本ではまさにバブル経済の時代だった。ご記憶だろうが、あの時代、人々は株の売り買いと不動産の売り買いに狂奔した。高校のクラス会で最初から最後まで同級生たちが株と不動産の話しかしていなかった年のことを覚えている。私はどちらとも無縁だったので話題から離れていた。
するとひとりの同級生が「内田は株をやらないのか?」と訊(き)いてきた。「しないよ。金は額に汗して稼ぐものだろう」と答えたら、満座の爆笑を誘ってしまった。
「内田、お前はバカか。金が道に落ちているんだぜ。しゃがんで拾えばいいだけなんだ。お前はしゃがむのがそんなに面倒なのか?」と意地悪く切り立てられて答えに窮したことがある。
どこに金が地面から生えている国があるものか。いずれ誰かの懐から落ちたものだろうと思ったが、言っても相手にされないと思って黙っていた。それから数年して、多くの日本人が懐の中身を地面にぶちまけてバブル経済は終わった。
バブル経済とその瓦解(がかい)が日本人の心根にどういう影響を与えたのかについての学術的な分析があるかどうか私は詳(つまび)らかにしない。だが、その経験が日本人の心の深いところで「純良なもの」「無垢(むく)なもの」を損なったということは直感的にわかる。相当数の日本人がその数年の間におそらく生涯で最も陽気で蕩尽(とうじん)的な日々を送った。それが勤労によってではなく、一日何本かの電話のやりとりだけで手に入ったという事実は想像以上に深い傷を人に残したと私は思う。
一つには、「額に汗して働き、真面目に生きていると、そのうちいいことがある」という素朴な条理に対する信頼が傷つけられたからである。紙くずを高値で売り抜けた人間がこの時代で最もクレバーな人間だと見なされたからである。しかし、バブルの崩壊はもう一つ、勤労への信頼の喪失よりももっと深く、致命的な傷を日本人に残した。そんなことを言う人を私は自分の他に知らないけれど、それは「国家主権を金で買い戻す」という国家戦略が不可能になったということである。わかりにくい話なので、これをご理解頂くためには少し説明をさせて頂きたい。
戦後日本の国家戦略は、一言で言えば、「対米従属を通じての対米自立」というものだった。敗戦国にとっては占領国=宗主国アメリカに徹底的に従属して、同盟国として信頼される以外に国家主権の回復と国土回復の方途がなかったのだから、この選択には必然性があった。現に、昨日までの敵国に拝跪(はいき)することで日本は1951年にサンフランシスコ講和条約で形式的主権を回復し、68年に小笠原を、72年に沖縄を領土回復した。だから、その時点まで「対米従属を通じて対米自立を果たす」という国家戦略はそれなりに有効だったのである。そう評価してよいと思う。
しかし、朝鮮戦争特需、ベトナム戦争特需というアメリカの戦争への加担によって追い風を得て、経済力においてアメリカの背を追うようになった日本人の頭の中に、80年代のある時点で、ふと「徹底的な対米従属以外の選択肢」があるのではないかという夢想がかたちを取った。
もともと60年代以降の高度成長期を担ってきたのは戦中派世代である。彼らを駆動していたのは「次はアメリカに勝つ」という敗戦国民としてはごくノーマルな「悲憤慷慨(こうがい)」の思いであった。
「主権」買収の夢がかき消える
江藤淳はプリンストン大学に籍を置いていた63年に中学の同級生とニューヨークで邂逅(かいこう)するが、商社勤めのその友人は酔余の勢いを借りて江藤にこう言う。
「うちの連中がみんな必死になって東奔西走しているのはな、戦争をしているからだ。日米戦争が二十何年か前に終わったなんていうのは、お前らみたいな文士や学者の寝言だよ。これは経済競争なんていうものじゃない。戦争だ。おれたちはそれを戦っているのだ。今度は敗けられない。」(『エデンの東にて』)
ここまで過激な表現を取らないまでも、70年代まで現役だった戦中派ビジネスマンたちには「アメリカと経済戦争をしている」という自覚は無意識的には共有されていたはずである。
この対米ルサンチマンは、バブル期に広く人口に膾炙(かいしゃ)した「日本の地価の合計でアメリカが二つ買える」という言葉にもはっきりと反響していた。当時、経済力で宗主国を圧倒し、「金で国家主権を買い戻す」という途方もない夢がいきなりリアリティーを持ったのである。89年に三菱地所がマンハッタンの摩天楼ロックフェラーセンターを、ソニーがコロンビア映画を買収したのはその無意識的な願望の表出である。
