http://www.asyura2.com/18/senkyo238/msg/395.html
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「飯塚事件」は、無実だったのでは、と担当弁護士。こういうことがあるから、死刑は反対!
http://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/16324a1a0a4ce49e704d863beb1a72dc
2018年01月13日 のんきに介護
清水 潔@NOSUKE0607さんのツイート。
すでに死刑が執行されてしまった「飯塚事件」。弁護士は「無罪」ではなく「無実」を確信している。
— 清水 潔 (@NOSUKE0607) 2018年1月13日
「久間さんのことも当初は無実だと決めつけないようにしていました。しかし証拠からしても、人柄からしても「彼は絶対にやっていない」と確信するようになっていました。 https://t.co/cticUwWAva
飯塚事件弁護団の徳田弁護士、死刑執行に深い後悔、「再審を求め続ける」原動力に…主張まとめ出版
http://news.livedoor.com/article/detail/14152238/
2018年1月13日 10時11分 弁護士ドットコム
1992年に福岡県飯塚市で小1の女の子2人が殺害された「飯塚事件」では、無実を訴えていた久間三千年元死刑囚(享年70)が2008年に死刑執行された翌年、遺族が再審請求を行った。誤ったDNA鑑定が冤罪を生んだことで有名な「足利事件」同様、犯罪捜査に導入されてまもないDNA鑑定が有罪の決め手にされていたため、冤罪を疑う声も少なくない。
そんな飯塚事件に関し、再審弁護団がこのほど本を出版した。題名は「死刑執行された冤罪・飯塚事件 久間三千年さんの無罪を求める」(現代人文社)。福岡高裁で行われている再審請求即時抗告審では、近く再審可否の決定が出る見通しだが、そんな時期に本を出版した意図は何なのか。弁護団で共同代表を務める徳田靖之弁護士に話を聞いた。
●伝えたいのは「久間さんの無実」と「死刑の問題」
――出版の意図は?
再審請求してから、私たちは繰り返し会見を開き、自分たちの主張を記者の人たちに説明してきましたが、なかなか大きく報道されませんでした。そこで世間にもっと私たちの主張を伝え、広めたいと考えていたところ、出版社の人から出版の話を頂いたのです。
――本で伝えたいことは?
1つは、久間さんは無実だということ。もう1つは、死刑の問題を考えてもらいたいということです。死刑制度の存廃には色々な意見がありますが、この事件のように無辜の人の生命を国家が奪うこともあるという点から死刑制度を根本的に考え直すべきだというのが私たちの意見なのです。
――いつ頃から久間さんが無実だと思っていたのですか。
私が弁護人になったのは裁判の控訴審からですが、私たちは弁護活動の際、先入観を持たないようにしますので、久間さんのことも当初は無実だと決めつけないようにしていました。しかし、控訴を棄却され、最高裁に提出する上告趣意書をつくっていた頃には、証拠からしても、人柄からしても「彼は絶対にやっていない」と確信するようになっていました。
――死刑制度には反対ですか。
私は、死刑は廃止すべきだと思っています。理由は大きく2つです。1つは、この事件のように冤罪で死刑になる人がいること。もう1つは、人は変わりうるということです。私はこれまでの弁護士としての経験から、どんな凶悪な罪を犯した人でも更生できると思っています。
●「ザリガニのおじさん」と呼ばれ、好かれていた久間さん
――本には、再審可否の審理で争点になっているDNA鑑定、血液型鑑定、目撃証言などについて網羅的に弁護側の主張が書かれていますが、全部で88ページとコンパクトですね。
再審請求即時抗告審で私たちが福岡高裁に提出した総括的な主張の書面を出版社の人がわかりやすくまとめ直してくれ、それを改めて私たちが見直して完成させました。コンパクトにしたのは料金を考えてのことです。研究者のような人たちだけではなく、色んな人に読んでもらいたいので、ブックレットにして値段を抑えたのです(※本の価格は1200円+税)。
――捜査機関の不正を告発したような記述も多いですね。
