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「格差政治の小泉政権」に身体を張って挑んだ野中広務!
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2018/01/26 20:28 半歩前へ
▼「格差政治の小泉政権」に身体を張って挑んだ野中広務!
若い政治家は野中広務の生き方を参考にして欲しい。野中広務は近隣諸国との友好に心を配り、「格差政治の小泉政権」に身体を張って挑んだ。亡くなる直前まで平和憲法の重要性を説いた。
自民党の元衆議院議員で党の幹事長や官房長官など要職を歴任した野中広務が26日午後、京都市内の病院で死去した。92歳だった。
平成4年に当時の自民党竹下派が分裂した際、派閥会長代行だった小沢一郎の派閥運営を批判し、「反小沢」の急先ぽうとして頭角を現した。
平成5年に自民党が野党に転落したあと、細川連立政権の打倒に向け中心的な役割を果たし、自民・社会・さきがけの3党連立による村山内閣の誕生に尽力。
村山内閣では自治大臣・国家公安委員長として初入閣。地下鉄サリン事件をはじめ、オウム真理教による一連の事件解明の陣頭指揮にあたった。
平成10年に誕生した小渕内閣では官房長官として政権を支え、対立関係にあった小沢が率いる自由党との連立政権や公明党を加えた3党連立政権の発足にも力を注いだ。
その後、自民党幹事長に就任した野中は、加藤紘一らが森総理大臣の退陣を求めて内閣不信任決議案に同調しようとした、いわゆる「加藤の乱」の対応にあたった。
平成13年に小泉内閣が発足すると、野中は一貫して小泉総理大臣の政治手法を批判。小泉からは「抵抗勢力」として位置づけられた。
平成15年の自民党総裁選挙で、再選を目指す小泉への支持が広がりを見せる中、野中は決然と立ちはだかって、こう言った。
「退路を断って、最後の情熱と志を、小泉政権を否定する戦いに尽くしたい」と強調し、小泉再選阻止に全力を注いだ。
しかし、小泉は再選された。野中はその年の衆議院選挙に立候補せず政界を引退。このあたりの潔さ、政治家としての腹のくくり方は他に例をみない。
一方で、野中はみずからの戦争体験から、「ハト派」の論客として知られ、引退後も憲法改悪に反対する考えを発信し続けた。
また、地下鉄サリン事件の解明を陣頭指揮したことから、地下鉄・霞ケ関駅で行われる犠牲者の慰霊式には毎年、足を運ぶなど弱者に対するまなざしを大切にする政治家だった。
去年11月、体調の不良を訴え、きょう(26日)午後、京都市内の病院で死去した。骨太の政治家。常に庶民に寄り添った反戦・反骨の政治家だった。 (敬称略)
心からの哀悼の意を表したい。 合掌
***これは野中広務の悲報を伝えるNHKの記事を参考に、私が書き加えたものだ。
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