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第二の森友学園か?国有地売却で話題のあの学校のイデオロギーを検証 理事長は「教育勅語」を賛美するが…
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54129
2018.01,16 辻田 真佐憲 文筆家 近現代史研究者 現代ビジネス
先日、山梨県甲斐市の学校法人・日本航空学園が同県内の国有地を格安で売却されていたと報道された(「毎日新聞」1月8月付)
これにたいし、同学園側は「法律に基づき手続きを進めたものであり、何ら落ち度はない」と応え、現在その行方に注目が集まっている。
同学園理事長の梅沢重雄は、『人生でいちばん大切な10の知恵 親子で読む教育勅語』(2014年)を刊行するなど、「教育勅語」に入れ込んでいることでも知られる。そのため、一部で「第二の森友学園か?」との観測も流れた。
戦後、「教育勅語」を学校教育に利用して、大きく話題になったことが2回ある。
ひとつは、1960年代の島根県松江市の私立・淞南高校(現・立正大学淞南高等学校)。もうひとつは、昨年の森友学園の塚本幼稚園だ。日本航空学園は、これに続くのだろうか。
「教育勅語」を利用する学校は、「君が代」や軍歌との関係が深い。同学園もまた「君が代」を重視し、「君の御楯」「御国を負いて」などの歌詞をもつ寮歌を使っている。
とはいえ、安直な類似の指摘は避けなければならない。そこで、イデオロギーの面から、日本航空学園は先行する事例とどこが同じで、どこが違うのか、検証してみたい。
出会いはやっぱりあの「口語文訳」
日本航空学園は、戦前の航空学校を前身とし、アジア太平洋戦争の敗戦による閉校などをへて、1964年現在の名称となった。現理事長の梅沢重雄は三代目で、創立者・梅沢義三の孫にあたる。
かれが理事長に就任したのは1992年だが、その7年後には早くも「教育勅語」をつぎのように評価している。
「学校教育を律している『教育基本法』をいくら読んでも、日本人として、地球人として、どのように生きるべきかが全く分かりません。人間としての在り方、人間の理想の姿が全く書かれていないからです。 私は教育基本法よりも、はるか以前からあった『教育勅語』にこそ、人としての生き方が素晴らしい文章で書かれていると思います」 (「学校教育に『教育勅語』を!」『月刊日本』1999年11月号) |
梅沢は続く箇所で「教育基本法」を「アメリカ製」だとも述べている。「教育基本法」は2006年に全面改正されたので、ここでいうのは旧法のほうである。
このように旧「教育基本法」を批判し、「教育勅語」を擁護するのは保守系の雑誌ではありふれた話で、別段目新しいものではない。
ちなみに「教育基本法」は、占領軍ではなく日本側(文部省)の意向で起草され、しかもそのなかで「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間」や「平和的な国家及び社会の形成者」などの理想像が示されているのだが、ここではおく。
日本航空学園は、その歴史的な由来や、パイロットや整備士を養成する関係から、もともと軍隊式の厳しい教育で知られた。ただ三代目の梅沢は、自分自身で「教育勅語」にたどりついたらしい。
同じインタビューによると、梅沢は、教育にかんする書物を読んでいるなかで、佐々木盛雄の『教育勅語 日本人の心の源泉』に出会い、「大変感動」したのだという。
「私は教師になってから、様々な教育に関する書物を読んでいる中で、『教育勅語』に出会いました。ある時、佐々木盛雄先生がお書きになった『日本人の心の源泉・教育勅語』(みづほ書房)を読んで、大変感動しました。私は、この本を読み、戦後の日本ではどうしてこのような素晴らしい文章を教えなくなってしまったのだろうと素朴に疑問に思ったのです」(前掲記事) |
佐々木盛雄。「教育勅語」について調べたことがあるひとならば、「また出てきたか!」と思うにちがいない。
佐々木は、自民党の元衆議院議員で、1972年に『甦える教育勅語』を自費出版した。
そこに掲載された「口語文訳」はわかりやすく、普及に好都合だったので、明治神宮社務所の小冊子に採用されるなどして、広く流布した(いわゆる「国民道徳協会訳文」)。
かつて森友学園のウェブサイトに掲載されていた現代語訳も佐々木によるものだった。
梅沢がいう『日本人の心の源泉・教育勅語』は、『甦える教育勅語』の焼き直しで、1986年に刊行されたものである。
だが、佐々木の「口語文訳」はかなりの問題があり、それに「大変感動」したといっているのだから、雲行きが怪しくなってくる。
教育勅語の謄本
まるで「教育勅語」肯定論の見本市
すでに述べたとおり、梅沢は2014年に単著として『人生でいちばん大切な10の知恵 親子で読む教育勅語』を刊行した。前掲のインタビューから14年。そこにはかれの「教育勅語」論が凝縮されている。
とはいえ、同書の内容は、まるで戦後の「教育勅語」肯定論の見本市のようだった。
まず、典型的な肯定論のパターンを確認しておこう。
「教育勅語」の内容は普遍的だ。「現代語訳」を見よ(1)。12の徳目を見よ(2)。国際的にも評価されている(3)。戦後日本はこのすばらしい「教育勅語」を喪失したために、さまざまな問題が起こっている(4)。
以上はすべて間違っているのだが、ひとつひとつみるとつぎのようになる。
(1)恣意的な「現代語訳」で天皇の存在を曖昧にする。
「教育勅語」は、「朕=天皇、爾=臣民」の上下関係を前提にし、さまざまな徳目とともに、天皇国家の擁護を求めている。ただ、そのままだとさすがに現代人に受け入れられにくいので、天皇や皇室関係の箇所は曖昧に「現代語訳」される。
