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小泉純一郎がいま明かす「電撃訪朝」の舞台裏 確信はなかった。しかし…
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54439
2018.02.16 小泉 純一郎 元内閣総理大臣 現代ビジネス
元総理・小泉純一郎氏が76年の人生遍歴を綴った初の回想録『決断のとき』を出版した。
「永田町の変人」と呼ばれた男は10年以上前に権力を手放した後、原発ゼロを強く訴え、一昨年には東日本大震災の救援活動後に原因不明の病に伏した元アメリカ兵のために「トモダチ作戦被害者支援基金」を設立した。
同書は、政界引退後のライフワークから「終活」まで「小泉劇場・最終章」のシナリオを大胆に公開しつつ、刺青の入った祖父の面影、「東大不合格」の過去、出世してわかった角栄の威力、小沢一郎の評価、YKKにいた「第4の男」、「竹中起用」の仕掛け人、イラク戦争支持のワケ、郵政解散前の「干からびたチーズ」騒動、ブッシュとの本当の仲、靖国参拝の舞台裏、辺野古V字滑走路の狙い、進次郎の「本当の母」……など、272ページの中に「小泉純一郎のすべて」が詰まった聖域なき労作だ。
企画から構成に至るまで、小泉家の取材を続けるノンフィクションライターの常井健一氏に委ね、小泉氏も自ら筆を執りながら1年以上を費やして二人三脚で書き上げられた。
今回は特別に許可を得て、『決断のとき』の一部を「そのまんま公開」という形で読者にお届けする。テーマは、「電撃訪朝の舞台裏」だ。(写真はすべて常井健一氏撮影。以下は小泉氏が綴った文章)
義侠心
30代の頃、駆け出しの政治家だった私を支援してくれた近所の豆腐屋さんがいました。基金の活動で飛び回っているあいだ、そのオヤジさんのことを思い出しました。当時は70代で、よく横須賀の自宅にお茶を飲みに来ていました。ある日、その豆腐屋のオヤジさんが礼服を着てやってきて、急に「あちゃー、忘れちゃったよ」と言い出して困った顔をしている。そして、私の家族に「義理袋あるか」と訊ねました。
そのとき、私は「義理袋」がなんのことなのかわかりませんでした。オヤジさんは任侠の世界にも顔が利く人だったから、「義理」とつくからにはきっと大事なものなんだろうとなんとなく察しはつきました。聞いてみると、香典袋のことだと言う。
お祝いやお悔やみのときに気持ちを込めて相手に渡す袋をそう呼ぶそうです。トモダチ作戦被害者支援基金も「義理袋」に通じるものがあるように思えます。
孟子曰く、「仁は人の心なり、義は人の路なり(仁人心也、義人路也)」。政治家である以前に人間として一番大事なのは、義理と人情だと思っています。孔子の『論語』にも「義を見てせざるは、勇なきなり(見義不爲、無勇也)」とあります。
人としてやるべきことをやる。寄付を頼みに行ってもその後なしのつぶての人もいたけど、頼んでもいないのに寄付してくれた人がこんなにもいた。私は今回の活動を通じ、政治家に限らず、日本人の多くが義侠心を重んじていることにいたく感動しました。
「義侠心」とは私が最も好きな言葉かもしれません。英語に訳すと「ミッション(使命感)」と「レスポンシビリティ(責任感)」を融合させた感じでしょうか。それは決して日本特有のものではなく、世界に通用する概念だと思います。
小泉氏直筆の原稿
昔、オーストラリアではこんなことがありました。
第二次世界大戦中、旧日本軍は真珠湾奇襲とは別に、ふたり乗りの特殊潜航艇をオーストラリアのシドニー湾内に潜航させて、魚雷で攻撃し、現地で犠牲者を出しました。そんななか、捕らえられた潜航艇内で自決した日本人兵士に対して、オーストラリア海軍はなんと、海軍葬をもって葬りました。
普通、自国を攻撃した兵士をそのように礼を尽くして弔わないでしょう。執行したオーストラリアの海軍少将は、「これら日本海軍軍人によって示された勇気は、誰によっても認められ、かつ一様に推賞されるべきものだ」と述べた。彼らの棺は日章旗にくるまれ、その後、遺骨は戦時交換船で日本に届けられました。
さらに、戦後20年ほどたってから、その日本人兵士の母親が慰霊のためにオーストラリアに行くと、ときの首相らが温かく迎えてくれました。地元の新聞は「勇者の母来る」と報じて歓待した。私は総理のとき、オーストラリアを訪問した際、この逸話をハワード首相を前にスピーチし、感謝の意を伝えました。
