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黒塗り顔の是非。黒人の気持ちへの言及がないカンニング竹山の意見など、どうでもいいよ
http://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/59d61bf9f29b938991e2636d2b87b8a5
2018年01月17日 のんきに介護
かおなし@cocorono121さんのツイート。
顔の黒塗りメイクの問題で日本人視聴者1000人にアンケートして半数が差別だとは思わないとの回答としてますがそもそも設定がおかしいですよ…黒人の方1000人にアンケートですよ普通…傷ついたやめてくれと声を上げてる人に質問せず笑ってテレビ観てた人に質問して差別じゃないと安心する小さな国日本
— かおなし (@cocorono121) 2018年1月17日
この点考えさせられるのは、
今朝方見た、
カンニング竹山の
意見を問うたAERAの記事だ。
このおっさん、
「差別とは、思わなかった。今後、注意します」
とは認める。
しかし、
違和感は無かった
という言い訳が続く。
黒人文化とそんなに接していなかった日本では、
実感として理解することが無かったんだと説明している。
しかし、黒人が奴隷貿易の
餌食にされていたぐらいの知識があったはず。
情報としてそれで十分ではないか。
なぜ、黒塗りした顔を
面白く感じ、笑えたかの分析をせず、
結論としては、
番組を裁判になぞらえて
検事と弁護の立場、両方がいる。
自分は、
「僕がワイドショーに出るときは、真ん中を意識しています」
という心構え、
ないし立ち位置を示しして終わっている。
この人にあっては、
「特に差別に関しては嫌な気持ちになる人がちょっとでもいるとしたら、それが例え少数でも、やっちゃいけない時代になったんですよね。」
という納得で十分なようだ。
しかし、その少数という印象は、
日本人に尋ねればいいという前提があるからだ。
黒人に訊いてみろと言いたい。
恐らく少数じゃないぞ。
結構、長い論稿だ。
然るに、
黒人の気持ちについての言及がない。
むしろ、茶化すように
「白人が黒塗りして差別をしていただけじゃなくて、逆もあった」
などと述べている。
この言葉一つで、
「差別とは、思わなかった。今後、注意します」
という反省が
「差別なら申し訳ない」
という気持ちの含まないものであることが分かる。
〔資料〕
「「ガキ使」黒塗りメイク炎上でカンニング竹山が学んだこと」
AERA(2018.1.17 11:30)
☆ 記事URL:https://dot.asahi.com/dot/2018011600031.html
お笑い番組の演出やキャラクターに批判が殺到し、炎上するケースが増えている。「とんねるずのみなさんのおかげでした」30周年スペシャルの保毛尾田保毛男に続き、大みそかに放送された「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」の特番「絶対に笑ってはいけないアメリカンポリス24時!」で顔を黒く塗って俳優エディー・マーフィーに扮したことが人種差別にあたると海外メディアからも批判を受けた。お笑い芸人のカンニング竹山さんは、この問題をどう考えるのか。
* * *
あのシーンを見てすぐに「これは問題だ!」と思った日本の人って、どのぐらいいたんでしょうか。お笑いとしては、みんなが好きなエディー・マーフィーのキャラクターを真似ただけで、あれがハリソン・フォードやクリント・イーストウッドのような白人刑事役を真似たって同じだと思っていたはずなんですよね。ただ、面白いからやったと。
ぼくも違和感は無かったし、こんな事態は予想できなかった。「あ、エディー・マーフィーだ」、「面白いなー」って。番組的には差別する意識はゼロだと思うし、今回話題になって日本中の大多数の人が「あ、そうなんだー」と思ったっていうのが素直なところじゃないですかね。
それは、アメリカやヨーロッパでは黒人に対する長い差別の歴史があったんだけど、黒人文化とそんなに接していなかった日本では、実感として理解することが無かったから。昔から黒人に対する差別意識も根付いていないし、欧米と距離もあって、実感として知らなかったわけです。だから、それが差別につながるって想像ができなかった。逆に言えば、日本では朝鮮半島の人や中国人に対してはものすごくナイーブな問題があるとわかってますが、それは欧米の人にはなかなか伝わらないかもしれないですよね。
でも今回こういう事態になってみると、テレビってインターネットを通して全世界で見られていて、日本にも外国人がいっぱい住んでいるんだから、こんな問題が起きるんだなと改めて思った。
アメリカ的な考えで「差別だ!」って言われたら、「すぐにはわかりませんでした。すみません、次から気を付けます」っていうことだと思うんです。白人が黒塗りして差別をしていただけじゃなくて、逆もあったんだと今回、初めて知りましたし。素直な気持ちで、勉強になりました、ってことですよね。
「制作側が気づかなかったのか!」って怒っている人もいますけど、気付かなかったでしょ。だから今後気を付けます、すみませんって言うしかない問題だと思うんですよ。
日本の番組でも地方の番組でも、ネットで世界に広がっちゃう時代で、日本とは距離があって、直接は関わりが無くても、世界的な差別の問題があることを知らなきゃいけないんだなって。
昨年の保毛尾田保毛男の件も、「ダメだったの!?」っていう感覚だったと思うんですけど、特に差別に関しては嫌な気持ちになる人がちょっとでもいるとしたら、それが例え少数でも、やっちゃいけない時代になったんですよね。
それによって、やれることがすごく減るってわけじゃないと思います。住みにくくなったとか、つまんない世の中になっていくな!って怒るような問題でもない。そういう時代になったんだな、やっぱりそういうこともケアしなきゃいけないよね、ということ。
だから特に生放送だと、ある程度、テレビのことを分かってる人じゃないと、出すのは怖いんじゃないですかね。普通のオジサンとかに好きにしゃべってくださいって言ったら、当たり前のように差別用語がバンバン出てきますから。街の飲み屋でしゃべっているような会話だとね。どんなにキャラが面白くても、それじゃあ使えない。そんな言葉のチョイスは、タレントさんならしないわけです。中には言っちゃう人もいますが……。
一方で、インターネットとかツイッターでは、一般の人たちもみんな好きに書いてるけど、この発言を生放送で顔を晒してしゃべると意外とマズイよっていうことだらけですからね。
人間だから感情的になることもあって、物事は偏っちゃうと思うんですけど、僕がワイドショーに出るときは、真ん中を意識しています。
偏りばかりになるのをやめる、ってことですね。白と黒、右と左でも何でもいいけど、全体的に偏ってくると「気持ち悪くないか?」っていう視点を持つというか。
だから特に情報番組は裁判に似てるなと思いますよね。例えば人殺しの裁判で、完全にみんなが「こいつ腹立つわ」って思っている被告人でも、そこには弁護人がいて、何でそうなるの?って思うぐらい擁護しているじゃないですか。それが地上波のテレビなんでしょうね。
大多数がこうだって思っていても、そう思わない人もやっぱりいる。みんなが一つの方向に偏っちゃうと、メディアというツールでただ袋叩きにしてるだけになっちゃうじゃないですか。そうならないために、擁護とまではいかなくても、この人にはこんな考え方があったんじゃないかとか、こんな背景があったんじゃないかとか、考えていかなきゃいけないですよね。
もちろん、擁護ばかりだと面白くないから、時には切り捨てないといけないし。そのバランスが非常に大切だと思うんですよね。
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