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安倍暴政批判に直結する明治維新再評価の動きー(天木直人氏)
http://www.twitlonger.com/show/n_1sqcuk6
6th Jan 2018 市村 悦延 · @hellotomhanks
私がなぜ明治維新の再評価について関心を抱くようになったか。
それは私が明治維新についてあまりにも知らなさ過ぎたからだ。
そして、それを少しだけ知って、自分の中にあったイメージと史実が
かけ離れていた事に驚いたからだ。
日本の夜明けの過程で、殺戮、テロ、謀略がここまで横行していたのだ。
果たして誰が正しかったのか、その読み解きは、まさしく大作業であり
好奇心の対象であるからだ。
しかし、もう一つの理由がある。
それは明治維新の再評価は、そのまま安倍暴政批判に直結すると思えたからだ。
そう思ってあらためて、最近メディアで頻繁に見られるようになった
明治維新の再評価の動きを眺めると、見後にそれが浮き上がって来る。
たとえばきょう1月6日の毎日新聞「時の在りか」という
伊藤智永編集委員の論評だ。
明治150年を言い出したのは安倍晋三首相であると次のように書いている。
すなわち、戦後70年に当たる2015年8月、山口県に里帰りした時、
50年は長州軍閥を代表する寺内正毅、
100年は叔父の佐藤栄作が首相だったと紹介した上で、
次のように安倍首相は語っていた事を教えてくれている。
「私は県出身の8人目の首相。頑張って平成30年までいけば、
維新150年も山口県の安倍晋三が首相ということになる」と。
こんなことを、三年前に言っていたとは知らなかった。
その時から長期政権を目論んでいたのだ。
こんな明治維新150年など、何がめでたい、と伊藤氏は書いている。
伊藤智永という記者は、私が見るところ、安倍首相に最も批判的な記者の一人だ。
ついこの間まで、サンデー毎日に連載していた伊藤氏の安倍批判記事は、
これ以上ない安倍批判の記事だった。
おそらく安倍暴政に批判的な者は、
安倍首相が明治維新150年を祝おうとするたびに、
「明治維新の何がめでたい」という再評価論をくり返すだろう。
私が明治維新再評価の活発化を期待するゆえんだ。
安倍首相にには憲法9条改憲と共に、明治維新を祝う事だけはさせてはいけない。
そういう言葉が、今年のメディアで頻繁に登場する年にしたいものである。
時の在りか 明治150年 何がめでたい=伊藤智永
https://mainichi.jp/articles/20180106/ddm/005/070/007000c
毎日新聞 2018年1月6日
松陰神社には初詣客の長い列が=山口県萩市で2日、伊藤智永撮影
正月の山口宇部空港に降りたら
「平成の薩長土肥連合」
と書かれた看板が見えた。今年の明治維新150年にかけて、鹿児島(薩摩)、山口(長州)、高知(土佐)、佐賀(肥前)4県が観光客誘致で協力するらしい。
しゃれの類いとはいえ、「勝てば官軍」の代名詞だけに、無邪気にはしゃぎすぎると、苦々しく思う人もいるだろう。
幕末・明治初期にできた官軍・賊軍差別の今に引きずる根深さは、靖国神社に祭られるのは誰かという線引きに限らない。
福島第1原発事故をきっかけに広く意識されるようになったが、原子力発電所17カ所54基の大半が賊軍地域に偏っているのも、たまたまにしては不自然だ。
官軍地域に原発があるのは西南戦争や佐賀の乱で明治政府に逆らった土地だし、山口県・上関は反対運動で工事中断中である。
戦後の政府が意図的に配置したとは言わないまでも、経済発展から長年取り残された地元が「自発的な誘致」へ政策誘導された疑いは容易に拭えない。
昨年秋時分に居酒屋で、いくつか気骨ある地方紙が
「明治150年に異議あり」
「平成の奥羽越列藩同盟を」
という統一テーマで特集記事を企画中と小耳にはさんだ気がしたのは、空耳だったか。
* *
明治150年を言い出したのは安倍晋三首相である。戦後70年の2015年8月、山口県に里帰りした際、50年は長州軍閥を代表する寺内正毅、100年は叔父の佐藤栄作が首相だったと紹介し、
「私は県出身8人目の首相。頑張って平成30年までいけば、明治維新150年も山口県の安倍晋三が首相ということになる」