バブルの崩壊は日本人にさまざまな傷を残したけれど、誰も口にしない最も深い傷は「国家主権を金で買い戻す」という一場(いちじょう)の夢がかき消えた失望がもたらしたものだったと私は思う。
アメリカからの政治的独立を「金で買い取る」というのは、表向きは「対米追従」姿勢を貫いたまま、事実上の「対米自立」を果たすという点では伝統的な国家戦略と背馳(はいち)するものではなかったが、国家主権を「懇願して下賜される」のと「札びらで頬を叩(たた)いて買い戻す」のでは、こちらの気分に天地ほどの開きがある。これは日本人がおそらく世界で初めて思いついたオリジナルでトリッキーなアイディアだった。そんなことを言う人を私は自分以外に知らないが、バブル期の国民的熱狂のうちの一部は間違いなくこの「有史以来一つの前例もないアイディアを日本人が自力で思いついた」ことのもたらす高揚感だったと私は思っている。
そう考えると、バブル崩壊後の「失われた20年」という言葉に込められた深い脱力感が理解できる。それは単に金がなくなった、貧しくなったという話ではない。戦後半世紀日本人が信じてきた「額に汗して、真面目に働くことで少しずつ暮らし向きがよくなり、世の中が明るくなり、国富が増大し、ついにはアメリカから国家主権を回復して、晴れて主権国家に立ち戻る」という個人と集団を一つに結びつける「シンプルな物語」が失効したということを意味したからである。
それは、個人のレベルでは、勤労や正直や誠実や連帯といった徳目に対する素朴な信頼が失われたということであり、集団のレベルでは、一人一人の真率な努力がついには国力の向上に繋(つな)がるというイノセントな夢が消えたということである。
「対米自立」の国家目標はどこへ
人間が「落ち目」になるのは、単に金がないとか、健康状態が悪いというような理由からではない。これからどう生きれば分からなくなった時に、人間は毒性の強い脱力感に囚(とら)われる。日本人はバブル崩壊時点で、戦後60年奉じて来た国家目標である「対米自立」のための手立てを見失った。またもとの卑屈で、展望の見えない対米従属路線に戻るか、何の手持ちのカードもないまま対米自立路線を突っ走るか。選択肢はそれしかなかった。
2009年に成立した民主党鳩山政権は「手持ちの外交カードがないまま対米自立を企てた」場合に何が起きるかを誰にでもわかるように教えてくれた。宗主国からの「処罰」が下る前に、外務省・防衛省を中心とする官僚たちと大手メディアら「対米従属テクノクラート」たちが束になって鳩山を引きずり下ろしたからである。
気がつけば、いつの間にか「対米自立という目的を失った、ただの対米従属」技術に熟達した人々が巨大なクラスターを形成して、日本の指導層の一角を占めていたのである。とりあえず彼らにとっては、この「目的なき対米従属」スキームが継続し続けることは、彼らの個人的なキャリア形成や資産形成には大きなプラスをもたらす。だから、対米従属そのものが自己目的化し、抑制を失って暴走し始めた。それが現在の日本の姿である。
重ねて申し上げるが、日本が「落ち目」になったのは個人の努力と国力の向上を結び付ける回路が失われてしまったからである。それが「ない」ということは対米従属テクノクラートたちも知っている。だから、道徳教育の強化や、「日本スゴイ」キャンペーンや、「クールジャパン」幻想や、排外主義的言説を撒(ま)き散らすことを通じて個人の努力を公的なものに向けろと必死になって煽(あお)っているのである。
日本が「落ち目」だということについての国民的合意が形成され、なぜそうなってしまったのか、そこからの回復の方位はありうるのかについての自由闊達(かったつ)な議論が始まらない限り、この転落に歯止めはない。
うちだ・たつる
1950年、東京生まれ。思想家。東京大卒。専門はフランス現代思想だが、論じるテーマは哲学、社会学、教育論、文化論など幅広い。神戸市で武道と哲学研究のための学塾「凱風館」を主宰。神戸女学院大名誉教授。『街場の―――』シリーズなど著書多数
(サンデー毎日3月11日号から)
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