http://www.asyura2.com/18/senkyo238/msg/321.html
Tweet |
新年の誓い “リベラル”という言葉は使わないと決めた理由 永田町の裏を読む
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/220932
2018年1月11日 日刊ゲンダイ
「私はリベラル」/(C)日刊ゲンダイ
本連載もまもなく250回を迎える。年に50回として丸5年間、たゆまず書きつづってきて、近頃では新幹線の車内や地方の講演会場などでも、「ゲンダイのコラム、毎週楽しみに読んでいますから」と声を掛けられることがある。ありがたいことである。私自身も、本業として42年間続けてきた情報誌「インサイダー」を主内容とするメルマガ「ザ・ジャーナル」を日曜日夜に締め切って翌朝に配信すると、すぐに本欄の執筆に取りかかり、それを終えてようやく「週末」気分になれる――という生活のリズムになっている。今後も元気である限り続けていきたいので、よろしくご愛読下さい。
さて、正月のおとそ気分の中で立てた新年の誓いのひとつは、「リベラル」という言葉を使うのは、金輪際、やめようということである。理由の第1は、安倍晋三首相が「私はリベラル」と語ったという12月30日付朝日新聞の記事である。これはもちろん、政治的な立ち位置のことではなく「政府が積極的に関与し、所得再分配の機能を強めていくという文脈で使った表現」だというのだが、これほど混濁した話はない。
日本で言うと中曽根内閣の国鉄民営化や小泉内閣の郵政民営化などは「新自由主義=新保守主義」と言われ、アベノミクスで当初言われた「第3の矢」もその系列に連なるが、要は、構造改革で既得権益集団を破壊して民間企業や市場の力に委ねるよう思い切って開放すると経済が元気になるはずだという「小さな政府」論である。この時の「新自由主義」の原語は「ネオ・リベラリズム」である。
いま安倍は、アベノミクスが失敗に終わったので、ネオリベからコソコソと逃げ出して「大きな政府」による「所得の再配分」という名のバラマキ路線に尻をずらしつつあり、そのことを「リベラル」と称し始めているのだが、これは欧州の社民主義的福祉国家や戦後の自民党が採用してきた方向で、ネオ・リベラリズム以前の昔ながらの「オールド・リベラリズム」にほかならない。
他方、政治的な立ち位置に関して「リベラル」というと、かつての左右対決の時代が終わり、ポスト冷戦時代の対抗軸は「保守対リベラル」である。その意味での政治的リベラルの主軸は、今や立憲民主党だと思うのだが、同党の枝野幸男代表はどうもその言葉を好んでいない。となると、リベラルという言葉は経済・政治のどちらの面でもますます混乱を招くだけなので、使わないようにしたい。
高野孟 ジャーナリスト
1944年生まれ。「インサイダー」編集長、「ザ・ジャーナル」主幹。02年より早稲田大学客員教授。主な著書に「ジャーナリスティックな地図」(池上彰らと共著)、「沖縄に海兵隊は要らない!」、「いま、なぜ東アジア共同体なのか」(孫崎享らと共著」など。メルマガ「高野孟のザ・ジャーナル」を配信中。
【永田町の裏を読む/高野孟】新年の誓い “リベラル”という言葉は使わないと決めた理由 https://t.co/dYrAOaEwXu #日刊ゲンダイDIGITAL
— 日刊ゲンダイ (@nikkan_gendai) 2018年1月10日
https://www.facebook.com/permalink.php?id=100000472600863&story_fbid=2340149412677456
▲上へ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK238掲示板 次へ 前へ
投稿コメント全ログ コメント即時配信 スレ建て依頼 削除コメント確認方法
▲上へ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK238掲示板 次へ 前へ
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。