と語った。地元向けリップサービスだったにせよ、長期政権への野心をそんたくした菅義偉官房長官は国の記念行事と位置づけた。
「歴史の評価は史家に委ねる」という決まり文句はどこへやら、「お上からお仕着せの官製祝賀」が実現するわけだ。手放しの長州礼賛には釈然としないが、この際なので近代日本の歩みを50年刻みで振り返ってみよう。
明治50年の1918(大正7)年は、シベリア出兵が始まり、初の大規模大衆闘争である米騒動が広がった。お祝いどころか明治国家体制の曲がり角である。
シベリア出兵には、後の日本軍の弱点が集約されている。大陸侵略、かいらい政権工作、虐殺、逐次出兵、撤兵の遅滞、戦争目的と戦意の喪失、国際的孤立……。
日清・日露戦争を軍国明治の栄光とすれば、退廃と迷走と挫折はここに始まった。
政党無視の寺内政権は
「非立憲超然内閣」
と呼ばれ、同年、初の政党内閣である原敬政権に代わった。立憲主義は、100年前も日本政治の主要な課題だった。
寺内が首相に就いたのは、併合した韓国の初代朝鮮総督として武断政治を断行した功績だったが、米騒動で退陣し、翌年には半島全土で3・1独立運動が起きる。
海外派兵と植民地支配と民衆蜂起が渦巻く転換期だった。
明治100年の68(昭和43)年は高度経済成長真っ盛り。大学紛争もあったが、米騒動の広がりはない。佐藤首相は沖縄返還で戦後に幕を引こうとしていた。
遠くなりゆく戦後を見送りながら政府が記念式典を挙行したのは、近代を問い直すためではなく、明治の偉大さをよりどころに、中央教育審議会が打ち出した
「正しい愛国心をもつ、期待される人間像」
にふさわしい国家イメージを描き直すことにあった。
それを権力による押しつけとばかりは言えない。同年、NHK大河ドラマで司馬遼太郎作「竜馬がゆく」が放映され、「坂の上の雲」の新聞連載が始まった。
明治維新を青春物語として享受する歴史の消費の仕方は、大衆の欲望が支え、今や一種の国民説話になっている。歴史もまた民主化され、世俗化するのだ。
* *
山口県萩市へ向かった。
「明治維新胎動之地」
の碑が建つ松陰神社の駐車場には関西や九州ナンバーの車、細い参道に1時間待ちの参拝者の列。並ぶ傍ら著作集をのぞいてみる。吉田松陰は、尊皇攘夷(じょうい)の先に海外侵略の必要を説いた。
「蝦夷を開墾し、カムチャツカ・オホーツクを奪い、琉球を参勤させ、朝鮮を攻めて朝貢させ、満州の地を割き、台湾・ルソンを収め、漸次進取の勢いを示せ」
弟子たちの明治日本は、師の予言をなぞった。北海道開拓、樺太領有、琉球処分、台湾・朝鮮植民地化、満州事変、フィリピン占領。誤った先見性に息をのむ。
明治維新は偉大な革命だ。でも美しい物語では、核・ミサイル、慰安婦問題で袋小路にはまる150年後から先を照らし出せない。
時の在りか:明治150年 何がめでたい=伊藤智永 - 毎日新聞 https://t.co/MoF07sHBqk
— ステイメン@打倒!凶人安倍! (@deskain) 2018年1月6日
長州閥の末裔である凶人安倍と奴の取り巻きどもは「明治維新150年」をマンセーし国民に押しつけてくる。だがそれは、戊辰戦争から先の大戦にまで続く『負の歴史』を「無かったこと」にしたい奴らの妄動なのだ! pic.twitter.com/BBUm1A2cs2
時の在りか:明治150年 何がめでたい=伊藤智永 - 毎日新聞 https://t.co/MoF07sHBqk
— ステイメン@打倒!凶人安倍! (@deskain) 2018年1月6日
長州閥の末裔である凶人安倍と奴の取り巻きどもは「明治維新150年」をマンセーし国民に押しつけてくる。だがそれは、戊辰戦争から先の大戦にまで続く『負の歴史』を「無かったこと」にしたい奴らの妄動なのだ! pic.twitter.com/BBUm1A2cs2
明治150年礼賛、大馬鹿アベ晋三一家の戯言。明治維新で作られたシステムは80年足らずで見事に崩壊してる。
— ekun_tw (@twiekun) 2018年1月6日
歴史を学ばぬ愚者はまた同じ失敗をする。
時の在りか:明治150年 何がめでたい=伊藤智永 - 毎日新聞 https://t.co/PR32frft7J
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