佐々木盛夫による「口語文訳」(1972年)はその典型で、「朕」は「私」、「臣民」は「国民」に置き換えられ、「皇祖皇宗」は「私達の祖先」、「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」は「非常事態の発生の場合は、身命を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません」と書き換えられている。
(2)12の徳目に無理やり整理して普遍性を主張する。
「教育勅語」の徳目の数え方に定説はない。戦前の注釈書でも9から16まで多種多様だった。
もっとも、これでは混乱が生じてしまうので、12の徳目に整理された。「原文はともかく、この12の徳目を読め。どこが問題なのか?」というわけだ。
12の徳目への整理は、1973年に明治神宮社務所より刊行された『大御心 明治天皇御製教育勅語謹解』という小冊子が嚆矢と考えられ、以後広く普及した。
(3)外国人による評価を持ち出し、権威づけする。
西ドイツのアデナウアー首相(1949〜1963年在任)が、日本からの視察団にたいして「教育勅語」を高く評価したという。
だが、ドイツ側の証言が存在せず、きわめて信憑性に乏しい。この主張は1950年代後半から行われているが、いまなお確たる根拠が示されていない。そのほかの外国人による評価も、同レベルのものが多い。
(4)「教育勅語」の喪失と、社会・教育の荒廃を関連づける。
戦後の日本では「教育勅語」を喪失したので、社会や教育の荒廃が発生したという主張である。伊藤哲夫の『教育勅語の真実』(2011年)にわかりやすい例があるので、引いておこう。
「かくして[「教育勅語」を歴史のかなたに葬り去ることで]日本社会の美質は年を経るごとに力を失っていき、老人の孤独死や親殺し・子殺し、若者のニートや引きこもり、教育現場の混乱、子供たちの方向性喪失、モラルなき政治の横行など、今日の殺伐とした社会が出現していったといえるでしょう」 |
しかし、たとえば凶悪犯罪は戦後減り続けているのであって、このような主張は現実と乖離している。
つぎに、以上から梅沢の著作を振り返ると、ほとんどこの4つの肯定パターンに対応していることがわかる。
すなわち、佐々木盛雄の「口語文訳」とほとんど同じ「著者謹訳」が掲げられ(8〜9ページ)、「十二の教え」を10にまとめたと書かれ(2〜3ページ)、アデナウアーの故事が引かれ(25ページ)、「殺伐した事件が続き、イジメの問題であふれかえっている今日の日本社会」にこそ「教育勅語」が必要だと説かれている(16ページ)。
肯定論の見本市と述べた所以である。
「教育勅語」は暗唱させていない
では、日本航空学園が「第二の森友学園」なのかといわれれば、それはそれではなはだ疑わしい。
梅沢の著作は、「教育勅語」の解釈としては無理があるが、学校法人経営者の教育論としてはそこまでおかしな内容ではない。
「教育勅語」の徳目に引きつけてみずからの教育論を述べたものであって、「教育勅語」を強調していなければ、ほとんど話題にもならなかっただろう。
しかも、同学園では「教育勅語」を暗唱させているわけでもない。
たしかに、同学園では、朝礼で日章旗を掲げ、「君が代」を斉唱している。ただ同時に、留学生がいる場合、それぞれの国の独立記念日に、その国旗を掲げ、国歌を流しているともいう。
パイロットや整備士の養成で、国際的にも連携しているのだから(中国や韓国を含む)、偏狭なナショナリズムではうまくいくわけがない。その点は、先行する「教育勅語」実践学校の事例と大きく異なるところである。
学園歌で「天皇を守護する兵士」?
最後に、日本航空学園の歌について触れておく。
同学園が2002年に発行した『学校法人日本航空学園建学七十周年記念誌』には、「学園歌」として19曲が収められている。そのなかには、梅沢自身が作詞・作曲したものもみられる。
その歌詞がイデオロギー一色かといえば、そうではない。むしろ普通の校歌や応援歌以外のなにものでもない。唯一の例外は、つぎの「雄飛寮寮歌」ぐらいだ。
流れも清き 釜無の 精気を受けて 吾立てり 君の御楯と 咲く花に 東亜の光 輝けり |
雄飛寮寮歌
「君の御楯」とは「天皇を守護する兵士」を意味する。以上は1番の歌詞だが、3番には「御国を負いて まっしぐら」などの文字も見える。
まるで軍歌のようだが、それもそのはず、これは戦時中の山梨航空機関学校時代(1942〜1945年)に作られた校歌なのである。戦後は寮歌として継承された。
寮歌としてもどうなのかとの意見もあるだろうが、戦前の歌詞をそのまま使っている学校はここだけではない。校歌から寮歌に「格下げ」もしているわけで、この点のみでことさらに批判するのも難しかろう。
「第二の森友学園」とは言い難い
ちなみに同じ記念誌では、創立者の梅沢義三についてこんなエピソードが紹介されている。
1936年のある日、梅沢義三のもとに甲府税務署から出頭命令が届いた。そこでかれは軍属服を着用して軍刀をさげて出頭し、「この学校は逓信省から認可を受けている学校である。今飛行場を建設しているのも国家のための事業である。どうか納税の件は免除していただきたい」と直税課長に述べた。すると非課税の扱いにされたという。
このエピソードがどこまで正しいのかはわからないが、服装に気圧されたのだとすれば、大蔵省側の落ち度だろう。今回の一件も土地の無断使用を放置していたというし、もしかすると財務省側の問題なのかもしれない。
それはともかく、日本航空学園は、イデオロギー面において先行事例との差異も多い。
保守系の集まりにおける梅沢重雄の発言にはどうかというものもないではないが、現在のところ「第二の森友学園」とは言い難く、もう少し慎重に判断すべきだと思われる。
参考文献(本文で言及したものは除く): 岩波書店編集部(編)『教育勅語と日本社会』(岩波書店、2017年) |
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