こんな捜査で人が死刑にされたのだということも私たちが伝えたいことだからです。たとえば、科警研(警察庁科学警察研究所)が行ったDNA鑑定の鑑定書では、添付された鑑定写真はポジの一部が切り取られたうえ、暗くプリントされていました。科警研はなぜあんなことをしたのか。切り取られた部分に写っていた久間さん以外の人物のDNAを隠すためだと考えないと説明がつかないのです。
――本では、久間さんが獄中から奥さんに出した手紙も紹介しています。
久間さんがどんな人かを知ってもらいたいからです。こんな事件の犯人とされてしまいましたが、本当の久間さんは非常に優しい人で、近所の子どもたちにも色々遊びを教えていたりして、「ザリガニのおじさん」と呼ばれて好かれていました。
自治会の活動も一生懸命やっていました。いま、地元では再審を支援する会ができていますが、その会をつくったのも久間さんと一緒に自治会の活動をしていた人たちです。
●死刑執行後、しばらく立ち上がれなかった
――奥さんへの手紙では、久間さんが死刑判決を受けた大変な状況の中、冷静に家族のことを心配している様子が窺えました。
私と主任弁護人の岩田務弁護士が最後に面会に訪ねた時も久間さんはそういう感じでした。死刑確定から2年経っていたので、私たちは「早く再審請求しなければ、死刑を執行されてしまうのでは」と焦っていました。しかし、久間さんはニコニコしながら、「大丈夫ですよ」と言っていました。
久間さんはこの時、死刑が確定した人のリストをつくっていて、「自分より先に死刑が確定して執行されていない人がまだこんなにいますから」と見せてくれました。それでも、私たちは「内容が乏しくなっても、とにかく早く再審請求をしよう」と話をして別れたのですが、それから1か月ちょっとで久間さんは死刑を執行されたのです。
――死刑執行を知った時はどんな思いでしたか。
どう言ったらいいのか…。「しまった」というか、自分たちの怠慢で久間さんを殺させてしまったというか、早く再審請求をしていれば、死刑を執行されずに済んだのではないかという後悔の念でいたたまれない思いになりました。しばらくは立ち上がれませんでした。
――再審請求したのは死刑執行のちょうど1年後でしたね。
私たちは当初、自分たちに再審請求の弁護人をやる資格はないと思っていました。しかし、岩田弁護士と一緒に久間さんの奥さんと息子さんにお会いし、お詫びしたところ、奥さんから「夫は先生方をとても信頼していました。引き続き、お願いします」と言われ、私たちは立ち上がれたのです。それから他の弁護士に呼びかけて弁護団をつくりました。
そんな中、足利事件の再審で動きがあり、本田克也先生(足利事件の再審で弁護側のDNA鑑定を手がけた法医学者)を知りました。そこで本田先生に相談したところ、本田先生のDNA鑑定の鑑定書を新証拠として再審請求することができたのです。
●再審では、私たちが久間さんにどう応えられるかだと思っている
――本には、久間さんの奥さんの手記も掲載されていますが、久間さんの無実を信じて疑っていない感じが伝わってきます。
久間さんの家は、奥さんが働き、久間さんが家事をやるという普通と異なるスタイルでしたが、久間さんはしょっちゅう家族をドライブに連れて行くなど家庭的な人だったようです。久間さんの逮捕以来、家族は家に石を投げられたり、息子さんが学校で「クマの子、オニの子」と言われ、仲間外れにされるなど凄まじいイジメを受けていましたが、それでも久間さんに対する家族の信頼はゆらぎませんでした。
――報道では、久間さんはサングラスをかけた無表情の写真で紹介されることが多かったですが、本の裏表紙では、息子さんを肩車した笑顔の優しそうな写真が掲載されています。
あれが久間さんの素顔です。久間さんは我々弁護人のことも信じ切っているというか、すべてを任せてくれていました。死刑判決が出ると、弁護人は被告人の人から色々批判や注文を受けることが多いのですが、久間さんはそういうことが一切ない人でした。
――再審請求即時抗告審では、近く再審可否の決定が出るとみられています。
再審については、久間さんに対し、私たちがどう応えられるかということだと思っています。自分たちの犯した過ちからすると、私たちは再審で無罪判決を受けることでしか久間さんに応えられないと思っています。仮に今回、福岡高裁の即時抗告審で再審が認められなかったとしても、私たちは生きている限り、何回でも何年でも再審を求め続けます。
【飯塚事件の経緯】