そんな話は現地の日本人もはじめて聞いたと言っていた。まさに、日本で言うところの武士道に通ずるエピソードです。
現実を直視すること
政治家にとって、もうひとつ必要なのはやはり現実を直視することだと思います。現実に起こる問題は、現場を見なくてはわかりません。
同時に当事者に直に聞いてみないと実態はわかりません。また聞きではどんなにききつづけても本当のことはわからない。何事も現場に問題の核心があるからです。多くの場合、当事者たちも政治家が直接訪ねて来ることを期待しています。
2002年9月の北朝鮮訪問も、そうでした。拉致被害者が本当に生存しているかどうかは、現地に行ってみなくてはわからないことでした。
北朝鮮側は総理が会いに来ないなら、なにも話さない、相手にしないと言う。総理が行けば、拉致について明かす可能性がある。でも、金正日総書記に会えたとしても、本当のことを言うかどうかわかりません。なにしろ、国交がないのです。
政府のなかでは「国交のない国に日本の総理大臣が行っていいのか」という意見もあれば、「結果がどうなるかわからないのに行くのはどうか」という意見もありました。
それでも、私は北朝鮮に乗り込む決断をしました。
飛行機で平壌に到着して、百花園招待所に案内されました。金総書記に会うまで待たされた部屋には当然、盗聴器が仕掛けてあるでしょう。現地に泊まるわけにもいきません。日帰りなので、滞在時間も限られていました。私は昼食会の誘いを断り、休憩中に日本で買っていったおにぎりを食べようとしましたが、午前の会談が思うように進まず、それを口にする気力もありませんでした。
しかし、午後の会談では、拉致という問題を否定してきた北朝鮮という国家がその事実を認めました。あの訪問を決断したことによって、生存者が五人いると明らかになり、拉致被害者の一部のかたがたの帰国が実現しました。まったく、ほんの一瞬の出来事でした。
いま思い返せば、私が訪問するまでの準備をしてくれた外務省アジア大洋州局長(当時)の田中均さんの役割はじつに大きかった。北朝鮮の「ミスターX」という交渉人を相手に、一年前から秘密の交渉を重ねてくれたのです。
田中さんによれば、ミスターXとの接触する際はお互いに真剣そのものだったようです。もし変なことをやったら、ミスターXにとっては自分の生命にかかわることになる。そして、ああいった交渉は事前に漏れたら、その瞬間に潰れるものです。外務省でも、田中さんが水面下で動いていることはごく一部の人しか知りませんでした。
私の訪朝が終わってから、田中さんは外務省内部で「どうして知らせなかったんだ!」という批判に晒されたようですが、外交には秘密交渉が必要な場面もあるんです。
拉致問題と国交正常化
国交のない国とは、対話のツテをつくるだけでも至難の業でした。
普通の国であれば、首脳どうしが会う前に、これでいいか、これは話すか、これは話さないでおくかといったことを事務方どうしで交渉して、おおかたは詰めておきます。そして、「これなら!」とある程度の妥協点が見えたところで、首脳会談が実現します。
ところが、北朝鮮が相手の場合は、トップが行っても、決着することが約束されている状態ではありません。外務省の田中さんと先方のミスターXとのあいだで、「小泉が行けば、北朝鮮の将軍様は会うと言っている」ということになったけれど、先方は「訪問は歓迎する」と言うだけで、拉致被害者が何人いるか、日本に連れて帰れるかどうか、どういう状況にあるのか、具体的な情報は、一切事前に教えてくれませんでした。
だから、北朝鮮に拉致されながら生きて帰ってこられた人は、ある意味、運に恵まれていたと思います。そのひとり、蓮池薫さんからは帰国した10月15日の前後に、毎年必ずお手紙をもらいます。私のことを「命の恩人」と呼んでくれます。
昨年9月、地村さんらと再会した
訪朝から15年が過ぎた2017年9月には、福井県小浜市に講演に行ったので、現地に住んでいる地村保志さんとも13年ぶりに再会しました。とても元気そうで安心しました。
私が現地を訪問した結果、わずかながら五人の拉致被害者を日本に帰国させることができました。また、北朝鮮の最高権力者は拉致を認めて謝罪しました。しかし、その後は進展していません。まだまだ帰ってこられない人もたくさんいるようです。
「残念でなりません」