1992年2月、福岡県飯塚市で小1の女の子2人が登校中に失踪し、小学校から遠く離れた山道脇の草むらで他殺体となって見つかった。1994年になり、地元住民の1人である久間元死刑囚が殺人などの容疑で検挙されるが、一貫して無実を主張。しかし裁判では、2006年に最高裁で死刑が確定し、2008年に執行された。
翌2009年、栃木県で1990年に起きた幼女殺害事件(足利事件)で無期懲役刑に服していた男性・菅家利和さんがDNA鑑定のやり直しで冤罪だと判明。久間元死刑囚も菅家さん同様、犯罪捜査に導入初期の科警研のDNA鑑定を決め手に有罪とされていたため、冤罪を疑う声が一気に広まった。同年10月に久間元死刑囚の妻が福岡地裁に再審請求し、2014年に棄却されたが、弁護側は福岡高裁に即時抗告した。
【ライタープロフィール】
片岡健:1971年生まれ。全国各地で新旧様々な事件を取材している。編著に「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(鹿砦社)。広島市在住。
(弁護士ドットコムニュース)
DNA鑑定への疑念から冤罪を疑う人が多い事件ですが、処刑された久間三千年さんの人柄や獄中での様子なども話して頂きました。RT 飯塚事件弁護団の徳田弁護士、死刑執行に深い後悔、「再審を求め続ける」原動力に…主張まとめ出版(弁護士ドットコム)https://t.co/qin4u9AejY
— 片岡健 (@ken_kataoka) 2018年1月13日
出版した本も資料性の高い内容なので、事件に関心のある人にはお勧めです。久間さんが獄中から奥さんに出した手紙も出てきます。RT 飯塚事件弁護団の徳田弁護士、死刑執行に深い後悔、「再審を求め続ける」原動力に…主張まとめ出版(弁護士ドットコム) https://t.co/GZaD5gQolp @YahooNewsTopics
— 片岡健 (@ken_kataoka) 2018年1月13日
https://www.facebook.com/permalink.php?id=100002447575355&story_fbid=1570839466340957
死刑執行後に冤罪だった可能性が浮上する「飯塚事件」。ついに福岡県の西日本新聞が特集記事を掲載。当時の捜査員に取材をしているが「現場付近で死刑囚の車を目撃した」という人の調書を取る前に、捜査員が自ら先に当該車を確認した「下見報告書」が存在している模様。 https://t.co/cY7JBbhyfx
— 清水 潔 (@NOSUKE0607) 2017年12月22日
「殺人犯はそこにいる」清水潔 読了。足利、飯塚事件を隠蔽し警察検察が自己保身の為に、DNA鑑定の不備をなかった事にし真犯人を放置する。恐ろしい事だ。折しも栃木今市市幼女殺害事件、二審で検察は殺害現場と時刻の大幅な訴因変更を行う。自白以外物証がない。栃木県警と検察、一体何が?
— zainichiasiajin (@InuhikoNet) 2018年1月11日
容疑者を死刑執行してしまった「飯塚事件」。
— くろ (@kurohuman) 2017年12月22日
もし、冤罪だったら法務省は、いったいどんな対応をするのだろうか?
“国家による殺人”⁈
罪は重い…
飯塚事件、目撃証言警察が誘導? 弁護団「聴取前の下見報告書存在」 - 西日本新聞 https://t.co/cswr9Aqfmp
飯塚事件、目撃証言警察が誘導? 弁護団「聴取前の下見報告書存在」
https://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/381969/
2017年12月22日 06時00分 西日本新聞
被害女児の遺体やランドセルなどが遺棄されていた八丁峠=7日、福岡県朝倉市
福岡県飯塚市で1992年に女児2人が殺害された「飯塚事件」の再審請求即時抗告審で、久間三千年(みちとし)元死刑囚=執行時(70)=の有罪認定を支える柱の一つだった目撃証言の信用性が焦点となっている。女児のランドセルなどが遺棄された現場近くで「紺色で後輪がダブルタイヤ」の不審車両を見たとする男性の供述調書を作成した県警の当時の巡査部長が聴取の2日前に元死刑囚の車を「下見」したとされており、西日本新聞は元巡査部長らを取材。これを踏まえ弁護側は「下見の捜査報告書が存在し、証言の誘導を裏付ける記述がある可能性が高い」とし、開示勧告を求めるため福岡高裁に面談を申し入れる方針を固めた。
再審請求審の地裁決定は、県警の元警部補作成の捜査資料(92年10月15日付)に下見とみられる記載があることを踏まえ、元巡査部長が調書作成の2日前の同年3月7日時点で「(元死刑囚の)車の車種や特徴を把握していた可能性は相当高い」と認定している。
西日本新聞の取材に対し元巡査部長は「下見した覚えはない」と説明。一方で「当時は徹底した組織捜査。すべて班長の指示で動き、報告書は成果がなくても毎日書いていた」と話した。元警部補も「下見の報告書は記憶にない」としたが、自身がまとめた捜査資料は「各捜査員の報告書や供述調書を基に作った。多くはざら紙に書かれた報告書で、疑問点を個別に尋ねることもあった」と答えた。
弁護団の徳田靖之共同代表は「2人の話を総合すると下見をした捜査報告書が存在することは明らか。捜査本部の指示内容が記載されている可能性がある」と指摘。「見込み捜査の下、元死刑囚の車を事前に確認し、その特徴に合う目撃供述を引き出すため捜査本部が下見を命じたのではないか」と推測する。
弁護団によると、即時抗告審で検察側は「下見の報告書は存在しない」と説明。裁判所も開示勧告の要請に応じず、審理は5月の3者協議で終結した。
福岡高検の秋山実次席検事は取材に「再審請求事件について個別の内容には答えられない」としている。
◇ ◇
■証言が日を追い詳細に
被害女児2人のランドセルなどが遺棄された福岡県朝倉市・八丁峠の現場近くで事件発生の1992年2月20日、運転中に不審車両を見掛けたという男性の目撃証言の信用性については、当初の公判段階から争われてきた。再審請求後に検察側が証拠開示した捜査資料からは、車の特徴に関する証言が日を追って詳しくなっていった不自然な経緯も浮かび上がっている。
県警の当時の巡査部長が作成した捜査報告書や供述調書によると、目撃者の男性は事件から10日余り過ぎた3月2日、元巡査部長に対し、車の運転中に「紺色ワゴン車を見た」と説明。4日には「後輪がダブルタイヤで、ガラスに何か貼っていた」と話した。
9日には(1)普通の標準タイプのワゴン車(2)トヨタや日産ではない(3)やや古い型(4)車体にラインは入っていなかった(5)タイヤのホイールキャップに黒いラインがあった−などとする供述調書が作成され、車のそばにいた不審人物についても頭髪や服装の細かい特徴が記された。
当時、久間三千年元死刑囚が使用していた車は後輪がダブルタイヤのマツダ「ボンゴ」。購入時にあった特徴的なラインを自ら剥がしていた。確定判決は不審車両の特徴が元死刑囚の車と一致するとして、有罪認定の根拠の一つとした。
しかし、目撃現場は山中の急カーブ。目撃者は、下りカーブを時速25〜30キロで運転しながら、対向車線側の道路脇に駐車した車両や人物を10秒余りの間に詳しく確認したことになる。弁護団は「下見で確認した元死刑囚の車の特徴に合わせた内容に供述が誘導されていった結果、詳細すぎる内容になった」と指摘する。
「下見」の裏付けとなったのが、元巡査部長らの捜査報告を基に作られた92年10月15日付の捜査資料。検察側は当初、一部を黒塗りにしていた。裁判所の全面開示勧告で、元死刑囚の車に関する「捜査結果」の一覧表が明らかに。目撃者の供述調書作成前の3月7日の欄には「捜査員現認」として「ラインはなかった」との記載があった。
弁護団は「ラインの有無は県警が元死刑囚の車と目撃車両を一致させる大きな要素。検察側は最後まで捜査の経過を隠そうとしていた」と批判、下見の捜査報告書の開示を求めている。
元巡査部長は取材に対し「死刑判決が出るような事件。誘導も何もない」と強く否定した。
【ワードBOX】飯塚事件
1992年2月20日、福岡県飯塚市で小学1年の女児2人=ともに当時(7)=が行方不明になり、翌21日に同県甘木市(現朝倉市)の山中で遺体が見つかった。94年に殺人などの容疑で逮捕された久間三千年元死刑囚は一貫して無罪を主張。福岡地裁は死刑を言い渡し、高裁も支持。2006年10月に最高裁で確定し、08年10月に刑が執行された。捜査への導入後間もないDNA型鑑定が有罪認定の根拠の一つとなったが、同じ手法が使われた「足利事件」の再審では証拠能力が否定され、無罪判決が出ている。元死刑囚の妻が09年10月に再審請求。福岡地裁は14年、DNA型鑑定は「直ちに有罪認定の根拠とすることはできない」と事実上“排除”しながらも「他の状況証拠で高度な立証がなされている」として請求を棄却。弁護側が福岡高裁に即時抗告した。
=2017/12/22付 西日本新聞朝刊=
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