あのときに交わした日朝平壌宣言には、「国交正常化交渉を再開する」と明記しました。私は、帰国したらすぐにその準備に入ろうと思っていました。向こうも交渉が再開されれば、日本から多額の支援を得られると期待していたようです。アメリカがアフガニスタンで対テロ戦争を仕掛けた頃でもありました。
北朝鮮はブッシュ大統領に「悪の枢軸」と名指しされたことに危機感を強めていたので、私は首脳会談の席で「核の開発をしないで、戦争の準備をやめれば、経済的に豊かになる」と金正日氏に直接決断を迫りました。あのまま日朝交渉が再開されたら、対話のなかで拉致問題も全面解決に持っていこうと考えていました。
ところが、日本に帰ったら、「五人の帰国では少ない」と厳しく批判されました。いまとなっては、あのときの判断は一定の評価をされていますが、当時のマスコミでは「拉致問題も解決しないのに国交正常化なんてとんでもない」という論調が強く、とても対話で解決を促せる状況ではなかった。そのうち、北朝鮮も対話の窓口を閉ざしてしまいました。
だから、私が総理を辞めてからもまったく進展がないということは残念でなりません。そういう状況を見て、「なにをやっているんだ」という被害者の怒りがあることは、よく理解しています。
日本政府は一日も早く北朝鮮とのツテを見つけて、少しでも拉致問題の解決の糸口にしてほしい。おそらく、この本を書いている最中にも、被害者が戻れるための努力は水面下で一生懸命やっていると思います。
自著を手にして
しかし、こればかりは現職の総理でなければ動かせない問題です。現職の総理が一番力を持っているからです。外交で元総理がなにかすれば邪魔になるのもわかっているので、私は余計なことはしません。
実際、拉致問題について一番真剣に取り組んできた政治家は、安倍さんです。私が北朝鮮に訪問したときも官房副長官として同行してくれました。首脳会談を行った最高権力者が亡くなり、新しい指導者になってからの北朝鮮は、国際的に孤立し、まったく国際社会の言うことに耳を貸しません。難しい状態ですが、熱意だけは安倍さんが強く持っているので、期待しています。
(つづきは、集英社新書『決断のとき』でお楽しみください)
※出版記念特別講演会も開催!3月9日夜、東京・新宿の紀伊国屋書店サザンシアターで、小泉純一郎氏が語ります。東日本大震災から7年の節目を前に何を話すのか──。詳しくは、紀伊国屋書店のサイト https://www.kinokuniya.co.jp/c/label/20180130105000.html をご確認ください。 |
小泉さんは五人を連れてきた実績がある。そういう面は評価できるのだろう。しかし「自民党をぶっ壊す」とその気にさせられ、ぶっ壊されたのは国民のほうだった。平成の大合併、あれは大失策だよ。
— myline1919 (@myline1919) 2018年2月15日
小泉純一郎がいま明かす「電撃訪朝」の舞台裏 https://t.co/PzA5bhy7aV #現代ビジネス
「「五人の帰国では少ない」と厳しく批判され」「「拉致問題も解決しないのに国交正常化なんてとんでもない」という論調が強く、とても対話で解決を促せる状況ではな」く、「北朝鮮も対話の窓口を閉ざ」す。小泉純一郎がいま明かす「電撃訪朝」の舞台裏 https://t.co/mm288OJ5mS #現代ビジネス
— Shin Toyoda (@shintoyo) 2018年2月16日
小泉純一郎がいま明かす「電撃訪朝」の舞台裏(現代ビジネス)
— 大倉野のりゆき (@nori885) 2018年2月16日
だから、私が総理を辞めてからもまったく進展がないということは残念でなりません。そういう状況を見て、「なにをやっているんだ」という被害者の怒りがあることは、よく理解しています。https://t.co/QP7J7ITekn
結局マスコミが日本を動かしている。安倍首相は日本の運命を政治家の手に取り戻そうとしているように見える。小泉純一郎がいま明かす「電撃訪朝」の舞台裏(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース https://t.co/pb4BYoQ8qx
— 誰でもコメンテーター (@sgsdogrun) 2018年2月16日
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